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懐中時計

作者: とにあ

 埃を払っていたらはずみで落ちてきた小箱。

 埃と一緒に雑多な小物が床に散らばった。

「うへぇ」

 ウンザリした声が出てもしかたない。片付けるつもりで散らかしたと母親に怒られる自身がすぐに浮かんだ。

 埃まみれのゴミばかりかと拾いはじめたらすぐに夢中になった。

 古びた刺繍のボタン。古い硬貨。金色のブローチピン。きめの細かい砂と白い小さな貝殻が入ったガラスの小瓶。甘い優しい金属光沢のまるいもの。きらきらした宝物。

「おかあさん、この古い時計なぁに?」

「おかあさんのおじいちゃんの懐中時計よ。持ってきていたのねぇ」

「コレ、ちょうだい!」

 欲しかった。どうしても欲しかった。

「ダメよ。田舎のお家のおにいちゃんが探してて見つかったら送ります。って約束しているんだから」

 ピシャリと断られてふくれてしまう。

 田舎のお家はおかあさんのおじいちゃんの住んでいたお家だ。どんどん過疎化していく田舎でお隣さんまで車で三十分以上かかるのだ。気軽におやつをコンビニにって真似も不可能だ。遠縁のおにいちゃんはそんな田舎で引きこもり生活をしているらしい。

 田舎でスローライフだからおしゃれ?

 ひたすらに不便だと思う。

「えー。送っちゃうの?」

「ええ。送るわよ。こないだお野菜やお米も送ってもらったしね。たいがいネットで取り寄せれるだろうけどなにを送っておこうかしらね」

 手の中で馴染んだ時計を名残惜しげに見ているのに気がついたのかおかあさんが笑う。

「いってみる?」

「え?」

「直接届けに行ってみる? くださいって頼んでみるのもいいんじゃないかしら?」




 駅に迎えにきてくれた車に乗って山中を二時間。ときおり屋根が見えることもあるけど、ほとんどないし道もよくなくて跳ねる。シートベルトで抑えられてるのに跳ねる。楽しいけれど、続くと気持ち悪い。

 だからかして途中で意識が途切れた。目覚めれば見知らぬ布団。広めの和室。ふすまに描かれたモノクロのアニメキャラ。惜しい。なぜ、アニメキャラだ。どうせなら山水画とかが雰囲気を上げるんじゃないのではないだろうか?

「ああ、起きたね。車道が悪くてごめんね」

 にゅっと顔を出したのは眼鏡の青年。遠縁の松葉おにいちゃんだ。

「おなかすいたでしょう? 食べれるよう準備してあるから、こちらにどうぞ」

 やわらかい物腰とアマイ誘いにのこのこと誘いだされる。そして私は囲炉裏にはしゃいだ。火の入っていない囲炉裏、小さなかまどがあってそれは使ってるようだった。

「むこうに準備したんだけど、ここで食べるなら御膳持ってくるね」


 松葉おにいちゃんが楽しそうに笑う。

 板の間はお尻が冷えるからとザブトンを敷いてすぐそこにあるサンダルを蹴飛ばさないように足をぶらつかせた。

 肉だんごの入った雑炊はサラッとおなかに入っていってちょっと物足りない。

 でもお醤油やお塩を足せば失敗しそうだった。

「しっかり食べれそう? ならおかず足そうか」

 大食いみたいで恥ずかしいけど、まだ食べたかった私はこくんとただ頷いた。


「お嬢さん。今日は良い朝ですよ」

 たぬきの声でパチリと目を開ける。

 雨戸があけられているのだろう障子越しの陽射しは十分に眩しい。

 朝はたぬきの声で起きるのがいい。


「かすみちゃん。朝ごはんにするんだけど、普段ちゃんと食べるクチ? それとも朝ごはん抜いて学校行ってるクチ?」

 真っ白い障子越しの日差しは不思議とあたたかでうとうとしそう。

「かすみちゃん? まだ寝てる?」

「おはようございます。朝は少なめです!」

「そう。じゃあ着替えてからゆうべのところに来てね」

 楽しそうな声で告げられて私は「はい」と返事する。

 スウェットを脱いでおかあさんが準備してくれたシャツとズボンに着替えた。「こんな厚手のシャツいらないよー」って言っていたけれど障子を開けて空気を通したら寒さで震えたのだ。おかあさんに感謝!

 滞在予定は一週間。洗濯機はあるだろうか?

 布団を不器用ながらあげて押入れにつっこむ。落ちて、こないよね?

「かすみちゃん? あ、ありがとう。えらいね!」

 迎えにきたらしい松葉おにいちゃんに褒められたあと手を引いて洗濯機のある場所や物干しがある場所を遠目に説明されながら囲炉裏がある場所に連行された。

「あとで案内してあげるからね」

 そんなことよりごはん冷めちゃうから。と御膳を差し出された。

 黒くて艶やかな台にのせられた白いお皿にはきつね色のこげめのついたパンとベーコンエッグ。ツヤツヤのトマトに振られた白い塊。

「流行りのパンを食べるのって久しぶりだから嬉しくなるなぁ」

 そう。パンはおかあさんに持たされたお土産の一部だ。近所のパン屋さんの一斤まるごとを二本も持たされて。何事かと思った。

「そうそう、朝新聞と一緒にかすみちゃんのおかあさんからの荷物も受け取ったから着替えもコレで大丈夫かな? まぁ、足りなかったらたぶん、サイズの合う服はあるから洗濯するだけだし、気楽に声掛けてくれたらいいからね」

 そう言ってベーコンで目玉焼きの黄身を潰して掬いとる。横には粉末を溶かすタイプのドリンクスティックが突っ込まれた缶と牛乳パックに電気ケトルが並んでる。

「飲み物は好きに選んで。水道水も大丈夫だろうけどケトルもあるし、やかんに白湯は作り置いてるし、そこの水槽に沈んでるペットボトルや缶の飲み物は好きに飲んでくれていいよ」

 今日はうちの範囲から離れずに過ごして。疲れてるだろうから。と言いつけてちょっと作業に行ってくるねと慌ただしく出かけて行った。

 トーストが多い。松葉おにいちゃん自身のお皿より格段に厚みは薄かったけれどそれでも厚切りだ。トマトにかかっていた白いブツは砂糖で満腹感が、押し寄せてくる満たされ感が、なんというか食べ終わるのに時間がかかってしまった。

 台所は小綺麗で食洗機が『我に汚れ食器を食わせるがいい』とばかりに扉を開けていた。

 大雑把に汚れを落として並べていく。コツはわからない。

 蓋をしてスイッチオン。振り返れば足元に自動掃除機が走っていた。

 なにごと!?

「あ、かすみちゃんありがとー。お片づけはサポートしてあげれば自掃軍団がしてくれるから洗濯場連れていくよー。さすがに女の子の下着をおじさんが洗うのもダメだろうからね!」

 おじさん?

「もう二十六だからかすみちゃんからしたらおじさんでしょ」

 そうとも違うとも言い出せなくてなんか気まずい。

 洗濯場は屋内で洗濯機と乾燥機があり、物干し竿とロープが張ってあった。

「外にも干し場はあるけどねー」

 届く? と聞かれて大丈夫と胸を張って見せたら笑われた。失礼だ!

 むぅと視線を泳がせると壁際にはたまねぎとかが無雑作に吊るされているのが目につく。アレはニンニク?

「こっから外?」

 すりガラスのハマった引き戸は鈍く軋んだ音を立て、重く動く。

「あ! かすみちゃんそこは!」

「え?」

 物置っぽいその場所は不思議なにおいがしていた。

 そして砂っぽい。

『ごっ』

「矮鶏の巣なんだよ。うさぎの檻もあるけどね」

 矮鶏は放し飼いしてるんだけど、夜はちゃんとここに戻ってることが多いかな。って続いた。矮鶏を軽く追い払いながらサンダルを示される。ここからは土足エリアらしかった。

 それにしても、放し飼い。

 手招きされて近寄ればうさぎ小屋。うさぎは檻。

 サイズの大きなサンダルがすっぽ抜けそうな音がする。

「ごはん係頼んでいいかな?」

「うん! やる!」

 お仕事、ゲットした!

 おかあさんにお手伝いしてきなさいって言われてるんだよね。できることがあって嬉しい。

 松葉おにいちゃんは忙しいのかパタパタしている。

 洗濯ものを干し終えた頃、ひょっこりあらわれた。

「かすみちゃんお茶にしよう!」

 夜になってわかったんだけど、朝ごはんは七時くらいで、十時に甘いおやつとお漬け物とお茶。十二時はお昼軽めだけどねと言いつつ朝とあんまり変わらない量。ツルムラサキとお肉の炒め物。三時にはオヤツの時間。クッキーだとかのお取り寄せスイーツが出てきた。夜の七時に晩ごはん、物足りないくらいのあっさり味と量。

 お使いを忘れてたわけじゃないのだ。

「松葉おにいちゃん」

「ん?」

「懐中時計です」

「ああ、璃果さんのメールにあった。ありがとう。見せてくれる?」

 眼鏡のブリッジを軽く押し上げて懐中時計を確認している。

「ああ、やっぱり」

 松葉おにいちゃんが引っ張りだしたのは一本の鍵だった。

「この鍵が扉を開くんだと思うんだ。かすみちゃんも一緒に来るかい?」




「あ。」

 たぬきがいる。お稽古が嫌だって隠れたのがバレたのかしら?

 でも、その姿が見れて嬉しい。

「お嬢さん。見つけましたよ」

「たぬが黙ってればいいと思うのよ?」

「いけないお嬢さんですね。……少し、だけですよ」

 困ったようなたぬきの笑顔が好き。


「かすみちゃん、今日はお寺さん行くから色々お手伝いしてねー」

 時計を見ると朝の五時だった。

 飛び起きると照明からぶら下がった鈴にぶつかって激しい音がした。

「おはよー。着替えたらうさぎにごはんあげてね」

「おはよーございます! 了解です!」

 笑い声が遠ざかったのを確認してから布団を押入れに突っ込んでジャージを装着してカーディガンを羽織る。

 顔を洗ったらうさぎにごはんを持っていく。そのあと、犬小屋の水を入れ替えておく。矮鶏のたまごを見かけたら回収しておくのがとりあえずのおしごとだ。

 たまごの籠を囲炉裏そばに置いて手を洗う。水は痛いほどに冷たい。

 網に入ったたまご型の石けんは可愛い。

 水槽から瓶入りジュースを選んで引き上げる。一気飲みするとぷるっと背中が震えた。

「いーい飲みっぷり!」

 松葉おにいちゃんがおつかれと笑ってくれるとドキドキする。

「今ごはん火かけたからねー。たまごは焼くのとゆでたまごどっちがいい?」

「松葉おにいちゃんは?」

「もちろん、両方!」

 昨夜作った蒸し芋を潰して焼くと聞いて潰し係になりました。味付けは塩コショウにマヨネーズ。朝ごはんの準備をしながら同時進行でお弁当も詰められていく。ウィンナーやレタスとピーマン、キャベツの炒め物。緑オンリーの炒め物。刻みオクラも入っているらしい。やっぱり緑。

 それを緑の葉物で取り分けサイズに分けてた。どこまで緑!?

「あれ? かすみちゃん野菜きらい?」

 そう、松葉おにいちゃんにはあまりレパートリーがなかった。焼く煮る蒸す味付けは塩コショウ醤油に味噌マヨネーズ。バリエーションはあるようで地味にない。スーパーのお惣菜とおかあさんのレパートリーは偉大なのだと知った。


 お弁当を持って山の入り口まで車で行った。

 駐車場とかはなくてその辺に普通に停める感じ。

 雑草や小枝に侵略されてる石階段。両脇にある石柱はもう文字が読めない。

「夏場は雑草伸びるのが早いからね」

 階段の上に出てこようと伸びかけた枝を切り落としながら上へと向かう。

 私はついていくのでせいいっぱいだ。

 腰にぶら下げた携帯用虫除けが邪魔だなと思ってしまうけれど、虫はちょっと苦手だから必死だ。

 息を切らせて必死な横でゆとり伐採荷物持ちでさくさくいくおにいちゃんの姿がなんていうか、恨めしい。

 時々、鳥居をこえる。狛犬ならぬ狛狐が茂みの中に見え隠れ。

 石像が階段を見つめているのだ。

 よく見れば狐だけじゃなく信楽焼きらしきたぬきもいた。

「足もとにはカエルとかもあったりするんだよ。ただ見えるほどに整備するのには人手が必要で手が回らないんだけどね」

 二十年くらい前にはまだお祭りが残っていたとかそんな話を聞かせてくれる。

 人の住まない住居はすぐに朽ちていく。

 古民家民宿というには売りのない地方はただただ過疎化を加速させていった。松葉おにいちゃんチのそばにある数軒はごく稀の宿泊客用の施設らしい。

 事実近隣の集落だって高齢者主体の限界集落ばかりだ。何かあれば無線が唸る。

 不審者情報もたまに流れてくるらしい。

 見知らぬ人が山に入れば遭難捜索が必要になることもあるから。

 狐と狸。烏やカエルの石像がひとつの石を見守るカタチ。

 昔、神社とお寺が同じように祀られた名残りだよと松葉おにいちゃんは笑う。

 お寺さんというより神社なのか。

 私が疲れ果てて動けない間に掃除が済まされていく。

「かすみちゃん、こっち畳の間があるからおいで。持ってきたゴザを敷いてねころがっていていいからね」

 かなり恥ずかしいけれど、私は言葉に甘えた。


「はーこ様、どうか里をお守りください」

 私は祭りの舞を踏む。

 山の神様のおつかい達は親しく実りを守ってくれる。

 山深い里の恵みに努力を重ね生きていく。そんな生き方が少しずつずれてきた。

 海のむこう北の大地へいく兵隊さんたち。

 変わってゆく習い事。おおっぴらに獣の肉を食べていく習慣。

 便利なもの愉快なものがたくさんあふれるようにこの里にも入ってきた。

 おとうさまの時代には馬子がいなくなるなど思わなかったと言う。

 どんどんいろんなことが変わっていく。

 町では黒船の異人さんがもちこんだ技であふれてる。海のむこうからはいつだって変化が訪れる。

 家のために嫁ぐのもわかっているけどもどかしい。たぬきは私をさらってはくれないのだもの。

 お兄さまが「こんな田舎であろうといずれロウソクを使わず灯りを得るようになる」と夢語り。

 きっとそうはなるのでしょうけれど。

 生活は楽になったのかしら?

 だって、若い殿方たちは兵隊にとられていく。

 女、子ども老人で田畑を守り帰りを待つ。それは何かと手が回らぬ苦しい生活だ。

 嫁ぐことで里をまかなえるおあしが手に入る。

「お嬢さん、どうかご無事でありますよう」

 たぬきの言葉に私は顔を上げる。意味がわからなかった。

 兵役につくというたぬきはまだ若いのに。

「待ってなんかあげれないのに」

「はい。どうか、お幸せに」

 笑うたぬきが許せなかった。たぬきがいないのにしあわせになんかなれるはずもないのに。

 それでも、伝えることができない。

 伝えてはいけない言葉。ただ一人の娘としてただひとりの殿方として貴方をお慕いしております。

 これからは好きなように会いたいとすら望んではいけないのだ。ならいっそのことあいたくないと通すのだろうなと思えた。

「ありがとう。たぬ。どうかご無事で」

 言えたなら違ったのかしら?


 でも、家は、里は捨てれなかった。


「かすみちゃん、風邪ひいちゃうよ」

「松葉おにいちゃん」

 目元をこすると湿った感触。

「さみしい夢でも見た?」

 夢。そう、夢なんだ。

 それでも悲しくて寂しくて撫でてくれるおにいちゃんにもたれる。あたたかい。

「セミ、鳴いてる」

 必死に登っている間は気がつかなかった。

「夏、だからね」

 夢のせいで切ないんだ。

 届かない想いを押しつけられたから苦しいんだ。

 でも、今だって届かない。


 私は子供で彼は大人。

「どうしてあの懐中時計が欲しかったの?」

 私が欲しかったのに。

 おにいちゃんは少し黙ってから時計をあけた。蓋の内側を軽く押したら内蓋のようなものが外れた。中身は短い組紐と小さな鍵。

「大婆様がね、燃やしてほしいって遺言だったんだよ」

 細く黒い組紐。

 髪?

「日を改めて空にかえすよ。大婆様が自由になれるように」

 そう言って松葉おにいちゃんは私に懐中時計を返してくれる。

 欲しかったのは中の髪と鍵?

「ありがとう」

 こくりと頷くしかできなくて。自分の感情を言葉にできなくてもどかしい。

 一週間はあっという間でおかあさんが迎えにくる。




 いつかまた来ます。

 貫田佳純。

 きっと大人になって。


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