彼女は優秀。ただし生意気。
彼女は爽やかな風が舞い込むそこで、ひたすら本を読んでいる。
読書は知識の宝庫。知らないものがそこには書かれていると思うだけでわくわくするものだ。読んでも、読んでも、まだ読み足りない。
グリューン魔法学校の図書館。在学中にほとんどの本を読み終えてしまい、わくわくはいつの間にか物足りなさに変わっていた。
それでも図書館という雰囲気が好きで毎日訪れることが日課だ。
古くなった図書館には、やはり古い本棚と破けそうな本ばかり。歩いていると軋む音までする。紙を捲る音や匂い、窓の外から入ってくる葉の擦れる音や鳥の囀り。
シエルはその全てを愛していた。だから今日という日に、図書館に来たのは至極当然のことである。この後の予定など考えていない。
一人しかいないその部屋で、まるで舞台にでも立つ女優のように歩き始める。窓から入ってきた風で、白を基調にした制服が揺れた。
何度かページを捲ってはさらっと目を通す。あまり深く読みはせずに次々と進む。あっという間に最終ページにたどり着き、バタンと音を立てて『エーアデと魔法の歴史』を閉じた。
「おかしい」
シエルは首を傾げ、腑に落ちない顔をする。更に仏頂面でそれを本棚に押し込む。
「綺麗事ばかりじゃない!」
シエルが怒っているのは求めていた知識が得られないからだ。歴史など誰でも知っていること。彼女が知りたいのはその中身だ。
勇者と魔王の伝説の戦いについて、書いてある本は一切ない。エリート魔法学校の図書館でも欲しい知識がない。
「どうかしてるわ! この著者も、学校も、世界も!!」
金のロングストレートの髪を掻き上げ、気持ちを落ち着かせるために窓を開ける。
本を読んでいたせいか眩しくて目を細める。痛いほどの太陽の光。青空。細かい雲が木々の隙間から見え、穏やかな朝であることに気づかされる。
深呼吸をして振り向けば、重厚な扉が場違いな空気を醸していた。
「……禁書とか読んでみたいけど」
それは禁書の扉。黒く重そうなそれが開いたところは、この六年間見たことがない。
図書館が燃えても、地下へと続く扉は中にある書物を守り切るに違いない。それほど重要なものが管理されているのだから、伝説の大戦に関するものもあるはずだ。
地下へ通じる扉をじっと睨みつける緋色の瞳。何とかして開けられないものかと考え、しかし途中で馬鹿らしくなって息を吐き出す。
「つまんないの」
シエルは急に熱が冷めてしまう。求めていた情報が見つからなかったことが特にシエルをがっかりさせた。
「魔王がいた時代に生まれたかったな。生活のためなんて魔力の無駄よ。わたしも戦いたいな」
シエルは校内にある図書館を出る。廊下には誰もいなくて、歩く音がいやに響き渡る。
グリューン魔法学校は西のヴェス国にある。ここは勇者が生まれた場所で、様々な伝統が残る古い町。
勇者が使ったとされる真の剣に倣い、魔法から剣術まで戦いの全てを叩き込まれる。つまり戦うための教育をしている学校だ。
だが、シエルにとっては望んでいた日々だ。戦いが好きな彼女は、誰もが驚くほどの魔力とテクニックを持った優秀者。シエルの魔法に勝てる者はグリューン魔法学校にはいない。教師でさえ劣るほどだ。
だからこそ、戦いの場にいたいと、シエルは願って入学したのだ。
「もっと戦いたかったな」
しかし今日は卒業式である。十八歳のシエルは学校を卒業して、東のオステ国で働く。
オステ国最大の企業、魔法研究所。戦いとは無縁の場所に就職したのには訳があった。
「先輩っ! シエル先輩!!」
考え事をしながら廊下を歩いていると、どこからか声がして立ち止まる。バタバタと忙しない足音に振り向けば、見慣れた長身が駆けてくる。
――童顔が近づいてくる。
女の子みたいに可愛い童顔。それにも関わらず、長身。その不釣り合いな姿が何とも滑稽で可笑しい。シエルは思わず噴き出す。
――恰好いい顔をしていたら惚れたかもしれないのにな。
あくまで可能性。本当に付き合うことはないだろうと苦笑いを浮かべたシエルだ。
「どこにいたんですか!」
「どこって、図書館だけど」
童顔な彼、マールはショートボブの茶髪を汗で濡らし、そのせいで天然パーマが際立つ。同じ色の目は泣きそうになりながら訴える。
「卒業式!」
「うん。今から行く」
「こっちは教室です。講堂は反対です!」
「わかってる、わかってる」
「わかってません!」
一つ下の後輩であるマールは顔を紅潮させて怒る。反省する様子がないシエルの笑顔に、マールは項垂れてしまう。
そこを逃さずシエルがデコピンすると、マールは驚いて後退する。
「痛!」
「前髪切りすぎてない?」
「いいんです!」
言われて、更に顔を赤くしたマールは、短い前髪を必死に引っ張る。伸びるはずもなく、ウェーブした髪は眉の上で揺れる。
「もう卒業式始まってます! ぼくまで怒られるじゃないですか!」
「わかってるから」
シエルはからかうのをやめて、今度こそ講堂に向かって歩き始める。そんなシエルの少し後ろをマールがついていく。
「マールさ。わざわざ迎えに来てくれたの?」
「主役がいないからって、校長に頼まれました」
「ふーん。そういうこと」
マールがシエルを慕うようになったのは、シエルが魔法学校に入学した翌年。マールが一年生の時だ。
合同演習でシエルの姿を見かけ、その魔法の素晴らしさに憧れた。すっかりシエルの虜になったマール。自らの希望でシエルの世話をするようになった。
授業以外の時間は常にマールと一緒にいたが、お互いに恋愛感情を抱いたことはない。
当初は付き合っているのではと囁かれたが、シエルの素っ気ない態度に噂も消えてしまった。
――友達いないし、暇だったから別にいいけどね。ま、それももうすぐ終わりね。
シエルはクスっと笑う。
今日は卒業式。その主役はシエル。彼女は首席卒業者である。誰よりも力があるということだ。
講堂の屋根の上。鮮やかな赤い校旗が風に揺れている。剣と炎が描かれるそれは、シエルが使う火魔法を表したものだ。
今、グリューン魔法学校で一番の実力者は火魔法使い。つまりシエルだということだ。
もしも水魔法の者がトップなら、剣と水が描かれた青い校旗に変更される。
この校旗を眺めることがシエルは好きだ。自慢だからだ。誰にも負けることなく、卒業という日を迎えられたのだから。
ふと思い出して、歩きながらマールを振り返る。
「マールさ。何魔法使うんだっけ?」
「水ですけど」
「思うんだけど、同じ水魔法の人についた方がいいんじゃない?」
「嫌です!」
「でも今日、卒業するよ?」
「シエル先輩以外にはつきません!」
頑固なところは相変わらずだと、シエルは前を向く。マールの考えていることを理解するのは諦めて講堂を目指す。
「他の魔法、使ってみたかったな」
「それは絶対に無理ですから。諦めてください」
「わかってるわよ」
不貞腐れて言うシエルに、マールはそれ以上何も言わない。シエルにも一つの属性魔法しか使えないことはよくわかっていた。
「妙な世界よね、エーアデって」
「シエル先輩?」
「いいの、気にしないで。本を読みすぎたせいだから」
講堂の扉の前。微かに聞こえてくる校長の声に、少し緊張する。シエルは深呼吸をして扉に手をかけた。