◆逃走◆
朝の街道を馬車で行く三人。運良く乗ることが出来た馬車は、本来ならグリューン町に向かうはずだった。
しかし、急いで町を離れなければならないルウたち一行は交渉をして、中央都市プルプまで乗せてもらえることになる。
空になってしまった財布を逆さまにして、嫌味にアピールするのはヴァンだ。
「本当にごめんって」
「君のせいで犯罪者扱いだ。反省したまえ!」
「本当にごめんなさい」
「アキが覚醒するわ、ルウを捜すときかない、下手をしたら我まで殺されるところだったのだぞ」
朝の街道を馬車で行きながら、ヴァンは最悪の一日を振り返っていた。
◇ ◇ ◇
事の発端は昼下がり。
住宅の多い場所や商店では、のんびりした空気が流れ、洗濯物を取り込む女たちがせわしなく動いていた。店でも夕刻に向けて商品を用意する男たちが働いている。
ルウは魔法学校の図書館に求めている情報があるかもしれないと忍び込んだ。
魔法学校の図書館。しかも有名なエリート学校。それだけ価値のある書物が揃っているはずだ。
ルウは寮から学生服を拝借し、生徒に成りすますことに成功。二十歳の彼だが童顔が役に立った。
ただ、教師たちに見つかるわけにはいかない。そこでヴァンがアキを連れて校長に入学についての話を聞くことになっていた。
午前中は『祈りの儀式』があって無理だと言われ、女将の紹介で昼過ぎには面会出来ることになった。
二人が話をしているうちにルウは全てやり終え、夜になる前に門の外で待ち合わせをすることになっていた。
そんな大胆な作戦を勝手に決めたルウを叱りつけたヴァン。しかし、アキはケロッとしているルウに笑みが零れた。珍しいアキの笑顔にヴァンは諦めたかのように作戦を実行することを承諾した。
校長や何人かの教師と話をして、アキの魔法の実力を知りたいと言われたのが夕刻前。ルウの仕事も終わった頃だ。
実力を見せたらさっさと魔法学校を離れようと考えたヴァン。それをアキもわかっていた。
連れてこられた魔法訓練施設。天窓からの薄い光だけで、薄暗いそこに校長と教師が二人。
どうすればよいのかと、校長の指示を待つ二人だが、背後の扉を閉められて振り返った。
『さて、本当の目的を話してもらおうか?』
『訳のわからないことを言わないでほしいな。我らは、魔法学校入学のことで話を聞きに来ただけのこと』
ヴァンが柔らかい口調で言うと、校長が目を細めた。
『これは警告だ。その口から真実を告げてもらえないか?』
後ろにいた教師が二人、徐々に間合いを詰めてくる。アキはヴァンの横で警戒した目を教師に向けた。
『校長。どういうことです?』
『なぜ図書館に侵入した?』
ピクリとヴァンの眉が動いた。それを見逃さなかった校長が、一歩彼らに詰め寄る。ヴァンは大きなため息をついた。
『彼は失敗したということか』
ヴァンはアキの肩を抱き寄せた。しかしアキは彼の前に出て校長を睨みつけた。
『ルウはどこ?』
『教えると思うか?』
『無事……なんでしょ?』
『一つ言えることは、禁書に手を付ければ命はない』
その言い方から、すでに魔法訓練施設の周りは包囲されている可能性がある。施設の構造を知らない二人には不利な状況だった。
『ルウ……』
逃げる方法を考えていたヴァンはアキの異変がわからなかった。激しい風。空気が震え、肌を刺す痛みにやっと気づく。
そこには金髪のアキはいない。燃えるような赤い髪の彼。そして冷たい声が辺りを凍りつかせた。
『……死ねよ』
激しい炎がアキから迸り、竜のように周囲をのたうち回る。校長や教師二人をなぎ払い、最後に扉を破った。
何もかもが真っ赤に燃え上がるような、そんな感情の爆発だった。どんなに肩を揺すっても、名前を呼んでも反応はない。
吹き飛ばされた教師たちはみんな無事のようで安心するが、このままではいけないと判断して逃げ道を探す。
『アキ!!』
再び名前を呼ぶと一瞬、誰だかわからないような顔をした。肩を強めに揺すると、やっと目の焦点が合う。
『オレは、アキ?』
『そうだ。とにかく逃げるぞ』
『ルウはどこ?』
自分の名前すらわからなくなっていたアキが、ルウだけには反応する。とても強い絆だとヴァンは思った。
『ルウを守らなきゃ……ルウを助けなきゃ……ルウを殺されてなるものか……』
アキは鋭い眼光を正面に向ける。狂気に満ちた雰囲気に、思わずヴァンは息を呑む。
『……殺すのはオレだ』
目の前が真っ赤になる。
それは炎だ。何気なく突き出した手から大きな炎が走る。それは扉から僅かに見えていた外の木々に燃え移った。
『まずい。アキ! 逃げるよ!!』
そばにいたヴァンが手を引く。夕闇が迫る中、アキが燃やした木々がやけに赤く見えた。
灯りのない場所を探しながら逃げる。ヴァンはとにかく魔法学校を離れようと走り出した。
『待って。ルウは?』
『彼なら大丈夫。すぐに追いつくはずだ!』
『気休めなんかいらないよ』
そう言ったアキはヴァンの手を振り払う。
『アキ!!』
一気に走り出したアキが向かったのは魔法学校の建物、校舎だ。すぐに姿が見えなくなった。
『クソ!!』
◇ ◇ ◇
そして窮地に追い込まれながらも、グリューン町から逃げ出しルウと合流。ヴァンは走り出したアキを捕まえて、魔法学校講堂の屋根に隠れた。
何度も似たような危機に立たされてきた彼らは、逃げ方も危険な場所での隠れ方も驚くほど優秀。ヴァンが腰に提げている鞄にも、逃走に必要な道具類が詰め込まれていた。
すでに町は闇に落ち、魔法学校だけではなく町の至る所に灯りがつき始めた。おまけに雨が降った後。走って逃げれば足音で居場所を特定されてしまう。
ヴァンがどうするべきか考えていると、遠くで人の争う声が聞こえた。見つかったと、そう叫ぶ声に導かれるように魔法学校にいた人が減っていく。
それはルウが作ったチャンスだと後から聞いた。
ヴァンは銃を中庭にある像に向けた。
その武器は魔法銃と言い、ヴェス国には出回っていないものだった。魔法には呪文が必要になるが、魔法銃にはそれがないために不意打ちが可能。
激しい魔法が像を砕いた。ヴァンの魔法銃から放たれた雷魔法により、その場にいた者たちが集まってくる。
その隙にアキはすでに下に降り、ヴァンも後に続いた。そして外に逃げられたのだった。
ルウと町の外で合流出来た途端に、アキは眠るように倒れてしまった。今は金髪に戻った彼は、ルウの膝ですやすやと寝息をたてている。
「それで? 収穫はあったのだろう?」
「まあね」
ヴァンが聞くと嬉しそうに本を二冊渡した。
「召喚幻獣か」
「どうやら召喚幻獣って龍のことみたいだよ」
「……伝説の生き物か」
ヴァンがパラパラと古びた本を捲っていく。
集中して読み始めたので、ルウは話しかけるのをやめた。
途中、何度か止まりながらも見つけたキーワードにヴァンは顔を引きつらせていた。しばらくして二冊目を手に取って、同じように読み進める。そしてやはり浮かない顔をした。
「どうしたの?」
そこでやっとルウが話しかけた。
「さすが伝説級のものだ。そう簡単ではないぞ」
何を読んだのかを聞こうとして、馬車が止まった。幌の中で外の状況がわからない。どうしたのだろうと思っていると、声がかかった。
「着きましたよ、お客さん」
言われてルウはヴァンに困ったように笑いかけた。
「ずいぶん早かったね」
「……早すぎる」
まだ寝ているアキを背負い、外に出ようと立ち上がりかけた時だった。
「体躯を抉る狂気の火焔嵐!!」
呪文が聞こえてルウは後退る。と同時に幌が一気に燃え尽きる。熱風と灰が舞い、太陽の光が射し込んだ。
「動くな!!」
すでに包囲されていた。
鋭い剣を突きつけ、睨んでくるのは魔法騎士団。中央都市プルプを守る騎士の姿だった。
これはシエルたちが旅立つよりも前のこと――。




