祈りの儀式は簡単だけど面倒。
祈りの儀式はシエルが思っていたよりも単純なものだ。その名の通りに祈りを捧げる儀式だと思い込んでいたが、聞いてみるとそうではないとわかった。
場所はグリューン町から南東に位置する祈りの森。グリューン町から田畑や牧場、川を越えた先にある。小高い丘にあるのが祈りの森だ。
祈りの儀式は首席卒業生、つまりシエルと護衛として選ばれた一名で行なわれる。森の奥にある紅玉の泉と言われている場所で儀式をする。
昼下がりの祈りの森。シエルと護衛は、すでに泉前で準備をしていた。
「じゃあ、お願い」
シエルは伝統と言われて、無理やり着せられた白いローブをたくし上げる。階段のように重ねられた石を上がってそこに座る。
普段は閉鎖されて入ることの許されない祈りの森だが、手入れはしっかりされている。
そばで準備を始めるマールを見下ろす。彼が今回の護衛である。慌てて宝玉を落としたり、うっかり魔法で顔を濡らしたりと、見ているだけで落ち着かない。
「ちょっとさ。落ち着いたら?」
「す、すみません」
シエルが声をかけると余計に慌て出す。少し可哀想になって、シエルはマールの所に戻る。
「わたし、あなたが護衛になるって施設長に聞いた時、反対したわ。役に立たないって」
「……わかっています」
「でもね、施設長は信じていたわよ。この護衛をこなして、マールが成長するんじゃないかって」
祈りの儀式は二人で行くことが決められている。それも伝統だ。シエルの能力の高さなら誰でも大丈夫だと思い、エストレジャはマールを選んだに違いない。
あわよくば万年最下位のマールが成長出来るならと、願う気持ちもあったのだろう。
「ちゃんと結果、残しなさいよ」
そう言った途端、マールの瞳から涙が零れ落ちる。
「え。なんで泣くの?」
「ぼく、誰かに期待されたこともないし、諦められて当然だと思っていたから」
ずっと期待され、魔法を使えば使うほど人気者になり、歩くだけで振り向かれるような有名人。そんなシエルには、マールの気持ちが理解出来ない。
マールはエストレジャの言っていたことが嬉しかったのだ。成長という言葉が嬉しくて泣いているというのはわかる。
気まずくなってシエルは話題を逸らす。
「あのさ、マール。今日、追試とか言ってなかった?」
「え、ええ。まあ」
ごしごしと目元を擦りながら、シエルの疑問に答える。
「護衛やってたら、追試出来ないじゃない」
卒業式の前にマールは試験が上手くいかず、追試をすることになったと話していた。学年の最終試験がパス出来なければ進級出来ない。
いつもギリギリの成績で追試を繰り返し、よく五年も平気だったと感心する。いつ退学になってもおかしくない。
「護衛が追試です」
「は?」
「無事に帰ることが追試の合格条件です」
それを聞いて、さすがにシエルは教師たちの甘さを恨む。マールが成長しないわけだ。そもそもエリート魔法学校で勉強しようと思ったマールの方がよくわからない。
「甘すぎる。来年、卒業出来るの?」
「頑張ります」
シエルはため息をつく。卒業したとしても、マールは多くの挫折を味わうことになるだろうと、容易に想像出来る。
「もう、いいから。早く祈りの儀式を始めましょう」
「はい!」
マールはシエルから預かった宝玉を両手で包むように持つ。深く息を吸い込んだ後、マールはじっとそれを見つめる。
「水脈を巡りし水龍の癒し」
宝玉は柔らかい光を放って、すぐに消える。
「なにそれ」
「水特有魔法です。回復の――」
「そんなことわかってるわよ!」
シエルはマールから宝玉を奪うように取る。
「得意魔法をって言われなかったの?」
「言われました。だから回復呪文を使いました」
自慢げににっこり笑う。呆れてしまい、すぐに言葉が出てこない。
「ぼくの得意魔法です」
「戦う魔法を教えるエリート学校で、なんで回復なわけ?」
「すみません」
シエルは無視して紅玉の泉の前に座る。
校長に渡された宝玉は魔力を溜められる作りになっている。古の時代より伝わる魔導具の一つだと言うが詳しくは知らない。
護衛の得意魔法。首席卒業生の得意魔法を宝玉に注入して泉に投げ入れる。
これらの工程全てが"祈りの儀式"だ。
「猛り狂う憤怒の業火!」
シエルの手の中にある宝玉は魔法で出された赤い炎を吸い込む。震えるように揺れる宝玉はシエルの魔法を吸収して大人しくなる。
「綺麗」
宝玉が赤く染まり、まるでルビーのような輝きを見せる。マールも目を輝かせる。
「えいっ」
気の抜けるようなかけ声と共に、宝玉は泉の底に沈んでいく。呼応するように、今まで投げ込まれた何百もある宝玉が一瞬光を放つ。
「これでいいのよね」
シエルは終わったとばかりにほっと胸を撫で下ろす。泉の傍らにあった岩からジャンプして降りると、マールがお疲れ様ですと声をかけた。
「恰好いいです、先輩」
「マールに褒められても嬉しくない」
切り捨てるように言うと、本気で落ち込むマール。相変わらずからかいがいのある後輩だ、とシエルは笑う。
「行くよ」
名誉ある祈りの儀式を任されたことに、何の感情も抱いていないシエルはすぐに来た道を引き返し始める。慌ててマールも後を追う。
手入れをされているとはいえ森の中。今日は曇り空で、特に薄暗い。例え、神聖な場所であったとしても、薄気味悪いことに変わりはない。
「先輩は町を出るんですよね?」
唐突にマールが聞く。さすがに驚いたシエルは振り向く。
「どうしたの?」
「卒業式。代表挨拶で言ってたから」
「ああ。魔法研究所?」
「はい」
シエルは途端にアイレのことを思い出す。卒業式での挑発。そのせいで、明日には決闘が控えている。これを言うと、マールに心配されそうなので黙っていることにした。
「シエル先輩のイメージと違うからびっくりしました」
「自分でもそう思う」
魔法研究所所長が学校を訪れ、シエルを誘ったのは実は嘘である。
ある日、校長室に呼ばれたシエルは、そこで初めて魔法研究所所長アレルタに会った。第一印象は厳格そうな男。書類ばかりを見ていてシエルの顔に目をくれない。人ではなく、能力にしか興味のない男。
腹立たしいとは思うが、所長という忙しい立場の人間だからと思うと納得してしまう自分がいた。
『性格に難はありますが、能力は保証付き。魔法研究所で役に立てるでしょう』
驚く言葉が校長から飛び出して、シエルは目を見開く。
話の展開についていけなかったのは事実だ。反論も出来ないまま、アレルタは簡単な挨拶を済ませて出て行ってしまった。
魔法研究所に行くことはすでに決まっていたのだ。卒業試験をパスしたその日に。
「シエル先輩?」
「あ。ごめん」
あの日に会ったアレルタの冷たい態度を思い出し、物思いに耽って自分に気づく。
「もっと魔法が生かせる場所で働きたかったんだけど」
あっという間に森を抜ける。太陽の姿どころか、青空も隠れてしまっている。
「シエル先輩言ってましたよね。戦えるところに就職したいって」
「魔法学校の首席卒業者は必ず魔法研究所。校長に言われちゃった。拒否権はないって。嫌なら退学しろってさ」
「そうなんですか?」
マールが驚く。シエルも聞いた時は驚いて校長を責めたのを覚えている。
「魔法研究所と魔法学校って契約があるらしいの。なかなか能力ある人が入社しなくて困ってるから、その対策だって」
「魔法研究所だったら、希望する人はいっぱいいそうですけどね」
「セキュリティの面で、そんなに多くの人は入れられないって。確実に能力ある人が欲しいから魔法学校なのよ」
魔法学校は各国に一つ。それは時代の流れと共に魔法学校が減り、科学や専門知識を教える学校が増えたためだ。
今や魔法を使って戦いに行くことなど滅多にない。多くの者が魔法の存在を疑問に思うようになっていた。魔力低下が問題になり始めたのは最近のこと。
「よくわからないけど、魔法学校の生徒って貴重みたいよ」
森を離れると木々が減ってきて、傾斜もなくなる。あるのは一本の道と平原だ。
「そんな魔法研究所に決まるなんてすごいです。尊敬します!」
「マール、馬鹿でしょ」
「ぐ……否定はしませんけど」
「先のこと決められてるって、微妙だと思わない?」
「そうですか?」
「万年最下位にはわからないか」
「……先輩。酷いです」
訴えるように言ったマールだが、シエルは反応しない。相手にされていないことがショックでマールは黙り込む。
「おしゃべりは終わり。そろそろ集中して。町まで一時間程度。雨に降られる前に帰るわ」
「はい」
湿った空気が濡れた土の匂いを運んでくる。雨の予感と祈りの儀式がもうすぐ終わる解放感に、知らず二人は足早になっていた。