契約悪魔は、命令を優先します。
エリュトスの侵攻を毎年受けているのにも関わらず、グルーネが報復活動へと移行しないのには、いくつかの理由がある。
まず一番に上げられる理由としては、ほとんど被害を受けないという事。
毎年モンスターパレードに合わせて侵攻されてはくるものの、大概とある姫騎士が一人で戦況を掻っ攫っていく為、グルーネ側には怪我人は出てしまうことはあっても死者が出ることはまず無かったのだ。戦争などと呼べるものではなく、一方的な凌辱。しかも相手国にも死者が出ないのだから性質が悪い。
エリュトスとしては、戦争によって資源の入手をしたいのは大前提として、それよりも『口減らし』を含んでいるのは真意だろう。そして、それがわかっているグルーネの胸が豊満な戦争代表者が彼女に死人を良しとするなどと命令するはずもない。
人的被害どころか物的被害すらもほとんどなく、敵国兵は動けなくなるまで痛めつけ、すべての事象にこぎつけて賠償請求をし毟れるだけ毟り取る。
それを踏まえれば今年は相当な被害を被った事になる。
一人で無双するかの戦略級兵士の不在は仕方が無かった事とは言え、検問は壊され、砦に張り付かれ、そしてなによりも3桁という少ないとは到底言いようも無い死者をで出してしまったのだから……。
そして次に上げられる大きな理由として、エリュトスの大地にある。
エリュトスという国を手に入れたとしても、グルーネにはそこを統括する気がさらさら無いわけだ。土地が欲しいのであれば、エリュトスとは反対側の未開拓地を切り開けばよい。エリュトスの大地は何故か枯れており、いくつかのダンジョンは存在するものの、管理もされておらず危険性が高すぎる。冒険者が一攫千金を狙うのであれば良いのかもしれないが、そんなのは各自冒険者の采配であり、国にメリットなど一切ない。
よほど有意義とは言え、グルーネが未開拓地を切り開けないのにも、実際の所大きな問題があるのだが、土地に困っているわけでもないのだから、治世を整えるまで必要でもないのだ。
不毛の大地など手に入れても国に利益はないし、交通の便としても特段便利とはなり得ない。エリュトスの東にある国々との交易なんて、それこそロトを経由するか、そうでなければ海から行えばよいのだから。
大きな理由とすればその2つだろうか。
細かい理由を挙げ始めればキリがないが、つまり必要が無い……いらないのだ。戦争を此方から仕掛ければ勝てはするだろうが、エリュトスと同盟を組んでいる更に東側の国との関係も一気に悪化してしまうだろうし、エリュトスの国土を治めるには相当なお金も掛かってしまう。流石に戦争で勝ってからエリュトスの国民の面倒を見ないという手段は取れないだろう。そんな事で経済が不安定になれば、それこそグルーネという国自体が傾きかねない。
そうともなれば、この大渓谷という地形は天然の防衛施設としてはありがたい地形だったわけで、その天然の防衛施設に改良を加えたのが今フラ達のいる防衛壁と砦となるわけだ。
「第2から第3防衛壁の間に隠れているのは確かなんだよ。今、うちのメンバーがくまなく探して……ん?」
エバントスがフラに話しかけても振り向きもしなかったのには、理由が無かったわけではない。その視線の先にある窓の外をずっと眺めていたからだ。
その窓のはるか向こう側に煙があがっている。戦闘用の特殊な煙。
「メル、アル。行くぞ。」
「ええ。」
「わかったわ。」
「エバントス将軍はここで兵を固めてくれ。何があってもこの壁を通さないでくれ。」
「ええ。もちろん承知していますとも。」
3人の女性が当たり前のように窓から飛び降りていった。
見える範囲に上がった煙の元までたどり着くのに、数秒も時間を要する事はない。
煙の真下には既に集まった仲間が周りを囲んでいる。
「ホーラント! 戦況は?」
「ぬぅ。すまないのである。全く攻撃が通じないのである。」
「通じない? 被害は?」
「こちらもないのである。」
「ああ……?」
どういうことだ?
戦闘跡があるという事は最低限どちらかから攻撃が行われたという事。
こちら側は別に最初から敵対を示したいわけではなく、調査が目的なんだから見つけ次第攻撃を行うようになど命令していないのにも関わらず、明らかにここにいたメンバーは臨戦態勢を取っていて戦闘を開始してしまっていた。それなのに、あちらは涼しい顔をしていて無傷、こちらにも何の被害が出ていないというのは違和感を覚える。
つい数刻前の話だが、メルの探知魔法に悪魔種と思われる精霊の波動が検知された。検知数が1体しかなかったが、人の波動ではなかったことから、今まで防衛壁の魔道具に引っ掛からなかったことに少し納得しながら探している相手と断定し、あたしらはここ、第2防壁と第3防壁を即時包囲。人海戦術で隅々まで虱潰しにしていたところ、突然戦闘跡である煙がこの辺りの景色を遮ったのを見て、即時合流にいたったわけなんだが。
エリュトスとの国境に作られている3つの防衛壁を含んだ要塞都市には、一定間隔ごとに特殊な魔導具が仕掛けてあり、ソナーの役割を持っている。動く陰影を捉えるというよりは、魔力探知機とでもいえばいいだろうか。魔物はもちろんの事、魔法を使えない人でもすべからく魔力は持っている為、そういった生物がソナーに引っ掛かれば、即座に反応してアクリアスの本部へと伝達される。
そこでここ数週間の間に、未確認の生物がこの国境を行き来しているところまでは捉えていたのだが、いざその相手を確認することすらできずに、あたしらが呼ばれたというわけだ。
うちのギルドにはそういった探知を得意とする魔法士が数人いるんだが、こっちにきて数日。やっとその姿がお目見えすることとなった。
敵意は……感じないが、攻撃されるのであれば仕方ないという空気を感じる。
無表情に空を見つめるオッドアイの少女。
浅黒い肌と、白い髪の毛。
『あら、珍しい子がいるじゃない。』
「あ!? お前勝手に出てくんなよ!」
自分の髪の毛が突然燃え盛る。
精霊武装状態……とは違い、全身が透けていない。
「フラ!?」
「な、いきなり全力であるか!?」
後ろからついてきたメルと、目の前にいたホーラントが2人して驚いている。
意識が少し遠く、第3者の目線で見るような感覚。
当たり前だ。あたしの身体の主導権を持ってかれてるんだからな。
「ああ、くそ。フレイドラが勝手に……っ!」
『ちょっと体を貸しなさいよ。』
いつもの精霊武装とは違い、炎が定着している。
体を構成する不安定な炎が静かに燃え盛り、いつもは透けていた髪や体の一部が、炎の濃さによって透ける事が無い。
「え、フレイドラ?!」
メルが慌てて近づこうとするが、あまりの高温に近寄れずに弾き返された。
『カニエル。久しぶりね。こんな所で何をしているの?』
尻餅をつくメルに目もくれずに、目の前の悪魔に話しかける。
「ん? あ。もしかしてフレイドラなのですか。貴女こそ何してるのですか?」
『あら? カニエル貴女、もしかして肉体がある……の?』
「ああ、もうその名前は捨てたのです。今はシトラスなのです。」
『受肉して名を……? 誰に仕えているの?』
「言えないのです。」
『言っておきますけど、私は今この宿主の守り神をしているのよ。障害となるのなら、貴女ともやりあわないといけないわよ?』
「どうぞ、ご勝手に? いくら受肉して制限をかけているとはいえ、貴女如きに負けるとは思わないので。」
『炎よっ!!』
爆炎がシトラスを包み込んだ。




