救えるものならば
『シエル。あんたは死んじゃならない人間だ。とても大きなものを背負っている。あたしらには出来ないことをやらなければならないんだ』
ベティスカと二人で話した時に、シエルを救った理由をそう答えた。
『そんなの勝手よ。わたしの命も行動も自由にやらせてもらいたいわ』
死ぬつもりもなかったが、これからのことも考えていなかった。それでも、誰かのために生かされているというのが気に入らないシエルはベティスカに反論する。
それに腹を立てるどころかベティスカは豪快に笑う。
今思えば、ベティスカには先のことが全て見えていたように思う。シエルの知らない何かをベティスカも背負っていたのだ。
『なら、こうしてはどうかな』
そして、彼女は提案する。まるで、そうなるとわかっていて用意されたような言葉だった。
『アタシは立場上、ここを動くわけにはいかない。かと言って信じられる奴もあまりいない』
『そんなにズユーは心貧しい国なの?』
『見た目にはわからないだろう。とにかく、アタシの代わりに動いて欲しい。ボニートだけではなく、クヴァレの山賊やシュトライヒ国家も』
知らない土地の名前に困惑しながらも、シエルはベティスカに頼られたことは嬉しく思った。
まだ流れ着いて幾日も経っていない中で、知っているのはベティスカとアルボルだけだったからだ。
『でも、なんでわたし? むしろ信用出来ないでしょ』
『国を知らないからこそ、頼れることがある。内情を知れば動けなくなるものだ。シエルには、自分で歩いて自分で見て、信じる道を選び取って欲しい。その結果、アタシを裏切ったとしても構わないと思っている』
『裏切るだなんて……』
『アルボル。彼をどう思う?』
立て続けに言われ、先の話を考える余地もなく質問される。嘘をつこうとしても出来ない。さすが、頭領となる人は違うとシエルは思う。
『素直じゃないし口は悪いけど、すごくいい子』
『賭けをしようか』
『賭け?』
シエルがアルボルを信用していると知って、ベティスカはそれが予想通りと楽しそうにする。逆にシエルは緊張する。
『アルボルは裏切る。シエルを利用しようと動くはずだ』
『まさか! わたしに利用価値なんてないわ』
裏切るなど考えられない。
あれだけ人を思う心優しい少年が、シエルを利用するなど思いたくはない。こればかりはベティスカの間違いだと思った。
『人魚の血。その身に流れ始めた新しい力は、アルボルを動かすだろうよ』
『でも、わたしの血は使えないってベティさんが言ってたじゃない』
直接、人魚の血肉を取り込んだベティスカの血は特効薬となる。しかし、その特効薬で助けられたシエルが同じように誰かを助けられるわけではない。
『そう。でも、アルボルは知らない。人魚の血は全て不老長寿になると思っているよ』
『じゃあ、アルにも本当のことを教えて』
『駄目だ。賭けだと言っただろう』
ずいと体を寄せて凄まれる。シエルはそれ以上反論することをやめた。
『……なにをするの?』
『もし、本当にアルボルが裏切ったら。アタシの言う通りに動いて欲しい』
『裏切らなかったら?』
『シエルの希望通り、オステ国にいるという少年を救出する』
それはずっとベティスカに頼んでいたことだ。彼女はオステ国に手は出さないと言い張り、シエルを助けてはくれなかった。
今はオステ国に手を出す時ではないと言い張っていたのはベティスカの方だ。
『でも、ベティさん』
『アタシは勝つよ』
その賭けに負けたシエルは、ベティスカの言葉通りに動く。負けたからというよりは、自分の力でズユー国というものを知りたいと思ったからだ。何よりも助けてもらった恩がある。
ベティスカがシエルに頼んだのは三つ。
山賊頭領カルマにベティスカの言葉を伝えること。アルボルを守り抜いてシュトライヒ国家まで連れていくこと。そして、カルマを病から救うことだ。
◇ ◇ ◇
窮地に追い込まれながら、まだ達成出来ていないベティスカの命令を思い出す。
カルマにベティスカの言葉を伝えた。その結果、追われる身となったシエルだが、何としてもアルボルだけは守り抜くつもりでいる。
それが約束だ。
そして、まだ守れていないものがある。だがカルマだけはどうしようもない。彼の命を救うものは、もう人魚の血以外にはない。
それはシエルが囮になり、山賊に追われていた時のこと。惹き付けながら走っている途中、彼らは突然いなくなる。不思議に思っている所で現れたのは、思い出したくもないものだった。
――最悪。
アルボルとリオとの待ち合わせであるミルヒ荒野は目の前。
岩と木が乱雑にある雑木林を抜ければ辿り着くはずだった。
「予想外だわ」
いや、予想出来なかったことを悔やむシエルだ。
彼女を囲む犬と狼。木の上からは鳥と猿が見張り、ハイエナが遠くから様子を窺う。それもただの動物ではない。
赤い目――殺人魔獣だ。
すっかり囲まれてしまい、逃げ場を失うシエル。山賊が討伐を仕事としているくらいだ。山中にいて不思議はないのだ。
「山賊たちが追ってこなくなったのは、あんたたちのお陰ね」
魔法が使えなくても戦えないことはない。魔法銃もある。
襲い来るのを承知で走れば、ミルヒ荒野にいる二人と合流出来る。助かるかもしれないが、アルボルのことが心配だ。彼を危険にさらしたくはない。
とはいえ、今は誰かを守るためと言っている場合ではない。自分の身を守ることも大事だ。
「お困りのようですね」
再び走ろうかと体勢を低くした時だ。背後からの声にシエルは思わず振り向く。山賊かと睨みつけた先にいた人物に言葉を失う。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」
「なにが、奇遇よ」
細い目を更に細くして笑い、人を馬鹿にしたように話しかける。一つに縛った髪も記憶にある彼そのもの。
彼、アグラードのことも思い出したくないものの一つだ。
「なに? 助けてくれるわけ? そうじゃないなら、消えてくれる?」
「そう、睨まないでください」
のんびりと受け答えをするアグラードに、焦りを隠し切れない。彼は平気でも、シエルはすぐにでも逃げなければならないのだ。
「君たち、少し下がって」
低い声で命令したアグラードに、殺人魔獣は無言で彼の後ろに整列する。
殺気は一瞬にしてなくなった。
「どうなってるの?」
「おれの大切な仲間。可愛いでしょう」
「まさか、全部……。あなたが操ってたの!?」
「どうでしょうね」
彼は何も言わないつもりだ。それがわかって、シエルはため息をつきながら尋ねる。
「つまり、あなたの命令一つでわたしを殺すことも出来る。あなたのことだから、この先にいる二人のことも知ってるんでしょ?」
二人に危害を加えるというのなら、身を呈して守るつもりだ。しかし、アグラードのことは読めない。どう出るかわからないのだ。仕方なく、シエルは力を抜く。
「降参よ。何がしたいのか教えて」
「話が早くて助かります」
目が光ったのをシエルは見逃さない。これは罠だ。
しかし、アグラードがなぜズユー国にいるのか、その企みも知りたい。
「でも、あの二人が無事にシュトライヒ国家に着くまでは見守らせて」
「ご心配なく。そちらの方、すでに手は打ってあります」
アグラードがシエルを誘い、ミルヒ荒野が見えるところまで移動する。
「アル!」
遠目だが、アルボルとリオの姿を発見して安心する。しかし、そこに見知らぬ車が止まっていることに首を傾げる。
「ロフロールさんですよ」
「なんですって?」
「彼女がシュトライヒ国家に送ります。信用出来ませんか?」
耳元で言われたシエルは振り向き様に、彼を押し退ける。
「だって、あの人は裏切ったのよ。仲間だと思って――」
「では、なぜあの少年。アルボルでしたっけ? 彼の裏切りは許せたんですか?」
「それ、は……。だって、アルは」
「まだ未熟な子供。過去に辛いことがあったからですか?」
ベティスカにアルボルのことを聞いていたし、怒れる状況でもなかった。
何よりも、リオの頼みを受け入れて人を救おうとしたのだ。シエルに向けられていた悲しみや怒りも、弟を想っていたからこそだ。
――同情?
理解出来る所もある。共感出来るものが多かったし、何よりも謝ってくれたことが嬉しかった。だからこそ許すことにしたのだ。
「そうかもしれないわ」
「あなたこそ、まだ未熟な少女ですね」
「あなたに言われたくないわ!」
怒りに任せて殴ろうとした腕を取られ、シエルは目を見張る。
「年齢や性別、性格、人種や地位なんかでその人を判断すると痛い目にあいますよ」
「なんの話よ」
「……あなたは何も知らなすぎる」
「だからっ」
「さて、話は終わりです。すでにあちらも出発したみたいですしね」
言い合いをしている間に、アルボルとリオの姿はなくなっていた。もちろんロフロールもいない。
「時間稼ぎでもしてたの?」
「そうでもしなきゃ、シエルさんが飛び出していきそうでしたから」
やっと手を離したアグラードはクスクス笑って木々の隙間から見える山を指さす。
「頼みたいことがあります。シエルさん」
山賊の根城を指さしたままで、まるでゲームを楽しむかのようなアグラード。シエルの反応を面白そうに見る。
シエルには選択肢がない。それでも、悪に手を染めるつもりはない。頼みたいことの内容によっては、逃げ出すことも考えなければならない。
「なにをするの?」
「山賊頭領カルマさんを救います」
それは思いもよらないものだった。
まさか、アグラードと同じことを考えていたなど信じられない。
だが、救う方法があるのなら頼りたい。
シエルの力ではどうにもならなかったことをアグラードが出来ると言うのか。疑問もあるが、何よりも一番嫌いな男に頼るのは腹立たしい。
シエルは考えを巡らせて動けなくなっていた。
「協力してくれます?」
「どうやって?」
声が掠れる。喉が渇く。気持ちを悟られてはならないと思うと、余計に焦ってしまう。シエルはわからないように深呼吸をした。
「一つだけ、方法があるんです」
頼るしかない。どんな悪党でも方法があるのなら頼りたい。誰もが必要とする山賊頭領カルマを蘇らせたい。命を救いたい。
これが間違った決断だったとしても後悔はない。
シエルはこの時、そう思っていた。




