死なせない
波の音だ。鳥の声がする。
今、海にいるのだ。彼女の知る海はこんなに優しくない。荒れ狂う男性的な海ばかりを見てきた。
初めて柔らかい海を見たのはヴェス国だった。港町にいる漁師たちの活気ある声と、女たちの激励する声が印象的なヴァイス港町。
そしてオステ国。アーマイゼ港町は波の音はするのに、静かな雰囲気であった。寂しい町だという印象があった。
そして今。肌を刺すような日差しと優しい海。潮の香りが微かにわかる。知らない海に、彼女はいた。
うっすら目を開けると青空があった。雲一つない空と視界の端に見える輝く海。
「わかる? 聞こえる?」
声の主を探そうにも、動かない身体が邪魔をする。意識を集中させるが、すぐに聞こえなくなる。
しばらくして、再び聞こえたのは女性の声。覇気のある強いものだ。
「あんた、名前は?」
全く力が入らないこと。徐々に視界が暗く狭くなってくるのを感じて、彼女は死を予感していた。
「しっかりしな!」
軽く揺すられ、頬を叩かれ、少しだけ明るくなったそこに知らない女性の顔を見た。
「名前は? わかるかい?」
「わた、し……シエル」
うまく唇が動かない。それでも女性には聞こえたらしく、口角を上げた。
「あんたは死んじゃいけない人間だ。だから、運命を受け入れてもらうよ」
ぼんやりしていた頭が急に覚醒したようにはっきりした。それまでしてきたことが、次々と現れては消えていく。
魔力のこと、仲間のこと、旅立った日のこと、中央都市プルプのこと、オステ国のこと。
そして、逃げ出したこと。
《運命を受け入れるのです、シエル》
目を見開くと、女性の顔がはっきり見えた。
「嫌……やめて。このまま、わたし……っ」
「死なせない! 運命だって言っただろ!」
女性は腰に提げていたナイフに手をかけたる。引き抜いたそれは、太陽の光に照らされて煌めいた。
「お願いっ」
「させないよ!」
女性は逆手に持ったナイフを振り上げた。




