◆アキ◆
意識ははっきりしている。ふわふわと身体が浮くような感覚は、病気や怪我のせいではない。頭がおかしくなった訳でもない。
そんな風に自分の状態を分析しながら、アキはただ周りの景色を眺めていた。
雑木林の中。目の前で話す二人をただぼんやりと眺める。
深刻な顔をして木の根元に座るルウ。相変わらずの癖毛と緊張感のない顔だ。
少し離れた大木にもたれ掛かるのはヴァンだ。女性を虜にする容姿。特に特徴的な切れ長の瞳はルウを見つめていた。
アキは丸太に座っていた。心ここにあらずという感じで、乱れた金髪も直さない。
自分の手を見つめたまま動かない。
――何も覚えていない。二人は信じてくれる?
手のひら越しに二人を見つめる。月明かりだけが彼らを照らしていた。
「ところでルウ。怪我は?」
ヴァンが木にもたれたままで問いかけた。
「背中を強打しただけだから。そんなに気にしなくて大丈夫だよ、ヴァン」
「我はもう、怪我人を背負っての旅は遠慮願いたい」
不満をもらすヴァンをルウは笑った。
「悪かったって。出来るだけ早くあの国を離れたかったからね」
「……無茶をしたんだ。もう少し入院していればよかったものを」
「追っ手が迫っている。グズグズしていられないよ」
彼らはヴェス国を何とか脱出。ノルデ国を経由してオステ国に渡った。
中央都市プルプで傷を負ったルウはしばらく治療のために、アーマイゼ港町の診療所にいた。
「治療費は置いてきたし、大丈夫」
今日、日が落ちると同時に勝手に退院してしまったルウ。動けるのだから大丈夫だという自分判断だ。
そして隠れるように雑木林に入り、今後のことを話していた。
「オステ国か。あまりにも危険すぎると思うが?」
「ヴァン。もう逃げるわけにはいかないよ」
「目的のため、か」
ヴァンは煙草を取り出した。マッチで火をつけると、真っ直ぐに煙が上空へ伸びる。
全く風のない夜であった。
「ルウ。わかっているだろうが、そろそろ金が尽きる」
「うん。とにかく都会に出よう。ミュッケ大都市なら、仕事があると思うんだ」
ルウの提案にヴァンは渋った。
「我々は追われている身だ。難しいのではないか?」
「なんとかなるよ」
ルウは楽観的だ。
呆れた顔をすると、ルウは困ったように頭を掻いた。ヴァンは考えるかのように腕を組む。
「まあ、我が言える立場ではない。ルウに任せよう」
「……ヴァン。たまには一緒に働かない?」
「我はアキを見ていなくてはならないのでな」
「そうやってまた逃げる」
ヴァンはこれまで働いたことがない。
人一倍金遣いが荒いのだが、性に合わないと言い張り稼ぐのはいつもルウだ。
「一応、怪我人なんだけど」
「もう治ったのだろう?」
「さっきと言ってることが逆」
「ここまでルウを背負ったのだ。我はすでに働いた」
ああ言えばこう言う、といったやり取りが続きルウは折れた。
結局、働くのはいつでもルウである。
そんな二人を眺めるアキは先程から何も喋らない。虚空を見つめたままだ。
ルウはため息をした。
アキの様子がおかしいとわかったのは、ヴェス国を離れた頃だった。
中央都市プルプで合流出来ただけで奇跡だった。それを無駄にしないようにと、必死で国を離れた。
普段からあまり話をする方ではないアキだったから、喋らなくても特に気にならなかった。
特にルウは怪我を負っていて、気遣うことが出来なかった。
しかし、彼は変わろうとしていた。どんなきっかけがあったかは二人にはわからない。わかっていることは、本来の"アキ"に変わろうとしていることだけだ。
「……ヴァン。やっぱり、アキは……」
「さあ、我にはわからぬ。ただ、少なからずあの事件に関わっていたと考えるのが普通であろう」
亜麻色の髪を掻き上げ、ヴァンはため息と一緒に煙を吐き出した。
「信じたくない気持ちはわかるが――」
「わかってるよ!」
ルウは怒りをぶつけるように地面を叩いた。
「……わかってる」
ルウはルウで葛藤していた。
聞かなくても答えはわかっている。ただ、怖くてたまらなかったのだ。
ルウは乱れる髪もそのままに、拳を握りしめる。
アキの保護者となった時に決めたはずだ。
アキが真っ直ぐ、真面目に、良い方向に向かうと信じたから。どんなことも背負い、共に歩き、彼を守るのだと誓ったはずだった。
恐怖に動けなくなってどうするのか。保護者として失格だ。
ルウはかつて誓った時のように、気持ちを奮い立たせる。
「アキ。ずっとその調子だけど、僕のことわかる?」
「……わかるよ、ルウ」
アキに歩み寄ったルウは、心配そうにその顔を覗き込む。
彼の髪は金色だ。しかし、時々それが変わるのを何度かルウは見ていた。
ぼんやりした表情。まるで微睡みの中にいるかのように、目は閉じかけている。
質問されたことに答えた後、アキはクスリと笑った。
「アキ?」
「ルウは疑ってるんでしょ? オレが、中央都市プルプを破壊したんじゃないかって」
二人の会話を聞いているだけのヴァン。
話に介入するつもりがないのか、ふぅっと煙を吐き出した。
「……いや。本当に知らないんだろう?」
「あの日のことは、わからない」
「僕が疑ってるのは君じゃない。出てきて欲しい。話がしたいんだ、アキ」
ルウは話がしたいと、アキの体を揺する。
知らない者が見れば、頭がおかしいと馬鹿にされるところだ。
しかしルウの言いたいことがわかっているのか、アキはまた笑いながら答える。
「無理だよ、ルウ。今はオレがアキなんだから」
「……そうか……」
ルウはアキの頭に銃を押し当てた。
「どういう……つもり?」
さすがにアキはルウを驚愕の表情で見る。
しかし動じることはなく、引き金に指をかけた。
「ルウ」
「止めないでよ、ヴァン。大事なことだから」
ヴァンはため息をついた。
八歳の少年に銃を向ける光景に目を細める。
ルウの横顔から何かを読み取ったのか、ヴァンは慌てることをやめて煙草をくわえ直した。
助けることも、加勢することもせず、傍観者でいるヴァンに、アキは冷めた目を向ける。
だが、すぐ視線を戻し、ルウを上目遣いに睨む。
「本気?」
「僕はいつでも本気だよ」
即答したルウは驚くほど冷たい目をしていた。そんな目をするルウをアキは知らない。
「殺すつもり?」
「あの日、中央都市プルプにいたアキと話がしたいだけだよ」
直感で、殺されると思ったアキは諦めたかのように目を閉じた。
しかし、すぐに目を開ける。銃を向けられていることを忘れ、ヴァンの後ろの茂みに目を向けた。
「アキ、僕は……」
「ねえ、待ってよ。ルウ」
「え?」
「お客さんがいる」
心臓が跳ね上がった。
誰かが会話を聞いていたと、アキは言う。
「いつから……っ」
焦ったルウはそちらに銃を向けた。ヴァンは素早く守るようにアキの前に立った。
「誰?」
ルウの低い声が闇に溶けるように響く。同時に草を踏みしめる音が近づいてくる。
ほとんど明かりのない雑木林に潜んでいた目的を考える。いや、考えずとも答えは出ていた。
「取り込み中、すまない」
茂みを掻き分けて顔を出した人物。
銀髪の青年だ。
ゆっくりと銃をおろして、彼の言葉に耳を傾ける。
「聞きたいことがある」
立ち聞きしていたことを弁解することなく、ストレートに聞いてきた青年を不審に思う。
表情にも出ていたのか、彼も警戒した。
「こんな夜更けに散歩ですか? 目的は?」
ルウも彼に合わせてストレートに質問した。
遠慮なんてものはなくなった。
銀髪の青年が睨みつける。その目線の先にいたのはアキだった。
「君たちの罪は盗みだけかい?」
青年の鋭い問いかけに、周りの空気がピンと張り詰めたものに変化した。
彼は知っている。グリューン町での盗み。
中央都市プルプでの大火。
そのどちらにも居たのが、彼ら三人であることを知っている。
お互いの感情を探ろうと、目を逸らさず、動かない。
沈黙が続いた。
「もう、いいよ」
そんな沈黙を破ったのはアキだった。
「どうして邪魔するの?」
「君はなにか知っているのかい?」
強い口調で問いかける青年。
「消えてしまえばいい」
「え?」
次の瞬間。
アキを中心に風が巻き起こる。
金だった髪が赤くなっていくのを見て、青年は目を見開いた。
「君は……!!」
「死ねよ」
「駄目だ! アキ!!」
冷たいアキの声と眩しい光が同時だった。
間に合わない。そう思いながら、アキを止めようと二人は動いていた。
ルウは銃を捨てて、炎を纏うアキを後ろから抱きしめていた。
ヴァンは青年を守ろうと一歩を踏み出した。
しかし、物凄い力に身体が浮いた。
「な……っ」
「伏せて!!」
ルウの叫び。
別の力がアキの炎に激しくぶつかった。
何が起こったのかわからないまま、それぞれが爆発に巻き込まれた。
――――
林の一角で大爆発が起こった。
炎と煙が上空に舞い上がり、アーマイゼ港町では時が止まったように静かになった。
もう夜も更け、大半が家の中にいた。
しかし、その振動に誰からともなく窓を開けた。ドアを壊すかのように開けて外に飛び出した者もいる。
「ありゃ、なんだ?」
「火事!」
「大変だっ!!」
恐ろしい炎に震え、叫び、慌てる。
誰かが大変だと言い走り出したのをきっかけに、町は混乱と共に動き出した。




