赤鷺湖
着いたのは午後9時過ぎだった。
A貯水池。通称、赤鷺湖。赤鷺村の名前から付けられた名前だ。
今日泊まる場所は、嘗ての赤鷺村の高台だった場所に作られたコテージだ。
赤鷺キャンプ村と書いてあるが、テントを張るようなキャンプ場ではなく、
小さな物から、団体で泊まれる大きな施設まで、ログハウス型のコテージが湖畔に並んでいる。所謂、貸別荘である。
まるで北欧を思わせる施設全体の佇まいに、昔の村のイメージはまるで無い。
これから本格的に、秋に移り変わろうとする中でも、他にも泊まり客が居るようだ。
何軒か明かりの点いているコテージがある。秋が深まりつつあるとはいえ、紅葉にはまだ早いだろう。
車から降りると、今日泊まるコテージから湖面が見渡せた。
きっと保養するには、立地条件の良いコテージなのだろうが、気持ちは複雑だ。
夜空には、あの時の歪んだ満月とは違う、綺麗な真円に近い満月が浮かぶ。
皆んなして、同じ方向を見つめる。
月夜の中で、湖面に反射したキャンプ村のコテージの明かりが、僅かな湖面の揺れに滲んでいる。
ーーあの底に、本当の赤鷺村が在る。
「あの時に見た、月は歪んでた。あれは多分、湖面を通して見えている月だと思う」
カニ子が唐突に言った。
「でも、あれは夢の世界だろう?」
松田が言う。
「そうだけど、 どこか少しずつ現実世界と、あの世界がリンクしてるんだと思うの。同窓会のハガキとか。現実世界と夢の世界に僅かでも、繋がりを作る事で、シモキンは私達をあの世界に招き入れる事が出来るんだと思うんだ。実際の湖底の赤鷺村で無くとも、今湖底にある村を表してあの世界を構成させてたんだと思う」
「ふーん」
松田は考える。
「さあ、中に入ろう! 寒いよ」
希が言った。
出来てまだ新しいようで、中は広いリビングにキッチン、一階二階合わせて寝室5つと、浴室、シンプルな造りだが綺麗だった。
途中で買って来た物をテーブルに広げた。
旅行に来た訳ではないから、夕食は簡単な物だ。
途中のコンビニで、弁当と各々自分の食べたい物を買った。
「明日はどするんだ?」
松田が訊く。
「取りあえず、周りを探索するわ」
カニ子が答える。
「何を探索するんだ? そもそも、ここへ来た目的は?」
「どうすべきかを、探しに来たのよ。今私達に必要な情報は、もう一度あの世界に行く方法。そして、どうやって岸田君を救い。シモキンを今度こそ倒すか」
「やっぱ、シモキンを倒すのか?」
「じゃなきゃ、岸田君を救い出しても、いずれやられるわ。シモキンが私達を見逃すとも思えないし。それに、シモキンにとって力を得る為に、私達が必要だもの」
「シモキンの目的はなんだろう? 俺達を支配下に置いて、力を得たとして、その後はどうするんだ? 夢の中に他の人間を引き込むのか?」
「なんだろうね? 確かに、今一シモキンの具体的な目的が見えないわね。まあ、サイコパスみたいなものだから、ただ人を苦しめるのが目的でもおかしくは無いけど」
「でもやっぱり、恨んでは居るんじゃ無いかな?」
純恋が言った。
「そうね。恨んでるのは確かでしょうね。復讐も1つの目的でしょうけど、もっと他にも何か有りそうなのよね」
「うーん」
と希が腕を組んで、首を捻り
「田辺くん、ずっと食べてるだけだけど、何か無いのぉ?」
と向かいに座る田辺に言う。
「えっ? ……うーん。急に言われても……。」
その後、順に入浴して、男子は一階、女子は二階の寝室に向かった。
明日も早いし、疲れもある。今日はもう寝る事にした。
寝室はシングルベットと、その脇のローテブルにスタンドが有るだけだ。
窓からは赤鷺湖が見えた。
希は布団に入るなり、強い眠気に襲われる。
今日は色々な事が有ったけど、精神的にも疲れた。
スタンドの明かりを消して、布団に深く潜る。
石鹸の匂いのする白いシーツに、包まれた布団が心地良い。
毎日、管理スタッフがやって来て替えているのだろう。
ーーそんな事を思った。
希が眠りの底に落ちてーー。
しばらくすると、部屋のドアがゆっくり開いた。
深い眠りに落ちている希は、その事に気が付か無かった。
何者かが、ゆっくりと眠っている希に近付く。
そして、ゆっくり布団を端を持ち上げる。
希はハッキリしない意識ではあったが、何か異変に気付いた。
ゆっくり目を開けると、月明かりに照らされて人が立っている。
「きゃあっ!!」
思わず声を上げた。
「ごめんっ!! 良く寝ているみたいだったから」
それは、純恋だった。
「ビックリした!? どうしたの?」
「さすがに、此処で1人じゃ寝れなくて」
「そうか。いいよ、中にお入りよ。狭いけど」
「お言葉に甘えさせて貰います」
純恋は、希の布団に潜り込む。
「狭くなってゴメンね」
「いいよ。きっと、夜は冷えるからね。2人の方が心強いし」
「みんな、起きちゃったかな?」
「私の悲鳴? 多分、誰も来ないから爆睡してるよ」
「そっか」
純恋は笑って、続ける。
「なんか、こんな時だけど、修学旅行思い出すわ。誰かの布団に潜り込んで」
「だね。少し楽しいかも?」
2人は束の間の談笑を楽しみ、恐怖が和らぐと、すぐに眠りの底に落ちた。
「きゃあああああーーーーーッ!!!!!!???」
「きゃあああああーーーーーッ!!!!!!???」
朝になり、希と純恋の悲鳴でみんな起こされた。
どうした!? どうした!? と2人の部屋に集まるメンバー。
希と純恋は、ベットの上で抱き合い怯えている。
「どうしたのっ!?」
カニ子の問いに、やっと我に返ったように純恋が窓を指差した。
みんな、指差す方を見て、ギョッ!? とする。
窓ガラスに小さな手形が沢山付いている。それは、まるで湖の底からやって来たように、粘土質の泥で付けられていた。
「……なんなの? これ」
カニ子が呟くように、蒼ざめた顔で言った。
チェックアウトする前に、手形はタオルで拭いて消す事にした。
やはりただの泥だ。濡れタオルで拭けば簡単に落ちる。
一見、子供の手形に見えるが、良く見れば人とは微妙に違う。
作りに生物の複雑さを感じない。多分、人形の物だろう……。
言うまでもなく、これがシモキンの仕業なのは皆分かっていた。
こんな事をするヤツは、シモキンしかいない。
「一々、やり方がセコいぜ!」
窓を拭き終わった松田が、苛立ちまぎれに言った。
そして、続けた。
「なんだよ! ワザと小出しにやってるのか? 向こうの世界じゃガンガン少年Xみたいな化け物を仕向けて来る癖に!!」
コテージを出て、さらにゾッとする物を見る。
「……まったくなんなんだよ」
松田にさっの威勢はなく、うんざりしたように言った。
今度は同じ様な足跡だった。
小さな子供の、泥で出来た足跡が、ずっとコテージまで続いていた。
裸足だった。足跡の来た先は、赤鷺湖の方だった。
さすがに、地面に着いたこの足跡は消さずに、コテージを後にした。
しばらく走ると、赤鷺神社と書かれた看板が見える。駐車場も無いので、道の脇の少し広くなった所に車を停め、神社へ向かう階段を登る。車の通りも殆どなく、また近くに民家も無いので、違法駐車で切符を切られる心配も無いだろう。
5m有るか無いかの急な階段を登り終えると、小さな新しいお社が見る。
元々の赤鷺神社では無い。
ダムに沈む時に、御神体が移転されて、新しい赤鷺神社として此処が出来た。
公民館替わりだった昔の赤鷺神社に比べて、こじんまりした物だった。神社と言うより、形ばかりのお堂という感じだ。
古い赤鷺神社は、丁度この新しい赤鷺神社の向かい、赤鷺湖を挟み、向こう岸に在る。高台に在ったから、水没する事は無かったが、神社までの道は水没し寸断される為に移転された。
ダムを堰き止めてある、コンクリートの壁の上の道を通り、向こう側までなら行けなくも無いが、行ったところで赤鷺神社までの道が無いのだ。
神社のすぐ後ろには森が迫り、湖面も神社の目と鼻の先まで来てる筈だ。此方側からは、かろうじて木々の合間から、お社の屋根の先が見えるだけだ。
志茂木家の屋敷が赤鷺村で1番高い所にあり、その下に赤鷺神社、それより少し下に鳥居と僅かな民家、そこからさらに下にまとまった集落が在った。
赤鷺神社の位置があそこなら、集落は、此方側、向こう側含め、全て水底だろう。
「あの辺が、昔の赤鷺神社だとすると、あそこら辺がシモキンの家だね」
向こう岸の、僅かに見える神社の屋根の、少し上辺りを指差し希が言う。
「船でも有れば行けるけど。もしくは、裏側から歩いて山を超えるか? まあ、今の装備じゃ無理だな」
松田が言う。
「人の行き来が無いから、行っても歩ける所が無いんじゃない? 意外に人工物が自然に帰るのは早いわよ。それに今から向かう時間も無い」
カニ子が言った。
「私の記憶の中にある赤鷺村は、もうあそこに在る赤鷺神社だけなんだね。此処からじゃ、見えないけど」
ふと言った純恋の一言に、皆の胸に感じた事の無い感情が去来するのを感じた。
それは郷愁と呼ばれる物だった。
「なんか初めて今、赤鷺村を懐かしいと思ったわ。ずっと、思い出したくも無かったのに」
カニ子が言った。
「私達も、こんな気持ちになる歳になったんだね。昔を染み染み懐かしいとか思えるような」
希が言う。
「やっぱ、あの村は、本当の赤鷺村じゃないよ」
純恋の言うあの村とは、勿論あの夢の中の赤鷺村の事だ。
「あそこは、私達の心の中にずっと在った赤鷺村なんだよ。きっとーー」
カニ子が言った。
結局、赤鷺村の跡に来てはみたが、昔の物は遠くに見える赤鷺神社くらいしか無かった。それと覆われた木々の中に在ろう志茂木家の屋敷。
目に見えぬ糸を探し、何か手掛かりをと思って来たが、もう赤鷺村が本当に無い事を実感しただけだった。
カニ子は、もう無い村に、岸田を助けに行くという事を強く認識した。
それは、雲を掴むより、難しい事では無いのか?
雲は実体は無いものの、存在はしている。
もう少し時間が有れば、何か見つける事が出来たかも知れないが、明日を考えて昼前には帰路に着いた。
松田、純恋、田辺は帰りの電車の便から、新宿駅に送り届けて
都内の希だけ、カニ子が家まで送って行く事となった。
「色々、衝撃的だったね」
希が言った。
「そうだね」
暗い車内、煌びやかな東京の街の灯りが2人の顔に射す。
最初はカニ子が良く知る芸能人だったと知って、希もいくらか緊張する所もあったが、やはり幼馴染だ。今はもう普通に話せている。その事に、希はふと気付いた。
「今、目に見えているこの風景という現実と、自分達の体験して来た現実。
その落差に、不思議な気持ちになるわ」
希は窓の外の、ゆっくりと移り変わる東京の景色を見ながら言う。
「どっちも、現実なのよ。私達が終わったと思っていた過去が、ずっと続いてたの」
「過去は終わらない。過去は現在に続いてる。んだね」
カニ子はアパートの前に車を停め、希を下ろした。
「じゃあね」
「うん。またね」
「うん。またーー」
2人は再開を約束して別れた。




