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魔法と科学と月の詩《更新停止中》  作者: 和瀬きの
SPELL 2 【2】
59/62

亀裂




 たった一日で戻ってきた。

 殺人魔獣キル・ビーストの力を借りてボニート町まできたシエル。まさか自分よりも大きな狼に乗って山道を駆けるとは、かつてのシエルには夢にも思わなかっただろう。


 しかし、それよりも驚きの光景を目の当たりにする。


 昼下がり。曇り空のせいで、いつもより暗い。透き通っていたはずの海は最近降り続いた雨のせいか濁り、穏やかとは言えない波が岩を叩き、砂をさらっていく。


 まるで別世界を見るように、シエルは町の姿を改めて観察する。


 ズユー国ボニート町。

 海賊が人口の八割をしめる、海と共に生きる強い者たちの本拠地。頭領のベティスカを中心に町は繁栄。漁業から交易まで、様々なものを仕事としている。

 海沿いは大きいものから小さいものまでたくさんの船が並び、ベティスカの屋敷までの坂道は賑やかな店が軒を連ねる。

 あまり外に出ることのなかったシエルも、窓からの眺めで多少は知っていたし、話も聞いていた。


「どういうこと?」

「驚きました?」


 彼の言葉など耳に入らない。ただ、そこにあったものを探しているのだ。何でもよかった。ここにあり、ここに生きていたのだという証拠が欲しかったのだ。

 本当に海賊はここにいたのか。夢でも見ていたのではないかと不安になる。


 アグラードの制止も聞かず町の中を走り回り、再び海岸に足を踏み入れたシエル。

 ずっと殺人魔獣キル・ビーストがつけていたことも気づかないほどに動揺していた。


「気が済みました?」


 一体、何があったというのか。シエルは混乱のあまりに目眩をおこしそうになる。

 シエルがボニートを離れてから、それほど時間は経っていないはずだ。しかし、ボニートは町ではなくなっていた。

 残るのは人のいない民家だけ。ここには何もない。ベティスカと過ごした屋敷までもが姿を消していた。本当にボニート町があったのかさえ疑問に思う。


 横に立つアグラードは海賊のことを聞くと期待して、シエルの様子を面白そうに眺めるだけだ。


「あなた、知ってるの? この場所でなにがあったのか」

「知りたいですか?」


 カルマを救う方法があるとアグラードに言われ、すぐにでも山賊のいるクヴァレ町に行くものと思っていた。それがボニート町まで来てしまい、驚きの光景に言葉を失い、なぜここに来たのか問うことも出来ないでいた。

 カルマを救う方法も聞いていない。騙されているかもしれないが、それは覚悟の上だ。


「知ってもらおうと思ってボニートに来ました」

「やっぱり知ってたのね」


 わざわざ見せつけるような嫌味なことをするのは、アグラードらしいとシエルは軽蔑の眼差しを向ける。今、シエルが頼りにしている海賊がいないのを見せて不安を煽るつもりかもしれない。


「海賊たちはこの国を守る要のようなものです。それが姿を消したというのは、どういうことだと思いますか?」

「国を捨てたってこと? 全員が?」

「いいえ。海賊が全員海に出たというのは、戦闘態勢に入ったということです」


 屋敷がなくなった場所をただ見つめていたシエルを強引にアグラードは振り向かせる。


「ちょっと……!」

「あなたはいつから、海賊の犬になったんですか?」

「わたしはっ」

「助けてもらったから? 賭けに負けたから? 人魚の血をその身に宿していながら、随分と消極的な生き方を選んだものですね」

「アグラード。あなた、どこまで知ってるの?」

「質問に答えてください、シエルさん。あなたは何のためにヴェス国を発ったのですか? まさかズユー国のために働くためではないですよね?」

「…………わたし、は……っ」


 シエルは言葉に詰まる。

 言われた通りだ。道を踏み外していたのは自分かもしれない。賭けに負けたからと言って、ここまで多くのことをベティスカの言う通りに動いたのは、なぜだ。


 ――怖かったから。


 アキを救えなかったことが悔しい。シエルのために必死になって動いたジュビアたちから逃げ出したことに、後ろめたさがある。何よりも、どこかにいるマールに会うことが怖い。


「おれは山賊頭領カルマさんを助けることを提案しました。それはシエルさんも願っていたことでしょう。でも本当のことを言えば、あなたを海賊から解放するためです」

「解放? わたしは自分の意思で動いてるの!」

「だから、あなたは方向を間違っています。海賊のため? ズユー国のため? 馬鹿なことは言わないでください。そろそろ、当初の目的通りに動いてはどうですか?」


 アグラードの言うことに偽りはない。間違っているのはシエルだ。いや、間違っているとは思いたくない。アグラードに諭されるなど、シエルのプライドが許さない。


「じゃあ、教えて」

「山賊頭領カルマさんを救うただ一つの方法。人魚の血ですよ」

「まさか……そんなものあるはずがないわ!」

「さて、どうでしょう」


 アグラードが懐から古びた小瓶を出す。それが人魚の血であるかどうかを確かめる方法はない。

 信じるか、信じないか。シエルは試されている。


「決断の時ですよ」

「え?」


 アグラードがシエルの横に並び、海を指さす。

 いつの間に来ていたのか、荒れる海をものともしない姿。数隻の船がシエルの目に映る。その一つは驚くほど巨大な要塞のような船。見覚えのあるそれは、ベティスカの屋敷だ。


 思わず振り向くシエル。

 確かに屋敷から海岸までの坂道にあった建物は、故意に破壊されている。何かを引き摺るような車輪の跡は屋敷のあった場所から海に続いている。まさか船が通ったとは思わなかった。


「あれ、船だったのね」


 海を見れば懐かしい屋敷の姿。その船首部分に立つのはベティスカだ。咎めるような視線を投げ、荒々しい波に揺れる船の上で真っ直ぐに立ち動かない。

 まだ距離はある。声も届かない。しかし殺人魔獣キル・ビーストと一緒にいる。そんなシエルをベティスカは信じるはずがない。

 殺人魔獣キル・ビーストを引き入れたのはシエルだと思ってもおかしくはない。


「シエル。あんたが殺人魔獣キル・ビーストをズユーに入れたのか」

「え?」

「あの女の声、おれにはよく聞こえますよ」


 この男の考えはわからない。顎でベティスカの方を指す。こんな遠くで聞こえるはずがないのにと呆れた声を出せば、彼は笑うだけだ。


「この国を見てシエルが選んだ道だ。アタシはそれを咎めはしない。だが、この国の統領としては見過ごすわけにはいかない」


 アグラードの声であるはずなのにベティスカと重なるのは、やはり彼には聞こえていて本当のことを言っているからなのかもしれない。

 俄には信じられないが、彼女の言いそうなことであるのは確かだ。


「シエル、あんたを攻撃するよ」

「待って。カルマさんを救いたいだけなのに。なんとかしてよ! アグラード!!」

「言ったでしょう? おれは海賊からあなたを解放したいと」

「あなたさえ、いなければ!」

「いなかったらカルマさんを救えないでしょう?」


 アグラードはシエルの腕を取る。


「死にたいんですか? 逃げますよ」

「でも!!」


 ベティスカとのこの距離が、シエルの心を傷つける。すれ違ったままで別れることはしたくなかった。


「シエルさんの我が儘で計画を台無しにされちゃ困ります」

「我が儘って、あなたが勝手に――」


 アグラードは一瞬の後、シエルと距離を取る。その隙に両手に魔法銃が握られていた。脅してでも逃げるつもりだ。


「逃げるつもりはないわ!」

「いいえ、逃げます」


 アグラードは躊躇することなく、右手の魔法銃の引き金をひく。大きな水流がうねりながら襲うが、それを難なく避ける。

 次の攻撃に備えて走り出そうとした所へ、狼の群れが立ち塞がる。彼らの口から吐き出された炎が行く手を阻む。


 ほんの一瞬だ。魔力を失った際のトラウマがシエルの動きを鈍らせる。すかさずアグラードの左魔法銃から氷の礫が飛び出して視界を遮る。


 しかし、シエルはアグラードのいる方向と殺人魔獣キル・ビーストの気配から、勘で避けながら背中にある魔法銃を取り出す。


「あんたと争ってる場合じゃないのにっ!」


 シエルの魔法銃から渦となった風が周辺にいた殺人魔獣キル・ビーストを突き上げながら倒していく。

 しかし、上空にいた鷹が魔法銃を弾き飛ばす。シエルの攻撃はすぐに止まり、隙のない攻撃をアグラードは繰り出す。


 殺人魔獣キル・ビーストの攻撃も重なり、確実に追い詰められていくシエル。どちらにしても逃げなければならないと、浜辺から山の方へと目を向ける。


「そう。このまま逃げるんです」


 振り向いたシエルと、銃を向けるアグラードと目が合う。しかし、その向こうにベティスカが見える。

 この争いを見て彼女はどう判断するのか、淡い期待を抱くシエル。だが無情にもベティスカの手が上がる。


 時間切れだ。


 同時に間に合わなかったことにショックを受け、気が抜けたように集中力が切れる。


「あなたに死なれては困ります」


 アグラードの声に我に返る。


 両手の魔法銃を同時に使い、避けることも防御も出来ないままシエルは倒れる。魔法銃から飛び出した大量の水がシエルを覆い、同時に氷の膜で閉じ込められる。

 焦ったシエルは水の中で氷を割ろうと暴れるが、そう上手くはいかない。そうこうしているうちに、呼吸が苦しくなる。


「知っていますか? シエルさん」


 のんびりと話しかけるアグラードの向こうで、殺人魔獣キル・ビーストたちがベティスカの船からの攻撃を全て防いでいる。あれは大砲と魔法を合わせた武器。魔砲まほうは、ズユー国が嫌うオステ国が開発したものだ。


「人魚の血を持つ人間は、皮肉にも水に弱いんだそうですよ」


 苦しむ姿を見て楽しんでいるのかと思うと腹立たしい。だが、確かに息が続かない。以前よりももっと、水が苦手になっている。


「そしてなぜか水を引き寄せる。人魚の呪いですよ。人間は人間でなければならない。人魚になることを許してはくれないのでしょうね」


 彼の言葉が終わると同時に、最後の空気がシエルの中から吐き出された。




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