ライバルは気難しい風魔法使い。
無遠慮に開け放たれた講堂の扉。そこにいた全員が振り向く。
気分がいい。シエルは不敵な笑みで歩き出した。
「やっと来たか」
すでに卒業式は始まっていて、校長は壇上にいた。ちょうど校長の長い挨拶が終わったところらしい。
ふと見ればマールは下を向いている。
「どうかした?」
「も、もう在校生の席に行きますね」
「もしかして、恥ずかしい?」
「い、言わないでください!」
注目されているのが本当に恥ずかしいらしく、耳まで真っ赤にしている。その姿が可笑しくて笑うシエル。
「卒業生代表挨拶!」
なかなか来ないシエルにしびれを切らして、校長がマイクに向かって叫ぶ。
「挨拶……」
シエルは目を泳がせる。
「先輩?」
「あー。よし、これでいこう」
「文章、もちろん考えてきて――」
「――るわけがないでしょ?」
シエルは焦るマールにニコっと笑ってみせる。
「適当にやれば大丈夫だって!」
「……大丈夫かな」
マールは不安そうに在校生の席に走っていく。残されたシエルは壇上を目指して歩き出す。
「……チッ」
壇上近くまで来たところで、舌打ちに気づく。横目で見れば、事あるごとに何度も顔を合わせている同級生。風魔法使いの女だ。
――名前、なんだっけ。
シエルは月に一度くらいのペースで決闘を申し込まれている。だが、その全てに勝ち、負けることはなかった。
グリューン魔法学校には決闘というものがある。実力が全ての弱肉強食の世界。自分の実力を知るため、実践で腕を磨くため、ランクを上げて成績を残すため。様々な理由で決闘をする。
彼女はシエルに次いで二番目の実力者。ついに勝てないまま卒業で悔しいのだろうと思い、シエルは勝気に笑う。
「……馬鹿みたい」
講堂は正面の舞台から、扇形に広がった形をしている。外から見ると円形の塔のような建物だ。
卒業生が約五十人。在校生はその倍程度。全員が集まると講堂は狭くて暑く感じられる。
卒業式とはいえ、家族が校内に入ることは許されない。それも伝統である。
「卒業生代表、シエル」
改めて名前を呼ばれ、シエルは返事もせずに舞台に上がる。風魔法使いと目が合い、悪戯な笑みを浮かべるシエルだ。
「わたしたち卒業生は本日、この学校を卒業します」
目の前にあるマイクに向かって喋ると声が講堂に響き渡る。
このマイクも魔法研究所が造った科学の道具なんだな、と喋りながら違うことを考える。これから待っているのは研究や事務の仕事になるのだろう。そう思うと卒業は辛いものだ。
「思い出の校舎や講堂、校庭ともお別れです」
シエルはニヤリと笑う。それを見た風魔法使いが睨みつけてきたが気にも止めない。
「わたしはオステ国の魔法研究所に行きます。ぜひ来て欲しいと頼まれたので。本当は嫌だったけど、あのオステ国の魔法研究所の所長が直々に!」
シエルの言葉に風魔法使いが顔を引き攣らせているのがわかる。いい気味だと思うとシエルは饒舌になっていく。
「魔法研究所所長がわたしのところに来て頼み込んだのです。その気はなかったけれど、人生とは不思議なものですね」
魔法研究所で働くことを夢見ていたのは風魔法使いの方だ。彼女は上手くいかず、魔法研究所で働くという夢は叶わなかった。
だからわざとシエルは挑発している。もちろん風魔法使いもわかっていて、表情が引き攣っていく。
「わたしは来週からオステ国に行きます。こうして別れや出会いがあるのは、寂しくもあり嬉しくもあります」
校長を含め何人かの先生はシエルの嫌がらせに気づく。止めようとする姿が目に入り、慌ててシエルは真面目な表情を生徒たちに向ける。
「これまで優しく、時には厳しく指導してくださった先生方に感謝します。これからはその教えを胸に、わたしたちは自分の道を歩いていきます」
まともな挨拶に切り替わったことで、先生たちの動きが止まる。シエルはぺろっと舌を出す。
「卒業生代表、シエル」
シエルは一礼して壇上から降りる。途中、風魔法使いを見下ろす。身体を震わせて拳を握りしめる姿に、いい気味だと嘲笑った。
シエルが席に座ると、それまで凍りついたように静かだった講堂内が再び動き出す。淡々と卒業式が進められていく。
卒業式が終わったといっても、それで終わりではない。明日から三日間は"祈りの儀式"がある。
講堂に集まり、これからの自分たちの成功を祈る。時間にして約一時間。それを三日続けることが"祈りの儀式"だ。
グリューン魔法学校で必ず行われる伝統だ。
――伝統、伝統って。本当に窮屈だわ。
無駄な時間だ。成功するかどうかなど実力と運次第。祈ったら成功出来る保証などどこにもない。
――休んじゃおうかな。
卒業式を終えれば後は本人の自由。早めにオステ国に行くのも有りだ。
そんなことを考えながらシエルは目を閉じる。
別れを惜しんで泣き始める生徒がいる中で、シエルはうとうとしている。それを咎める者はいない。
――――
卒業式は午前中に終わって解散となった。ただシエルだけは呼び出されて、まだ学校だ。
卒業生代表挨拶で風魔法使いを挑発。式の途中で眠る。
目に余る行動をしたシエルを放置する校長ではない。
だが、マールに急かされるまま校長室に来てみるも不在。呼び出しておいていないとは失礼だと、乱暴にドアを閉めて出てきた。
マールは別の用があるからといなくなり、からかう相手もいなくて途端に暇になる。暇を潰そうと、一度中庭に行ってみることにしたシエルだ。
西にある校長室や教師たちの部屋がある指導者棟を出ると、すぐ右に先程いた講堂。左には図書館がある。
その中央が中庭になっている。手入れされた花壇の中には創設者の像。東側を見れば使い慣れた校舎が目に入る。
「疲れたな」
穏やかな陽気にまた眠気が襲ってくる。シエルは欠伸を噛み殺し、校舎のもっと先にある魔法訓練施設で体を動かそうと考える。
一歩を踏み出したところ、
「待ちなさい!」
鋭い声に呼び止められる。
知った声。シエルはいい暇潰し相手が見つかった、と笑顔で振り向く。
「なにか用? 風魔法使い」
卒業式でシエルが馬鹿にした風魔法使い。両隣にいつもの取り巻きが二人。
「わかってるはずよ」
「さあ、わからないわ」
「あなた……!」
「ところでさ、名前なんだっけ?」
綺麗な肌に青筋を立てる彼女。何度も戦った相手にも関わらず、名前さえ覚えない。そんなシエルが許せない。
「……アイレよ」
「名前、アイレだったっけ?」
アイレは腕を組んで息を吐き出す。黒髪をアップにした髪型は六年間変わらない。まるでアイレの性格を表したようで、シエルは気に入らない。真面目すぎてつまらないからだ。
「あなた、今日の代表挨拶なんなの? あたしを馬鹿にしてるの?」
「してるよ」
言った途端、アイレの深緑色の瞳が揺れる。表情がどんどん変わっていく。
美人なのに怒った顔ばかりをして勿体ないとシエルは思う。
――ま、わたしの方が可愛いと思うけど。
シエルは笑う。それが余計にアイレを刺激していることに気づいていない。
「最後の決闘を申し込むわ!」
「いいわ。相手になってあげる」
この決闘でアイレが勝てばナンバーワンの座に立てる。在学中、残り三日のチャンスだ。アイレは全力でぶつかってくる。
「勝負は魔法のみ。場所は魔法訓練施設前」
勝敗は申し込んだ生徒の担任が見届けることになっている。
「決闘は二日後の正午よ! いいわね?」
「恥をかくだけよ」
「あたしは勝つわ!」
言い終わるとアイレは取り巻きを連れて指導者棟へ向かう。決闘の日時を担任に知らせに行ったのだろう。
シエルはそれに冷たい視線を送った。
「懲りないんだから」
シエルがアイレに出会ったのは入学式。
まだ知り合い程度だった二人がライバルになったのは、能力テストでたまたま戦ってからだ。
シエルはノルデ国からグリューン町に来たので知らなかったが、アイレは町で評判の実力派魔法使い。それをシエルは簡単に打ち負かして、
『そんなもんか。あーあ、つまんない!』
などと言ってアイレのプライドを傷つけた。
負けたことも町の噂になって、当時は相当恥ずかしい思いをしたと聞いている。
そしてアイレは変わった。シエルだけに敵対心を持ち、お洒落や恋に夢中になる年頃に、アイレはひたすら腕を磨いた。シエルを倒すことだけを考えて。
シエルはそんな気持ちなど知りもしない。
「あ。決闘のせいでオステ国行きが遅くなるじゃない」
シエルは項垂れ、アイレのいなくなった方を睨む。
「面倒なことになったな」