再開
目の前で死に行く純恋に何も出来なかった。
岸田くんが、ゾンビだと言ってたけどまさにそうだ。
これはなんなんだろう?
闇の中に居て、2つの穴から外を見ている
。
希の体は、まだ6年の教室でふらふらと立ち尽くしていた。希の精神、もしくは魂と呼ばれるであろうモノはまだその中に居たーー。
まるで、巨大ロボのコックピットにでも乗っているようだ。
皆んなもシモキンとの戦いを始めた。私も何かしなくては。
希は意を決して、奥に広がる闇の中に向かうことにした。
さっきの声の人物が居るかも知れない。
そう思った。
希はなぜか声の主が怖く無かった。むしろ助けてもらえるような気がしていた。
闇は一切の光の無い本当の暗黒だった。
目には見えなかったが、体に触れる側壁で、段々と進んでる所が狭く成って来ているのを感じた。
頭を下げ、腰をかがめ、しまいに四つん這いになり
だいぶ進んだ。膝が痛い。
気が付くと、辺りが広くなったように感じた。
限られた空間に密閉された、動かぬ空気の圧迫感が無くなった。
立ち上がってみる。ーー立てる。
……リッ、リリリリッ
……リッ、リリリリッ
あれ? マツムシ?
希はそう思った。
マツムシーー、希はこの虫の声を良く知っていた。
赤鷺村に来た最初の夏に、父がこの声がマツムシだと教えてくれたからだ。
近年は外来種のアオマツムシが多く繁殖して、都会ではマツムシは見られなくなったが
この村ではまだ生きているんだねーー、と。
その父が亡くなったのは、赤鷺村から引っ越してすぐだった。
末期の肺癌で、気付いた時には余命3ヶ月だった。
だから、マツムシの声を聞くと父を思い出した。
なんで、こんな所にマツムシがーー?
不思議に思っていると、自分が外に居る事に気付いた。
体の外という意味では無く、普通に野外に居るのだ。
風が流れている。
気付かぬ内に、夜道にいた。そう言えば、視界が効く。薄明るい。
見上げれば、満月が歪んでいる。ーー歪んでいる?
此処は何処なんだろう?
しばらく歩くと、坂の上に古い家が見える。
その家の玄関から、灯りが漏れている。
築100年を超える歴史ある農家の屋敷を改装した家。
平屋だけど、屋根が凄く大きい。昔話に出て来るような素敵な家。
私はこの家がとても好きだった。
ーー此処は、赤鷺村で私が住んでいた家だ。
恐怖より、不思議さより、懐かしさが1番に溢れて来た。
2度と来れないと思っていた。
此処は今はダムの底の筈なのだ。
父との思い出が1番ある場所ーー。
気付くと玄関の扉に手が掛かっていた。
ガラガラと聞き慣れた音を立てて、扉が開く。あまり都会の家では見ない、引き戸式の玄関扉が懐かしい。思わず「ただいま」と言いたくなる。奥から「おかえりなさい」という母の声が聞こえて来そうだ。中に入ると、玄関の電気が点いていた。この灯りが扉の磨りガラスを通し漏れていたのだ。
家の奥を見ると、また灯りが見える。靴を脱ぎ玄関を上がり、ゆっくり廊下を進む。
短い廊下を曲がると、障子戸がありそこから光が漏れていた。そこは居間に当たる場所だ。ちゃぶ台の上には、今出来たばかりのような夕飯が並ぶ。
良い匂いがする。今日はカレーだ。
子供が大好きなカレー。私も大好きな夕飯のメニューだった。
「帰ったの? 何やってたのよ。遅いじゃない。早く手を洗って来て。お父さんも呼んでね」
「はいっ!」
思わず驚き返事する。母の声だ。
だが、辺りを見るが母は居ない。声も何処から聞こえたのか分からない。
現実の母は今、実家で寝てる筈だ。だから、当然本物の母が居る筈は無いのだがーー。
ガチャガチャ!!
ジャーッ!
皿を洗うような音だけがするが、流しには何も無い。
ちゃぶ台に目を戻すと、そこにはやはりカレーは有る。
父と母と私の分だーー。
そう言えば、お腹が減ったなぁ。
いいや、食べて良いと言うなら食べてしまえ。スプーンで、カレーを一すくいする。
どーせ、父も居ないのだろうから、呼びに行かなくとも良いだろう。
これこそ、夢か幻かもしれない。
闇の奥に進んだと思っているだけで、あそこでまだ寝ているのかも知れない。
もしシモキンが夢の中の事なら、夢の中でまた夢を見てるのかーー。
ややこしい。 でも、だったらどれだけ良いか……。
……まさか、死後の世界?
天国に来たのか? 地獄に行く程の……事はしてる。シモキンの自殺だ。
て、いうか、食べて平気なのだろうか?
まさか、これもシモキンの罠じゃ……。
此処もシモキンの力が及ぶのだろうか?
……まあいいかな。どうせ1度死んでるし。
スプーンの上のカレーを見つめる。
……良い匂いだ。
ええい! 毒を食らわば皿までだ。さっき虫を喰わされたし、カレーくらい喰ってやる!スプーンに盛られたカレーを口に突っ込む。
うん! 美味いっ!!
こうなると、もうスプーンが止まらない。
カレーを1皿食べ終わり、満腹感で幸福が満たされる。
ああ、このまま此処に居ようか。と希は思うが勿論、そういう訳にもいかないのは分かっている。
席を立ち、外に出ようかと思うが、もう少し懐かしい自宅を見てからと思う。
希は、大学に進学するまで3度程引っ越したが、自宅を思い浮かべると必ず浮かぶのはこの家だ。もう2度と行く事が出来なくなったというのも、大きいと思う。
実際は過ごした期間は1番短い。でも、思い出が1番詰まっているのがこの家だった。……最高の良い思い出も、最悪の思い出も。最悪とは当然、志茂木マリ子の自殺だ。
廊下を歩き、母の言葉に従い父の書斎に向かってみる。
別にそれに大きな意味はない。ただ、散策する上で目的意識が欲しかったからだ。
全てが懐かしく目に飛び込んでくる。忘れていた記憶が、小さな切っ掛けで蘇ってくる。
廊下を歩くとミシミシと音がする。これは昔からだ。古いから建付が悪くなっているのだ。たわいも無い廊下の木目。それが薄暗い廊下の中で、人の顔に見えて、さらにミシミシ音と相まって、当時はとても怖かったのを思い出す。廊下の木目なんて他人にとっては些細な事だが、当事者は不思議とそういう些細な事こそ良く記憶している。大人と子供の差も大きいのかもしれない。子供は意味の無い物に意味を与え。形の無い物に形を与える。それが想像力だ。そして、大人にとっては空想でも、彼らには現実なのだ。だから、大人は流してしまうたわいの無い物も、子供の価値観では深い意味を持ち記憶に強く残るのだろう。
途中に自分の部屋も覗いた。初めての自分の部屋だった。
全部昔のままだった。机には埃1つ無い。
当時のままというより、此処はあの時間のまま止まっているようだ。
西の角部屋、そこが父の書斎だ。元は物置部屋を改装して作った四畳ほどの小さな書斎。父は良く趣味の蝶の標本を作っていた。部屋の中も、壁中標本箱だらけだった。
部屋には小さな窓があって、夕日が差し込むと標本の蝶に羽がキラキラ輝いて美しかった。
真鍮製の金の丸いドアノブに手を掛ける。ゆっくりとドアノブをひねりドアを開けるーー。
ーーっ!?
希は思わず両手を口で覆い、声が出るのを押さえる。
声を出したら、消えてしまうんじゃないかと思ったから……。
やはり此処は、死後の世界かも知れない。
そこには、見覚えのある後ろ姿があった。
机に向かい、蝶の標本を見ながら、蝶の図鑑を見ている。
父を呼びに行く度に、良く見た光景だ。
ーーそこには、亡き父が居た。
「大きくなったね」
初老の紳士は振り返るとそう言った。
「……お父さん」
やはり、父だ。
幻でも夢でも良い、また父に会えるなら。ーー希は思った。
……眩しい。
いつの間にか、夕日が窓から差し込んでいる。
標本の蝶の羽が、それを受け七色に煌めく。
まさに、あの当時見ていた光景だ。
「希、お前に見せなくては成らない物がある。当時、お前に秘密にしていたあのクラスの事だ」
父は再会を懐かしむ間もなく、唐突に言った。
「クラスの秘密?」
「何?」
父が差し出した物を手に取る。それは数冊の古びた大学ノートだった。
ページを開くーー。
『6月2
吉田保達が宮川純恋の給食に芋虫を入れる。聞くとシモキン(志茂木マリ子)の命令だと言う。
7月7日
岡田拓也達が玉井梨花の上履きに画鋲を入れる。
田中要達がクラスの女子の短冊を千切り全て焼却炉で焼く。
両方共、シモキンの命令だと言う。
9月2
新学期始まって早々問題が起きる。安田さゆりが持って来た子猫を小寺高雄達が2階から投げ落とし死なす。シモキンの命令だと言う。
10月7
堀内健悟達が品川美紗子を神社の階段から突き落として、右腕を骨折させる。
シモキンに命令されたと言う。
11月23日
松田信太達が兎小屋に火を放つ。直ぐに気付いた永野先生の起点で火は直ぐに消し止められたが、火傷を負ったウサギ達は皆死ぬ。シモキンに命令されたと言う。
12月11日
このクラスでは、毎週生贄のように代わる代わる誰かが酷いイジメにあっている。その生贄を決めているのはシモキンだ。悪質なイタズラらも多過ぎる、主犯は主に男子だが、女子も進んで共犯を買って出ている。それらを先導しているのもシモキンだ。
この負の連鎖を止める事が出来る自信がない。』
これらは、『3年』と表紙に書かれたノートに書かれていた。
ノートの表紙には『1年』『2年』『3年』『4年』『5年』『6年』とある。
私の居た、6年のクラスの6年間の記録だった。その時、その時の、担任が書いた物らしい。表紙の下に名前が書いて有り、6年のノートには6年の時担任だった野澤栄光先生の名がある。
他のノートにも目を通す。どうやら、私が転校して来るまで、シモキンはクラスの中心的な存在だったようだ。
クラスもシモキンに良いように、操られて酷い様だ。私が転校した時には、もうシモキンはイジメの対象だったから、信じられない事実だ。
それにしても、酷いノートだ。良い事が1つも書かれていない。私が転校して来るまで、相当問題のあるクラスだったらしい。
父は言う。
「私が赤鷺小学校の教頭になった時に、当時の職員の1人に渡された物だ。6年の物は、私の赴任後に野澤先生によって書かれた物だ。お前のいたクラスは、5年まで最悪の問題児クラスだった。そこに、お前を入れるのは心配だったけど、彼らはシモキンと関係を別つ事で変わったんだ」
父は、希の手から一冊のノートを取る。
その中の1ページを開き、希の方に向け、差し出す。
それは、5年生の時のノートだった。
希はそれを取り、見る。父が開いたのは、最後の方のページだった。
父はその中の、ある一節を指差す。
『……志茂木マリ子、いやシモキンを葬らねば成らない。
それも子供達の手により。
教師達で話し合い、子供達が自らの手でシモキンをーー』
希は真実を知り驚愕する。
「何これ? お父さん!? 本当なの?」
「これをーー」
父はさらに、6年のノートを見せる。
「そんな!? ……嘘でしょ」
そこにはさらなる真実が書かれていた。
「それを持って、行きなさい。皆んなが、真実を知ればシモキンに勝てるかも知れない。直ぐにーー」
「行くって、みんなの所へ? どうやって?」
「志茂木マリ子の家に向かいなさい」
「それから?」
「……それから。ああ、もう時間切れだ。志茂木にバレる。お前も早く此処を出なさい。志茂木が来る。すまない……、希」
「お父さんっ!!?」
「私には、まだやらなくてはならない事がある」
そう言うと、父は部屋を出て行った。
まるで出て行く父が、一緒に光を吸い込むように、差し込んでいた夕日が消えて行く。幼い頃に巻き戻った時計の針が、まるで元に戻るように、部屋から父の温もりが消えて行くのを感じた。
「ーーお父さんっ!?」
希は再び父を失う恐怖に、急いで追い掛けるが、もう部屋の外には父の姿は無かった。
部屋に戻ると、電気が点いていた筈なのに、電気ももう点いていなかった。
希は灯りの消えた暗い部屋で1人思う。
最初に肩を叩いた手、シモキンに殺された後聞こえた声、あれはお父さんの声だったんだ。死んで形は消えても、ずっと側に居てくれたんだ。
希は家から出て、直ぐにシモキンの家に向かった。
シモキンの家に行くのは、シモキンの葬儀以来かーー。
走りながら、葬儀の時の詳細な記憶がゆっくりと蘇る。
……いや、あれは葬儀では無い。
……あれは、
希は蘇った記憶に、闇の中で背筋がぞっと寒くなるのを感じた。
そういえば、お父さんはシモキンが来ると言っていた。つまりこの世界にもシモキンは来れる。何が出来るか分からないが、とにかくシモキンの家に急ごう。




