表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラインの壺  作者: 謝謝飯西
2/20

底に沈むキラキラってなんなんだ

 大きな流れに逆らうと溺れる。


 この感覚は小学生のプールの授業で最後に行う"センタッキ"に近い。


 プールの授業は憂鬱だった。

 得意な子、苦手な子、それぞれに合わせて黄色のよくわからない浮かべる何かでプールを三つに区切り、私は苦手なコースでビート板を用いて顔をつける練習をしていた。

 苦手でもそれなりに楽しかったし、先生も独り占めできるし、なにより自分のできないことに向き合うのは嫌ではなかった。


 だけど、終わり十分に行う"センタッキ"は大嫌いだった。


 一度プールサイドにみんな上がり、区切りであった黄色の浮かぶなにかを泳ぐのが得意な子たちが外す。

 そして先生たちがキラキラ光るボールをプールの中に投げ入れる。

 再び全員プールの中に入り、時計回りに歩かされる。

 まるで囚人だ。


 顔をつけるのがやっとな人間でも例外なく時計回りに歩かされ、やがて大きな渦ができ、進みたくなくても止まることができない空間、それが"センタッキ"である。


 そして、先生が笛を吹くと同時に時計回りに歩くのをやめ、みんな底に沈むキラキラ光るボールを拾いに行くのだ。


 私と同じように泳げない子たちも、この時は楽しそうに大きな流れに沿っている。

 毎回この渦を怖がっているのは私だけなのだと強い孤独感に襲われた。

 プールサイドに捕まり必死に立ち止まろうとする私に、わざとではなく多くの友達がぶつかって流れていった。

 先生も楽しいから遊んでおいでと悪気なく私の手を無理矢理プールサイドから離すのだ。


 大人になって、世界はそして社会というものは"センタッキ"であることに気がつく。

 私はまだ見っともなくプールサイドに必死にしがみついている。


 ビート板がないと溺れてしまう、息ができなくて苦しい、私もキラキラ光るボールが欲しい、ずっと私の中であの頃の私が叫んでいる。


 先生が言っていた。

 大きな流れに逆らうと死ぬんだと。だから溺れた時は流れに身を任せて浮いて合わせて救助が来るのを待つ、そうしないといずれ体力が尽きて溺れ死ぬ。


 悪気なく私にぶつかってきた子、悪気なく手をプールサイドから離させた先生。


 本当に悪くないのだろうか。

 悪気がないことは悪くないことではないのではないのだろうか。



 私の中で感情がぐるぐると渦を巻く。

 いまだに拾われることのないキラキラは底に沈み、淀んだ水が時計回りに飛沫を上げる。


「今日も一応な、朝の挨拶、朝礼するぞ」


 やる気のない部長の声で現実に引き戻された。

 今日も一日が始まる。どうしようもない一日が始まるのだ。


 時間が私を少しずつ殺していく。


『おはようございます』

 いつもより少しだけ大きな声で挨拶をした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ