人間の体に必ず流れる血と魔力。
見上げた先にブラオン山がそびえ立っている。町と隣接するようにあるブラオン山は、植物が育ちにくい岩山で草木の姿がない。
そんな西側の通りにある診療所を抜け出して、外に出たシエルは怪訝な顔をする。
グリューン町の様子がまるで違っていた。それは町の中心にある魔法学校に近づくほどに騒がしくなる。
街路樹の一部は燃え尽きていたし、舗装された道には抉られた痕、学校の門は歪んでいる。
行く先々で自警団が聴き込みをし、調査をしている。魔法学校生徒も調査に駆り出されている。
更には普段、中央都市プルプにいる魔法騎士団の姿まである。
魔法学校前でも魔法騎士団が見張りをしているような状況だ。
中に入ろうとすると身分のチェックが必要だと言われ、たまたま持っていた学生証で事なきを得た。
――どうしたって言うのよ。
姿だけ似せた別の町になったようで驚きを隠せない。それは魔法学校の中でも同じだ。
門を抜けた先にある魔法訓練所が爆発の後のように鉄骨が剥き出しだ。壁や天井は剥がれ、地面に転がった瓦礫もある。
目的はその場所だったが、気になったシエルは更に奥に進む。
「どういうこと?」
そこにあったはずの創設者像が破壊されていた。周囲を見渡せば、厳戒態勢の図書館がある。窓ガラスは割られ、中で何人もの人が調査しているようだ。
「シエル!」
その時、知った顔が遠くから走ってくるのが見えた。エストレジャだ。
彼はシエルの姿を学校で見るとは思わなくて驚いている。
「もう、大丈夫なのか? いや、大丈夫なわけないか。今日はどうした?」
エストレジャは酷く疲れた顔をしていた。昨日の今日である。それに学校の状態を見れば何となくわかる。
疲れていて当たり前かと、頭の片隅でシエルは思う。
「お願いがあって来ました」
痛みに耐えながら歩いてきたのは、彼に会うためだ。毅然とした態度でエストレジャに向き合う。
まだどこかで嘘だと思っていたいからだ。魔法が使えないなど、有り得ないのだから。
『シエル! どうしたんだ!』
昨日のエストレジャの声がまだ耳に残っている。あの夜、ピアスの信号弾を見つけて助けに来たのはエストレジャだ。
助けが来たことに安心したのか、シエルの意識はそこで途切れる。今朝、診療所で目覚めるまで死んだように眠っていたらしい。
診療所の先生に痛み止めの薬を打ってもらいながら聞いた話だ。
「わかった、話を聞こう」
魔法が使えなかったと知っているのは、マールとエストレジャと診療所の先生だけである。
運ばれてきた時は、シエルへの配慮か人の少ない西門から町に入った。おかげで、シエルに起きたことは他に誰も知らない。
「訓練所の奥は壊れてないから、行くぞ」
「なにかあったの? ここ」
「珍しく平和じゃない事件が起きてな。盗賊が侵入したんだ」
「盗賊……」
町の至るところが壊れ、燃えた痕が残るのを見ると、相当な手練のようだ。調査する人数を見ても逃げられたことがわかる。
「何が盗まれたの?」
「禁書だ」
悔しそうに吐き捨てるエストレジャに、シエルはそれ以上何も言わなかった。これはグリューン魔法学校の失態だ。
◇ ◇ ◇
綺麗とは言えない壁、乱雑に置かれた本や書類。適当に置かれた机や椅子。
シエルは肌を刺すような冷えた空気が痛くて体を抱きしめる。そして自分の左腕を見た。
傷は肩に集中していて、肘から下は特に問題ない。分厚く巻かれた包帯が痛々しく見えて、情けなくなって顔をしかめる。
こうして座っているだけでも痛みが熱を持って襲う。痛み止めも効かないほどだ。
ここは魔法訓練施設の地下にある。薄暗く広い部屋を測定室と呼ぶ。その名の通り、魔力測定を行う場所だ。
入学式後に一度だけ使われる部屋なので、今はただの倉庫となっている。じきに新入生が魔力測定を行なうことになるはずだ。
久しぶりに入った測定室は落ち着かない。シエルは座ったまま目を閉じた。
魔法学校への入学時に、能力テストの一つとして魔力測定がある。
測定は祈りの儀式で使った宝玉と同じ要領だ。得意魔法を黒い水晶に放てばいい。
後は色で判断する。白に近いほど魔力が優れているということだ。
「待たせたな」
シエルは目を開く。
部屋に入ってきたエストレジャを振り返ることもなく待つ。
「すまんな。測定室、ちょっと汚いだろ」
「大丈夫」
エストレジャはシエルの前に黒い水晶を置く。手に収まるくらいのそれは、とても懐かしくて悲しくなる。そして怖いとも思っていた。
「どうだ。左腕は?」
エストレジャは机を挟んでシエルの前に座る。
「……昨日はありがとうございました」
エストレジャは礼を言ったシエルに驚く。いつも悪態をつくシエルとはまるで違い、自然と押し黙る。
「火を吐く犬のこと、なにかわかった?」
そんなエストレジャの様子がわかって、シエルは自分から話題を振る。はっと我に返ったエストレジャは、平静を装って質問に答える。
「ああ、それはまだ調査中だ。多分、噂になっているものと同じだとは思うが」
本当の所はよく知らない。
確かに噂の凶暴化した動物なのだろう。しかし火を吐くという話は初めて聞く。
「そう。何かわかったら教えて」
シエルの目線が机に置かれた水晶に移動する。
「シエル」
「……いいから、始めて」
シエルがエストレジャに頼んだのは、魔力測定。
実際に魔法が使えず、怪我をしたのだ。どんな結果になろうと、一度は確かめなければならない。
「シエル。もう少し回復してからでも――」
「やらせて」
シエルは慰めの言葉をかけようとしたエストレジャを止める。シエルの強い気持ちに押され、彼は水晶を改めて見る。
「やり方は覚えているな?」
「はい」
シエルは息を吐き出し、右手を水晶にかざす。これ以上ない恐怖に手が震える。
「身を貫く華麗なる火剣の舞!」
無情にも魔法は出ず、水晶も黒いままだ。
かつて白く輝かせたほどの魔力はない。それどころか、魔力がゼロ。存在しないことを意味している。
「念のためだ。他の魔法もやってみてくれ。水、土、風、雷。全部だ!」
必死になるエストレジャを横目に、唱えたことのない呪文を言葉に出す。しかし、結果は同じだった。
「そんな馬鹿な……」
エストレジャは頭を掻きむしる。希望が脆くも崩れ去り、何が起こったのか検討もつかず途方に暮れる。しかし、すぐにシエルに向き直る。
「シエル」
心配そうに顔を覗き込むエストレジャ。シエルは震えを止めることなく、ただ呆然と水晶を見つめる。
――そんなこと、ありえない。
この地に生まれた者は必ず魔力を持つ。魔法が使えて当然なのだ。
呼吸をするのと同じように、当たり前に使えるもの。それが魔法だ。
――わたし、どうしたっていうの?
信じられないのではなく、信じたくないと、シエルは首を横に振る。
立ち上がり、震えながら机から離れた。壁にぶつかって、力をなくしたように座り込む。
「シエル!」
揺さぶられて、シエルははっと我に返る。
「施設長、わたし……」
「原因があるはずだ」
「でも! 魔力ってのは血と同じ。人間の体に必ず備わるもの」
「そうだ」
「だったら!」
「落ち着け」
「落ち着いてられるかっ!」
シエルは叫んでいた。
「施設長になにがわかるのよ! なにが!!」
部屋中に声が響き、シエルは驚いて口を噤む。
「いいか。魔力については解明されていない部分もある。戻る可能性もあるだろう」
「でも!」
「しっかりしろ!!」
強い口調で言われてシエルはビクリと肩を震わせる。
「まずは傷を治すんだ。それから考えよう。大丈夫か?」
「……わからない。少し、今後のことを……考えさせて、ください」
「シエル」
はっきりした結果がシエルに突き刺さる。魔力ゼロ。無能だという証拠を突きつけられたのだ。
大丈夫なはずがなかった。
シエルは立ち上がり、逃げるようにエストレジャの横をすり抜ける。
「死のうなんて考えるな! わかったな!!」
測定室を出ていくシエルにエストレジャの声が届く。だが、返事をする余裕はなかった。