豊かな街と見えぬ闇(2)
北への大通りを歩きながら、周りに目をやる。本当なら夕焼けに染まり始めた街を楽しんでいたはずだった。
何も考えずに外に出てしまった非はあるが、なぜ自分だったのかを考えると腹立たしい。
「仕方ない」
シエルは何気ない素振りで雑貨屋に入った。女の子が好むような店で、彼は入ってこないだろうと予想した。
思った通り彼は入ってこなかったが、店の外で待つように通りを見つめている。店からも出られなくなってしまったシエルは、恐怖よりも怒りが先立つ。
――なんなのよ、アイツ!
シエルは店内の雑貨を手に取る。可愛らしいハートのキーホルダー。クローバーのメモ帳。星型の髪飾り。どれも可愛くて、こんな状況でなければ買っていたかもしれなかった。
「困ったな」
通りにある街灯もつき始めていた。魔法騎士に助けを求めようかと悩んでいると、後ろから声がかかった。
「どうかしましたか?」
「ごめんなさい。あの……」
悩んだ末に、シエルは目の前に立つ若い女性店員に相談した。妙な奴がいて帰ることが出来ないと話すと、女性は棚の隙間から通りを窺った。
「あの男ね」
「はい。外に出られなくて」
「いいわ。助けてあげる」
女性が手招きをするので、シエルは後についていった。レジカウンターを通って裏側、バックヤードに来た。様々な雑貨が乱雑に置かれているのが少し気になるが、今はそれどころではない。
「ここよ」
女性は一番奥にあったドアを開けた。外の空気が流れ込んでくる。
「従業員専用の出入り口なのよ。とにかく、あいつから離れた方がいいわね」
「はい。ホテルの方向は、わかりますか?」
「だったら、そこを左に曲がれば見覚えのある場所に出られるはずよ。道なりに行けば迷わないから」
外に出ていた時間は短いと思っていたが、いつの間にか薄暗くなっていた。裏道だから余計に暗く、僅かに入ってくる街灯や店の明かりが道を照らす程度だ。
それでも今は、表通りを行くよりは安全だ。
「すみません。いろいろとありがとうございます」
頭を下げると、女性は首を横に振ってシエルの肩を軽く叩いた。
「いいのよ。あなた可愛いからね。気をつけなさい」
女性はじゃあ、と手を振ってドアを閉めた。
「よかった」
シエルは安堵の声を出す。そしてすぐに歩き始めた。
細い通りだと思っていたが、徐々に道は広くなっていく。シエル以外の人は歩いていない。知らなければわからない抜け道。混んでいる大通りを嫌う人にはよさそうな道ではあるが、ほとんど知られていないようだ。
すぐにホテル近くに抜けられそうだと思い、知らず早足になっていた。今度、雑貨を買いに行って、改めてお礼を言いたいと考えていたシエルだ。
緩くカーブした道を歩く。そろそろ抜けるだろうと思って、正面を見たシエルは足を止めた。
「嘘……」
高い壁がそびえ立っていた。周りを見ても、抜けられる道はない。途端に背筋が凍るような不安感に襲われる。
「どうも」
不安が的中した。その声に唇を噛み締めて、シエルは振り向いた。
「あなた……」
あの青年だった。上手くやり過ごしたと思っていたが、それは気のせいだったとわかる。
シエルが歩いてきた方向から、何人もの男が顔を出す。ニヤニヤとシエルを舐めるように見ては笑う。
「どういうこと?」
人の少ない裏路地に入ってしまったのは不正確だ。しかし、行き止まりだとは思わなかった。あの女性店員が教えてくれたからだ。
そこまで考えて、シエルは青ざめた。
「助かりましたよ」
軽く後ろを振り返った青年が声をかけたのは、あの女性店員だった。
「後でしっかり代金払ってよね」
「ええ、もちろんです」
女性店員も青年の仲間だった。お店を持っているからと、いい人だと思っていたことが悔しい。簡単に騙されてしまったことに怒りを覚える。
「あなた、誰? なんなのよ」
やっと出てきた疑問に、青年は楽しそうに笑った。
「おれはアグラード」
「そういうことじゃないわっ!」
声を荒らげると青年、アグラードは楽しそうに笑った。
「プルプに来たばかりのあなたを見かけました。それでホテルから出てくるのを待っていたんですよ」
「待っていた?」
「グリューン町のエリート魔法学校の制服を着ている。つまり優秀な生徒さんだ」
「そうとは限らないわ」
「いや。入学出来るだけでも相当なものですよ」
シエルは後退る。後ろには壁しかないとわかっていたが、気持ちがこれ以上前に進みたがらない。
シエルは恐怖を感じて冷たい壁に身体を預けていた。
「なにを考えてるの?」
「ちょっと頼まれてまして。人が必要だから、攫ってこいと」
「……なによ、それ」
「普通に考えて女性の方がやりやすいでしょ?」
「だからって、なんでわたし?」
「……優秀な人間が欲しいから」
震えを悟られないようにゆっくり話す。しかしアグラードにはわかっていたようで、ケラケラ笑い出した。
「強がる女性は嫌いじゃありません」
「ふざけないで」
「抵抗するなら、それなりに覚悟をしてくださいよ」
「甘く見ないでよ」
背筋がゾクリとした。
魔法が使えたら、こんなに恐怖することはなかった。魔法が使えたら、攻撃して逃げられたはずだった。
そんな想いがシエルを追い詰める。
自分は今までと同じではない。魔力がない。魔法が使えない。言葉では理解していても、全くわかっていなかった。
――どうしよう。
魔法が使えないということが、どれほど危険なことなのか。それをこのタイミングで思い知ることになった。
もっと真剣に考えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
『……危険だから』
そう忠告したジュビアの言葉をしっかり覚えていたなら、何も起こらなかったかもしれない。
考えれば考えるほど、後悔しか出てこない。失敗したことに、フォローの余地もなかった。
「怖くて動けなくなった?」
俯いていたシエルの肩に手が触れた。
「嫌!!」
それをきっかけに、アグラードの手を払い、人を掻き分けるように走り出した。
「無理ですよ」
これだけの人数を前に逃げられないことは百も承知だ。それでも何もしないまま、相手の言いなりになってしまうことが、シエルは嫌だった。
ただのプライドだ。
「離してっ!」
逃げようとする足を、腕を、頭を押さえられ、冷たい地面に顔を押し付けられる。それでも必死に藻掻いた。
「無駄だとわからないのですか?」
いくつもの手に押さえられ、完全に身動きが取れなくなった。誰かが上に乗っているのか、苦しさで声も出せない。
「魔法を使われたらどうしようかと思いましたが。なぜ、使わないんですか?」
「それ、は……っ」
「まあ、いいでしょう」
アグラードが手で合図をすると、シエルは仰向けにされてまた押さえられた。
「さて、感想でも聞きましょうか?」
「……最低」
近づいてきたその顔を思いきり睨みつけた。しかし目頭が熱くなる。もう駄目だと思い、目を閉じると涙が溢れ出た。
「とても素晴らしいよ。その表情」
シエルを押さえながら、クスクス笑う彼ら。アグラードの笑う顔が脳裏に焼き付いて離れない。
恐怖で震えが止まらなくなる。体を硬くした時だった。
「何をしている!!」
突如、響き渡った声にシエルは目を開けた。驚いて涙が止まる。
「クソ! 邪魔者が来たな!」
薄暗い通りに現れたのは、白い馬に乗る一人の魔法騎士だった。
――魔法騎士団。
シエルを押さえていた手が緩んだ。それを逃さず立ち上がるが、アグラードに髪を引っ張られて倒れた。
あっという間に彼の腕に捕らえられていた。
「人さらいか。大人しく捕まることをお勧めする」
シエルを押さえていた人さらいたちは魔法を使う態勢に入った。
「引け! この女が死ぬぞ!」
アグラードの怒声に魔法騎士は眉を顰めた。シエルは首に冷たいものがあたり息を呑む。
「ナイフか」
魔法騎士は動かなかった。アグラードの手に力が入り、無理やり立たされたシエル。
――このまま逃げるつもり?
何も出来ない自分にがっかりする。いや、出来ないと誰が決めたのかと、ふとシエルは考える。
――やろうとしないだけ!
シエルは恐怖を忘れ、首にあるナイフの刃を握り締めた。
痛みに顔を歪めるシエル。両手が熱く焼けるような痛みに力が抜けそうになるが、アグラードがどんなに動かしても離さなかった。
「離せ! なんだ、お前――」
「今だ!!」
魔法騎士が手を挙げると、頭上の方から音がした。いつからそこにいたのか、屋根の上、塀の上から何人もの魔法騎士が現れる。
「血肉を求める連続氷剣の乱舞!」
「体躯を抉る狂気の竜巻!!」
一斉に魔法を唱え、様々な魔法が入り乱れた。魔法騎士の魔法は強く、人さらいらは逃げ惑う。
それは予想通りで、すでに包囲されている裏路地。次々に人さらいたちは捕らえられていく。驚くほど見事な連携攻撃だ。
「彼女から離れろ!!」
アグラードが隙を見せた。その途端、いつの間にいたのか魔法騎士が剣をアグラードの喉に押し当てていた。
「さて。同行願おうか?」
「クソ!」
人さらいと魔法騎士団の戦いはあっけなく幕を下ろした。魔法騎士団に連れられていく彼ら。
アグラードが去っていく後ろ姿を見て、やっとシエルはナイフを手放す。同時に座り込んだ。
「立てるか?」
魔法騎士はシエルの前で手を差しのべる。支えられて立ち上がると、やっと助かったのだと実感出来た。
「君がシエルさんだね」
驚いた表情を見せると、魔法騎士は優しく微笑んだ。
「捜索を頼まれた。ホテルで親しい仲間が待っている。そこまで送ろう」
親しい仲間と聞き、ほっとしたのか急に涙が流れてきた。また恐怖も蘇り、座り込みそうになるところを力強く支えられる。
「大丈夫だ。もう、あいつらはいない」
「……ごめんなさい」
「それは弟に言ってやってくれ」
言われてシエルは彼を見た。
透き通るような青い瞳。強くて、優しい眼差しと、感じたことのある雰囲気。
目を細める笑い方は、ジュビアそっくりであった。




