合流
シエルは隣で話をする二人の会話を聞いていた。会話に混ざろうとするも、出てくるのは生欠伸ばかり。そんな自分に嫌気がさす。
オステ国に着いたばかりだというのに、診療所の一室で横になるシエル。原因は船酔いだった。
アーマイゼ港町に着いたのは朝方だった。
『雑木林まで行ってみたんだけどよ、ありゃ酷ぇな。すっかり燃えちまって』
『馬鹿! あそこに殺人魔獣が出たっつってたろ! 死にてえのか』
船から降りたばかりだというのに、噂話が耳に入って気になった。それもすれ違う人みんなが話している。
雑木林で起こった爆発に巻き込まれた人間。殺人魔獣に襲われた人間。
殺人魔獣というのが、シエルが出会い怪我をした原因である犬と同じだと知ったのもその時だった。
アーマイゼ港町で話題の人物、ジュビアが入院していることも同時に知った。
どうやらアーマイゼ港町の人々には、ヴェス国から来た疫病神と思われているようだった。
――言ったらわたしが殺されるかも。
そんなことを思いながら、笑顔で話をするエストレジャの向こうを見遣る。
涼しい顔をしているジュビアだが、どことなくやつれたように見えた。上半身だけ起こして座っている姿も、らしくないなと不安になる。
久しぶりに会えたと言うのに船酔いのせいで恰好悪い。何となく悔しいシエルだった。
「話をまとめよう」
ジュビアとシエルのベッドの間に椅子を置いたエストレジャ。
久しぶりの挨拶もそこそこに、お互いに別行動をしていた間のことを情報交換し始める。
シエル側。
次期姫巫女であるシエルがシュピナート村へ里帰り。村を案じて帰ったが、無事であることを確認。
しかし、魔力を失ったことによりシエルは追放される。
ただ、『姫巫女の日記』から情報を得ることが出来た。火を司る龍の所在はわからないが、記録に残る黒龍捜しを続ける決意をした。
ジュビア側。
プルプの大火の調査から、目撃された少年がいたことを知る。魔法騎士トルエノから秘密裏に依頼を受け、オステ国に渡る。
オステ国で見つけたグリューン町に侵入したと思われる盗賊三人を発見。その会話からプルプの大火に関わっていたことを知る。
そしてアキという少年に話を聞こうとして、彼の攻撃により入院。
後日、何か残っていないかと確認に雑木林に入ったところ殺人魔獣に襲われた。
掻い摘んでの説明だったが、お互いの情報は驚きの連続であった。
「シエルが魔法に執着する理由がやっとわかったよ」
ジュビアが微笑みかける。
優しいジュビアに慣れず、曖昧に頷くシエル。笑っていいものか悩んだ後、申し訳ない気持ちが膨れ上がった。
「言わなくてごめんなさい」
「いや。巫女装束……似合っているよ」
「着替える時間がなかったのよ」
巫女服を引っ張りながら、シエルは赤くなった。そんなシエルの姿が久しぶりで、思わず笑ったジュビアだ。
「龍を追うと決めたこと。今も変わりはないんだね?」
「もちろんよ」
しっかりした意思を持ったシエルが頼もしい。そう思って食い入るように見つめるジュビア。
シエルは恥ずかしくなって目線をそらした。
「そういうことなら、明日にでも発ちたいくらいだね」
「絶対に駄目です」
その時、ノックもないまま入ってきたのは看護師のロフロールだった。
初めて顔を合わせる二人は彼女を見て同じことを思っていた。
――なんか可愛らしい……子供みたい。
しかし看護師の着る制服では隠しきれない豊満な胸が大人であることを証明していた。
「ジュビアさんのお仲間の方ですね? 話は伺っています」
ロフロールはシエルとエストレジャに頭を下げた。
「ここの看護師さん?」
エストレジャからの質問に彼女は微笑んだ。
「はい」
ロフロールはシエルのそばにトレーを置いた。
「先生から船酔いだと聞いてきました。出来るだけ頭を動かさないように」
そう言って頭に冷たいタオルを置いた。冷たすぎるくらいが心地よくてほっとする。
「……ありがとう」
「いいえ」
そしてロフロールはジュビアに向き直る。途端に表情を変えて怒り出した。
「ジュビアさんはまだ治り切っていないのですよ? 勝手な退院は許しません」
「どう見ても治っていると思うんだけどね」
「それは、あなたが勝手に回復魔法で! 無理やり治療したからです!」
ロフロールの勢いに、シエルもエストレジャも口が出せないでいた。
「もういいじゃないか」
「あなた医者ですよね? 骨にまで到達するほどの傷を一気に魔法で治すなんて、馬鹿ですか!?」
「初めて馬鹿と言われた気がする」
「あと三日は入院してください。高熱が出る恐れがあります」
「可能性の話だろう?」
「チッ」
舌打ちしたロフロールは、ジュビアに小さな紙袋を叩きつけた。
「いつもの薬です」
「ありがとう、ロフロール」
彼女はジュビアが言い終わる前に、ドアに手をかけていた。
「お願いですから……ジュビアさん、もう勝手にいなくならないでください」
僅かに聞こえるくらいの小さな声で、言い終えたロフロールはすぐにドアの向こうに消えた。
「ねえ、ジュビア先生」
「さて、話を戻そうか」
「おい、おい。俺は今、大混乱中なんだが」
「わたしも」
しかし、余程言いたくないことなのかジュビアはエストレジャを睨んでから話を無理やり元に戻した。
――絶対になにかある!
女の勘。後で白状させてやる、と妙なやる気がシエルを奮い立たせた。
「ところでシエル」
「なに? ジュビア先生」
いつにも増して真剣な眼差しを向けられ、シエルは上半身を起こした。
おかげでロフロールとのことを聞きそびれてしまった。
「魔力がない。そこに偽りはないね?」
「今更、なによ。嘘をついて苦労して、わざわざ旅に出る馬鹿がどこにいるのよ」
「ま、確かにそうだね」
言われてジュビアは吹き出した。嘘をついて苦労する理由が見つからない。
「一体、なんなの?」
ジュビアは中央都市プルプで聞いた大火の証拠を全て話した。
目撃されていた少年。後に恐らくアキであるとジュビアは判断した。
そして呪紋が示した犯人がシエルであったこと。それを話すと二人は目を見開いた。
「待ってよ。意味がわからない」
「ジュビア。俺が保証する。シエルには魔力が本当になかった。もし魔法が使えたとしても街を燃やし尽くすほどの非道なマネはしない」
「疑っていたら、本人にこんな話はしないよ」
受け入れ難い事実だった。
とても信じられなくて、怖くなって、深呼吸を繰り返しても落ち着かない。
「大丈夫。私は信じている」
ジュビアの優しい声音。それでも不安になる。
「でも……」
「だからこそ、龍を捜すんだ。なにかわかるかもしれない。途中で収穫があるかもしれない。進むことを諦めては駄目だよ、シエル」
「……わかってる」
そして話題はジュビアが見つけたという三人の盗賊に移った。アキ、ルウ、ヴァン。一連の事件に関わっている三人の話だ。
しかし、シエルはすでにうわの空だった。
自分の知らないところで、呪紋がシエルであると示している。
今、ヴェス国に戻れば犯人扱いをされるかもしれない。よくても重要参考人だ。
自由には動けなくなる。
――どうなってるの?
苦しくて、今にも壊れてしまいそうだった。誰かに助けてほしくて、懐かしい笑顔を思い出す。
聞くタイミングがなくて黙っていたが、会いたい気持ちが勝った。
エストレジャとの会話を断ち切り、シエルは声をかけた。
「ジュビア先生」
「なんだい、シエル?」
会話を止められたことを怒りもせず、ジュビアは耳を傾けた。
「マールはどこ?」
一瞬、沈黙したジュビア。
何か思い詰めたような表情になり、
「隠すつもりはない。責めは受けるつもりだよ」
そうシエルに言葉を告げた。
それからジュビアはゆっくりとマールのことを話し始めた。
中央都市プルプで聞いたマールの嘘。そこで行方不明になり、後を追ってオステ国に来たこと。
雑木林で攻撃された際に、助けてくれたのがマールであったこと。そしてまた、マールはいなくなってしまった。
――行方……不明? マールが、いない?
どういうことだと問おうとする唇が震えて、何も言えなかった。
マールはジュビアと一緒にいると思っていたから、安心してシュピナート村に旅立った。戻ってみれば行方不明。
訳が分からなくて当然だ。
シエルは呆然と自分の手を見つめていた。
「シエル。シエル!!」
呼ばれて我に返る。
「どういう……こと?」
ジュビアの目を見ることが出来ず、俯いたままシエルは問いかけた。
「雑木林であった爆発。アキの攻撃は呪文がなく、油断したこともあったけれど、とても避けられるものじゃなかった」
思い出したのか、ジュビアは顔を顰めた。
「マールくんがいなければ、私は死んでいた」
「ジュビア」
エストレジャはジュビアが辛そうに話しているのがわかったが、かける言葉が見つからない。
「マールくんの魔法に助けられた」
シエルもエストレジャも腑に落ちなかった。
ジュビアを助けるほどの魔法をマールは使えない。中央都市プルプを焼くほどの実力者に対抗出来るだなんて有り得ない。
魔法学校で進級出来ないほど、未熟な魔法使いであるマール。彼がジュビアを助けたなど、信じられなかった。
「どう、助けたの?」
もっともな質問。ジュビアもわかっていたのか、目を細めるようにして口を開いた。
「……わからない」
「わからないって?」
「マールくんは魔法で私を助けてくれた。ただ、その呪文は水魔法ではなかった」
マールは水魔法使いだ。未熟な魔法を何度も見てきた。呪文が違えば、魔法など使えない。
「呪文って?」
「確か"ブイーオ"と言っていた」
誰かが言葉を発するより先に、廊下でなったけたたましい音が沈黙を破った。
「ジュビアさん……なにを言っているのですか!?」
血の気が引いた様子のロフロールがドアの前に立ち尽くしていた。
「聞いていたのかい、ロフロール」
「たまたまです」
彼女は深呼吸をしてから、中に入ってきた。
「ジュビアさん。なにを言っているのか、わかっているのですか?」
「なにをそんなに驚いているのか、説明してくれないか?」
ロフロールは一度、廊下に出て人がいないことを確認した。ドアに入室禁止の札を下げ、人が入らないようにする。
ドアを閉めてから、ロフロールはジュビアの足元に立った。
「オステ国は二種の人間がいます。新しいものを造る。つまり魔法に頼らず機器類の開発を進める者が一つ目。有名なのは魔法研究所です」
全員がロフロールの話に耳を傾ける。
オステ国内のことは閉鎖的なところがあり、噂話で聞くくらいのことしか知らない。
それがわかっているのか、ロフロールは丁寧に説明をする。
「そして強い魔法を信じる人々。魔力で馬鹿にされることの多いオステ国ですから、やはり魔法には憧れるのです」
ロフロールはため息混じりに話を続けた。
「後者はブイーオ信仰会という集団です」
「ブイーオだって?」
ロフロールは言葉を切った。
「ブイーオは……」
「構わない。言ってくれ」
ジュビアが促すと、意を決したロフロールは手を握りしめて叫ぶように言った。
「ブイーオは、闇魔法です!」
魔王だけが使えるという古の魔法。
それが、闇魔法であった。
◇ ◇ ◇
「よかったんですか?」
「…………」
列車の中だった。二人の男が相向かいに座る。
一方は窓の外ばかりを見つめていて、何も言わない。
気にせずに、喋り続けるもう一人はクスクス笑っていた。
「怪我した人、仲間だったんですよね?」
「…………」
「しかし、ずいぶんと予定が狂ってしまいましたね。まあ、想定内ではありますけど」
男は笑いながら喋る。
列車が揺れ、その拍子に窓を見ていた男の膝から本が落ちた。
「本、ですか?」
落ちた本を拾い上げ、アグラードはそれをパラパラと捲った。
「なるほど。勇者と姫巫女ですか。これは中央都市プルプで?」
「…………」
「まあ、いいでしょう」
アグラードは本を彼の膝に戻した。
「そろそろ喋ってくれませんか?」
しかし、何度話しかけても声を出すことはなかった。
「あなたの魔法、本当に素晴らしかったですよ」
「…………」
「おれは――」
「……うるさい」
「え?」
「黙れと言っているんだ」
やっと喋ったと思えば、鋭い眼光で威嚇する彼。目の奥が一瞬、赤く染まったような気がした。
「やめてくださいよ」
「…………」
「長い付き合いになるのですから。そろそろ、心を開いて仲良くしませんか?」
アグラードが手を差し出すが、彼はそれを無視した。
「本当に、あなたは難しい人だ」
「…………」
「そろそろ、駅に着きますよ。マールさん」
それでも彼、マールは外を見続けていた。
何を考えているのか、何を想っているのかはわからない。
しかし、その表情は悲しみに溢れていた。




