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魔法と科学と月の詩《更新停止中》  作者: 和瀬きの
SPELL 1 【3】
32/62

守りたいもの(2)



 ――なにかがいる。


 それは気配だった。

 早朝の静かな澄んだ空気の中に紛れ込む殺気。そんな禍々しいものを隠そうともせず、頭の中ではどう料理しようか考えている、それ。


 数メートルの距離を置いて見つめ合う。

 赤い目は爛々と輝き、異常な身体は小刻みに震えていた。もちろんそれは恐怖ではなく、武者震い。


「狼か。夜行性の君たちを朝見るとは思わなかったな」


 ジュビアがため息混じりに言うと、灰色の毛並みを逆立たせた狼は唸りをあげた。


 立てばジュビアと同じくらいの体長。狼にしては大きい。

 そんなことを思いながら、ジュビアは距離を縮めてくる狼を睨んだ。


 ――狼がこんな場所にいるとは……。


 オステ国内の自然環境は最悪だ。

 この国で生きる野生の動物にとっては酷な環境。だから自然に生きる動物は少ない。


 特に狼は数十年確認されていない。オステ国では絶滅したと考えられていた。

 それが今、目の前にいる。山もない荒れた林の中。渇いた大地に現れた。


 普通の狼ではないと考えるべきだ。ジュビアはそれを敵と判断して拳を握った。


『赤い目をしてて、涎も尋常じゃないくらい流れてて、襲うことしか考えてないような雰囲気。あと、筋肉もすごくて……本当におかしいの。なんか、自然じゃない感じ』


 シエルの話が思い出される。


 赤い瞳。発達しすぎている筋肉。それなのに、口は半開きで涎が流れ続けていた。


 まさにシエルの話した、人を襲うと噂されている動物だ。


 辺りを窺うが一匹だけのようだ。群れであれば確実にやられていた。


「油断は出来ないけどね」


 ジュビアはすぐに真剣な眼差しを向けた。


 この間まで骨折していた右腕を押さえた。

 骨折は治ってはいたが、まだ違和感があった。全快とはいえない状態だ。


 それでもやらなければならない。戦いが長引けばやられる。


 何日も魔法を使っていなかった彼は、不安に思いながら腕を突き出した。


「血肉を求める連続氷剣のスパーダ・ギアチャーレ乱舞!!」


 氷のつぶてがジュビアの手から放たれた。それは一直線に狼に向かう。

 だが、狼は軽々とそれを躱す。


「クソ……っ」


 威力もスピードも落ちている。

 上手く使えない魔法に苛立つも、すぐに集中力を高める。


「体躯を抉る狂気の水流(ヴォルテ・アックア)嵐!」


 今度は木と同じ高さの水柱がうねりながら、左右から狼を襲う。

 それも簡単に避けられる。


 走ることも、襲うこともせず、狼はジュビアの攻撃を避けるだけ。

 まるで嘲笑っているかのような余裕の構えに、冷や汗が流れた。


「マズイな……動きを止めなければ勝ち目はない」


 ジュビアの魔法が止まったことで、諦めたと思った狼がついに動き出した。


 低い体勢になり、赤いギラギラした目がジュビアを逃さない。

 一気に加速してジュビアに飛びかかる。


聖域を囲う氷結の壁(ムーロ・ギアチャーレ)!!」


 咄嗟に氷壁を作り出すが、思ったよりも高さが足りない。余裕で飛び越えてきた。


 ――間に合わない!


 魔法で対処しようと突き出していた右腕に前脚の爪が喰い込んだ。

 痛みに意識を乱され、氷壁が崩れて消え去る。


「簡単にはいかないか……」


 すでに狼はジュビアから離れ、周りを歩きながらチャンスを窺っていた。

 少しでも油断しようものなら、同じように攻撃を受ける。


 狼の集中力、持久力は並のものではない。

 それも噂されている凶暴化した生物だ。


 どんどん間合いを詰められ、また狼は走り出す。


 ジュビアは次の攻撃を避けた。しかし、狼は着地と同時に跳んで、脇腹を爪で抉る。


 回復する暇も与えないほど、何度も攻撃してくる。


 狼は待っている。ジュビアが動けなくなるまで繰り返すつもりだ。


 しかし、いつまでもこのままでいるつもりもない。ジュビアは深呼吸した。


「さすが狼。優秀だ」


 ジュビアは冷たく笑って構えた。


 息遣い。地に脚を着く音。枝が折れる。灰を擦る乾いた音。


 それらが近づき、今まさに噛みつこうと跳躍した姿を捉える。

 灰色の毛の中にある赤い瞳。一瞬、視線が逸れた。


「――な、にっ!」


 狼の口から吐き出された電撃が地面を抉り、砂煙が舞った。

 その間に着地した狼が再び牙を剥く。


「く……あっ!」


 背後から体当たりをまともに受け、ジュビアはうつ伏せに倒れ込んだ。


 魔法が使えると聞いてはいたが、初めて見たそれに対応出来なかった。


 そうこうしてるうちに、地面を蹴りながら走ってくる。


 無理な体勢ではあるが、起き上がりざま手を突き出す。


聖域を囲う氷結の壁(ムーロ・ギアチャーレ)!!」


 氷壁を再び作り出すが、その出来にジュビアは目を見開いた。


 ――薄い!?


 構わず走り込んできた狼の口から緑色に迸る電撃が見えた。


 体当たりで氷壁を突き破ると同時に、電流がジュビアの体を攻撃する。


「く……っそ!」


 飛びそうになる意識を何とか保ち、痺れる体を無理やり起こした。


 ジュビアは後退しながら、新たに魔法を唱えようとしたが間に合わない。


 狼はすでに目の前で口を開いていた。


 ――いいだろう!


 ジュビアはわざと左腕を突き出した。

 それを見逃さず、狼は噛みついて離れない。牙が喰い込み熱くなる腕からは、血が滴り落ちていた。


 そのままジュビアは押し倒される。痛みに顔を歪めながら、右手で狼の頭を鷲掴みにした。


「捉えたぞ!」


 狼の瞳が揺れた。


「終わりだ! 猛り狂う憤怒の吹雪ヴォルテ・ギアチャーレ!!」


 無数の礫が渦を巻いて、掴まれたままの狼はそのまま巻き込まれた。


 体をくねらせるようにしながら数メートルの高さまで持ち上げられる。

 やがて凍りついた狼が地面に激突。絶命した。


「終わったか……」


 ほっとして息を吐き出す。死と隣合わせの戦いなど経験がない。


 震えそうになる腕を押さえ、シエルを想った。


 魔法が使えなくなった恐怖の中で、魔獣モンスターらしきものと戦ったシエル。

 今だからわかる。どれだけ苦しい想いをしていたかを分かり合える。


 ――今頃わかるとは、医師としては失格だな。


 また傷だらけになり、看護師に何と説明しようか悩む。


 乱れた呼吸を整えるように、木の根本に座る。

 久しぶりに体を動かし、体力が落ちていることを痛感する。


「――ガルゥゥゥ」


 その時、背後から唸り声がして素早く振り返る。


 新たな狼がいた。

 ジュビアの喉元を狙い飛びかかっていた。


 完全に油断して魔法が間に合わない。


 ジュビアは咄嗟に右腕を眼前に出していた。やってくるであろう痛みに身構える。


猛り狂う憤怒の鎌鼬ヴォルテ・ティフォーネ!!」


 突如、突風が吹き荒れる。

 鎌鼬かまいたちが狼を切りつけ、地面に叩きつけた。今度は狼が不意をつかれた。


「君は……っ」


 どこからともなく現れたのは、ピンクのツインテールの女性。


 狼が立ち上がりかけた所を彼女は見逃さない。


 いつの間にか両手の指に挟んで持った四本のナイフ。それを投げると同時に、

「血肉を求める連続狂風剣スパーダ・ティフォーネの乱舞!!」

 魔法が放たれた。


 いくつもの風剣が左右から走り、ナイフを押し出すようにして加速した。


 逃げることも攻撃することもないまま、狼にナイフが突き刺さる。

 直後に襲った風剣が狼を突き上げた。


 地に落ちる頃には、毛の色が変わるほどに出血して動かなくなった。


「……あなたという人はっ!」


 振り向きざま、彼女はジュビアを怒鳴りつけた。


「やはり、怒られてしまったな」


 ジュビアはほっとして笑った。


「助かったよ」


 ジュビアの前に現れたのは診療所の看護師だった。今現在も入院中であるジュビアを担当している。


 可愛らしい顔。一五〇センチ弱の低い身長。淡いピンク色の髪をツインテールにしている。

 元は黒髪で染めているのだと、毛先の一部が黒いことから容易にわかる。


 彼女を少女に見せる要因はそれ以外にもある。

 二十二歳だと言っていたが、鼻から抜けるような子供声は、とても大人には見えなかった。


「どうして言うことが聞けないのですか!?」


 相当怒っているようで、腕を震わせていた。


「どうしても確かめなければならないことがあってね」

「外出は禁止です。ジュビアさんは入院されているのですよ? 魔法を使うなんて以ての外です! また怪我してるじゃないですか!」


 まくし立てるように言われ、ジュビアは苦笑するしかなかった。


 彼女は頬を膨らませて怒る。あまりにも子供っぽくてジュビアは口を押さえて笑った。


「なにが可笑しいのですか!」

「いや、別に」

「別にとはなんですか!」

「……もう、勘弁してくれないかい?」

「……チッ」


 なぜか舌打ちをした彼女は、苛々しながらもジュビアのそばに座った。

 傷の具合を看るために腕を手に取った。


「野生の動物は怖いから。いろいろな菌を持ってるの知っていますよね? あなたも医師だと……」

「知っているよ」

「回復は診療所で適切な処置をしてからにします」


 彼女は自分の服を切り裂いて、ジュビアの腕に巻きつけ始めた。


「君は、不思議な戦い方をするんだね?」


 疑問を投げかけると、彼女はチラリとジュビアを見てから言葉を返した。


「オステ国の魔力の話はご存知ですか?」

「……ああ。魔力が低いという話かな?」


 声が小さくなるジュビアに対して、彼女は気を遣わなくて構わないと微笑んだ。


「事が起きた時、魔法だけでは戦えないのが現状です。ですから武器というものを携帯しているのです。合わせ技、というやつです」


 だから彼女はナイフを投げ、それを加速させるために風魔法を使った。


 特殊な戦い方ではあるが、オステ国ならではの知恵だ。

 そのナイフも特殊な作りをしているのだろうと、ジュビアは狼に刺さるそれに見入る。


「しかし、ヴェス国では武器携帯は禁止されている。魔法騎士団のような役職は別として、一般人は武器は持てない。オステ国もそうではなかったのかい?」

「ええ……十年ほど前はそうでした」


 ジュビアの腕を固く縛り、止血した彼女はゆっくり顔を上げた。


殺人魔獣キル・ビーストと、ワタシたちは呼んでいます」

殺人魔獣キル・ビースト? さっきの狼かい?」

「そのままの意味ですが、魔獣モンスターと呼ぶ人も中にはいます」


 殺人魔獣キル・ビーストが原因で、武器携帯が義務づけられたと彼女は話した。


「しかし、その殺人魔獣キル・ビーストが現れたのは最近では?」

「いいえ。オステ国では十年ほど前から目撃され、死者も出ています」


 聞いたことのなかった話だ。ジュビアは彼女の顔を覗き込んだ。


「嘘ではありません」

「……いや、わかっている」

「他国には知られないように、秘密裏に処理されてきました。殺人魔獣キル・ビーストの討伐、一般人への口止め、他国への渡航は厳しい審査が必要になりました」


 それが原因か、とジュビアは目を細めた。

 オステ国行きの船が激減したこと。逆にオステ国に就職した魔法学校の生徒たちはほとんど帰らないという話も聞いていた。


「だが、なぜ殺人魔獣キル・ビーストの存在をオステ国は隠す? 早くに対処しておけば……」

「自国以外を信用していませんから。頼るなんて恥ずかしい真似、この国がするはずがありません。例え、国が滅びたとしても」


 オステ国の闇を見たような気がした。

 ジュビアは黙って彼女の話を聞いていた。


「あなたには理解出来ないかもしれません。オステ国はとても難しいです」

「口止めされている話を私にしてよかったのかい?」

「……ええ。ワタシは、オステ国が嫌いですから」


 単純な裏切りだ、と彼女は笑った。


「ふふっ」

「ジュビアさん?」

「君は笑顔が素敵だね」


 彼女の顔がどんどん赤く染まっていく。手元を震わせ、次の言葉がなかなか出てこない。


「本当に可愛い」

「か、からかわないでください!!」

「心からの言葉だよ」

「あなたみたいに軽々とそんなこと言う人。信用出来ません! ワタシは、嫌いです!!」

「嫌われてしまったね」

「……でも、嬉しい……です」


 耳まで真っ赤にした彼女はそっぽを向いてしまった。仕方なくジュビアは目線をそらした。


 すっかり明るくなっていた。空を仰げば、木々の隙間から光が洩れていた。

 町は朝の賑やかさの中にあるのだろうと、物思いに耽る。


「立てますか?」


 しばらくして、落ち着いた彼女が声をかけてきた。


「大丈夫だ。ありがとう」


 慣れた動作でジュビアを支える彼女だが、やはり身長差に問題があった。ジュビアはあえて素直に支えられる。


「そうだった」


 立ち上がったジュビアは思い出して、スタスタと歩き始めた。


「あ! ジュビアさん!」

「君は、これを知っているかい?」


 ジュビアが手に持ったのは銃だ。殺人魔獣キル・ビーストとの戦い前に見つけたもの。


 それを見た彼女は一瞬目を見張るが、すぐに冷静な顔つきに戻った。


「魔法銃といいます。オステ国で作られたものです。後で説明します」


 とにかく診療所に戻ります、と言う彼女にジュビアは従うことにした。


殺人魔獣キル・ビーストは、あのままでいいのかい?」

「それも後で連絡しますから、大丈夫です。それより、もう怪我しないように注意してください!」


 せっかく治りかけていたのに、また怪我をされれば怒って当然だ。ジュビアは黙って文句を聞くことにした。


 しかしその後が続かず、思わず隣にいる彼女を見つめた。

 長い髪が邪魔をして表情まではわからない。


「ジュビアさん。また抜け出すのですか?」


 診療所から抜け出したことを根に持っているのか、ため息混じりにジュビアを責める。

 彼女は俯いた。


「……そうだね」


 だがジュビアは悪びれる様子もなく、さらっと答えた。

 顔を上げた彼女はびっくりするほど悲しそうな顔をした。


「ジュビアさんの気になること。やらなければならないこと。ワタシでは……力になれませんか?」


 ジュビアは驚いて彼女を見た。


 彼女と出会ったのは最近だ。怪我をして診療所に運ばれて、顔を合わせてから数日程度。

 そんな人間に協力しようとするなど、警戒心がなさすぎる。不思議な女性だと思った。


「診療所まで歩きます。ゆっくりでいいので」


 そして何事もなかったかのように看護師の顔に戻る。そんな彼女の横顔を見て、ふとジュビアは思った。


「名前を聞いていなかった」

「必要ですか?」

「私は興味がある」

「嘘つき。今まで聞きませんでした」

「確かにそうだったね」


 ジュビアは聞くことを諦めて歩き出した。支えるように彼女はジュビアの右側に立った。


「ロフロール」

「え?」

「だ、だから名前です。ワタシは、ロフロールです!」


 彼女、ロフロールは怒りながら言った。

 怒りのせいなのか、照れているのかはわからない。再び顔が赤く染まっていくロフロール。


「なんですか?」


 じっと見つめていると、ロフロールが睨んできた。


「ありがとう、ロフロール」


 ジュビアが言うと、更に顔を赤くしてもう見つめることはなかった。


「は、早く診療所に行きますよ」

「ふふ……わかっているよ」


 ジュビアは思った。

 何の見返りも求めず、ただ怪我を治したいと必死で、ジュビアのために怒り、感情をぶつけてくる女性。ロフロール。


 ――彼女を守りたい。


 ジュビアはただ、彼女のそばにいたいと思っていた。





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