中央都市プルプ
卒業式から約二ヶ月が過ぎた。グリューン町を離れて、新たな力を求めて旅立つことになるなど、あの頃のシエルには予想すら出来なかった。
そんなことを揺れる馬車の中で思い、吐き気を抑えているなど、もっと予想外であった。
グリューン町出発から丸二日。中央都市プルプに着いたのは昼時であった。
◇ ◇ ◇
「行ってきます」
ぼんやりした頭がマールの声だと判断する。沈んだ声の後にドアの音が続き、すぐに静寂が訪れた。
誰かいるのか確認をしようと試みるが、目を開けると吐き気が戻ってきそうだ。仕方なく、シエルはそのままの態勢でいた。
ヴェス国には大きく分けて五つの町がある。ほとんどが小さな町だが、ヴェス国のほぼ中央に位置する都市。それが国王と魔法騎士団、そして大図書館のある中央都市プルプだ。グリューン町から東へ行き、平原地帯と川を越えると、その姿が見えてくる。
グリューン町から中央都市プルプまで、点々と宿泊施設や休憩所がある。急ぎの旅ではないので、何度も休憩所に寄りながら馬車を走らせていた。しかし、それでもシエルは馬車の揺れに酔った。
中央都市プルプが見えてきたという会話を最後に、気づけばどこかで休んでいるという状況だ。
――ここはどこだろう。
ずっと感じていた揺れはない。中央都市プルプに着いているのは確かだ。
それにマールが閉めたドアの音。そして身体に纏わりつくものは布団。どこかの宿屋であることは間違いない。
明るさを感じるということは、まだ昼間だ。
「起きてる?」
誰もいないと思っていたシエルは、急に耳元で聞こえた声にビクリと肩を揺らした。
「い……たの?」
薄く目を開けると、そばでにっこり笑うジュビアと目が合った。
「ずっといたよ」
「声くらいかけてよ。気配すらないんだから」
「それは悪かったね」
クスクス笑うのを見て、特に悪びれる様子もない。怒る気力はなかったが、気分がいいものではない。
「会話が出来るくらいには、よくなったみたいだね」
シエルはまだ揺れている感じがしていた。頭を少し動かしただけで目眩がする。
「そんなに乗り物、駄目だった?」
「ここまで酷いのは、初めてかな」
「そうみたいだね」
乗り物に弱いことは自覚していた。
中央都市プルプに来る機会は何度かあった。グリューン魔法学校では、魔法騎士団と並んで訓練や警備に参加するなど、本格的な授業があるためだ。
その際にも同じような馬車を使ったが、立ち上がれないほど酔ったことはない。
「マールは?」
出かけていったマールのことが気になっていたシエルは、後ろを向いて何か作業をしているジュビアに問いかけた。
「日雇いの仕事を探しに行った」
「仕事?」
驚いて頭を上げると、ジュビアが冷たいタオルを額から目のあたりまで覆うように乗せた。
「目を閉じて」
仕方なくシエルは力を抜いた。
「仕事って?」
「旅人というのは決して甘くない。それなりの金を持って旅立っても、すぐに底をつく。予定通りとはいかないからね。旅が長くなればなるほど、それだけ金が必要になる」
食事、宿屋、移動で使う馬車はもちろん。毎日同じ衣服を着るわけにもいかない。怪我をしたり、病気になったりと予定にはないことが多くある。天候にも左右される。
「町に立ち寄る度に、日雇いの仕事をして稼ぎながら目的地に行く。これが旅をする際に必要なことだよ」
中央都市プルプくらいの大きい街では日雇い専門の斡旋所がある。
大きい街は稼げるが、旅人に厳しいところもあるので働くまでが大変だとジュビアは言う。
「ジュビア先生。よく知ってるんだね」
「まあ、それなりに歳はとってるからね」
ジュビアの容姿で歳だと言われると違和感がある。シエルはあえて何も言わないことにした。
「時間がかかりそうだからね。日雇いの仕事でもしてみないかと、マールくんに言ってみたんだよ」
「沈んだ声、してたけど?」
「シエルのことが心配だったから、じゃないのかな?」
理由を聞いてシエルはため息をついた。人の心配ばかりして、自分のことは考えない。そんなマールの性格が、シエルにはわからなかった。
「不思議だと思わないかい?」
徐ろにジュビアが聞いた。
「中央都市プルプはこんなに発展しているのに、グリューン町は昔の姿を維持している」
シエルは何度か中央都市プルプには来たことがあり、その度に驚かされていた。
大通りにはあまり見たことのない乗り物、自動車が行き交い人々は縫う様に歩いていた。彼らの服装もおしゃれで裕福そうだと感じた。そこを歩くのは民だけではなく、中央都市プルプを守る魔法騎士団の姿。
その魔法騎士団が過ごしているのは、街の東側の寮、西側の訓練所。そして城近くに詰所がある。
プルプ城は街の北側にある。その手前に大図書館が王を守るかのように建てられていた。
城と大図書館のある丘から見える城下町の景色は美しく、それを見るためだけに人々が集まるほどだ。特に夕陽に染まる街は美しい。
街にあるもの全てが驚きの光景であったのをシエルは思い出した。
「確かにグリューン町とは違う」
「なぜだかわかるかい?」
「……魔法、でしょ?」
君は優秀すぎて可愛げがないとジュビアがぼやく。可愛く見られたいと思ったことはないが、そう言われると気になるものだ。
「魔法自然説、だったかな」
「その通りだ、シエル」
グリューン町が昔のままの姿を維持している理由。それは魔法のためであった。
グリューン町だけではない。ヴェス国全体がそうだ。特に発展している中央都市プルプでさえ、木が植えられ、草花が所々で見られる。
全てわかっているわけではないが、魔法と自然は深い関わりがある。魔法を使うために必要なものは自然エネルギーだ。決して無限に使えるものではない。
そんなことを特に気にしているヴェス国。どちらでもないのがノルデ国とズユー国。関係なしに発展し続けるオステ国。
シエルは図書館で読んだ本の知識を再確認した。
本当に魔法の時代が終わるようなことはあるのか。それとも、とシエルはまだ疼くような気がする腕を掴んだ。
――すでに何かが始まっている、とか?
魔法を使うために自然を残さなければならない。いかに自然と共存出来るか試されているような気分になる。
「だいぶ落ち着いてきたみたいだね。会話もスムーズだ」
「……会話で体調を看ないでくれる?」
突然、何を話し出したのかと思えば、いつの間にか医者としてシエルを看ているジュビア。振り回されているようで疲れてきた。
「さて」
立ち上がる気配がしてシエルは不安になった。どこかに出かけるのか、ジュビアの足音が離れていく。
「先生?」
「先に着いてるエスを捜しに行くよ。今日は寝ていなさい。それから、気分がよくなっても一人で出かけないこと」
「なんで?」
「……危険だから。最近、物騒な事件が起きているらしいからね」
「そう。わかった」
シエルは物騒な事件の内容を聞きたかったが、引き止めるのも悪い気がして黙っていた。
「行ってらっしゃい」
「ああ」
しばらくして、ドアが閉まる音が響く。静かになった部屋にシエルのため息だけが残された。
――最悪だわ。
旅立ったばかりだと言うのに、自分のせいで動けない現状。大図書館での探し物が出来ないことが悔しかった。
だが、シエルの中にある迷いが大図書館に入ることを拒んでもいた。今の状態にほっとする自分がいることも確かだ。
漠然とした望みに縋って、召喚幻獣を探すことを決意した。しかしシエルの胸の奥には恐怖がある。
――もし、見つけることが出来なかったら。
――見つかったとして、それを使いこなすことが出来る?
――召喚幻獣など蘇らせて、世界が終わることになったら。
様々な憶測がシエルを縛り付け、恐怖と緊張で通常の彼女ではなくなっていた。
「バカみたい……」
弱くなっていく自分自身が嫌いだ。魔力を失ってから、どんどん嫌いになっていく。
まるで自分を見失っていくようで。少しずつ変わっていくことは、シエルには恐怖だった。




