第73話 小便鳥居
さて、すでに夕刻である。
日の落ちかけた中華街に夜の賑わいが訪れつつある。その喧騒から少し離れて、中国茶専門店の二階にある妖しげな店だ。
早苗と美琴が恋愛のまじないものを見ていたのは先の通り。また、おまじないなどとは無縁とみえる名坂警部補も、まじないものを手に取って、ひとつ購入したものである。どうやら失せ物探しの道具らしい。
「なにかをお探しなのですか?」
「たいしたことじゃない。いろいろと厄介をかけて、何も買わずに帰るわけにもいかんだろう」
「おやおや、そんなこと気になさらず。こちらこそ、面白い話を聞かせていただきました。しかし、他にも気掛かりなことがおありの様子」
「ふぅむ、顔に出ているのか、卜占、人相見の類いか。店主の慧眼、恐れ入ったりだな」
腕を組んで名坂警部補が話したのは、いわゆる小便鳥居についてだ。関西でみられる風習で、街のあちこちに小さな鳥居が描かれているもの。たいていは朱色で、路地裏にあることが多い。
その名のとおり、立ち小便防止のために壁面に描かれている。上手くしたもので、看板よりもよっぽど効果がある。落書きのようなものであれ、鳥居に向かっての放尿はなかなかしづらいものである。
関西に多いからといって信心深い人が多いというわけでもなく、穿って考えれば、関東ではそもそも立ち小便が少ないのかも知れぬ。それはともかく。実は、と名坂警部補がいう。
「最近、軽犯罪法での検挙が増えている。昔は小便鳥居があって立ち小便も少なかった、そんな場所でだ。汚い話で恐縮だが、そんなことも仕事のうちでな。なんとなく気になって、飲みに行ったり、外へ出るついでに小便鳥居に目をやるようになった。すると、あったはずの場所に小便鳥居がない。代わりに、黒く染みのような汚れがついていて、よく見ると鳥のような形をしているのだ。
誰が、何のためにしているのかわからんが、街のあちこちで、小便鳥居が黒く塗りつぶされていることに気付いた。だが、管理者にその染みの件を告げても誰一人問題にしようとしないのだ。面倒だからとか、仕方がないとか、そうした雰囲気でもない。そもそも、そんな出来事はありもしないかのように。気のせいかもしれないが、気になってならないのだ」
「なるほど、たしかに気になりますね。ですが、そもそも、小便鳥居があろうがなかろうが、不浄のものを天下往来で取り出すなど、まったくもって有るまじき振る舞い。そのようなものは、ぶらぶらさせずに、ちょん切ってやるべきですね。おや? 何かおかしなことを申しましたか? 日本語は難しくっていけません」
くすくすと笑って、さあ、あまりお引き止めしても申し訳のないところです、と土産に茶葉を包んで五郎たちに手渡した。
「またのお越しを」
頭を下げて五郎たちを見送り、誰もいなくなった部屋でスーがいう。
「兄様、お聞きになりまして? やはり誰かが眠っているなにかを動かそうとしているようです。胸騒ぎも杞憂ではなかった。この先どうなるかわかりませんが、少しだけ楽しみでもありますね。ふふ」




