第64話 二人のち一人
来訪神は停滞する世界に刺激を与え、再び活力を与える。けだし、神様でなくとも、人の訪いは何らかの変化を生むものだ。本日は、二人は女、一人は男が五郎の部屋を訪ね来たる。はてさて、この訪い、いかなる変化を生み出そうや。
「こないなとこに住んでんのやなぁ」
綺麗な和装の女性がつぶやく。年の頃は二十歳前後、細い目に和かな表情で、あまり本心を表に出すことはなさそうである。見上げた文化住宅は、あちこち壁面も剥がれ、縦横無尽に亀裂が走っている。ようやく立っている古老といった風情だ。
日傘を手に、ぽっくり、ぽっくり、五郎の部屋を訪ねた。こんこん、こんこん、と優しくドアを叩く。
「いらっしゃい!」
と嬉しげに飛び出てきた五郎の顔がみるみる曇って、無愛想に応じる。
「早苗か。何しに来たんだ?」
「そらまあ、えろう御挨拶なことで。わざわざ京都から来たゆうのに」
「いや、悪かったよ。けど、来るなら来るで連絡してこい。留守だったらどうするつもりだったんだ」
「そんときは五郎はんを探してあちらこちら。想い人を探して彷徨う乙女、ロマンチックやわぁ」
「そういうとこだよ。そんな目立つ格好で来て変な噂が立ったら……」
「ややわ、許嫁ですやん」
ころころと笑う、その後ろで、ごとんと物が落ちる音がした。
閑話休題。
狭い部屋に、といって大した家具もなく、がらんとした部屋だ。卓袱台を挟んで、五郎、早苗、美琴が腰を下ろしている。
卓袱台の上には、金平ごぼうと焼き鮭が入り混じったタッパだ。美琴が落としてしまった差し入れである。金のない五郎が満足に食べていないことを心配して、また美味しそうに食べる姿が嬉しくて、残り物や作りすぎというのも無理があるほど、ちょいちょい差し入れに来ていた。
五郎の許嫁を名乗る中山早苗とは初対面。むろん、許嫁がいるなどと聞いたこともない。ちらちらと気にしつつも、まさか蜜柑のことは知らないだろうと動揺する心の拠り所にしていたが、
「帰って来たでぇ!」
と明るい声、あわせて窓をがりがりとやる音がする。助かったとばかりに立ち上がった五郎が窓を開けると、そこには一匹の黒猫と、その背に跨がるくまのマスコットだ。蜜柑の声は普通の人間には聞こえないはずなのに、
「あ、早苗はんや。元気しとった?」
と声をあげて早苗の胸に飛び込んでいった。
「久しぶりやなぁ。この胸も柔らこうて心地ええわ。着痩せするタイプやもんな。こっちでは胸の固い子が多て……」
と、そこで言葉を止めた。なぜなら、嬉しげに早苗に飛びつく蜜柑を見て、あわわとなっていた美琴が、いまは、んぎぎと背後から睨みつけていたからである。しかし、早苗は素知らぬ風に、はい、飴ちゃんあげると飴玉を差し出した。
「お、いつもの飴ちゃんや。五郎は、カルキ水、カルキ水いうて、水しかくれへんねんで」
「あらまあ、あきまへんで。なんといっても神尾家の式霊様や。大事にせな」
「そやそや」
と言って、飴玉の包みを取ろうとしていた蜜柑が手を止めた。
「やっぱ、飴ちゃんは後にしよかな。ご、ごはん食べやんとな」
というのも、裏切り者! との無言の非難が寄せられていたからである。こうして蜜柑も黙り込み、室内でくつろいでいるのはジジだけとなった。んー、と伸びをして卓袱台の焼き鮭に興味津々の様子で、んにゃ、んにゃと餌をせがむ鳴き声だけが響く。
張りつめた空気を破ったのは年嵩の渋い声で、ノックの音もそこそこに、名坂警部補がドアを開けた。




