元婚約者候補令嬢は笑う
「それでは、第二王子エドワード殿下の婚約者を発表します」
現国王の象徴である白銀の鬣の獅子をあしらった巨大なタペストリーが掲げられた玉座の間に、初老の宰相の声が響く。
玉座には国王と王妃が座り、その両脇に第一王子と第二王子が立つ。
そしてその前には三人の婚約者候補者令嬢が、装いを普段の学園の制服からドレスという正装に変え跪いている。
今日の主役の一人であるエドワードは非常に晴れやかな表情で、エメラルド色の瞳は希望に輝き、少し頬を上気させて令嬢達を見つめている。
この場に立ち会った王侯貴族の女性達は、エドワードの溢れんばかりに輝く美貌にうっとりと見惚れるが、同時にエドワード自身が候補者の中から望んで選んだ事が察せられ、落胆にも似た溜め息が漏れる。
そんな同席者達の好奇の視線を受けつつも、令嬢達は皆、この二年間競い合ってきた結果を固唾を飲んで緊張した面持ちで宰相の次の声を待つ。
「リリー・ハミングバード男爵令嬢」
名を呼ばれた令嬢が、歓喜のあまり思わず立ち上がる。
「エディ様……!」
国王の面前である事や身分差も厭わず第二王子を愛称で呼び、薄桃色のフリルやリボンで飾り立てられたドレスの裾を揺らしながら、一歩前に踏み出した。
エドワードも王座の壇上から降りてきて、両手を広げる。
「リリー。君が僕のただ一人の花嫁だ」
リリーはその腕の中へ駆け寄り、そのまま二人は抱き締め合った。
その様子を国王と王妃は微笑ましそうに目を細めた。
宰相が国王に視線を投げかければ、国王は立ち上がり令嬢達を労う言葉をかけた。
「学園生活と平行して二年という長きに渡る期間、三名ともよくぞ切磋琢磨してくれた。私からも礼を言う」
国王の言葉に、惜しくも選ばれなかった二人の令嬢は深く首部を垂れる。リリーはエドワードと手を取り合いながら寄り添っている。
「リリー嬢、いや、儂の娘になるのだから、リリーと呼ぼう。これから第二王子とともに、我が国の規範となるように」
リリーは涙ぐんだ様子で「はい」と返事をした。
「そして、他の候補者の二人……アメリア・フューリー・サハラ公爵令嬢とサリーナ・カタベリア伯爵令嬢も、学園での勉学のみならず、妃教育においても非常に優秀であったと聞いておる。大義であった」
アメリアとサリーナは王子の婚約者候補だったとはいえ、ただの貴族の子女でしかない立場を弁え、国王直々の言葉にただ頭を深く下げた。
その様子に国王は頷き、場に集まった貴族らを見渡した。
「リリー嬢はエドワードの好みに叶った、という点では他の二人より勝ったのかもしれないが、此度の候補者達はいずれも知識や振る舞いにおいても、美しさにおいても、優劣を付けがたい、皆素晴らしい令嬢ばかり」
リリーは豊かに波打つ淡い桃色の髪を社交デビュー後も結い上げず背中に流し、好奇心の強そうな青い瞳とあどけなさを残した可愛らしい顔立ちをしており、爵位は決して高いとは言えないが、天真爛漫で分け隔てない話し方をするのをエドワードが気に入ったのではと言われている。
三名の候補者の中で最も爵位の高いアメリアは国王の妹の娘、つまりエドワードの従姉妹で、幼い頃からエドワードの婚約者候補であった。長く真っ直ぐな淡いプラチナ・ブロンドの髪に碧い瞳で、高貴な生まれを示すような凛とした印象の美女だった。
燃えるような赤い髪と精気に満ちた輝く緑の瞳のサリーナは、国内随一の貿易港を領内に持ち今や王家に次ぐ資産家と呼ばれる伯爵家の出で、代々商才に恵まれた家系に相応しい堂々たる態度で王の言葉に耳を傾けていた。
「誰が選ばれてもおかしくなかったと言えよう。エドワードとリリーだけでなく、アメリア嬢とサリーナ嬢にも末永い幸せを、皆も祈ってやって欲しい」
誰からともなく拍手が起こり、玉座の間に割れんばかりの喝采が鳴り響いた。
王族の婚約者候補から落選したとはいえ、国王自ら二人の令嬢を褒め称えたのだ。これから二人への見合いの申込みが殺到するのは間違いない、と見た適齢期の息子を持つ貴族らが二人を値踏みするような視線で見つめている。
その中、宰相の合図で王家の侍従らがアメリアとサリーナを先導し、二人は玉座の間から退出すると背後で大きな扉が閉まった。
扉の中からはしばらく観衆の拍手とざわめきが聞こえていた。
恐らくエドワードとリリーの今後の予定を発表した後、観衆の貴族らは別の出入り口から退場となるだろう。
扉の外で待機していたアメリアの従者とサリーナの侍女が各々の主の元へ駆け寄った。
「サリーナお嬢様ぁ……」
悔しげに涙を浮かべたサリーナの侍女に対しサリーナは晴れ晴れとした笑顔を見せると、アメリアの方に向き直った。
「ようやく茶番が終わりましたわね、アメリア様」
「まだ王城の中ですわよ?サリーナ様」
「あら、うっかり」
アメリアとサリーナは同時に吹き出すようにクスクスと笑い出した。
サリーナの侍女が目を丸くする一方、アメリアの従者はアメリアに愛用の扇を差し出した。
アメリアは受け取った扇で口元を隠した。
「……サリーナ様とは気が合いそうだと、ずっと思ってましたのよ。こんな候補者試験など無ければもっと早くお近づきになれましたのに」
「まあ、嬉しいですわ。私も候補者の集まりの度にアメリア様とお話したくって、うずうずしていましたの」
二人共、当人の意志とは関係なく各々の家の思惑があり、無用な争いを避ける為に結果が出るまでは必要以上の会話や接触を避けていたのだ。
落選した二人にはもうそんなしがらみは無い。
「落ち着きましたら、お茶にご招待してもよろしゅうございますか?アメリア様。南方の果物の香りのするお茶が手に入りましたの」
異国からの珍しい品はアメリアのカタベリア家がその輸入の殆どに携わっている。
その為まだ貴族の間ですら出回っていない珍しいものをカタベリア家が手に入れている事も少なくない。
「まあ……美味しそう。貴重なものでしょうに、よろしいのかしら。喜んで伺いますわ」
「ええ、ええ、是非に。そして」
サリーナはアメリアに向かって数歩歩み寄ると、小声でその四人にしか聞こえない声で囁いた。
「リリー嬢のあの趣味のよろしいドレスの事とか、色々お話しましょうね」
「ま」
アメリアは扇で顔全体を隠して、肩を震えさせながら笑い出した。
本日のリリーのドレスは、実はエドワードが用意したものだった。
アメリアとサリーナは当然実家にて用意したが、リリーは最も低い爵位でもあり経済的な都合もあって自分で晴れ着を用意するのは難しいとして、他の二人と引けを感じてしまっては気の毒だ、というエドワードの温情により贈られたのだ。
エドワードが自ら選んだというリリーのドレスは、薄桃色の上質な絹で裾や袖にたっぷりと贅沢に布地を使ったフリルがあしらわれ、更に同系色のリボンを幾つも飾り付けた可愛らしいものだった。
エドワードも三名の候補者も皆同じ十七歳であるが、リリーのドレスは十歳前後の幼い令嬢が好みそうなデザインだったのだ。
アメリアとサリーナのドレスは質の良い生地を使いながらもシンプルなデザインのもので、アメリアは青、サリーナは深い緑と己の髪と瞳の色に合った色を選んだ。
アメリアとサリーナは年相応、更にセンスも感じられるドレスだったが為に余計にリリーが滑稽に見えてしまったのだが、エドワードもリリーも全く周囲の目を気にしている様子は無かった。
そもそもエドワードが学園に入学した際にリリーと一目で恋に落ち、王族の婚約者にするには低すぎるリリーの家の男爵という爵位を気にしたエドワードが国王に持ちかけた『候補者試験』だったのだ。
その選考結果を言い渡すという公の場に、ただ「リリーに似合いそうだから」というだけで選んだドレスを与え、何の疑問を持たず身にまとった二人に対し、場を読まない様子からこれが将来国を担う王族の席に付くとは問題ないのか、と不安も湧いてくる。
候補者試験中、アメリアとサリーナはそれぞれ思うところが他にも沢山あったのを誰にも語らず我慢していた。
エドワードと、特にリリーの問題点が表に出れば、自分がエドワードの婚約者にさせられてしまうかもしれなかったからだ。
第一王子リチャードは、そろそろ次期君主として立太子されるのは間違いないと言われる程の、能力も人格にも秀でていると評判の美男子。既に別の公爵家の令嬢を婚約者にしており、つぎの治世も安定だろうと言われている。
エドワードは自分が一番になれない立場に幼い頃から僻んでおり、従姉妹であるアメリアには「女が勉強してもろくな事がない」と平然と言い、面識がなかったサリーナにも「財力で王家を乗っ取りたいのか」と嘲笑する始末。
典型的な「優秀な長兄に歪んだ次男」であるエドワードに、アメリアとサリーナは辟易して何とか他の候補者が選ばれるように仕向けようとした。
ならばエドワードが隠す事無く好意を向けるリリーを推すのが順当と思いついたアメリアとサリーナは、情勢から打合せなど出来る訳にもいかなかった筈なのに息を合わせたように試験中はリリーを褒め、持ち上げる言動を繰り返したのだ。
アメリアとサリーナは共に人生の危機と戦う戦友のように互いに感じ合っていた。
後日サリーナからアメリアへ招待状を送る事を約束してから二人は別れ、アメリアは結果を報告に向かうべく実家から寄越された馬車に従者の手を借りて乗り込んだ。
「セディ、貴方もこちらへ」
馬車の扉を閉めて御者台に向かおうとしたセドリックを呼びつけたアメリアは、躊躇する彼に問答無用で自分の向かいに乗るように指で示した。
余り感情を顔に出すタイプでは無いセドリックだったが、少しだけ眉を顰めると御者へ視線を送り自分も馬車に乗り込んだ。
アメリアにぶつからないよう注意して座席に座ると馬車の天井を手でノックする。それを合図に御者は手綱を振って馬車を走らせた。
「何度言ったら分かるの?貴方は私の従者の真似事をする必要はないのよ」
拗ねたようにアメリアはその紅い唇を尖らせた。
「好きでやらせて頂いているだけだと申し上げておりますが」
「もう……貴方は私にまで恩義を感じなくても良い筈よ。貴方は、お父様の大切な親友の忘れ形見なのだから」
セドリック・エルスマンは『不運の貴公子』と呼ばれている。
伯爵家の嫡男として生まれるが三歳で両親と祖父母を事故で亡くし、セドリックが幼すぎる事を理由に爵位を継いだ叔父が賭事で散財してすぐに破産。セドリックを孤児院に預けて叔父一家は夜逃げし、八歳までそこで育ったのだ。
先代エルスマン伯爵と親友だったサハラ公爵は何年もかけて親友の遺児を探し出し、自分の屋敷に招き入れたのだ。
その後セドリックはサハラ公爵の一人娘アメリアの従者となり、甲斐甲斐しくアメリアの世話をしている姿が学園入学を期に世間に知られるところとなった。
本来ならば決して低くはない家柄、物腰も優雅で黒髪と淡い紫色の瞳で端正な顔立ちをいつもどこか憂いて曇らせている様に、特に女性達は憐れみの目を向けた。
だがそれは、サハラ公爵がセドリックに命じた訳では決してなく、いつの間にかセドリックがそう振る舞い出した事から始まったのだ。
「年末の、次の長期休暇までに態度を改めなかったら、お父様から従者役など止めるように言ってもらうから覚悟しなさい」
不機嫌そうにアメリアはスカートの上で指を何度も組み替えた。
世間には淑やかで落ち着いた雰囲気の令嬢と知られるアメリアだが、この同い年の幼なじみの前では甘えが出て、少し幼さも見せる。
「それに、学園入学前は貴方の方が学力の成績は上だったのよ?それが何故常に私が一番になるの?」
学生時代セドリックとアメリアの父親同士は学園において気の合う親友であり、成績トップを競い合う好敵手であった。
サハラ公爵はセドリックに父親と同じ賢さを感じて、アメリアと一緒に家庭教師から学ばせるようにした。
セドリックも良い教師とアメリアという良き競争相手に恵まれ、めきめきと学力を伸ばしたセドリックは、家庭教師から出された課題をアメリアよりも素晴らしい出来でやり遂げたのだ。
アメリアは自分から疑問を投げかけておきながら、何かに気が付いてはっと息を飲んでから続ける。
「まさか……成績優秀者と箔を付けて、エドワード様と婚約させようと、してた……?」
「学園での問題や課題は僕には合わなかったのもありますが、これがお嬢様が取れる最上の玉の輿だと思ったからですよ」
あっさりと淀みなく答えるセドリックにアメリアはかっと顔を赤くする。
「貴方ね、私をあんなくだらない男に嫁がせて平気だったの?公爵家の私に玉の輿なんて必要ないわ」
「僕に止められる術がある訳が無いでしょう?国中の女性が憧れる地位に就けるのかもしれなかったのだし」
どこか諦めたような目で馬車の窓から外を見るセドリックに、アメリアは目頭が熱くなってきた。
何度か瞬きをしてから鼻をすんと啜ると。
「長期休暇前の学期末考査で、セディが一位を取らなかったら、二度と口を訊かないわ。私の部屋にも入室禁止ね」
セドリックは驚いたように目を丸くして、視線を外の景色からアメリアに向け直すと。
「僕が居なければ、朝誰がお嬢様の御髪を結うんです?」
「侍女のミレーヌで十分だわ。寧ろミレーヌの仕事を貴方が勝手にやってたんでしょ?」
音を立てて扇を開くと、アメリアは扇に隠れて急いで濡れた睫毛を指で拭った。
「私ね、お父様にこう言うつもりなの」
アメリアの目を凝視するセドリックに、もしかしたら彼はアメリアが少し泣いた事に気が付かれたかも、と察しの良い幼なじみをアメリアは苦々しく思った。
「『公爵家は私が継ぎます。伴侶は私より優秀な方でないと嫌です』と。お父様もきっと快諾して下さるわ」
サハラ公爵はあまりこの候補者試験に乗り気ではなかったのだ。アメリアには「断っても良い」とまで言っていた。
それを試験を受ける事にしたのはアメリアだ。この年頃で最も釣り合いのとれた爵位且つ王族の血を引いた自分が理由もなく断れば、王族の権威も低く見られてしまう可能性がある。
エドワード王子がリリーを選ぶ事は目に見えていたし、アメリアは安全と判断して試験に臨んだ。
サハラ公爵はかねてからアメリアの相手は、公爵家を継ぐに相応しい者と決めている様子だった。アメリアも父が選んだ相手について物申すつもりはない。
「私が言いたいことくらい分かるわよね?賢いセディなら」
扇の縁から覗き込むと、セドリックは口の端を無理に横に引いているようで、唇が引きつったようにぴくぴくとよく動いていた。そして彼の黒髪から覗く耳は真っ赤になっていた。
それを見たアメリアは満足して扇を閉じ、セドリックの方へ前屈みになって言った。
「もし私に見合う殿方が他にいないと思うのなら、そんな殿方達を蹴散らして見せて?ね、セディ、お願い……」
その数ヶ月後。
年末の長期休暇で学園を離れる生徒が多いせいか、校舎内の至る所で挨拶を交わす為立ち止まる中、エントランスホールに声が響く。
「アメリア様!」
軽く手を振りながら人垣の向こうからサリーナが姿を表した。
「サリーナ様、ごきげんよう。ご実家への出立はやはり明日で?」
「ごきげんよう。ええ、首都は私には寒すぎますので早く故郷の南風に当たりたいですわ」
カタベリア領は国の南側の玄関と呼ばれる港町だ。国の北側にある首都と気候が違うのか、サリーナは制服のジャケットの下に厚手のセーターを着込んでいる。
「……アメリア様は暖かそうでよろしいですわね。とうとう、そんなに堂々と出来るようになりましたし」
「ふふふ」
アメリアは笑うと、セドリックの腕に絡めた自分の腕を更にきつく抱きつき直した。
「いや……あの、その、面目ない。カタベリア嬢……」
顔を赤くしたセドリックはアメリアのされるがままに張り付かれている。まだそうされるのに慣れていないらしく、空いた片方の手を額に当てながら視線を泳がした。
「見ましたわよ、期末考査の成績発表。学科のトップだけでなく、剣術の実技で二位ですって?愛の成せる業ですわね、エルスマン様」
「いえ、お嬢様に恥をかかせる訳にいかずで……」
冷静沈着で知られるサハラ公爵令嬢の従者、もとい婚約者がこんなに狼狽えるとは。サリーナは珍しいものが見れたと目を輝かせた。
「セディ、『お嬢様』は禁止した筈よ。ペナルティね」
厳しいアメリアの声に「すみません、おじょ……」と言いかけたセドリックは顔を益々顔を赤くして「あ、アメリア……」と呼び、嬉しそうに微笑み返すアメリア。
完全に二人の視線から外れてしまったサリーナは溜め息混じりに続ける。
「年末年始はご実家で婚約披露パーティーかしら。お祝いにお花を贈らせていただきますわ」
「貴公子」とも呼ばれたセドリックの初な様子にサリーナは笑いながら「おめでとうございます」と二人に告げた。
「ありがとうございます。卒業後一年間はセディにお父様の仕事を覚えてもらって、その後式を上げるつもりですの。サリーナ様もぜひいらしてね」
「もちろんですわ。その頃には私も婚約者を決めて、同伴してお祝いに伺いますわ」
「サリーナ様なら絶対素敵な方と巡り会えますわ。ああ、もう出会っているのかもしれませんね」
アメリアはサリーナの後ろに目を向けてから微笑むと、セドリックにもたれ掛かりながら彼を見上げ、校門で待たせている家の馬車に二人で寄り添いながら向かった。
サリーナは二人を見送るとアメリアの見ていた視線の方を見てみると、帰り支度をした人の群れの中で一人の大きな背中を見つけた。
嬉しげに顔を綻ばすサリーナは、少し前まで王族の婚約者候補として王宮に出向いていた時の堂々たる様子とは別人のようで、ただ会いたい人に会えた事を素直に喜び、その背中に駆け寄った。
風邪を引いて寝ている間に書きました。
よくある「王子・令嬢・婚約者」をキーワードにしたお話に挑戦しましたが、まとまりがない……。