表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/25

志茂木家へ

サユリの家を出て、村外れのシモキンの家を目指した。


昔、毎日通った通学路。道端の道祖神。友人の家。商店。ーー小さな橋。

橋の欄干には松蔵橋の名が……。


懐中電灯の照らす、月明かりだけの薄暗い道であったが、闇を透かして見える村の風景は人が居ない以外は昔の記憶そのままであった。

休息を取った所為も有り、さっき逃げて来た時より、落ち着いて村を見れ、皆んな一時恐怖を忘れて懐かしさに浸って居た。

あーだった。こーだったと、思い出話が皆から出て来る。

色々な意味で、もう永遠に来る事は無いと思っていたダムの底の故郷。

それが今、目の前に在るのだ。


岸田も記憶の糸を辿り、色々と思い出していたーー。


ただ、それは皆んなとは少し違った。

志茂木家の事だった。

皆んなのように、懐かしむような記憶ではない。もっとおぞましいものだ。

……村のタブーに触れる記憶だった。

志茂木マリ子の血と肉の話である。


赤鷺村は山間の斜面に作られた小さな集落だった。昔は林業が村民の主な稼ぎ口だったが、岸田達が小学校の頃には、親達はほとんど近くの街へ働きに出て居た。近くとは言っても車で、1時間は掛かる。

シモキンの家はそん中で、農業ーー、いや今思えば自給自足のような暮らしをしていたのだろう。

自分達の食べる野菜を畑で作り。米や肉などを買う為に、父親は村内で便利屋のような事をして小遣い程度の賃金をもらっていた。母親や祖父母は、居ないのか。忘れているだけなのか。記憶にない。

ただ、シモキンの家の由来は覚えて居た。それは、直接経験した記憶でなく、自分達の親達や祖父母、近所の者達から少しずつ聞いた記憶の断片を繋ぎ合わせた物だった。

自分が物心ついた時には、志茂木家は落ちぶれて居たが、昔は村内でもかなり栄えた家だった。土地は随分切り売りして家の建つ分だけになってしまったが、今でも屋敷はボロかったが大きさだけはあった。


大正の始めに、志茂木家は斜面の水捌けの良い土地を活かし、桑を育て、養蚕を始めた。1900年代初頭、日本の絹糸は輸出世界第1位になっていた。世界で日本の絹糸が持て囃されていた。所謂、第一次世界大戦に参戦した戦勝国に訪れた大戦バブルの1つである。まさに絹糸バブルであった。

志茂木家はそれで大儲けをした。


村民も同じ波に乗ろうとしたが、間も無く世界恐慌が起き、大戦バブルは弾け。さらにナイロンの発明と続き、日本の絹糸バブルの泡は完全に消沈した。

志茂木家は絹糸バブルの最後の波に運良く乗れ、一代で大を成したのだったがーー。



大金を得てしまった、当時の志茂木家の当主は、街で愛人を作り子を産ませ、さらに同じ屋敷に住まわせた。

それは単に愛人可愛さという訳で無く、志茂木家には幼い娘が3人居たが、跡取り息子が居なかった。愛人の生んだ子がたまたま男児だった為に、行く行くは跡取りにしようと考えたのだ。

別に本妻を追い出す気も無く、妻にも話し、ある程度息子が育ったら、纏まった金を渡し愛人は追い出す気でいたのだが……。


悲劇は起こった。



ーー此処からは、推測の話も含む。


追い出そうと画策しているのを知った愛人が、主人が留守にしたある晩、正妻に詰め寄った。そして、手酷く罵った。

主人は適当な理由を付けて、月に一、二度街へ出て行った。色街へ行っていたのだ。正妻もその事は知っていたが、知らぬふりをしていた。村の者が愚痴を一人正妻が言っていたのを聞いている。

愛人が罵った内容は、多分、浮気をされた事や、男児を産めなかった事だろう。逆上した正妻は、屋敷から外へ出ようとした愛人を、薪割り用の鉈で撲殺し、縁の下に隠した。

良く朝明るくなってから、埋めるなり、他に移動するなり、するつもりだったのだろうか。発見された遺体は、縁の下にはあったものの、朝になれば庭から丸見えであった。隠そうという気は感じられ無かった。ただ、娘が起きる時間になっても置いたままであったようで、正妻が何を考えていたのか今となっては分からない。


正妻は朝になり、娘達に朝食を作るが、3姉妹が一口二口食事を口にするなり、泡を吹いて倒れ苦しみ絶命する。


正妻はしまったと思った。


志茂木家には井戸があった。井戸と言っても地下水を汲み上げるのではなく、斜面の高台に在る屋敷なので、裏山から流れ出る湧き水を、浅い井戸に貯めて使っていた。

愛人は最初から家を出て行くつもりで、飲料水に使っているその井戸に毒を流し込んだのだ。水は山から常に流れ出ているが、極少量な為に、朝までたっても毒を薄めるには至らなかった。

正妻もその井戸の水を自ら口に含んだ。井戸の側に倒れて居て、両の掌から、娘達と井戸から検出されたのと同じ毒物が検出された。 自殺とみられる。


その後、帰宅した主人に正妻、娘、そして愛人の遺体は発見される。


ーーその当時の事件直後の警察の捜査発表による。


ーーその後、さらに警察の捜査は進み。


井戸に入れられた毒は青酸カリで、愛人が以前交際のあったメッキ工場の工員を通じて手に入れてあったものだと分かった。心中目的で手に入れたものの、工員が途中で怖くなり姿をくらまし、使わずじまいでそのまま持っていたようだ。


唯一生き残ったのは、愛人に産ませた息子だけだった。正妻もさすがに、赤子に手を掛ける事はしなかったのだろう。

その息子が志茂木マリ子の祖父にあたる。


とはいえ、このような事件が過去にあったが、これらは志茂木マリ子イジメには一切関係無かった。村でタブーだったのは確かだが、村八分のようなものも無かった。岸田も扱い辛い話ではあるが、遠い昔話くらいに思っていたし、村内でもそのような扱いであったと思う。理由は志茂木家以外の村民が被害者で無かったのと、主人の人柄による物が大きい。

主人は女癖は悪かったが、儲かっていた時は村のインフラ整備の時などには、進んで大金を寄付した。それは、虚栄心からでは無く、愛村心とでも言うべき物からだった。養蚕が成功した時も、自分もやりたいという者には、進んでその手法を教えたり、蚕や桑の苗を分け与えた。なので、同情的な目を向ける者も少なく無かった。

村の中に、小さい橋が在る。功績が称えられ主人の名前が付けられた。名を『松蔵(まつぞう)橋』と言った。岸田達が、さっき渡った橋だ。


だが、村の子供達には人が5人も死んだ家として、強烈に印象付けられ、家自体が恐れられていた。人口の少ない村で、一気に5人も人が死んだというのは、凄まじいインパクトだった。それは、お化けやしきと言うより、明確にそう言っていた訳ではないが、呪われた家として恐怖の対象とされていた。

その所為で、さっき皆んなシモキンの家に行くのを渋ったのだった。所謂、トラウマに近い感情であろう。


「おい見てみろよ?」

佐々木が言った。

そこは、石川の家だった。

「石川のジイさんの軽トラがあるぜ? 動くかな?」

玄関横の車庫というより、農機具用の納屋に、石川のジイさんの軽トラが停まって居た。昔、良く見た軽トラだ。 腰の曲がった、農作業で真っ黒に日焼けした、石川のジイさんの懐かしい笑顔が頭に浮かぶ。

「キーも付いてるぜ?」

佐々木はそう言うと、運転席に乗り込み、キーを捻った。


ブルルルーー!!!!!!


エンジンが掛かった!


佐々木が運転し、助手席にはサユリ。他は全員荷台に乗っかった。

荷台には肥料などの農具が乗って居たが、下ろしている暇は無いので、そのまま載せて出発した。

座席の後ろにある窓越しに、ハンドルを握る佐々木が見える。

体は子供に戻ったが、中身は大人だ。車の運転くらい出来てもおかしくは無い。

だが、やはり眼に映る光景は滑稽だ。子供が車を運転している。しかも、良く知る小学校時代の同級生。ーーという2つのおかしさがある。

変な気分だった。

やはりこれは夢かな? 岸田は今日何度目かの、そうだったら良いな、を思った。


でも車があって助かった。

村としては小さいが、それは人口から見ての話で、きつい傾斜や未開拓の為に使えない土地も多く、面積自体は言う程狭くはない。

あのまま普通に歩いていれば、シモキンの家までゆうに30分以上掛かったろう。直線距離ならもっと近いだろうが、残念ながら道は真っ直ぐで無いのだ。特に赤鷺村は、谷あいの両斜面に作られた村だったので、急勾配を登る為に道がジグザグに作られていた。直線で登るより、勾配は緩やかになる。だがその分、当然長くなる。また場所により、舗装もされて無いような道も多い。


シモキンの家は、村の1番奥の高台に在った。

1度、赤鷺川まで出て、川に沿った道を上流に向かい進まねばならない。そして、途中で橋を渡り、坂をジグザグに登って行かなくてはいけない。

今まで居た場所は赤鷺村の中では盆地に当たる場所で、少ない面積だが田も作られている。これから向かう場所は、ずっと険しい。


ーー道にぶつかり、左折する。道の右側の数メートル下に、川が流れている。

これが、赤鷺川だ。この道を川の上流に向かい遡り、橋を渡る。

赤鷺川は、谷の両斜面に作られた赤鷺村の中心を流れている。つまり、谷底を流れている。川幅はさほど広くない。20mもない。だが水量は多かった。つまり流れが速いのだ。激流と言って良い。泳ぐ事など到底無理だ。

現実世界では、今は100m余りのコンクリートの高い壁が作られ、谷間を塞ぎ、この赤鷺川を堰き止めて、ダムが造られている。


「ねえ? あれ何かな?」

背後に流れる闇の奥を指差し、カニ子が言った。

闇の中を、何かが猛スピードでこちらに迫って来る。岸田は懐中電灯を闇の奥へ向ける。


ーー!?


闇の奥に照らし出されたのは、宙に浮く少年の姿。

顔にはXの字。


ーー少年Xだ。


頭の少年部分が浮いていると一瞬思ったが、錯覚だった。

体部分は闇に隠れているが、ちゃんと付いている。四つ足で地を走っていた。その姿は、人が四つ足で走るのとは違う。犬などの獣とも違う。

火災救助袋を使い、学校から逃げる時に見たあの動きーー。

両手足をガニ股に広げたヤモリの様な、気味の悪い走り方だ。

だが、速い!?


岸田は後部窓のガラスを叩き、迫り来る少年Xの存在を伝える。

サユリが振り返り、岸田の後ろを見ろというジェスチャーを見て、窓を開け後ろを見た。サユリは血相を変え、佐々木に後ろで見た物を伝えた。

佐々木はバックミラーとサイドミラーで確認すると、軽トラのスピードを上げた。

一瞬、大きく少年Xとの距離が開くが、少年Xはスピードを上げる。

すぐに広がった距離を詰める。


どんどん迫ってくる。

車と言っても軽トラ、排気量660ccのエンジンだ。

それ程、急加速もハイスピードも出ない。

道もやっと車がすれ違えるくらいで、しかも緩やかだが川に沿いカーブもある。

それに100kmも出てないだろうが、車が不安定でブレる。

立って居られない。

それでもなんとか、僅かづつ距離を離す。


その時、少年Xが自分の背中に素早く手をやり、何かを放った。

腕の動きが、速すぎるのと闇で、残像しか見えない。


「皆んな! 両端に寄れ!!」

危険を察した岸田の声と共に、二手に分かれて皆軽トラの荷台の縁にしがみ付くようにする。

そうしなければ、振り落とされてしまいそうなのだ。


ーーーーーーーーーーーーーがンッ!!


皆が避けたと同時に何かが、鈍い音を上げて軽トラの後部ガラスにぶつかる。

それは屋根を凹ませ、ガラスを割って、荷台に転がった。

軽トラが衝撃で大きく右に寄る。


グガガガガガガガガガガガァァァァァァーーーーーーーっ!!!!!


ガードレールを擦り、ドアが火花を上げている。

その向こうは、激流だ。落ちれば溺れ死ぬ。

運転席でサユリが、きゃあ! と悲鳴を上げ頭を抱えうずくまっている。

佐々木は、ハンドルを左に切り、軌道を立て直す。さすがだ。成りはガキでも、中身は大人の男である。自分のやる事に責任を持って対応している。


その時ーー。


きゃあぁぁぁああああああああーーーーーーーーーーーーーーッ!!


今度は荷台で悲鳴だ。カニ子だ。


岸田は振り返る。

「どうした? カニ子!!」

「あっ、あれ!?」

カニ子は口に手を当て、青い顔をし震える指で指差す。


………………。


「梨花……っ!?」


岸田は驚きで目を剥き、呟くように言った。

そこには、さっき少年Xに投げ捨てられて死んだ梨花の血まみれの遺体が転がっていた。

足にはワイヤーが括り付けてある。多分、配膳用エレベーターの物だろう。

猟師が獲物を腰にぶら下げるように、アイツは梨花の遺体をーー。

「あの野郎! 梨花の死体をぶん投げやがった!!」

松田が荷台の縁を拳でガンッと殴る。


「岸田くんっ!? 避けてぇっ!?」


カニ子が叫んだ!

再び闇から、何かがーーッ!?

それは闇を切り裂き、さっき梨花が打つかったのと同じ場所に激突する。

岸田は間一髪避けた。

また軽トラが大きく揺れ、ガードレールを火花を上げて擦る。


……。


皆予想した展開だが、それでも言葉に詰まる。

梨花の遺体に覆い被さるように転がったのは、

それは、屋上から逃げ遅れた1人の有村華菜だった……。

華菜の足にもワイヤーが


「あいつ死んだ奴らをなげてやがる!! 岸田許せねぇよ!」

「許せないって言ったって、今は逃げるしかないだろう!」

「そうだけどさぁ……。悔しいぜっ!」

「2人共、のんきに話してないでーーッ!?」

カニ子が今にも泣きそうに叫ぶ。

話している間にも、少年Xは迫って来ている。

もう頭一つ前に出れば、軽トラの尻に少年Xの手が触れそうだ。

「どうすんだよ!? このままじゃ確実に追い付かれるぞ!」

松田が言う。

記憶の糸を辿り、この先の道を思い出す。少し先に50m程の直線が有る筈だ。そこを抜けると直ぐ橋だ。

直線で距離を離せるかもしれない。

でも直線で逃げ切れても橋を渡らなきゃいけない。

そこで失速すれば、必ず追い付かれる。しかも橋の上なら、落下の危険もある。

「……軽くしよう」

岸田は言った。

「軽くって?」

「ここに乗ってる荷物を捨てる。そして、人数を減らす」

「おいふざけんなよ! 誰かを犠牲にすんのかよ!!」

「早まるなよ。梨花と華菜の遺体を捨てよう」

「……。」

松田の顔が曇る。死んでいるとは言え、さっきまで一緒に居た梨花と華菜だ。

当たり前の反応である。

岸田は言う。

「軽くなれば、車は多少でも早くなる。橋を渡る時に、軽トラは失速する。その時に捕まらないくらい、この後の直線で距離を離す必要がある。覚えているだろう? この先に50m位の直線があるのを。そこが勝負だ」


2人は、振り落とされないようにしながら、荷台に乗った農具を捨てた。苦し紛れに少年Xに投げ付けてみたが器用に避けられた。

それからまず梨花の遺体を荷台から投げ捨てた。

さすがに皆んな目を背ける。梨花の遺体は鈍い音を立てて道路に落ち、転がり闇に消えた。

たかが子供1人だが、660ccの軽トラには大きな負担だったんだろう。

目に見えて早くなった気がする。


ーー続いて、華菜だ。


「行くぞ」

松田が華菜の両脇を持ち言う。

「……ああ」

岸田は両足を持ち、感情を押し殺し応える。


2人は自分達も落ちてしまわぬように、細心の注意を払いながら華菜を持ち上げる。

その時ーー、


「……やめて…わ…私死んでない……」


虫の鳴くような声が聞こえた。

華菜はまだ生きていた。


少年Xは遺体を投げていたのでは無い。

生きたまま投げていたのだ。

ーー岸田の頭に嫌な予感が過る。


……まさか、梨花は


いや、それは無い。さっき持った時に梨花はもう冷たくなっていたの思い出す。

今手に持つ華菜の体温とは違った。華菜は落ちた時に死んでいた。

そう今は思おう。岸田は自分に言い聞かせる。

「どうすんだよ!? もう直線に入るぞ?」

松田は言う。

「仕方ない。このまま行こう。佐々木に命を預ける!」

「分かった」

「皆んな、落ちないように掴まれ!」


直線に入った。軽トラは加速する。

佐々木も、この直線が勝負なのを理解していた。


ーー少年Xはまた腕を背中に、


皆同じ悪夢が頭を過る。


「やめろっ!」

「やめてくれっ!」

「やめてっ!」

「やめろっ!」


一斉に叫ぶ。

今、投げられようとしているのは木村元気だ。そして、華菜のように木村元気はまだ生きているだろう。

少年Xは無慈悲に腕を振った。

軽トラのスピードが上がった所為か、木村は軽トラの後部ガラスまで届かず、荷台の角に頭を打つけて、血飛沫を飛び散らせながら背中から1回転して、荷台に転がった。

軽トラが激しく揺れる。

頭はグチャグチャに打つかった衝撃で潰れていたが、着ている服はさっき木村の着ていた物だった。

華菜とは違い、生きていたなら完全に即死だ。

岸田と松田は、木村の遺体を荷台から捨てる為に、持ち上げる。木村の体も血も肉も温かい、微かにまだ筋肉が痙攣しているのが分かった。

……投げられる瞬間、木村は生きていたのだ。

せめて、意識が無かった事を願う。岸田と松田は、木村の遺体を荷台から投げ捨てた。

「木村すまん……」

岸田は思わずそう呟く。

「岸田! 危ねえっ!」

松田に腕を引かれ、岸田は松田と共に後ろに倒れる。

見ると、少年Xの手が目の前まで伸びている。間一髪で捕まる所を逃れた。

もう少年Xが目の前に迫っていた。木村が打つかった所為で、減速した為に追い付かれたのだ。そして、見落としていたが、当然直線になれば少年Xもスピードアップするのだ。最悪の誤算だ。

「とにかく、捨てれる物は捨てよう!」

岸田はそう言った。最後の悪あがきだがやるしか無い。

「もう捨てれる物なんてねえよ!」

松田が言う。

確かにもう捨てれる物など無い。

思わず、息も絶え絶えの華菜に皆んなの目が行く。

華菜はもう助からないだろう。だが、此処で華菜を見捨てる事など誰にも出来る事は無かった。此処で華菜を見捨てたらやっと出来たチームワークが崩れてしまうだろう。


「ねえ! これーー」

カニ子が声を上げた。

カニ子は、汚らしいリュックを持っていた。


「此処にあった。これ、意外に重いよ。これを捨てれば少しは軽くなるよ」

多分、農作業で使う雑用品か何かを入れてあるのだろう。さっき捨て忘れたのだ。そんなリュックを捨てた所で、焼け石に水なのはカニ子も分かっているだろう。ただ、少しでもこの場を前向きにしようと言ったのだろう。


「きゃあっ!?」


カニ子が叫ぶ。

軽トラがグンッ! と大きく揺れる。

既に少年Xの手は荷台を掴んでいた。

カニ子は咄嗟にリュックの中に手を入れ、何かを出して、それを少年Xの顔に向け噴射した。

少年Xは面食らい。荷台を掴んだ手を離した。そして、自分の走っていたスピードのまま、足を縺れさせてグルグルと転び転がってーー。


ーーーーーーーガンッ!!


と、ガードレールを突き破ると崖を転がり、高い水飛沫を上げ、赤鷺川の激流に落ち消えた。

「……。」

カニ子はポカンとしている。

考えあってした事じゃないだろう。夢中でやった事だが、お手柄だ。

「何したんだ? カニ子」

岸田は訊く。

カニ子はまだポカンとした顔のまま、手に持った物を差し出して見せる。

カニ子の手にはスプレー缶のような物がある。

岸田は缶に書かれた商品名を見る。

「強力熊除けMAX? 熊撃退スプレーだな。山での農作業中にツキノワグマに出会った時の為に、石川のジイさんが持ってたんだろう。でも、そんなもんが、少年Xに効くんだな?」

赤鷺村は山間の村だ。沢山の気を付けなきゃいけない野生動物が居る。ツキノワグマもその1つだった。

「あはははーー」

緊張の糸がほどけて気が抜けると、なんだか岸田は笑ってしまった。

カニ子も松田も釣られて笑った。疲れ切った笑だが、安堵感に溢れていた。

無事橋を渡り、シモキンの家を目指した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ