校長先生にジョークは通じない。
アイレと話している間に校長に見つかってしまい、そのまま連れられてきた校長室。
なかなか来なかったのは校長の方なのに、どこへ行っていたと怒られるのは理不尽だ。シエルがムッとしたまま執務机前に立つ。
深々と椅子に座る校長に、
「遅かったですね」
と声をかけるが、大して気にせずに持っていた書類を机にしまう。そしてシエルの顔を見るなり渋い顔をする。
「シエル。わかっているのか?」
校長室に来るのは初めてではない。そのほとんどが指導ではあったが。目を合わせると諦めたような顔をする。
「一度はちゃんと校長室に来ましたよ」
「そのことはもういい。卒業式のことを言っている」
「なにか問題あります?」
シエルを一瞥してため息をついた校長。禿げた頭を抱え込む。
話したいことなど、校長の表情や態度からだいたいの検討はついている。悪いことだとは思うが、楽しいからやってしまう。
「お前は人気があるし、頭もいいし、剣術もなかなかのもの」
「ありがとうございます。剣術は苦手なんですけどね」
クスっと笑うシエルだが、校長は真剣な表情で続ける。
「魔力も凄い。魔法のテクニックも驚くほどだ。だが性格をなんとかせんか!」
ついに校長が怒り出す。机を叩きながら叫ぶ校長に対して、シエルは涼しい顔をしたままだ。
「性格、ですか?」
「アイレのことだ」
「アイレ?」
「どうして喧嘩ばかりする。しかも今日の挨拶は、アイレを挑発したのだろう。魔法研究所はアイレが入学した当時から――」
「はい、すみませんでした」
シエルは反省の色を全く見せずに、取りあえず謝る。
「どうして魔法研究所にこだわるの?」
「そりゃ――」
「大企業だから。自慢出来るから。一度入れば将来安定。他になにがありますか?」
シエルが言うと校長は黙る。
シエルには関係ないのだ。魔法を活かせない場所は生き地獄と変わらない。
「そんなつまらない企業のなにがいいのよ」
「シエル」
「そんなところに就職なんてしたくなかった。なんで、わたしだったわけ? 勝手に決めないで欲しいわ!」
言いたいことを全て吐き出し、校長に咎めるような視線を投げる。
しばらく二人は目を逸らさず、静かな時間が過ぎる。やがて口を開いたのは校長だ。
「気が済んだか?」
「ええ。少し、スッキリしました」
シエルは初めから魔法研究所を希望した訳ではない。魔法学校と魔法研究所の深い関わりがあり、仕方なくシエルが行くことになったのだ。
「もう決まったことだ」
「そう。だからアイレを虐めたくなりました。すみません」
「シエル。その性格、いつか後悔することになるぞ」
「はーい」
話は終わったとばかりに、勝手に歩き出してドアに手をかける。
ドアを開ける直前、
「待ちなさい」
慌てて校長が呼び止める。
「まだ、なにか?」
あからさまに嫌な顔をして振り向くシエルに、校長はため息をつく。
「お前、なにしに来たんだ」
「なにって。指導じゃないのですか?」
校長は窓際にあった棚に歩いていく。綺麗な細工を施したそこから、小さな水晶玉を出す。
それは手の平に納まるほどのもの。窓から漏れる太陽の光に反射して燦爛として美しい。
「なんですか?」
それを聞いて校長はまた落胆する。
知らないにもほどがあると、ブツブツ言ってから椅子に座る。シエルも元いた場所に立つ。
「お前、首席だろ!」
「そうらしいですね」
「"祈りの儀式"のことを忘れたか?」
「講堂で――」
「それは首席以外! シエルは外に行き、ちゃんとしたところで祈りを捧げる。それが"祈りの儀式"だ。その時に必要なのがこの宝玉」
シエルはしばらく考えて、
「あ……ああっ!」
と、わかったような返事をする。
記憶を辿るがシエルだけ外で"祈りの儀式"をするというものはない。
校長にはわかっていたようで、深いため息をついて頭を抱える。
「シエル。"祈りの儀式"についての講義は――」
「サボりました」
「校内の訓練施設に行って詳しく聞いてきなさい」
「えっ」
「早く!」
「それ、サボっちゃ駄目?」
「駄目!!」
ふと見れば校長の顔も頭も真っ赤になっている。さすがのシエルも危険を察知。本当の雷が落ちる前に、渋々だが返事をする。
「今すぐ行きます」
「よろしい」
校長は宝玉を赤い布袋に入れて、シエルに手渡す。それを彼女は無造作に制服のポケットに突っ込んだ。
「失礼しました」
ドアを閉めて校長室を後にする。
日の入り方から、昼を過ぎていることに気づく。
校長には早く行けと言われていたが、昼食を食べてからにしようと思ったシエルだ。
◇ ◇ ◇
卒業式が終わると、しばらく騒がしかった校内もあっという間に静かになった。夕方になる頃には人の姿は見えない。
その中を一人、シエルは歩いていた。
正門から入ると正面に校舎。右に魔法訓練施設、左に学生寮がある。
迷わず魔法訓練施設に向かう。中に入ると古い建物の中は薄暗い。天窓から入ってくる明かりだけであるが、誰もいないことは一目瞭然だ。
「相変わらずこの建物古い。建て直ししないなんて、よっぽど金欠なのね」
財布の中を覗く校長を思い浮かべて笑うシエル。
明かりをつけることもせず、しんと静まり返った魔法訓練施設に足を踏み入れる。
そして、屋内競技場のように広いその真ん中に立つ。
「さて、と」
シエルは精神統一をするように目を閉じた。
魔法訓練施設は、訓練の場としてだけでなく有事の際に使われる施設だ。町で何かあった時に施設長が能力を見極めて派遣する。実践に慣れるためでもある。つまり自警団の役目もしていた。
そのためか、その場所に立つと緊張と共に感覚が研ぎ澄まされる。シエルは深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。
「身を貫く華麗なる火剣の舞」
呪文をとなえると、シエルの手から火が生まれ、鋭いナイフのような火が壁に当たる。
特別な作りをしている訓練施設は魔法くらいではびくともしない。逆に跳ね返って、シエルに火のナイフが襲ってくる。
「身を守りし火炎の盾」
今度はシエルの身長ほどの炎の壁が出現。見事にナイフを呑み込んだ。
「血肉を求める連続炎剣の乱舞!」
更に形を変え、シエルの前にあった壁から炎のナイフが無数に飛び出す。
「猛り狂う憤怒の業火!」
次はシエルの回りを竜がいるかのように炎が渦巻く。炎によって起こる熱風でシエルの髪は上空に舞い上がり、橙色に照らされた鋭い瞳は、本当の魔女を思わせる。
「やめろ、やめろ!」
後ろからの声にシエルは炎を消し去る。振り向けば知った顔が入り口前にいた。
「施設長!」
魔法訓練施設の長、エストレジャだ。扉の前で腕を組んで仁王立ちをする姿は、まるで鬼のよう。
まず、何よりも目立つのは筋肉だ。盛り上がった筋肉がシャツを破きそうなほど。浅黒い肌が筋肉に似合い、魔法というより力で敵をねじ伏せてしまいそうな三十四歳。
「卒業式だろ。帰ったんじゃなかったのか?」
「ま、ちょっとね」
黒い短髪。口を一周するように生えた髭が彼を老け顔に見せる。
「で? なんで魔法の訓練を?」
「うん。なんつーの? ウォーミングアップ的な」
「的な、言うな!」
「魔法訓練施設だからいいでしょ?」
「こんなところでヴォルテ使うな!」
「みんなやってんじゃん」
「お前の魔力は桁外れ! 施設が壊れる! 外でやれ!」
外でやっても怒るくせに、とシエルはエストレジャを睨む。口を尖らせて抗議するも、諦めろと言う。
「じゃあもっと立派な施設建てたらいいじゃない」
「お前なぁ」
エストレジャは仁王立ちをやめて近づく。目の前に立つと長身の大男で、一瞬たじろいでしまうシエルだ。
「施設長?」
と、突然エストレジャはシエルの金髪頭をがしがし撫でる。
「首席で卒業か! よくやった!」
「や、やめてっ」
シエルは髪をぐちゃぐちゃにされて怒る。しかしエストレジャはやめない。シエルは一歩下がって、その手から離れる。
――脳筋はこれだから嫌い!
加減を知らなすぎるとぶつぶつ言いながら、手ぐしで髪を整える。
「施設長。話があるんだけど」
「話?」
そこでシエルは"祈りの儀式"のことを話す。
首席が行くことも、外に行くことも、そもそも"祈りの儀式"のことを校長から初めて聞いたことを伝えると、エストレジャは項垂れてしまう。
「あれ? そんなに有名な話?」
「当たり前だ」
「知らなかった」
エストレジャはため息をつきつつ、
「詳しく話す。とにかく、座って話そう」
そう言って歩き出す。
シエルは大人しく彼についていった。