窮地からの脱出
人が駆けずり回る足音がそこらで聞こえる。いずれ見つかってしまう。急がなければ逃げ道は断たれる。
昨日とは打って変わって、よく晴れているのが憎い朝。
「アル。アルボル、お願いだから目を覚まして」
ひんやりした洞窟のような場所。湖の脇でたまたま見つけた横穴。周りが斜面になっているからこそ自然に出来た穴だ。元は岩があったようだ。
水草や倒れた木、石が転がっていて見つかりにくいのが利点。ただ、それは夜であることが条件。朝日に照らされた今、山賊たちに見つかるのは時間の問題だ。
「どうしよう。アル、死んでないよね? 生きてるよね?」
奥で横たわるアルボルは、湖に飛び込んだ後から目が覚めない。シエルが引きずってここまで運んできたが、心配で仕方がない。
胸が上下しているところを見れば、生きているのは確かだ。しかし怪我をしたのか、頭を強く打ったのか、水を飲みすぎたのか、理由はわからないが目を覚まさない。
「わたしのせいだ」
逃げ場を失って湖に飛び込んだことは、よい決断ではなかった。もし、魔法が使えたなら他に可能性があっただろう。しかし魔法は使えない。頼みの魔法銃はバッグの中で、すぐに取り出せなかった。失敗だったとシエルは思う。
「とにかく場所を変えなきゃ。あなただけでも守らなきゃ」
「待ちな」
低い声に、ビクリと肩を揺らす。振り向けば逆光でよく見えないが、影が大きな男がいる。
「誰」
横たわるアルボルを守るようにシエルは構える。
「俺だ。リオだ」
「捕まえに来たの?」
「違う」
「信用出来ないわ」
まだ顔は見えない。しかし声は確かにリオのものだ。敵か味方かわからない今、シエルは警戒したまま会話を続ける。
「捕まえないなら、なにをしに来たのよ」
「助けに来た」
ますます信用出来なくて、シエルは目を細める。
「……山賊を裏切るの? 出来るはずがないわ。あなたはカルマさんを信用しているもの」
「だからだ」
リオが一歩近づく。やっとリオの顔が見えるようになる。疑われて困った顔をしていた。
「カルマ様の命令だ。今回、シエルを襲ったことには目を瞑る。ただし、この先何があってもシエルを守ること。そう約束をした」
「いつ、そんな約束を?」
「シエルがまだ寝ていた頃だな」
その時、すでにカルマは知っていたのだろうか。知っていてシエルをもてなしていたのか。
シエルは考える。今回の統領はベティスカが引き受けることを知っていたとすれば、その情報はどこからきたのか。
シエルははっと顔を上げた。
「シュトライヒ国家」
カルマはシュトライヒ国家の誰かに話を聞いた。わかっていてシエルと話をしていたのだ。逃げるように言ったのも、わかっていたからだ。
シエルからの言葉を聞いたのは、あくまで確認のため。
「信用出来ないか?」
「あなたは山賊だもの」
「なら、これでどうだ」
リオは腰に提げていた刀をシエルに差し出す。
山賊にとっての刀は命と同等だと聞く。刀に大切なものの名前を付け、常に持ち歩く。それが山賊だ。
「大変なことになるわよ。見つかれば、あなたは裏切り者になるわ」
「シュトライヒ国家に行けば守られるさ」
シエルは刀を受け取る。それは重くてとてもシエルに扱えるようなものではない。
だが、命の重さのように感じる。とても暖かいとシエルは思った。
「そう、わかったわ」
「信用したか?」
「いいえ」
「まだ信用しないのか!」
「目的はシュトライヒ国家。同じならば、一緒に行こうというだけの話。手を組むわ」
「上から目線だな」
「わたしらしい、でしょ?」
近くを足音が通り、シエルは緊張したまま過ぎるのを待つ。遠ざかる音にほっと胸を撫で下ろす。
「もう時間がないな。アルは?」
「ずっと起きなくて」
「どれ」
リオはシエルの後ろで横たわるアルボルを確認する。手に持った明かりを近づけたり、アルボルの反応を確かめているようだ。
「脳しんとうだと思う。だが俺は医者じゃないからな。多分としか言えない」
「頭、打ったのかな」
「水に落ちた時の衝撃だろ」
「見てたの?」
リオは驚いた顔をしてから笑う。
「山賊に囲まれただろ。俺がいたの気づかなかったか?」
「暗かったから」
話している最中にも、声が近づいてくる。見つかるかと思い、シエルは魔法銃を準備する。
しかし、山賊は呼ぶ声に走り去る。何度目かの安堵のため息を吐き出す。
「俺が囮になる。離れた場所で声を出せば――」
「駄目。わたしにはアルを連れて逃げる体力がない。すぐに捕まるわ」
「じゃあ、どうすりゃいい!」
声を荒らげるリオに、シエルは強い目を向ける。
「わたしが囮になるわ」
シエルは乱れた髪を無造作に縛る。魔法銃を背中に押し込み、荷物は持たない。
「待て」
「可能性のある方を選んだの」
シエルは預かった刀をリオに渡す。刀などなくても信用出来ると思ったからだ。アルボルを心配する目は本物である。
それにカルマとリオの関係は、ジュビアとエストレジャを思わせる。とても懐かしくて、優しい暖かさに惹かれたのもある。
「いいのか?」
「刀のことを言っているなら、最初から信用しているし、それがなきゃアルを守れないでしょ? 囮のことを言ってるなら、もちろんとだけ言っておく」
話しながらリオはアルボルを背負う。まだ乾ききらない髪の毛がアルボルの顔を隠すように覆う。
「動かして大丈夫なの?」
「よくない。だが捕まったら終わりだ。わかっているだろ?」
「もちろん」
リオは満足そうにシエルの持っていた荷物も担いだ。シエルはそっと外を窺い、すぐにリオに向き直る。
「捕まるなよ」
「誰に言ってるのよ。元最強の魔法使いよ」
「元ってなんだよ」
「合流したら教えてあげる」
二人はすでに先のことを考えている。太陽の光はだいぶ中に入っている。もう限界だ。シエルは出入り口付近に手をかける。
「シエル。俺を信じるなら、ミルヒ荒野に行け」
「ミルヒ荒野? 湖の先ね。行き方を教えて。この辺の地理、弱いのよ」
「面倒な奴だな」
「うるさい」
ぶつくさ文句を言いながらも、リオは道を教える。
特に迷いやすい場所ではないので、湖さえ越えればわかる。問題は湖が斜面に囲まれた場所だということだ。しかし、それもリオが解決済みだと言う。
「階段もロープもない。昨日の雨で斜面を登るのは難しい。だが山賊たちも同じだ。さっきからここを通っているってことは、何かしら登れるものが用意されているはず」
ふと疑問が浮かび、シエルはリオをじっと見つめる。
「リオはどうやってここへ?」
「もちろん道具などは使わず、己の肉体のみで!」
「もう、いいわ」
よく怪我をしなかったと感心する一方で、どこか自分の限界に挑戦する姿勢が頼もしい。ただ、自身の肉体に酔いしれているだけかもしれないが。
「頼んだわよ、リオ。アルを無事に連れてきて」
「必ず。待ってるからな、ミルヒ荒野だぞ」
シエルは手を上げてからそっと外に飛び出す。いきなり明るくなって目が慣れないが、全力で走る。
そして簡易的に用意された梯子を見つける。わざと音を鳴らして梯子を登ると、気づいた山賊たちの目がシエルを捉えた。
「い……いたぞ!!」
その声だけで充分だ。囮役のシエルが見つかり、この声が遠ざかればリオはアルボルを連れて出られるのだ。
「遅いよ、間抜け!」
シエルは罵倒しながら湖を離れていく。少しでも早く、遠くへ。
アルボルが無事にシュトライヒ国家にたどり着けることが、今のシエルの願いだ。
 




