箱
その日ちょっとした事件が、カニ子の知らぬ所で起きたのだが、それは異様な展開を見せ大きな事件に発展する。
ーーカニ子が夢路丸の元を訪ねた翌週の月曜日の朝、カニ子の事務所の入っているビルの屋上に不審な箱が置かれているのを、警備員が発見した。
箱は、長細い白い箱で屋上の真ん中に置かれていた。
そこまで広い屋上ではない。扉を開けて一見して、全てを確認できる程度の広さの、何も無い屋上だ。そんな所だから、箱の存在は際立っていた。
上から覗いた警備員は、箱の上に『澪羽様へ』と書かれた紙が貼られているのを発見する。
澪羽ーー、カニ子の芸名だ。
きっと、ファンのやった事だろうと警備員は思ったが、だが屋上まで来るには確実に一階入り口の警備員室の前を通り、入館許可を部外者は貰わねば成らない。入り口はあそこしか無い。許可無しに屋上まで来れる訳が無いのだ。
一応、今警備員室に居る別の警備員にトランシーバーで連絡し、昨晩からの入場者を調べて貰うが、該当するような者は居ない。
カニ子の事務所である、グリーンアローズに連絡がされ、一応警察が呼ばれた。
今の世の中、想定出来ない事件が当たり前に起きる時代だ。転ばぬ先の杖というやつだ。
箱の感じからして、どうせ中は花束の類だろう。悪質な悪戯だ。と、たかをくくり最近採用されたグリーンアローズの新入社員の津久井英明が1人着いて、警察による箱の開封が屋上でそのまま行われる事になったのだが、やって来た2人の警察官が箱を見るなり血相を変える。
「どうしたんスカ? まさか、爆弾?」
空気を読まない、津久井の半笑いのおどけた声が屋上に響く。
業界人特有の軽いノリだった。
2人の警官は津久井の方を真顔で振り返ると、1人が箱の底の方をゆっくり指差す。
「え?」
と言った津久井の声は、まだおどけて居たが
次に、箱の底に目を向けた後に放った
「……えっ!?」
という声は、すでに恐怖に震えていた。
さっきまでは何ともなかった筈の白い箱の底方が、僅かに赤く染まっていた。
それは、血に見えた。
警官が箱を開けると、中には腕が1本入っていた。肩から下の所で切られていた。
その時、カニ子は撮影の仕事が入っていたので、仕事の終了と共に知らされて警察にタクシーで社長とマネージャーと共に向かった。
タクシーの後部座席で、マネージャーの岡田は「澪羽大丈夫だからね」と呪文でも唱えるように連呼するが、顔は青ざめていた。こちらを向いてさえ居ない。ガクガク震える膝を、バレ無いように懸命に押さえている。カニ子はそれを横目に見ながら、気付かぬフリをした。
その言葉はカニ子に向けてではなく、自分へ向けて唱えられているのが分かる。
カニ子は冷静に岡田の心情を分析しながら、考えていた。
これも、シモキンの仕業なのか? でもシモキンにしては、行動が生々し過ぎる気もする?
それにしても誰の腕なんだろう? 嫌な予想が頭に浮かんでは消える。
クラスメイト達の誰かか……。それとも、まさか。
警察に着くと、形式的なという前置きを受けて、事情聴取という物を受けた。
「すいませんね。お忙しいのに、ご足労願って。一応、あなた宛に来たものなのでーー」
中年の刑事が頭を掻きながら、なぜか照れたように言う。
刑事は名を池内と言と言いますと、自己紹介した。
「いえ。あの? 誰の物かはーー」
カニ子はずっと気になっていた事を訊く。
「それを調べるのは、これからです。が、大きさ的に言うと女性の物みたいです」
池田はカニ子と正反対の落ち着いた口調で言う。それはまるで、世間話でもするようで、どこか第三者的だった。まあ実際第三者なのだが、刑事と事件という間柄では、当事者であろう。それはきっとプロ特有の、冷静さなのだろう。バラバラ事件の事など話していないようだ。そうなのだ。これは被害者の生死は分からぬもののバラバラ事件には違いないのだ。所謂、猟奇事件というやつだ。
カニ子はどこかシモキンの事で麻痺していた感覚が、現実に戻されて今更ゾッとした。
「……そうですか。」
カニ子は沈んだ顔でそう言った。
「心当たりは?」
「え?」
「腕の持ち主や、何か最近トラブルなどは?」
「いえ」
と、答えたが心当たりは当然無い訳じゃないが、夢の世界の事を話す訳にもいかない。
「そりゃ、そうですよね。あなたのような華やかな世界に生きる人とは、縁遠い事件だ」
池田はこの場に不釣り合いな明るい声で言った。
事情聴取などという、日常とはかけ離れたものを受ける自分を緊張させない為であろうが、カニ子はなんだか不謹慎なものを感じた。
池田は続ける。
「もしかしたら、箱に入れられていた腕の確認をお願いするかも知れない。良いですか?」
「え?」
「直接腕を見て貰うかも知れません。大丈夫ですか?」
「あ、はい」
カニ子にどこまで関係あるか定かでは無かったので、警察から帰って来た足で事務所の前で簡単な囲み取材だけ受けて、世間話を騒がせている事をなぜかカニ子が謝罪した。カニ子自体は、腑に落ちなかったが仕方が無い。事件の詳細も、シモキン以外に犯人が居るとすれば動機は分からない。とにかく謝っておくしか無いのだ。
今後、新たに会見などを改めて開く予定は無かったが、当分の仕事は安全を考慮する上でもキャンセルされた。
バラバラ事件について、その日の夜には大々的に、ニュースで取り上げられた。
『箱詰めバラバラ事件。人気モデル宛に誰が!?』などと刺激的なタイトルを付けた番組もあった。
カニ子が社長の車で自宅に着くと、マンションの前にも取材陣が溢れていた。
マネージャーの岡田に、自分より先に事情聴取を受けて戻って来ていた津久井も一緒に来てくれた。地下駐車場まで車が入ってしまえば、後は問題無い。さすがに敷地内まではマスコミも入って来ない。そこから部屋に移るだけだ。
「社長、岡田さんに津久井君、ありがとう」
カニ子は車を降りると言った。
「此処で良いの?部屋まで行こうか?」
平静を完全に取り戻し、自分はカニ子のマネージャーである事を思い出した岡田が言う。
「大丈夫。そこまで、凹んで無いから。ただ少し疲れただけ」
カニ子は笑って言って、駐車場で皆と別れた。
謹慎状態から2日が過ぎた。
特に、悪い事をした訳でも無いのに軟禁状態だ。
必要な物は、連絡すればマネージャーの岡田か、事務所の空いている誰かが買って来てくれる。
外部とは連絡は取れるものの、人と会う事は色々と難しいだろう。
シモキンの事も、後回しになる。
取りあえず、安否の確認をしたが被害者はクラスメイトではない。
祐からも連絡があった。あの後、車を盗まれたらしいマヌケである。
あの腕の持ち主はというと、警察からの連絡によると、女性で40代から70代の物であり、死後にノコギリのような物で切断されたそうだ。随分、幅広い年齢層だが、この年代の知り合いは少ないので、親しい知り合い内に被害者が居ないのは分かった。
この事件は、シモキンの仕業とは思えない。
また別の事件に巻き込まれたとなると、頭が痛い。
シモキンの事が後回しになる。
軟禁状態が1週間程続いた。
暇なので、久々にテレビを良く見るようになったが、朝から晩まで自分のニュースをやっている。警察からの連絡は無いから、事件に進展は無いのだろう。切られた腕を見て貰うかも知れないと言ったけど、その連絡も無い。つまり、腕を見せる必要が無いという事だ。自分と関係ある人物なのか、無い人物なのかは分からないが、誰の腕か既に警察は分かっているのではないか? そうなら、見せる必要はもう無いだろう。
カニ子がそんな事を考えながら、テレビを見ていると緊急速報が入った。
画面の上部にーー。
『モデルの澪羽さんに女性の片腕が送り届けられた事件で、いま重要参考人が任意の事情聴取を受けている模様』
と字幕スーパーが出た。
嘘っ!? マジで! 警察からは何の連絡も無いけど!!
と焦りながらも、
でも屋上に置かれていただけで送り付けられては無いけどね。
ーーと冷静に突っ込みも入れたりする。
でも、結局被害者はどこの誰だったんだろう?
重要参考人って書いてあったけど、大体こういう場合って事実上の容疑者だよね?
つまり、限りなく加害者に近いグレー。
犯人が居たということは、やはりシモキンとは関係無い事件だったのか?
そうだ!とカニ子はスマホをネットに繋ぐ。テレビのニュースより、リアルタイムで更新されるネットの方が情報は早い。
『澪羽、バラバラ事件、片腕ーー』
適当に検索ワードを打ち込むとーー、
そこに出て来た、多分素人が撮った動画。
動画には《澪羽事件の犯人が連行されてる!!?所?》とタイトルが付けられている。
たまたま撮ったという感じで、箱詰めバラバラ事件に関係ある事かも知れないのを、後で知ったのだろう。そんな、感じの確信の無いタイトルだった。
一応、動画を再生するとーー
警察に混じり、マスコミっぽいカメラを持った人も居る。
すでにある程度、マスコミも情報を掴んでいたのだろうか?
あれ? これ?
見覚えのあるボロアパートの玄関が……。
カニ子は、例えようの無い、焦りと不安を覚える。
動画の中の警察の動きを注意深く見ているとーー。
不安は的中した、刑事に囲まれ出て来たのは祐だった。
「……ッ!!?」
やはりそうだ。
昔良く行った佑のボロアパートだ。まだ、あそこに住んでたんだ……。
手錠は掛けられていないが、刑事に囲まれたその様子は逮捕されてるように見えた。
事後報告という感じで、すぐに警察から連絡があった。
どうやら、祐が元カニ子の恋人だった事は、警察も調べが付いていて
それで今まで、連絡をして来なかったらしい。
まあ、直接は言わなかったが、逃がす恐れがあると邪推したのだろう。
警察にどうして、祐なのか? とカニ子が訊くと
祐が盗難届けを出していた車が、埼玉県秩父の山中の山道で見つかったらしいのだが
そのトランクに片腕の無い女性の遺体が入っていて、身元を調べるとそれは
本名木村良子こと、夢路丸良子の遺体だった。
そして、腕が届いた2日前の高速道路のETCには、大阪へ向かう祐の車の記録が残っていた。
……あの時だ。
カニ子は「……それは」と言い掛けて止めた。
説明しようが無い。
明日に、また警察署に出向いて、話を聞かせて欲しいと警察は言う。
「あの! 祐には会えますか!?」
「今すぐには無理です。一通り取り調べが終われば会えるとは思いますがーー」
警察は気を使った感じに言った。
そりゃ、事実上の容疑者として扱われているのが、元とは言え恋人だ。気も使うだろう。
「分かりました。明日行きます」
カニ子はそう言って電話を切った。
事情を知らせていた希達からも、緊急速報を見たと心配するLINEが届いた。
それに、簡単な返事を丁寧に返す。
今は全く情報は無く、気を使う位しか出来無い。きっと、自分の事も心配しているだろうし、シモキンとの繋がりの可能性も心配だろう。
『明日、また警察に行くから、何か分かったら必ず連絡する』とLINEで皆に告げた。
佑の件もそうだが、 カニ子が驚いたのは
警察に知らされた夢路丸良子こと、木村良子の年齢だ。
あの姿を見て、70歳以上の老婆と思っていたがまだ48歳だという。
50前には見えなかった。
そして、夢路丸が亡くなってしまったとなると、シモキンのいる場所に行く方法が無くなってしまった。
警察にマネージャーの岡田と出向いて、岡田は待たされカニ子だけ事情聴取を受けた。
社長も来ると言ったが、何度も皆んなで行く必要も無いので、他のモデルやタレントの仕事に支障をきたすからいいと断った。
この前の池田という刑事にまた話を聞かれた。部下だろう若い刑事も居たが、そちらは特に何か聞いてくる事は無かった。側にいて、先輩のやり方を見て学んでいるようだった。
最近に会ったか? 会っていたら何か聞いているか? など想定内の質問をされた。
なので用意していた回答をした。
今も友人として仲が良く。
事件については聞いていない。
と答えた。
嘘はついていない。夢路丸に会いに一緒に大阪に行っているが、夢路丸殺害については全く知らないのだから。
大阪に向かった時に、一緒に行った事を話すか悩んだ。
それを話せば、佑のアリバイを証明出来る。
ただ、会いに行った理由だ。どうする? ……佑に相談したい。
「ーー話したい事があるけど、一回佑と話をさせてくれませんか?」
「話したい事とは、事件についてですか?」
「事件に直接関係は無いと思うけど、佑への疑いは晴らせると思います」
少し池田は考え、
「分かりました。今連れてきましょう」
と言った。
しばらくすると、佑が連れて来られた。
「あの、 2人にして貰っても?」
カニ子が訊くと、いいでしょうと池田と若い刑事は部屋から出て行った。
「何やってんのよ!」
「俺だって訳わからねよ! まさか、盗まれた車に夢路丸の遺体突っ込まれてるなんて」
「私が証言すれば、疑いは晴れるわ!」
「お前まで疑われるだけだ」
「……。でも、どっちにしろ、私の指紋とかも夢路丸の家から出て来るから、後でバレれば、もっと疑われる!」
「……。大スキャンダルだな。関係無いとは言え、殺人事件と関わりがある疑いが掛けられるのは。しかも、そこに元恋人が絡んでくる。……すまん。」
「なんで、謝るの? 私が頼んだんじゃん。夢路丸を佑が殺す理由が無い」
再び入って来た池田に、カニ子はあの日の事を話した。
「なるほど、分かりました。野澤先生の件で一緒に木村さんに会いに行ったと」
木村、つまり夢路丸の本名だ。木村というありふれた名を言われると、あの風貌からはピンとこない。
「はい」
カニ子はシモキンの事を隠し、あくまで野澤先生を襲った暴漢と多喜子の火事の件で、過去に野澤先生と関わりのあった夢路丸を訪ねたと話した。
「ただ、それでは相澤さんの疑いは晴らせないですよ」
相澤とは、佑の苗字だ。
「どうしてですかっ!?」
「あなたと別れた後で、相澤さんの車はもう一度大阪に向かっているんです」
「そんなっ!? 俺は車を盗まれたんだ!」
「相澤さん、あなた車が盗まれたのに、なんですぐ盗難届けを出さ無かったんですか? 盗まれたという日から、丸一日空いてる」
「もうボロかったし、その日行かなきゃならない取材が入ってて、警察に行ってる暇なんか無かったんだよっ!!」
「確かに、取材が入っていたのは確認が取れています。経済評論家の中村博先生ですよね」
「ああ!」
「ただ、取材は午後8時からでしたよね?」
「先生が指定したんだよ! 仕上げなきゃいけない原稿があるとかで」
「じゃあ、昼間に盗難届けを出しては? 昼間は何をしてました?」
「朝方帰ってきたから、疲れもあって午後まで寝てたよ。何があるか分からないし。例えば取材の時間を早めてくれとか。しかも、翌日は何も仕事が入って無かったから、別に次の日で良いやと思ったんだよ!」
「それを証明出来る人は?」
「……居ねえよ」
「まあそれはそれとして良いでしょう。では、あなたの車から出て来たお金は?」
「え?」
「あなたの車のトランクから1000万近い金が出て来ました。木村さんの家の金庫が荒らされていて、中身が空になっています。あなた、木村を殺し、金を奪い、それを遺体と共に隠したんじゃないですか? あなたは、澪羽さんに頼まれて調べてる内に、木村さんが自宅に多額の金を隠し持ってる事を知った。そこで、今回の犯行を思い付いた」
「そんな、事は無い!」
「ーーあなた、借金がありますよね? その事で、自宅にも取り立てが来ていた事を、隣の住人の方が証言してくれてます」
「借金て、言ったって100万程度だ! 今は仕事が軌道に乗って来たから、返済を始めている」
「はい先月からですね。たかが100万でも、今のあなたの稼ぎでは大変でしょう?」
「楽じゃねえけど、返せない額じゃない!! 犯行だって、計画がずさん過ぎだろ! そんな場当たり的な犯行、成功するなんて少なくとも俺は考えない!」
「あなたの人生は、場当たり的じゃないですか? プロカメラマンの道を簡単に諦めて、顔見知り程度の大学の先輩に紹介されて今の仕事に何となく就いて、将来の展望も見えないまま借金を返す為に毎日やりたくも無い仕事をこなす。澪羽さんの事だってーー」
「……。」
池田の言動は、核心をついているのだろう。
佑は何か言い返したそうな悔しさの滲む顔をしていたが、グッと堪え何も言い返えさなかった。
たぶん、言っても無様な言い訳にしかならないのが、分かっていたのだろう。
だから、喉元まで出てたであろう言葉をグッと飲み込んだ。
そんな、祐に池田は冷静に冷たく事実を言う。
「とにかく、あなたには動機があり。あなたの車から、遺体と金が出て来ました。すぐには帰せません」
もう池田の中で、祐は容疑者を超えて、犯人になっているのをカニ子は感じた。
その後、池田に時間を少しだけ貰い。
2人で少し話した。
「借金て何?」
「無職だった時に、ちょこちょこ借りてたら積もり積もってな」
「……言ってくれれば。」
「言えるかよ! カッコ悪い。しかも、もうお前とは他人だ」
「恋愛関係が無くとも友達でしょ? お金で切れるレベルの関係だとは、思って無かったんだけど? 少なくとも私はーー」
「……。でも、だからこそ、お前には借金の事なんか言いたく無かった」
「ただ、カッコ悪い所見せたく無かっただけだろっ!」
パコッ! と、カニ子は祐の頭は叩く。
「……悪りぃ」
何カッコつけてんだか。
別れる間際の姿は、ホントカッコ悪かったんだから……。
なんで今さらカッコつけるのかな?もう、あれ見せてりゃ、どうでも良いだろう。
何というか、ほんと男という生き物はーー。
カニ子は呆れたような疲れたような、そういう気持ちが入り混じった溜息を深く
はぁー。
と吐いた。




