シモキン
岸田は驚きと共に辺りを見回す。
再び明るくなると岸田達は、学校の屋上に居た。
死んだ筈の他のクラスメイト達も居る。
皆んな、生き返った事に驚いたり、喜び合ったりしている。
さっき死んだ筈の松田もサユリも居る。
野澤先生の言っていた通りだ。死んでも、生き返るのだ。
ーーだが、そしてまた始まる恐ろしいゲームが……。
岸田はそこまで考えて止めた。今一段落したばかりなのに、その先は考えたく無い。
そう言えば、野澤先生はどうなったのだ? クラスメイトは全員居るようだが、此処には居ないし。あの時に、他の死んだ奴らと違い遺体が消えてしまった。
目の前、フェンスを背にして、シモキンが立っている。
皆、シモキンを見てギョッとし言葉を失っていた。
そこには、シモキンに良く似た人形が、自分の首を持って立っていた。
シモキンの家で見た、写真の中で父親が持っていた人形だ。
「みんな、ゲームクリアおめでとう」
人形の首が、本当に怖いのはこれからだとでも言うように、ニヤニヤ笑いながら勿体付けた口調で言った。
コイツが本当のシモキンの姿なのか……。
屋上は小学校時代を思い出す上で、岸田達にとって象徴的な場所だ。
たださっき来た時とは、まったく岸田の気持ちは違った。
シモキンの直接的な死に関しては第三者であった筈なのに、今は当事者である。いや、シモキンはあの時には、既に死んでいたのだ。シモキンは過去に祖父母、母と共に事故死している。ーー別に自分達が殺したわけじゃ無い。
赤ん坊で死んだのに、成長したのか? それとも、死んだ志茂木マリ子と、このシモキンは別なのか?
今までの事は、父親への仕打ちに対する恨みか? それともシモキンが持って生まれた残虐性からの物なのか。確かにコイツは5年生まで、クラスを支配していた。言うなら、悪霊だ。
ーー大分謎は解けた筈なのに、疑問ばかりが湧いてくる。
「おいシモキン! お前は何者なんだ? なぜ此処までする。確かに俺達はお前の父親に酷い仕打ちをしたが、此処まで恨まれる必要があるのかっ!? 俺にはお前のそこまでの怒りがまったく理解できない。お前の持って生まれた性格から、また俺達を支配しようとしたのか?」
岸田は訊いた。
「はぁ~?」
シモキンは無機質の人形の皮膚を奇妙に動かし、眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、呆れたような顔で言った。
シモキンは続ける。
「私は何もして無いわよ。全部あんた達が勝手にやってた事よ」
「どういう意味だ!」
感情露わに話す岸田に反し、シモキンの口調は淡々とそしてひょうひょうとしていた。
自分はお前らより、遥か上の立場にいるという余裕だろう。
シモキンは続ける。
「どういうって、そのままよ。私は何もしていない。ただ黙って側に居ただけ。何も悪い事はして無いわ。ただ、あなた達は違う。悪質な悪戯、弱い者イジメ、動物の虐待、毎日そんな事ばかりしてるどうしようも無い子供達だった。それは、あなた達が持って生まれたモノの所為。私には関係無い。でもあなた達は、それらの悪事を大人に見えない私に押し付けた。子供で何も分からないあなた達にとっては、私はただモノの言えないだけの周りの子供の1人でしかなかったからね。あなた達にとっては、モノを言えない私に押し付ける事で、怒られるのを回避しようとする行動だったけど、私が見えない大人達は悪霊の仕業だと騒いだわ。それで、下らない除霊を繰り返した。私は何でも私の所為にされるのを歯がみしながら、じっと睨むしかなかった。ーーねえ、松田くん? あんたが下らない悪戯書き描いたのも私の所為にしたわよね? 少年X? センスの欠片も無い名前ね。あなた達のそういう行動が、親達も正常で無くした。その結果、親も子も精神的に不安定になり、あなた達がさらに悪くなる事はあっても、良くなる事は無かった。私は生後すぐに死んだわ。その後、なぜか私の魂だけこの村に残った。そして、あなた達と一緒に成長して行った。生まれずに兄弟に融合してしまった双子が、もう1人の自分の中で栄養を貰い成長するように、私はあなた達と命を共有する事で魂だけで生き永らえた。私はただ平穏に過ごしてただけ。でも私は無理矢理あなた達から切り離されて、成長出来なくなった。子供のまま止まってしまった」
「それを恨んでか?」
「違うわよ。別に生きて肉体がある訳でもないし、成長したとしても、その後何がある訳でも無い。きっと、それはそれで辛いだけだったわ。ーーその時に私と一緒に、あなた達から別のモノも切り離された。それこそ、あなた達の悪の根源よ」
「悪の根源?それは一体なんだ? お前以外にもっとヤバイ化け物が居るのか? 少年Xの事か?」
「少年Xは松田くんのくだらない悪戯書きを、私が具現化しただけよ。私よりもヤバイ? かもね。でも、誰もが持ってるモノ」
「誰もが持ってるモノ?」
「ーー子供の持つ残酷性よ」
「……残酷性?」
「ただ見た目が違う、勉強が出来ない、運動が出来ない、なんとなくムカつく、とかいう理由にもなら無い理由で、身近な相手を、最悪相手が自殺するまで追い込む。興味本位に小動物を殺す。痛がる相手を見るのが面白いからと、集団で暴力を振るう。自分より弱い者を、徹底的に追い込む遊びが子供には存在する。イジメという遊びよ。大人は、子供は汚れの無い無垢だという。偏見を持たず、優しい存在だと言う。自分達もかつて子供であって、子供の残酷性を良く知ってる筈なのにーー。なぜかしら? それは成長の中で、残酷性を切り離すからよ。乳歯が永久歯に生え変わるようにね。そして残酷性を切り離す時に、一緒に記憶の一部を持って行かれるの。だから自分達が残酷だった時の事を忘れてしまう。その影響は人によりまちまちだけど、ただ加害者側は特にその傾向が強い。まあ当然と言えば当然だけどね。誰だって、嫌な自分と向き合いたくない。被害者側から見れば身勝手この上無いけど。切り離す切っ掛けは、人それぞれ。経験や知識が増える事で、自然に消えて行く者。他人の優しさ、必要性を知り、己の生き方を正す者。そして、残酷性が消え、代わりに新たな大人としての良心が芽生える。それは秩序と言われる。その過程を得られ無かった人間は、子供の残酷性を持ったまま大人になり、下らない犯罪なんかを犯す。あなた達は、私を切り離す事で擬似的にそれを行った。私と共に、あなた達から切り離された残酷性は消えるしかなかったけど、消えなかった。消えたく無いから、あなた達の代わりに私の中に入ったの。私はかつて志茂木マリ子という少女の魂だったモノと、21人の子供の持つ純粋なとびきりの残酷性が融合したモノよ。漠然とあなた達の中に存在していた残酷性は、私という人格を得た。私は志茂木マリ子であって、もう志茂木マリ子ではないの。さあ、ゲームを再開しましょう」
シモキンは冷たく、人形そのままの温もりの無い顔で言った。
これは、復讐ではないのかーー。岸田は分かった。
これは、単に子供の持つ無邪気な残酷性ゆえの、まさにゲームでしかないのだ。
シモキンが飽きて、玩具を自ら壊す時まで続く、ゴールの設定の無いイジメゲームだ。
岸田の心が漆黒の重油のような絶望に満たされる。
その絶望は全身に纏わりつき、逃れられない恐怖を実感させた。
岸田は身体から力が抜けるのを感じた。
他のクラスメイトも同じだった。
屋上を救いようの無い、絶望感が満たしていた。
「ーー待てっ!」
何処からともなく、突然声がする。大人の声だ。
聞いた事がある? 岸田は記憶の糸を辿る。
ーーああ、この声は
と岸田が分かった時に、屋上の扉が開き誰かが入って来た。
「……お父さん」
そう言ったのは、希だった。
「皆んな、負けちゃダメだ! コイツは強くなんて無い。君達を恐怖で支配しようとしているだけだ!」
「隠れて見てただけの癖に、随分強気じゃない教頭先生」
シモキンは笑って言う。
「私は死後、お前が接触して来てからずっと見て来た。いつか、お前が娘達に牙を剥くと分かっていたから、お前を倒す方法を探って来た。今日も見ていた。皆んなには申し訳ないが、どうせ1回で殺す事は無いのは野澤くんを見ていて分かっていたからな。ーーお前はまず、これを使って希を早い段階で、メンバーから外した」
希の父親は同窓会の招待のハガキをポケットから取り出し、コンクリートの床に投げた。
ハガキはパッと床に散らばる。
「皆んなに聞きたい。此処に連れて来られる前に、このハガキを身に付けていたか? 居なかったろう。家の外だろうが、中だろうが、こんなハガキを持って眠る訳が無い。教室から持って来た、このハガキだって君達が実際に貰ったものじゃ無い。志茂木マリ子が、この世界で作り上げた物だ」
田辺がゆっくりと口を開く。
「……言え無かったんだ。良く分からないけど、自分のハガキはポケットの中に知らない内に入ってたし。もし、持って来て居なかったのがバレたら、自分も堀内くんみたいに殺されると思ったから……。怖かったんだ」
すいません、俺も……。私も……。と声が上がる。
「ありがとう皆んな。正直に言ってくれて。ーー志茂木お前は、ワザと希を最後にメンバーに加え、堀内くんを殺して見せて皆を恐怖で萎縮させた上で、ハガキの事で難癖を付けて早い内に希を離脱させた。それは、また希と岸田くんが共に動く事を恐れたからだ。あの時に、お前を追い込んだのはこの2人だ。お前の恐怖がそうさせたのだ」
「だから何よ!」
「志茂木、お前に人を殺す力なんて無いだろう? 違うか?」
「……。」
シモキンは希の父親の指摘に、グッと睨み付け返す。
「イジメなんてする奴は、大概弱い奴だ。他人への恐怖の裏返しだ。自分が虐められやしないか、拒絶されやしないか、そんな恐怖から他人を支配しようとする。支配するか、されるか、でしか他人との関係を築けない奴のする事だ。お前は殺さずに、イジメを楽しんでいるのではなく、お前に人を殺す力なんて無いんだ。私は何も出来ずに、お前に下らない拷問ゲームをさせれる野澤くんを見ているしかなかった。途中から、お前が飽きているのが分かった。だが、お前は殺さずにしまいに放置した。必要無くなれば、野澤くんは殺されると思ったが、お前は何もしなかった。たまたま一気に21もの残酷性が同じ場所で切り離され、そこに志茂木マリ子の霊が居た為に、お前と言う化け物が生まれたが。元々、お前は子供から切り離されれば、消滅してしまうような脆弱な存在。決して、強い存在じゃない! お前は私に接触して来たが、直接的には何も出来なかった。だが、野澤くんはお前に捕らえれた。どうしてか? 私と野澤くんの違いは、生きて居るか死んでいるかだ。お前は死という恐怖で、野澤くんを支配出来たが、すでに死んでいる私は出来なかったんだ!」
「野澤先生を生かしておいたのは、今回の計画に使うためよ!」
「そうだろうか? 私には持て余していたように見えたがね」
希の父は、シモキンを睨み返し強く言った。
「ーーあなたの言う通りです」
どこからともかく現れて、透き通るような声で言ったのは、志茂木マリ子の大伯母であるあの幼い姉妹の霊だった。
大伯母の霊は続ける。
「マリ子の魂を奪ったコイツに、命を奪えるまでの力は無い。でも、自分の作り出した世界に、相手の精神を縛って支配下に置く事は出来る。生後間もなく死んだマリ子の魂を不憫に思い、この世にしばらく残したのが間違いだった。私達がマリ子をもっとちゃんと見ていればーー。悔やまれます。お前の目的は、この子達から力を得る事でしょう。お前は、元々この子達の一部。あなたはこの子達を通してでなければ、今以上の力を得る事が出来ない。さあ、もう私達のマリ子を返しなさい」
シモキンが言い返す。
「そうね。確かに、殺す事は出来ないかもしれない。でもね。今はどうかしら? この世界は私の体内のような物、この世界に皆んなが居る限り、私は彼らを通して生きた肉体から力を得られる。皆んなの身体の中に居た昔のようにね。私はね。同窓会のハガキを送り、彼らに私の事を思い出させる事で、点を結びこの世界に招き入れた。此処は私の世界であり、彼らの世界。彼ら21の心の中の赤鷺村が、幾層にも重なって1つになった世界。彼らを此処に閉じ込め支配下に置く事で、私はこれまで以上の力を得られる。今までは、野澤先生1人を支配下に置くのが精一杯だったけど、これからは違うわ」
シモキンがそう言うと、コンクリートの床がまるで溶けた飴のように伸び上がり、大伯母達を飲み込む。
「きゃあっ!」
「こうるさい大伯母様達は、大好きな私の中で生きなさい。ーーああ、もう死んでるのか。ふふふ」
幼い大伯母達の体は、底無し沼に飲まれるように沈み、床と同化して行く。
姿が消えるまで、あっという間だった。コンクリートの床から、なんとか腕が1本出てもがいていたがーー。
どんどん沈み、ついに指先までも沈み消えた。
後には何事も無かったように、冷く硬いコンクリートの床が有るだけだった。
「教頭先生も、もう良いわね? 言いたい事は言ったでしょう?」
シモキンがそう言うと
大伯母達と同じように、今度は希の父を、盛り上がったコンクリートの床が一瞬で飲み込む。
「グワァー!!」
思わず希の父は、声を上げる。
「お父さんっ!!」
希は叫んだ!
「来るなっ!」
駆け寄ろうとした希を、父は声を張り上げ止めた。
希は今にも泣き出しそうな顔で、駆け出そうとした足を止め、ぐっと堪える。
シモキンは言葉を続ける。
「確かに、肉体を持たないあんたを叩き潰すのは大変だけど、此処は私の体内も同然。この中に入って来た時点で、あんたはもう私の手の内なのよ? 私は力を得る手段を得た。もうあんたの好きにはさせないわ。もう私の周りをチョロチョロさせない。私の中に取り込んであげる」
「お前は力を得て何がしたいんだ! 力を得た所で、お前には何も無いぞ!」
取り込まれながらも、希の父は懸命に言う。
「有るとか、無いとか、じゃないのよ」
シモキンはあっさりとそう言った。
シモキンにとっては、大した理由など要らないのかもしれない。
元来イジメとはそういう物である。理由などたわいも無い物なのだ。
希の父親は、歯噛みする。
そして、怒りと悔しさを込めて、最後の力を振り絞り言う。
「岸田くんっ! 形はどうあれ、君達はコイツを1度たおしている! 恐れるな! コイツは元は君達の一部だったモノだ! 恐れちゃいけないーーッ!! 君達は勝てる!!」
「……ああ、お父さん」
希の頬を涙が伝い、コンクリートの上に落ち、小さな黒い跡となる。
希の父はゆっくりコンクリートの床と同化して消えた。
「はい、終了ーー」
シモキンは心なく、浮かれた声色で言う。
「さあ、どうしましょうか?」
シモキンは続け笑いを含み言う。
終わったばかりなのに、もう始めようと言うのだ。ーー糞ゲームを
ぐぬぬと、岸田は歯噛みし睨む。
だが、岸田は諦めて居ない、考えていた。もう一度シモキンを倒す方法を。
今が最大のチャンスだ。シモキンは力を得て、自分の勝利を確信している。
その油断から、隙が生まれる筈だ。だが新たにゲームをシモキンが始めてしまったら、次のチャンスはいつになるか分からない。
希の父の言葉の中に、ヒントは無いかと反芻する。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
「何か、良い考えでも浮かんだ?」
シモキンが訊く。その口調は、他人事だ。
完全に岸田達を舐め切っていた。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
ーー俺達の持っていた残酷性から生まれた……。
…………………………………………………………………。
岸田は、必死に考えを巡らす。
きっと、コイツを倒す方法は有る筈だ。
そして、その鍵を握るのは俺達自身なんだ!!
……………………………………………………………
…………………………。
「ーーあっ」
岸田は思わず、小さく声を上げた。
頭にある考えが浮かんだ。
それは、突拍子も無い事だった。
岸田は一歩前に出て、ゆっくり両手を広げる。
「何それ? まさか降参て事?」
シモキンは笑って言う。
「違う」
岸田は落ち着いた口調で、首を横に振り言う。
「じゃあ、何? 仲直りでもしようっての?」
「ーーそうだ」
「あははは。ウケるわ」シモキンは笑って言ったが、声のトーンを落とし「ーーでも面白くない」と言った。
その声色は、余裕とも、脅しとも、ーー怖がっているのを隠しているとも、捉える事が出来た。
だが岸田はそれに対して、なんの反応も示さず、顔色一つ変えずにまた一歩前に出た。
「近寄るな! 殺すわよっ!!」
明らかにシモキンのその反応は、困惑を表していた。
シモキンに残った志茂木マリ子の心が影響しているのだろう。
「お前に俺達は殺せないんだろう?」
さらに岸田は前に出る。
「殺せなくとも、苦しめる事はいくらでも出来るわっ!」
「やればいい」
岸田はきっぱりと言った。
シモキンの目の前まで来た岸田は、ゆっくりシモキンの身体に腕を回す。
そして、強く抱き締める。
ーー強く、強く、強く、強く、強く、強く抱き締め!
「ちょっと! 痛いわよっ! 放しなさいよ!!」
そして、岸田はシモキンが逃げられないように、しっかり押さえて
シモキンの首と肩の間に、思い切り噛み付くと、肩から上全てに力を総動員しグイッ!! と思い切り喰い千切った。
ブチブチブチブチーーーーーーッ!!!??
シモキンの肉は、嫌な音を上げて引き千切れる。
ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!
シモキンの首が、闇をつん裂く悲鳴を揚げる。
体と離れているのに、痛みは感じるようだ。
岸田は喰い千切った、シモキンの肉をグチャグチャッと力一杯噛み、
ーーゴクンッ!! と飲み込んだ。
シモキンの肉は冷たい。
ゴムのような、腐った生肉のような、そんな物でも喰っている気がした。
シモキンの肉が喉を下って行くのを感じる。
精神的にか、肉体的にか、ーー味や臭いでは無いもっと別の問題で、身体が飲み込むのを拒絶しようとする。きっと、有害物として排出されたモノを、もう一度体内へ取り込もうとする事への拒絶反応だ。
今にも吐き出してしまいそうだ。岸田はそれを堪え、腹の底に力づくで落とし込む。
その苦痛を乗り越えると、今度は口の中に残った不快な臭いが鼻を抜け、気分が悪くなり目眩がした。
腐敗臭、汚物臭、塩化ビニル臭、そんな物が混じったようなエも言われぬ臭いだ。
岸田は飲み込んだモノを、今一度戻しそうになるのを気力でグッと押さえた。
岸田は声高らかに言う。
「コイツは、元々俺達の一部だ! また21分割して、自分達の中に戻す。俺達はもう子供じゃない! コイツが内に居ても、理性と強い道徳観が有れば、制する事が出来る! 1/21のコイツなら、俺達は決して負けない!! 此処から出たかったら、みんなも俺に続け!! コイツを全て喰い尽くすんだっ!!」
皆、岸田に続き一斉にシモキンに襲い掛かる。
さすがに誰も「おおーッ!!」なんて言わなかった。
シモキンは何かを叫んでいたが、皆の耳には届か無かった。
皆、思考を停止していた。
悩み躊躇している余裕など無いのが分かっていた。
シモキンに反撃の隙を与えれば、たちまち最初の時のように、サイコキネシスのような力で誰かが犠牲になり、パニックになれば散り散りになった所で、またジワジワ追い込まれる。
シモキンを喰らい、再び己の肉体に封じ込める。
半分は口からデマカセだが、でも、なんだか自分でも信憑性があるように岸田は感じた。理に叶ってはいるだろう。シモキン人形を処刑する事で、自分達から残酷性を切り離したのと通じる物を感じる。心の世界では、精神構造を抽象化した行動が力を持つ。
それから、黙々と皆でシモキンを食べ続けた。
シモキンが21人全員生き返らせてくれて助かった。それは、シモキンを食べ切るという事以外にも、元の21人の内に戻すという事が意味を成すからだ。1人掛けても駄目だ。これも先に言った理由に通ずる。
シモキンは喰われてる間、力を使わなかった。一斉に襲い掛かられ、精神の集中が出来ないのだろう。シモキンはゲームが終わるからという理由で全員を一気に殺さなかったが、実際は違うのだろう。一気に全員を殺す事が出来ないのだ。シモキンの使うサイコキネシスに、そこまでの力が無い。その為に物理的に攻撃出来る少年Xが必要だったんだろう。少年Xの力任せの攻撃なら、一気に複数殺せる。
最初は
「やめろ!」だの「また私を殺すのか!」だの「全員まとめて葬ってやる!」だの
悪態を付いていたシモキンも、じきに泣き言を言い出す。
「やめてよ。もう悪い事はしないから、このままじゃ私が消えちゃう……。痛いのよ。
殺すにしてもこんな酷いやり方はやめてよ。友達でしょうーー」
同情を引こうと口から出まかせなのは分かっているが、幾分かの憐れみを感じ
岸田は食べる手を止めた。
コイツも可哀想と言えば、可哀想な奴である。
その時ーー、
「えいっ!」
「ギャッ!!?」
ーーグシャッ!!
純恋が、シモキンの頭を踏み潰す。
「同情しちゃ駄目よ?」
「あっ、ああ……」
岸田は純恋の行動に思わず面喰らう。
トマトの様に潰れたシモキンの頭からは、目玉が飛び出し、生々しい半分潰れた脳みそが覗く。
過去にシモキンをかばった純恋を非情に変えたのは、自己愛に目覚めたのではなく、大人ゆえの責任感だ。もう純恋も大人なのだ。
此処での変な同情感は、みんなの命を危険に晒す事に繋がる。
言い出した自分が、それを1番自覚しなくちゃいけない事を岸田は思い出し再自覚する。
美しいと思われる無条件の優しさは、時に大きなマイナスにもなる。大人でなければ分からない不条理だ。
純恋は自分が踏み潰したシモキンの頭の破片を取り、バリバリと音を立て喰う。
岸田にも、血の滴るシモキンの頭を一片取り差し出す。喰えと言うのだ。
「おっ、おう……!?」
岸田もシドロモドロになりながらも、シモキンの頭を喰う。
肉付きの頭蓋骨の皿のような部分を噛み砕くと、プラスチックのようにバリバリと割れた。骨の感じじゃ無い。表面はプラスチックを舐めるように、ツルツルしている。
だが、肉は肉っぽくも、ゴムぽくもある。まるでゴムから肉に変わろうとする中間のようだ。血が粘っこい、オクラようにヌルヌルと糸を引く。
プラスチックと腐った生肉を一緒に喰ってるような感じだ。
不味いなんてものじゃ無い。
その後、地獄の宴は延々と続いた。
何時間ーー。もしかしたら一晩以上も。
シモキンの足を千切り、腕を千切り、腹を破り臓器を引きずり出し。
髪を喰い、爪を喰う。目玉を噛み砕き、飲み込み。
血に海の中で、皆んなでひたすら夢中で喰らった。
味は不味く、ひたすら不味く。ただ不味く。気味が悪く、おぞましい。
臭くてたまらない。
飲み込む度に、その精神的な苦痛にクラクラし気が遠くなる。
何度も嗚咽を漏らし、戻しそうになり、急いで口を押さえる。
だが、じきに皆機械のように一言も喋らずに食べ出す。
黙々と、黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々……。と、
食べながら、
これは、残酷性その物の味であると皆思った。
子供の持つ下らない残酷さを味に表したら、こんな感じなのだろう。
ーーゴミだ!
ゴミを喰っている。生ゴミ粗大ゴミ無燃ゴミ、そういう物をブレンドした味だ。
皆んなが見守る中、サユリが最後の肉片を飲み込む。
「……やっと終わった」
誰かの口から一言言葉が漏れると、ワッと歓喜の雰囲気が溢れ、
それとは対照的な血の海となった床に、みんな体を投げ出すように尻を着き腰を下ろした。
今までの、張り詰めた狂気にも似た雰囲気が一変する。
皆、全身血塗れだ。手先から、体、顔に至る全ての箇所が血塗れだ。
クタクタで顎が痛い。
「これで、本当にシモキンとの戦いが終わったんだ」
また誰かが言った。
皆の胸に安堵の思いが去来する。
「これは、やはり夢なのかな?」
百武が言った。
「どうだろう?」
松田が応える。
「そうだっ! 1人ずつ、違う人の携帯番号を覚えておこうよ。現実に戻った後、その人に電話を掛けるの。そうすれば、最終的に全員に繋がるでしょ? これが夢の中でも、実際に起きた事なのかが皆んなに分かるわ」
希がそう提案した。
皆、それに賛同し
その後、1人に付き、1人の携帯番号を記憶した。
落ち着くと、今度は変な空気が漂い出す。
……この中には、加害者と被害者が存在するのだ。
希は岡田と吉田に、その吉田も皆んなに死に追いやられ。
田辺は純恋の死に加担し、松田はその田辺を責めた。
その松田も、サユリに刺殺されてる。
希がそのサユリを轢いたのは事故だとしても、轢き殺したのは変わり無い。
そんな中、
松田が「この後、どうなるんだ?」と、急に高めのテンションで話し始めた。
だが、その笑顔は若干引き攣っている。
「夢から覚めるんだろ?」
佐々木が合いの手を入れるように、同じようなテンションで応えた。
だが同じく、佐々木の笑顔もヒクついている。
二人は無理に笑顔を作っているのだ。
「待ってれば良いのかな?」
カニ子も中に混じり言う。
「うーん。どうだろうね?」
希が間髪入れずに応える。
彼らは内心では、今後の事より、このヒリ付いた気不味い空気をどうにかする事の方が重要だった。皆にもそれを察するだけの頭はあったので、話に加わらないまでも、今までの事を蒸し返し、責めるような者は居なかった。
賢明な判断である。
今シモキンを内に封じている力は、そういう力なのだからーー。
「ーーアレ何?」
純恋が空中を指差し、突然言った。
皆んなが純恋の指差す方向を見ると、そこには野球ボールくらいの光の玉が浮いていた。
玉は強い光を放っている
「アレは、何だ?」
松田がもう一度、同じセリフを繰り返した。
だが、そうするしか無かった。
それが一体なんなんだか、誰もに分からなかったからだ。
それはスパークするように、キラキラ光っていたが
徐々に大きくなった。
攻撃などはしてくる気配は無い。
それの正体に、皆が気付き始めたのは
ちょうどラグビーボールくらいの形と大きさになった時だった。
百武が自分の履いている靴を光に投げた。
そうすると、靴は光の中に吸い込まれるように消え、裏側からは出て来なかった。
「これ、出口じゃない?」
カニ子が言った。
この向こうに行けば、此処から出られるかも知れない?
光はゆっくりだが、まだ大きくなって来ている。
このまま行けば、じきに子供が潜れる位にはなるだろう。
皆の胸に再び希望が去来する。
長い戦いが終わり、この下らないゲームもこれで完全に終わりを告げるのだ。
色々あったが、それでも最後はみんな揃って帰れる。
だとしたら最高のクライマックスだ。
岸田は、そう思うと今までの苦労が報われたと感無量だった。
「早く、その中にみんな入るんだ!」
その時、背後から声がした。
声は切羽詰まっている。
声は皆の後ろから聞こえた。
声の方を振り返ると、床がグンと膝ぐらいの高さまで盛り上がっている。
その盛り上がりの上に顔がある。
「お父さんっ!?」
希が声を上げる。
それは、シモキンによりこの世界に取り込まれた筈の希の父の顔だった。
顔はまるで生きているように動いている。
「シモキンの支配力がなくなったから、先生も開放されたんですか?」
岸田は訊いた。
「確かにシモキンの力は弱まったが、まだ志茂木マリコは完全に消滅したわけじゃない」
「えっ!?」
希の父の言葉に、皆に不穏な空気が漂い出だす。
「確かに自我を持ち動いていたのは、君達が今倒した志茂木マリコだが、意識無くともこの世界そのモノが志茂木マリコなのだ。言わば、此処は自律神経で動く、志茂木の臓腑内。構造は違えど、頭を失った体に等しい。ーーの筈なのだが。この世界の一部になった私は、まだ消えた筈の志茂木マリコの意識の存在を感じている。今まで程の力は無いが、確実に意思を持ち躍動している。そして、アイツは今こちらに向かっている」
「向かっているって、何処からーーっ!?」
岸田の言葉で
皆は周辺を見回し、警戒する。
誰言うとも無く集まり、ジッと周囲に意識を集中する。
………………………………………………………………。
「ーー何この音っ!?」
梨花の言葉に、皆んな耳を澄ます。
「何も聞こえないぞ?」
岡田が言う。
「聞こえるじゃない? もっと耳を澄ましてーー」
梨花はもう一度言う。
皆、もう一度もっと良く耳を澄ます。
…………………………………………………………。
………………………………………………バサッ
…………………バサッ
確かに、何か音が聞こえる。
それは、遠くから、まるでバスタオルでも振るようなーー。
「……羽音?」
カニ子が呟くように言った。
………………………………………………………………バサッ
……………………………………………バサッ
………………………………バサッ
「近付いてる!?」
梨花が小首を傾げ言う。
確かに、音は大きくなっている。
「あれっ!」
吉田が夜空の向こうを指差しす。
「コウモリ?」
コウモリでは無いのが、すぐに分かる。
物凄い勢いで大きくなっていく。
ーーいや、違う。大きくなっているのでは無く、物凄いスピードで此方に向かって来ているから、大きくなって行くように見えるのだ。大きな何かが此方に向かって来ている!?
シモキンに作られた世界だからか、朧げな月一つの闇夜なのに良く見える。
バサバサという羽音も、大きくなって行く。
牛や馬、象? それ以上の大きさだ。
「ーーアレはまるで、コウモリと言うより」岸田はそう言って、ゴクリと息を呑み「大きく翼を羽ばたかせた悪魔じゃないか……。」と言った。
早い!
みるみる、目の前に迫る。
迫り来るその大きさに、ーーゴクリッ!? と岸田は息を飲む。
「衝撃に備えろっ!! みんな、身を引くして、何かに掴まれっ!!」
岸田が叫ぶと、間も無くーー
ズドォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!!!!!!!!!!
凄まじい轟音が響く。
それはもはや着地とは言わない。
学校の側面に激突した。
グラグラと校舎が音を立て、揺れている。
まるで大地震だ。身を低くしたまま、揺れで立てない。
暫くして、やっと揺れは収まるがーー。
粉々に砕かれたコンクリートから白い土煙が上がり、今度は視界を遮る。
ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!
白煙の中から皆の咳き込む声が聞こえる。
「みんな大丈夫かっ!?」
岸田が懸命に皆の安否を気遣う。
「ああ」「大丈夫だ」「平気よ」などと、姿は見えないが白煙の中から声が上がる。
目視で確認は出来ないが、声からすると一応全員無事のようだ。
岸田は安堵の息を吐こうとしたが、その息を止める。
白煙の向こうから、目を見張る程の巨大な手が現れる。
そして、屋上の端に手を掛ける。
その風圧で、白煙が一瞬で掻き消される。
視界が広がる。
ーーすると、
今度は、ゆっくりと校舎の陰から、巨大な体が上がって来る。
大きい、少年Xの比じゃない。3階建ての校舎を見下ろしている?
ーーーーー!?
「頭が無い?」
岸田は驚いたような、拍子抜けしたような声で言う。
そいつには、なんと頭が無かった。
校舎に隠れていた新たな巨人の左手が、闇を切り素早く岸田を捕らえる。
一瞬の出来事だった。
「岸田ァーーッ!!」
松田の声が屋上に響く。
不意を突かれた。
緩やかな身体の動きを見ていたから、てっきり図体の大きいモノ特有で
動きは遅いものだと思っていた。
少年Xに次ぐ新たな巨人だ。
コイツは何だ!?
首が無い? いや、喉の穴など見えないが、切られた痕がある。
まさか、コイツは少年Xなのか?
捕らえられた岸田がそう思っているやいなや、巨人が動き出す。
ーーいや、動くのとは何んだか違う?
躍動し、体が収縮しているようにも見える。
腕を振る、足を上げると言うような、単純な身体の動きでは無い。
……それは、変態だった。
濃い茶褐色で少年Xと同じような色だった肌が、漆黒へと変わる。
肉を突き破り骨格が背ビレのように露出すると共に、肌が割れて毛細血管のように
広がり、それが赤い色を帯びる。
ゴキゴキと腰を左右に捻り、骨を鳴らすと、さらに変形をする。
胴が伸びて、肋骨が浮き出て鎧のように変わった。
他にも身体の部分部分が硬質化している。
そして、胸が大きく膨らみ、そこだけ柔らか味を帯びた女の乳房になった。
妊婦のように、血管を浮き上がらせ、腹も膨らむ。
今までは、首が無く、羽根こそあれ、単純なただの巨大な人型だったが
まるでゴキブリと妊婦を足したような気色の悪い化け物に変態した。
だが、まだ変態は終わらない。
膨らんだ腹が、ゆっくり上に移動する。
そして、切れた首と胸の間辺りまで上がり、膨らみが縦にした眼のように左右に割れ
開くと、そこから目玉でなく、見覚えのある巨大な顔が現れる。
……シモキンだ。
シモキンの頭の入っていた腹は、だらんと伸び切っている。
「やられたわ。想定外だったけど保険を掛けておいて良かったわ」
巨大なシモキンの顔は、冷たく吐き棄てるように言った。
シモキンの生暖かく、生臭い腐臭のような息が襲う。
思わず皆んな顔をしかめる。
臭いだけで、息が出来ないほど苦しい。
「シモキンッ! コイツは何なんだっ!」
岸田は強気で訊く。
完全に腹は括った。岸田の心は、もうこのくらいじゃ折れない。
シモキンも負けじと強気で答える。
「あんたの考えてる通り、元、少年Xだったヤツよ。まさか、あんなやり方でやられるなんて思わなかったけど、保険を掛けて置いたのよ。私の意識を分けて置いたの、私は元々21+1の集合体だから、これくらいは出来るのよ。残念ね」
岸田がクソッ! と吐き捨て歯噛みする。
下で見守っている皆に、シモキンが蟻に唾でも落とすみたいに、口から大量の蛆虫を吐き落とす。蛆虫はシモキンの唇を這い出て、ボトリボトリと屋上に落ちる。
下から、女子がギャーッ!! と叫ぶ声が、いくつも聞こえる。
人の赤ん坊ほどの巨大蛆虫が、ウネウネと身体を収縮させて近付いて来る。
皆は、逃げ惑いながらも、必死にそれを踏み潰し抵抗する。
シモキンはそれを見て、あははと笑った。
巨大蛆虫は
グチャッグチャッと、まるで薄い皮に包まれた臓物を踏み潰すようだった。まあ確かに、構造はそんな物だ。
剥き出しの足首に、蛆虫の臓物が纏わりつく。変温動物の昆虫の内臓は、ひんやりと冷たい。濃茶色や黒の混じった体液は、気色悪く粘っこい糸を引く。
だがそれを拭っている余裕は、誰の心にも無かった。
皆必死に抵抗して居たが、まだ諦めて居ない岸田とは反対に、心が折れ始めて居た。
司令塔である岸田が捕まってしまい、絶対絶命の状態である上に、シモキンはさらなる化け物に変化した。
これから、何をどうしろというのだ……。
彼らの唯一の希望は、捕らわれの身とは言え、岸田が未だ健在な事だがーー。
それも、いつまで持つか。
もう岸田がどうなるかは、シモキンの気持ち一つなのだ。
何をされても死ぬ事は無いだろうが、それでも今度は、完全に支配下に置かれ、いい様に嬲られ続ける事にはなるだろう。そうなれば、隙を突いて、もう一度出し抜くなんて事も難しくなるだろう。
そんな状況であるからーー
「クソッ! オラッ!! あっち行け!!」と、蛆虫を蹴散らす松田の脚は半分ヤケ糞であった。
他のクラスメイトも松田のように、愚痴こそ口に出しては居ないものの
あまり変わらない様子であった。
「皆、頑張れぇーーーーーーーーーーッ!!!!!」
岸田は眼下に向けそう叫んだ。
まだ心は折れていないが、岸田の顔にも苦悶の色が浮かぶ。
此処で叫ぶだけで、今の自分には何も出来ないのだ。
ーーそう心の声が、絶望的な状況を自覚させる。
「この状況で、何をどう頑張るのよ?」
シモキンが岸田の心を読むように嘲り言う。
「……。」
岸田は睨み返すものの、何も言い返せない。
仕方なく再び眼下を見る。
クラスメイト達は、相変わらず蛆虫を踏み殺している。
巨大蛆虫は見た目こそ不気味なものの、特に凶暴性も無く、近付いて来るだけで、踏み潰し出た体液に有毒性も無さそうなのが、唯一の救いであるがーー。
……凶暴性も毒も無い?
ふと岸田は思う。
しかも、簡単に踏み殺せる。
じゃあ、ただ気持ちが悪いだけか。
岸田はいつの間にか、皆の後ろの光が、大分大きくなり
柱のようになっている事に気付く。
あれなら、もう中に入れそうだ。
「さあ、もう観念して痛い思いをする前に、私の言う通りにしなさい。あんた達じゃ私に絶対勝てないのよ」
シモキンは言う。
……そうか。
岸田は気付く。
「松田っ! 後ろの光に入れっ!! 皆んなも入るんだ!!」
岸田は叫ぶ。そして、続けるーー。
「ハッタリだっ!! やはりもう、コイツに大した力なんて無い! もう俺1人しか、支配する事が出来ない。野澤先生の時と一緒だ! 俺達を取り込む事で力を得たが、力その物である具現化されたシモキンを俺達が喰っちまった。まだ力は俺達の中にある。コイツのオドロオドロしい見た目はハッタリだ!見た目や臭いで、俺達の恐怖心を煽り、それに漬け込むくらいしかもう今のコイツには出来ないっ!!」
「ハッタリなんかじゃ無いわっ!」
シモキンが反論する。
だが、明らかにその態度からは、焦りを感じる。
「なら、なんかやってみろ?」
岸田はワザとシモキンを挑発する。
「……。」
今度はシモキンが黙る。恨めしげに睨み返すだけだ。
岸田の推測は核心を付いていたようだ。
「あの光は、お前の作った世界のほころびだ! あの光が大きくなってるって事は、つまりお前の力は、今も戻ってはいないという事だ!!」
シモキンの表情が明らかに変わる。
怒りだ。今までただ醜悪な悪意のまま楽しんでいた顔に真の怒りが宿る。
裏を返せば、それは敗北する事への恐れである。
「だとしても、お前を人質に取られて何が出来るんだよ!」
「何もしなくて良い! 俺を見捨てて、皆んな逃げてくれ!! もはや少年Xと同化してしまったコイツは、今までのように自分以外の使い魔を使う事も出来ない。やれるのは不気味なだけの蛆を放つだけだ! 俺を捕らえてる間は、コイツは他を捕らえる事は出来ないんだ! 俺が捕らえられてる間に逃げろ!!」
クラスメート達は岸田の提案に戸惑う。
「行けっ! 何やってる!!」
岸田は叫ぶ。
「ーー岸田を置いて行けるかよっ!!」
松田が言い返す。
「皆んなで捕まってどうする! 今までの苦労が水の泡じゃねーか!! 今は逃げろ! 逃げる時だっ!! お前が決断して、皆んなを引っ張って行くんだ!!」
岸田はそう言った後、小さく「……それに、俺は」と言ったが、それがクラスメート達に聞こえたかは分からない。
……。
松田は暫く、考え。
「……わかった。」
とだけ言い、光の方に振り返り「皆んな行くぞっ!!」と言った。
「岸田を置いて行くのかよっ!」
百武が言った。
「ーーああ。」と松田は答える。
「今まで、引っ張って来たのは岸田くんだよっ!!」
カニ子が詰め寄り言う。
「分かってるっ! だが、今全員で捕まる訳には行かない!! 岸田は必ず迎えに来る。キツイだろうが、殺される事は無いからな」
松田は強く言った。
カニ子が何か言おうとした時、田辺がカニ子の肩に手を置き止めた。
「……。」
カニ子は言おうとした言葉を飲み込むように唇をぐっと噛み締めた。
それから、松田を先頭に1人ずつ光の中へ入って行った。
「お前ら、待て! 岸田を見捨てるのかっ!! それでも友達かっ!?」
シモキンは必死に挑発するが、松田は振り向かなかった。
見えはしないが、松田が断腸の思いで今一歩一歩歩んでいるのが岸田には分かる。
そして、岸田の後を続くクラスメイト達もーー。
皆光の中に入り、最後にカニ子が1人残された。
カニ子は今一度、岸田の方を見る。
岸田は微笑んで深く頷く。カニ子もそれに頷きだけで答える。
カニ子は光の中に入ると、もう一度岸田を見て
「岸田くん!必ず助けに来るからッ!!」
そう叫んだ。
そして、光の中へ歩み出す。
岸田は光の向こうに消えていく、カニ子の背中を見つめていた。
光は役目を終えたように、また小さくなり
やがて空間に消えた。
皆が消えて捕らえる者が居なくなったので、シモキンが綻びの修復に力を集中させたのだろう。
「皆んな行っちゃったわね?」
シモキンが手に握られた岸田に言う。
「ああ」
「まあ、あんたはあの中に入ったところでねーー。皆んなには言って無かったんだ?」
「……。」
「2人でこれから存分に楽しみましょうね?」
「好きにしろ」
岸田は絶望的な状態だったが、気分は晴れやかだった。
達成感に満ちていた。これで良いのだ。
……これから地獄が待っていようとも、今はそんな事どうでも良かった。
小鳥の声が遠くで聞こえる。
ちゅんちゅん。
あの鳴き声は、きっとスズメだろう……。
ピピピピピッ!
ピピピピピッ!
これは、聞き慣れた目覚ましの音だ。
高校の時から使ってる物で、上京する時に持って来た。
ああ、早く起きて支度して仕事に行かなきゃ。
希は布団の中で、まだ寝ぼけた頭で思う。
ベッドの中から伸ばした手で、目覚ましを止める。
カーテンの隙間から、朝陽が射し込んでいる。
いつもと変わらぬ朝だ。
それにしても、凄い夢を見たもんだ。
環境が変わった所為かな?
深い眠りに落ちていた感覚はあるが、なんだかとても疲れている。
こんな状態では、今日の仕事が思いやられる。
とその時ーー。
ブルルルルルッ!!
希はその攻撃的で優しさのカケラも無い、電子音とは違う音にビクッとなる。
何!?
スマホのバイブレーションだ。
テーブルの上で、ACのコードの刺さったスマホが机を叩くように震えている。
ブルルルルルッ!!
ブルルルルルッ!!
スマホは早く出ろと急かすように、振動し続ける。
希は起き上がり、テーブルの上のスマホを取る。
表示に名前が無い。
ーーアドレスに登録の無い、知らない番号だ。
誰だろう?……まさか。
希は怖る怖るスマホに出る。
「……はい。もしもし?」
「もしもし、私! ーー私よ!!」
若い女の声だ。
「……誰?」
希は訊く。
「カニ子よ! 奥野雅子よっ!!」
「……!?」
希は驚きで茫然自失となる。
「ねえっ!? 聞こえてるの? 帰って来れたら、連絡するって皆んなで決めたでしょ?」
希は我に返り、スマホを耳に当てたまま、急いでテーマの下のゴミ箱を漁る。
見つからない!? ゴミ箱をひっくり返して、さらに出て来た物を漁る。
DMの数々、要らない広告。他にはーー、
見覚えのある丸められたハガキ……。
希はそれをテーブルに置き、急いで片手で広げ、伸ばす。
ーーあった。
赤鷺小の同窓会の招待状だ。
「……夢じゃなかったんだ」
希は思わずそう口に出した。
『イジメっ子でぽん ~マリ子ちゃんゲーム 1部 ー完ー』




