黒の魔法と桜の魔法。
「ぅぷっ……うぇっおえぇぇっ……っ!!」
今までに見たことのない終焉を迎えるモンスター。
そのあまりの醜悪さに、込み上げる嗚咽を抑えることすらもできない。
……はぁ……はぁ……。
果たして胃の中にまだあったのかわからないような物までもが逆流し、息を吸う事すら拒まれながら口の中を酸の味に染めていく。
パニックになっていたゴブリンの残りの2匹が、ボクの嘔吐に気付いて視線を向けた。
仲間の死因はわからずとも、この状況をみればその原因にはどんなに愚鈍なモンスターだろうと気付くだろう。目を大きく見開きながら怒り狂って特攻を仕掛けてくるも、近づく事も叶わないまま小さな影2つに叩き潰されて絶命する。跡形もなく潰れる2つの緑色の塊。すぐに影の中へと戻っていく、明るい黄色と青い影。
肉がミンチに砕け散り、血が地面一帯や、周りに生えている木々を赤く染めている。
その死に方を見て、心が落ち着いてしまう。
この死に方が、どれだけ羨ましく思えるだろうか。
こんな惨状を見たところで、もう何も思えなくなったボクですら吐いてしまうほどの酷い有様が、残された最後の死体には残されている。
今でも直視したくない。
……したくないというか、できない。
3人のゴブリンが果物を採取していたであろう位置に、一つだけ残されている爛れた肉塊。未だに視界の片隅で蠢く肉塊は、異臭と異様を吐き出しながらただただ自ら消滅を繰り返している……。
果たしてボクは、あの花びらに何を思ったのだろうか。
未だに花びらを出してしまった瞬間の思考が思い出せないから、あの桜の花びらが黒かったその理由である松虫草の効果を何にしたのかが自分でもわからない。
この森に入ってゴブリンたちを見つけて。
自分でもよくわからないまま花びらに意識を向けた瞬間。
黒い桜の花びらが1匹のゴブリンへと一直線に向かっていき、そのまま突き刺さった。
すると、花びらの突き刺さったゴブリンは突然気が狂ったかのように叫びだし、皮膚が泡立ち始め、膨れ上がり、爛れて崩れ落ちていく。
発狂して次第に変わっていく奇声。
ほとんど吹いていないはずの風で、ここまで漂ってくる嗅いだことの無い異様な激臭。
もがき苦しみ掻き毟る爪には、まるでプリンを掬うかのような感覚で、簡単に皮膚片どころではない量の肉の塊がそぎ落とされていく。それでも失うことのない痛みという感覚で、また更に発狂していくゴブリンの内臓が、自分で毟った肉の間を伝い、体の到る所から破裂するように噴き出して行く様。
瞬間などでは決して無いような時間。終わることのないような時間をかけて苦しみながら絶命していく姿に、いくら相手がモンスターとは言え使っていい魔法と使っちゃいけない魔法があるんだと思い知らされる魔法。
まさかこんな魔法だったなんて……。
モンスターだって命は命なんだもん。あんな死に方、していいわけがなのに……。
ボクだけじゃなかった。
ボクなんかよりも沢山の凄惨な場面を体験してきたであろう先生すらも、目をそらしていた。それ程の異常さってことだ……。
「……扱えるように練習をするか」
苦々しい顔で、先生が言い放つ言葉に耳を疑った。
「はぁ!? こんな魔法もう2度と使わないよっ!!」
酸の味が、まだ喉の奥に残っている。
思わず叫んだその言葉が、また口の中を染めて胃を刺激した。
慌てて水の魔法で口の中を濯ぎ、地面に吐き出す。
こんな魔法使っていいわけが無い。
存在していい魔法じゃない。
「調整できるかできないかはお前次第なんだろ?」
「そ、それはそうだけど、でっでも!!」
「大きすぎる力はずっと持て余しているだけにしてると、いつか後悔すんだよ」
よくわからないけど、やけに実感の篭った言い方。
先生の深刻な顔はそこまで珍しくもなくなったけど、今回の有色魔法の事を言っているような感じじゃないのは、気のせいって訳じゃないんだと思う。
「でもっ……」
「暫くはその魔法の特訓に時間を使う」
「え?! だ、だって桜魔法の方だってまだよくわかってないし、まだポイントだって残ってるからもう一つくらい有色魔法だってとれるんだよ?!」
「ああ。そりゃ魔法は取れるだけとってはおくが……。この魔法、お前の意識が一瞬傾いただけで発動してたら、いつか後悔するのはお前だぞ?」
「あ…ぅ…」
有色魔法の危険なところは、魔水晶に魔力を流すっていう意識を必要としない事。
つまり今みたいに、もし自分で制御が出来ないままでいちゃったら?
無意識のうちにボクが誰かを呪ったり殺したいなんて思ってしまう事があれば、発動にどんな条件があるのかわからないにせよ、もしかしたら簡単な事で発動してしまうかもしれない。
……ううん。かもしれないどころじゃない。
こんな簡単にイメージだけで発動しちゃう魔法なら、憎い相手だけに向けられるとも限らないかもしれない。
……確かに、それは困る。とっても。
「わかったか?」
「……」
先生の言ってる事はもっともで、言われればボクにも理解はできるよ?
理解はできるけど……
だって怖いんだよ。
誰かを傷つけちゃうことはもっと怖いことだってわかってるけど、そんな簡単に割り切れるなら、誰だって苦手なものなんてないんだよ……。
『今回は桜魔法とは違い、主様ご自身にも効果を齎してしまう魔法ですれば。もしかしたら主様ご自身にも危害が及ぶ可能性がございます。ここはフレイドラの宿主殿がおっしゃる事がご最もでございますかと』
頭の中からも聞こえてくる声は、その感情がどれだけボクを想っているかが伝わってきてしまう。
そんな想いが伝わってきちゃったら、それでもやれないだなんて言えないよ。
「……わかった」
「ああ。……最悪どうしても暴発しそうになったら、あたしに使ってみろ。あたしにも一応精霊がいんだ。どうにかしてくれるかもな」
「やめてっ! そんな事言われてイメージとかしちゃったらどうするの!?」
「知らん。お前が制御しろ」
うぅっ!
いつもの事だけど優しくないっ!!
結局、研究科の中庭に行く時間もあったことで講義の時間は終わってしまい、先生も午後からは冒険者クランでの用事があるって事で講義はそこで終わりとなってしまった。
戦時情勢なのも相まって先生のクランが忙しいのは、モンスターパレードの時もそうだったし。むしろわざわざ学園に通ってくれているだけマシなんだろうけど……。こういう時に頼れる人がいないってなると、言い知れないような不安が襲ってきてしまう。
ボクが頼れる人は沢山いるんだけどね。
それでも、どうしても気持ちを隠す事はできなかった。
寮へ戻ると、午後のこんな時間にいるなんて珍しいシルが帰ってきていた。
シルも相当疲れたような顔をしている。向こうも向こうで大変そうだ。




