守りたいもの(1)
入院し始めて、何度目かの朝。
彼は病室や外に人がいないことを確認してから、窓の外に飛び降りた。
衣服を整えてから、ゆっくりと歩き出す。
辺りはまだ薄暗く、朝と言うにはまだ早い。町が動き出すのはもう少し先だ。
風が草木を揺らす音。静かに鳴く虫の声。波の音も微かに聞こえ、潮の香りが届いた。
海風が身に染みる。
久しぶりに外に出たせいもあるのだろう。看護師に頼んで買ってきてもらったカーディガンを羽織る。
ジュビアは町を観察しながら、目的の場所に急いだ。
オステ国。アーマイゼ港町。
かつては様々な国からの観光客がこの町を利用していた。
宿屋や飲食店が充実した場所だったが、最近では船の数が減って寂れていた。
海沿いにある町であるのに閑散としていて、少し物悲しい雰囲気だ。早朝であるから余計にそう感じる。
港から町中へ入ると、市場通りがすぐにある。賑わっているのはそこだけで、全体的に物静か。
ジュビアのいた診療所は市場と真逆の東側にある。東側は町を囲むように雑木林があり、一本道が外へと繋がっている。
ジュビアの目的地はその雑木林だった。
弱りきった身体に無理をさせてでも、動かなければならない理由があった。
中央都市プルプを離れ、行方がわからなくなっていたマールのこと。
そして中央都市プルプで捕らわれていた二人の盗賊と少年。
雑木林の北東辺り。そこでジュビアは彼らに出会い、そしてマールに助けられた。
――マールくんがいなければ、きっと今頃兄さんに会っているな。
迫り来る赤い炎。
避けられない恐怖。
一瞬で熱くなる身体。
乾く目。
風に揺れる木々。
爆発音で一瞬、無音になる空気。
――防御すら出来なかった。
ジュビアは怪我を負った。骨折や打撲だ。それだけで済んだことが奇跡だと言える。
包帯の巻かれていた右腕や足、胸はすでに回復した。
魔法での傷は確認されなかったため、回復は早かった。あれだけの炎を前にして、魔法傷がないとは本当に奇跡である。
ジュビアの怪我は風圧で吹き飛ばされたせいだ。
乱雑に転がっていた枝や石を巻き込みながら、まともに大木に衝突した。
思い出して顔をしかめる。
――エスに笑われるな。
枝を踏みしめながら木々をすり抜けていく。
やがて枝葉や石のない広い場所に出た。あの場所だ。
大爆発の影響で直径三十メートルほどが燃え尽きた。
アーマイゼ港町の人々の力で、町に火が移る前に消し止められたものの、凄まじい力が働いたことは一目瞭然だ。
灰と化した木が痛々しい。手を触れた木は砂のように消えていく。
普通の炎ではない。魔法の力で燃やされた証拠だ。
普通の炎ならば炭の状態。だが、触れば無くなってしまうほどの強力な炎は魔法でしか有り得ない。
しかし、術者の少年は呪文を唱えていなかった。
突然、眩しい光に包まれた。あの色や勢い、熱さは間違いなく魔法の炎だった。
「呪文のない魔法」
呪文がなければ油断して当然だ。ジュビアが攻撃をまともに受けた理由はそこにあった。
魔法騎士トルエノが言っていたことと一致する。
「アキ。それにルウとヴァンか……」
会話していた内容を思い出し、ジュビアは残っていた木にもたれかかる。
彼らの会話は信じられないことばかりで、ジュビアを混乱させるばかりであった。
『少なからずあの事件に関わっていたと考えるのが普通であろう』
『ルウは疑ってるんでしょ? オレが、中央都市プルプを破壊したんじゃないかって』
『僕が疑ってるのは君じゃない。出てきて欲しい。話がしたいんだ、アキ』
『無理だよ、ルウ。今はオレがアキなんだから』
『あの日、中央都市プルプにいたアキと話がしたいだけだよ』
そんな彼らの会話からわかること。
アキと言う少年が大火に関わり、中央都市プルプを崩壊させた原因。ロシオの命を奪った炎は、その少年である可能性が高い。
シエルではない。彼女には魔力がないのだ。呪紋のこともあるが、今は三人のことを調べる必要がありそうだった。
そして、ルウの言葉から少年の人格が一つではないことがわかった。
――人格はわかる。しかし、あの髪色はどういうことだ。
一瞬だった。ジュビアはアキの人格が変わるのを目撃した。
『消えてしまえばいい』
同時に、髪色が金から赤に変わった。
薄暗がりの中でもそれはよく見えた。手の中から溢れるように出現した炎によって露になった赤。
ジュビアは深呼吸をして木から離れた。
何日かぶりに体を動かしたせいか、ちょっとしたことで息があがり体が重く感じられた。
「少し無理をしたかな」
思い出すことに集中していたせいか、頭痛がしてきた。
わからないことだけではない。これまであったことを並べると、一つの答えが浮かび上がる。
グリューン魔法学校校長の依頼。エストレジャが話した盗賊の特徴。二人の大人と一人の子供。
似ている人物がアーマイゼ港町にいた。
そしてトルエノからの依頼。中央都市プルプの大火の原因である放火犯の子供。
胸の中。どこかで疑っていた。もしかしたら同一人物ではないのか、と。
――盗賊の金髪少年と、プルプで目撃された少年は同一人物……。
ただ、確実にそうだとは言いきれない。だからこそ無謀だとわかっていても、彼らを追求したかった。
しかし、それは叶わなかった。
それに助けてくれたはずのマールの手がかりが一つもない。マールに繋がるものがなければ、捜し出すことは不可能だ。
――手がかりなら、あるか……。
しかし、それをシエルに伝える勇気はなかった。
姫巫女の出身地、シュピナート村に行くと言ったシエル。
少なからず関わりがあるはずだとジュビアにはわかっていた。だから尚更、マールのことは言えない。
「言わなければならないだろうが……」
出来ればシエルを傷つけることはしたくなかった。
マールがいたからこそ、彼女は再び立ち上がることが出来たのだ。
ジュビアは考え込み、目線を下に向けた。
「あれは!」
その時、木の根本に光るものが見えた。
ただのガラス片かもしれない。
しかし、今のジュビアにはそれが手がかりではないかと思った。
急ぎ、葉や石を払い退け、根っこに挟まっていたそれを無理やり引っ張り出す。
「これは……銃?」
南のズユー国には銃というものが古い時代から存在している。
今は亡き両親が話し、見せてくれたこともあった。だからジュビアも知っていた。
しかし、見つけたそれは構造や素材などが全く違う。見たことのないものだ。
銀色に光り、持ち手の部分は赤く輝いている。両手の平に収まるほどの大きさ。それに驚くほど軽かった。
「オステ国のものだろうか」
考えてもわからない。とにかく調べてみようと立ち上がった。
だいぶ空が明るくなってきたことに気づき、
「看護師に怒られてしまうな。そろそろ戻ろう」
そう呟いてジュビアはすぐ立ち上がった。
勝手に外に出たとわかれば、看護師に説教されてしまう。
そんな光景を思い浮かべ、くすっと笑った。
ジュビアは銃を手に歩き出した。
が、すぐに止まる。何かが動く気配がある。
「……なかなかいいタイミングで現れてくれるな」
町からは離れている。逃げることは不可能だ。
それにまた町の人々を危険にさらすわけにはいかないと、ジュビアは唇を噛んだ。
「いいだろう。久々に身体を動かしたかったんだ」
これから始まるであろう戦いのため、邪魔になる銃を元の場所に置いた。
すぐに構え、目の前の倒れた樹木の向こうを見据えた。
生暖かい空気。
ジュビアに向けられる殺気。
空気を揺るがす気配。
ピリピリと張り詰めた緊張感はジュビアの五感を研ぎ澄ます。
それはすぐに姿を見せる。
睨みつけるその瞳は、燃え上がるような赤い色をしていた。




