災悪の始まり。
「え……ちょ……何……? あれ……」
「ちっ……フラ。どうだ? やれるよな?」
「ああ。こっちは大丈夫だっつの。最悪メルの魔力だけ残ってりゃ問題ねぇ」
「……」
「……私だって、そんな魔力もう残ってないから」
ゲームの機能は魔法としてこの世界にも顕現してくれているけれど、こういうところはゲームじゃなくて現実なんだよね……。
ここが本当にゲームの世界だったとしたら、回復ポーションなるものを飲んだら、どんなに死にかけでHPとして表示されている自分の生命力ポイントとやらが、例え残りが1であろうと、残ってさえいれば一瞬で全快してくれて。回復した直後から今まで何の怪我もなかったかのように順調に動くことができるし、どんなに状態異常を食らっていて毒に侵されたり体が痺れたりしていて体調がすこぶる悪かろうが、回復ポーションの効果は何のお構いもなく、変わらず常に一定。それは魔力だって変わらず、魔力回復ポーションなるものを飲めばゼロから簡単に、それも一瞬で全快してくれて。どんなに疲労の伴う魔法を連発していたところで、ポーションで回復する限り何の制限がかかることもない。
でも、それはゲームのシステムの世界の話。
現実ではそんな都合のいいことは起きてくれはしない。
そもそも『魔法』なんていう奇跡のような都合と燃費の良いツールが存在しているだけでもすごいことではあるんだけど、それでもその魔力や魔法なんてものもボクたち人間としての機能による制限を受けてしまう。
あくまで自分の魔力は自分の身体で生産されるが故に、魔力の回復量を高める事はできようとも、一瞬で全快だとか……。そんな夢の様な話は無くて、しかも体調や疲労具合なんかによって、上限もどんどん下がってきてしまうし、今回の様に疲労があまりにたまりすぎれば、回復するどころか魔法なんか使ってなくても減ってしまうことだってあるのが体調ってやつなのよ。
現実じゃ、血を流したら流してしまった分だけ、魔法で強制的に身体の傷を治したところで自分の体は思うように動いてくれないし、魔法で造血したところで身体的な運動機能が一瞬で回復することは無い。血を流しすぎてるからって造血魔法で怪我の対処をしたところで、魔法で作った血液そのものが本来必要であった運動エネルギー分までをも計算して造血できるわけじゃないんだから、むしろ戦闘継続中に造血魔法なんか使って急激に動こうものなら、身体機能に障害が起きて急激な眩暈なんかにやられてしまい、まともに立っていることすらできなくなっちゃったなんて話は、よく聞く話だったりする。
身体の機能が低下することで体力の回復量が減ってしまうように、当然魔力を回復させるという機能も低下してしまう。
アルタイルのメンバーだって、一歩間違えれば死んでいてもおかしくない状況が続いているのだ。自分達で感じている以上に、戦闘による肉体的疲労以上に、精神的疲労は溜まっているはず。ボクみたいにこんな馬鹿げた異常気象地帯からちょくちょく快適なロト国内へ逃げてるならまだしも、連続してストレスがかかり続けているみんなにも、かなりの疲れが見え始めていた。
ただ、そんなことじゃ弱音なんか吐いていられないほど、もっと辛い人たちを連れているのだ。アルタイルのメンバーがその疲労を覗かせることはしないだろうし、まぁ……そもそもこの人たちが弱音吐いてるところなんて、見たこともないけどね。
「レティーシア、視界を地面が向かってる先に伸ばせるか?」
「うん……今やってるけど……なんだろうこれ……? 地面が空を飛んでるようにしか……」
ボクが張った次元牢獄の領域だけが丸く残され、周辺の景色がどんどん一変していく。
砂嵐に加えて、さらに地面から砂が巻き上げられる景色で一面が埋まって何も見えないんだけど、次元牢獄直下の地面も動いているみたいなのだ。ここで次元牢獄を解除したら、どうなるのかわからない。
地面の向かう先に視界を伸ばしてみても、何も変わらなかった。
それはそうだよね。向かう先に何か目的地があるようなこともなく、空中には何にも無かったし。風圧で飛び散る砂と吸血鬼が舞うだけで、辺りは肌色一色そのまま。
どんだけの地面が隆起してるのかわからないけど、隆起した地面と一種に視界を動かしていけば、景色は変わらないのも当然の話。でも、空に向かったところで砂嵐の影響が弱まり、周辺の景色は見やすくなっているはずだった。
……それなのに、あたりの景色は一面、砂の肌色だけだったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってマスター。あれ……」
「なっ…………おい、レティーシア。視界を戻せ」
「え? …………へ?」
それが、視界を自分の視点に戻した瞬間に、それが何だったのかを理解することになる。
「……竜?」
地面が巻き上げられたことで砂嵐が明けていく。
そんな中、視界いっぱいに映った空をはばたくバカでかい大地だったものを見て、ついて出た感想がそれだった。
「…………あんなでけぇの、ありえんのかよ」
誰に問いかけるでもない呟く声が聞こえてきた。
ハウトさんですら見たことが無い大きさの生物が、空に浮いている。
つまり。
ボクたちがいた砂漠地帯そのものが。
あの竜だったのだ。
一つの島が羽ばたいている。
そんな途方もない質量が、今まさに空を飛んでいる。
その全体像が把握できるくらい遠くまで飛んで行ったはずなのにもかかわらず、次元牢獄にかなりの風圧がぶつかっているのがわかる程に。
ボクが次元牢獄の外にいたら、風に飛ばされてる自信があるね。
「あれは……古代竜種の、それも……相当の“養分”を蓄えた姿……でしょうか……ですが、しかし……あれは……?」
ハウトさんの呟く声に応えたのはルージュだった。
この場合、応えたというよりはお互い呟いた、という方が正しいのか。
お互いが会話している意識は無く、ただ会話として成立しただけなのかもしれない。
このダンジョンにボク達がたどり着き、合流した時には姿を見せる事もなく、ボクの影に戻っていたルージュだったけど、周りに情報を共有するために外に出てきたのだろう。
ルージュが考え込む仕草を見せている。
このダンジョンに神聖力が無かった時点でボク達の当初の予定とは大幅に外れてしまっているのだけれど、それ以上に何か訳のわからないことが起きている。それはルージュの知識と情報を持ってしても、予想外の出来事だったらしい。
『シエル、こちらに戻りなさい』
頭の中でルージュの命令が聞こえ、別行動をとっていたシエルが戻ってくる気配を感じる。
『そっちはどう?』
『ロト国軍は今回の異変に消極的な姿勢のようです。吸血鬼が国外に向かってますから……って、な、なんですか? あれ……』
シエルが驚いてるってことは、割と大昔から生きてる精霊種であっても驚きを隠し切れないような出来事で間違いないらしい……。




