優越感とプライド。そして最弱魔法使い。
『あなたが町で最強の魔法使い? 馬鹿言わないでよ』
町の有名人。どんな人物が出てくるかと思いきや、優しい顔をした女。アイレをシエルは馬鹿にした。
『最強ってのはこういうのを言うの!
猛り狂う憤怒の業火!!』
最強というものを教えようと、自慢しようとしたことだ。それが結果的にアイレを辱める行為となっただけのこと。
『アイレ姉ちゃん負けたって』
『最強じゃないの?』
『もっと強いのが町に来たんだよ! えっと、シエル』
子供たちの間にも噂は広まり、そんな会話を町を歩くたびに聞いていた。だからこそシエルはよく外に出て、逆にアイレは学校内の寮から出なくなった。
シエルはアイレの気持ちなど知らなかった。いや、知らない振りをしていたのだ。
…
『女将さん、焼肉定食。それからスープパスタちょうだい!』
グリューン町、南通りは様々な店が建ち並ぶ商店街。シエルはその中の一つ。大衆食堂のテラス席に昼食を食べに来るのが日課だ。
『また来たのかい。学食あるんだろ?』
『週二回は魚なの。わたし、魚嫌いだもん』
ここは町の人たちの憩いの場だ。
ふくよかな顔をした大衆食堂の女将は人気者で、その人柄に惹かれて店に来る者は多い。だからこそ噂話もよく知る人物だ。
『シエルちゃんの食べっぷりを見るのは好きたけどね! 好き嫌いは駄目だよ』
いつも笑顔の女将。いつも多めに食べるシエルを嬉しそうに見る。
だが、初めて大衆食堂にシエルが来た日。女将は真剣な表情を見せていた。
『学校でアイレちゃんに勝ったというのは本当なのかい? みんな言っているよ。大物魔法使いが来たってね』
その言葉だけで満足だ。あっという間に有名人になったことが嬉しくて誇らしいと思った。
『文句を言うつもりはないよ。あんたは誰よりも強い。でもアイレちゃんのことも考えて行動しなよ』
『どういうこと?』
『すごい魔法使いが二人も町にいるんだ。最強コンビになれるよ、あんたたち』
負けてしまったアイレが可哀想で言ったのだとしたら、知ったことではない。
本気で最強コンビと言ったのだとしたら、最強は二人もいらないとシエルは思った。
女将の忠告とは知らず、シエルは鼻で笑う。
『ありがとう。考えておくわ』
表面上はわかったように振る舞い、実際には何度もアイレを馬鹿にした。
…
『そばにいさせてください!』
マールに話しかけられた時は、もう優越感しかなかった。
『シエル先輩の魔法すごいです! 憧れます!』
そう言われては魔法を使ってみせる。魔力の弱い後輩がいることで、更に自分が特別な存在であるかのように思う。
感覚はすでに麻痺していた。なぜなら――。
"最強の魔法使いシエルに勝てる者はいなかったのだから。"
◇ ◇ ◇
頭が重い。身体は石のように硬く感じる。頬に何かが流れてきて、雨が降っていたことをシエルは思い出す。
あまりの気だるさに目を開けることすら苦痛だ。
雨に濡れた土の匂い。草を揺らす風の音。やけに静かな空気に、もう夜になっていると気づく。
状況が呑み込めず、シエルは空をぼんやり眺める。それまで何をしていたのかを思い出していた。
雨が降り始めて、生暖かい風が通り過ぎ、そして――。
『ガルゥゥゥ』
はっとしてシエルは飛び起きる。
「痛っ!」
左腕の激痛に犬との戦いの記憶が蘇る。
ゆっくり視線を巡らせると、着ていたはずのローブは燃えてしまったのか見当たらない。
左の二の腕部分の制服も燃えてしまって、腕が剥き出しだ。真っ赤に爛れて、目も当てられない状態。急に苦しくなる。
「先輩……先輩っ!!」
誰だかすぐにわかって、その名を口にする。
「マール」
しかしその声は掠れていて聞き取ることが困難なくらい小さい。
「まだ休んでいてください!」
マールはシエルをまた寝かせる。
マールが顔を覗き込む。見つめ返すと、安心したのかその瞳が揺れる。
「よかった。死んでしまったらどうしようかって」
髪の毛が濡れて天然パーマが目立つマール。今はそれをからかう気力はなかった。
「……生きてる」
声を聞いて、マールはすぐにシエルの左腕に集中する。
「噛み傷は回復出来ました」
「……ありがとう」
「いえ」
マールが辛そうに返事するのを見て、シエルも辛くなって顔を背ける。
「マール。わたし、どのくらい気を失ってた?」
「多分、二時間くらいです」
じっとしているはずなのに痛みを感じる。地面の冷たさも、風も、自分の鼓動の一つ一つが痛みに直結していた。
自然と呼吸が荒くなる。
よく見れば大きな木の根本。雨はすでにやんでいたが、地面の濡れ具合を見ると相当降っていたことがわかる。
――わたしが負けた……。
雨に濡れたせいで寒気がする。
震えているのは、そのせいだけだったのか。シエルは空を見上げて考える。
雲の間から月が見える。日は暮れてグリューン町の門は朝まで開かない。そのことを思い出して胸が苦しくなった。
――わたしが? 負けたの?
シエルは放心状態だ。事実を受け入れられず、ただ混乱した頭の中を整理する。それだけで精一杯だ。
シエルは考えることをやめてマールに話しかける。
「今は結界内?」
「はい。なんとか逃げて、川を渡りました」
「よく逃げられたわね」
犬の群れに、倒れたシエル。普通に考えれば逃げることは不可能だ。
「氷魔法を目に当てて、その隙に走りました」
「わたしがいたのに?」
「はい。橋までそれほど距離はありませんでしたから」
有り得ないと言おうとして、自分の状態に気づく。有り得ないことが有り得たのだ。マールが逃げられるはずがないと、決めつけられない。
「マールにしては上出来ね」
だから、褒める以外の言葉は見つからなかった。
二人は沈黙する。どんな言葉をかければよかったのか、お互いにわからなかったからだ。
――なにがあったのよ。なにが起こったの?
最初に現れた黒犬は難なく倒せた。魔法は普通にシエルの腕から放たれた。しかし三匹の犬を前に、シエルの魔法は突然消える。
――なんなのよ、一体。
首席卒業で今後の活躍を期待されていたシエル。
当たり前にあったものが、その手からこぼれ落ちていく感覚に思考がついていかない。
ただわかっているのは、余裕で守れるはずだった後輩マールを死なせてしまう所だったということ。
自分の不甲斐なさに苛立つシエルは拳を握りしめる。
「水脈を巡りし水龍の癒し」
身を挺して守ったシエルに、精一杯、未熟ながら回復魔法をかけるマール。
だが、されるがままになっていたシエルははっとする。無意味な行動を見逃すところであった。
「待って!」
シエルは痛みを堪えて、マールの腕を払う。
「先輩!」
「知ってるはずよ? 魔法で受けた傷は魔法では治せないって」
「でも……」
「無駄なことはしないで!」
シエルは激痛に悲鳴をあげそうになるが、マールの無茶に腹が立って上半身を起こす。
「なんて顔してるの!」
「え?」
月明かりの下だから、顔色が白いのだと思っていた。しかし違うと悟ったシエルは舌打ちする。
もともと白い肌が青白くなり、妙な汗が額から噴き出している。魔力を使い過ぎた時の症状だ。
「どれだけ回復呪文を使ったの?」
しかし、マールは質問には答えない。じっと下を向いて拳を握りしめている。
「マール!」
責められて、観念したマールは俯いたまま答える。
「……十回以上は」
「馬鹿! 死ぬ気なの!?」
シエルは彼を突き飛ばす。珍しくマールが強い瞳で睨む。
「先輩。早く、この傷を直さないと痕が残ります!」
「そんなの、どうだっていいわ!」
「でも!!」
「いいって言ってるでしょ!?」
左腕の傷などどうでもよかったのだ。ただマールを守れなかったこと、マールを危険にさらしてしまったことが悔しいだけだ。傷など悔しさに比べたら大したことではない。
「ごめんなさい」
しばらくして、ぽつりと呟くようにマールは言う。そして、そっと耳にしていたピアスを外す。
「人を呼びます。来てくれるかどうかは、わからないけど」
学校から生徒に支給されている赤く小さなピアス。
取り外して魔法を放てば救助要請の信号弾が飛び出す。どの魔法を使っても効果があるように出来ている。
「水脈を巡りし水龍の癒し」
最後の力を振り絞ってマールは呪文を唱える。赤いピアスは弾けるように割れた。
それは驚くほど明るい閃光を放って上空に飛び出し一つの線を描く。光はしばらく消えず、瞬くように二人を照らしていた。
「わたしはマールをちゃんと守れなかった。魔法で倒せるはずだったのに」
ずっと黙っていたシエルがやっと口を開く。渇いた笑い声とともに。
シエルは自分を嘲笑い、責めることしか出来なくなっていた。その途中、涙がこぼれ落ちて止まらなくなる。拭っても拭っても、溢れ出してきりが無い。
「違います! ぼくは先輩のおかげで生きていられたんです」
「わたしはなんで魔法が使えないの?」
シエルは右手を上に伸ばす。
「身を貫く華麗なる火剣の舞」
シエルの手には何の変化もない。
簡単な魔法さえ使えないことが、シエルを責める。無能だ、と嘲笑われているように感じる。
「先輩」
「ねえ、マール」
「はい」
「……わたしを殺して」
マールが驚いて目を見開く。
魔法が使えない人などいない。魔力の優劣はあっても、完全にない人間などいない。それがこの世界エーアデの常識だ。
「お願いだから、早くわたしを殺してよ!」
シエルが叫ぶと、マールが俯いたまま泣き出す。
「なんで、泣くのっ」
「だって……っ」
マールはシエルを力強く抱きしめる。
苦しくて、痛くて、呼吸が出来なくなりそうな温かさに、シエルは目を閉じた。
「死にたい……」
マールは黙って、ただ抱きしめる。
シエルの温もりを探すかのように、生きている証を確認するかのように。