集う者たち
卒業式が終わってから一ヶ月半。
グリューン魔法学校では入学式が終わり、新しい顔触れを町で見かけるようになった。
真新しい制服を着ている生徒を見かけると応援したくなる。町に住む誰もが同じ思いでいた。
卒業式が終わると新しい生活を始めるために、卒業生のほとんどがグリューン町を出た。
そして診療所ではシエルが定期診察に来ていた。
傷痕は残ってはいるが、動かせるまでに回復した。痛みも時々疼く程度で治まっていた。
ジュビアが処方した塗り薬で、日常生活は難なくこなせる。退院したのは半月ほど前だ。
そのシエルが診療所を出た後、すれ違いでエストレジャが来た。
「あれ? 施設長」
「おお、シエルか」
「まさか怪我? 病気? 二日酔い?」
診療所には似つかわしくない健康的な姿に眉を顰めていると、エストレジャはシエルを小突いた。
「痛っ」
「二日酔いとはなんだ。俺はジュビアに話がある。いるか?」
「今、休憩になったところだって」
「そりゃ、都合がいい」
エストレジャはシエルの頭を乱すように撫でてから診察室の方へ歩いていった。
「また乱された」
髪の毛を整えてから、シエルは診療所を出た。
今日は生憎の曇り空。雨が降る様子はないが、何となく気持ちが落ち込むシエルだった。
グリューン魔法学校の寮からはすでに出ていて、シエルは仮住まいとして大衆食堂に隣接された宿屋の一室を借りていた。
女将の好意であり、詳しくは知らないがシエルに何かあったことは気づいていた。
「お帰り、シエルちゃん」
「女将さん。ただいま」
大衆食堂に戻ると笑顔の女将が迎える。それにシエルは応えた。
「もうすぐお昼だけど、食べるかい?」
「じゃあ、今日のおすすめちょうだい」
「はいよ」
すぐに女将は厨房に向かった。シエルも空いている席に適当に座る。
「召喚幻獣……か」
希望はある。
瞬きをした途端に消えてしまいそうな儚い希望。それでも手を伸ばす価値のあるものだ。
ただ、怖さもあった。召喚幻獣はその名の通り幻とされている獣。言い伝えでは復活させた後に世界を破滅させると記されている。本来は復活させてはならないものだ。
「それでも」
シエルには召喚幻獣、龍が必要だった。
「あ。先輩!」
「マール?」
大衆食堂の入り口から声をかけたのはマールだった。屈託のない笑顔をシエルに向けて歩いてきた。
「もう、腕は?」
「大丈夫。それよりマール。学校は? 今授業でしょ?」
その時、女将がテーブルに現れた。シエルの前に大盛りのチャーハンを置いて微笑んだ。
「マールくんは食べるかい?」
「あ。ぼくは大丈夫です。用事を済ませなきゃいけないので」
「そうかい。またよろしく頼むよ」
「はい」
女将が去っていくのを見てから、マールはシエルの前に座った。シエルは構わず食べ始める。
「ぼく、学校辞めました」
カチャンと食器を鳴らして、シエルは顔を上げた。
「なんですって?」
「だから、学校を辞めました」
――――
一方、診療所でジュビアに会いに来たエストレジャ。休憩だと聞いて遠慮なく診察室に入ると、意外にもジュビアは驚かなかった。
「行くんだろう?」
そう聞いてきたジュビアに苦笑いをする。
「……ああ」
全てお見通しだと言わんばかりに、口角を上げるジュビアにため息をもらす。
「先に行って盗賊を追う」
「逃げた場所はわかっているのかい?」
「中央都市プルプで捕まっている者が酷似していると、校長の使いが知らせたらしい」
「その確認に行くんだね」
唸るような返事をしたエストレジャに、ジュビアは眉を顰める。
「私たちの目的も中央都市プルプ。行き先が同じでよかったじゃないか。なにか不満かい?」
「いや、不満はない」
「じゃあ、なんなんだい?」
「忘れたのか。今、プルプでは魔法騎士団の任命式が執り行われている。罪人に会うのは難しいかもしれない」
そうだったね、とジュビアは思い出して額に手を当てた。
「すっかり忘れていた」
魔法騎士団の任命式は一週間をかけて行われる。
新しく魔法騎士団に入る者は王に誓いをたて、そこで初めて魔法騎士団に入ることを許される。
式自体は一日で終わる。
だが伝統があり、騎士団に任命されたばかりの新人はその後一週間は外出を禁じられる。
それに、神聖なる儀式の最中であるこの期間に罪人に会うことは不可能だ。
「行くだけ行ってみるがな」
「わかった。私たちも後から行くよ」
「シエルは?」
「さっき返事をもらった。行く決意をしたと」
「そうか」
エストレジャは嬉しそうにニヤニヤしながら立ち上がった。
「先に行く。あいつらを頼んだ」
「わかってるよ。あいつらって?」
「マールは退学になった。必ずついてくるはずだ」
ジュビアは頭を抱えた。
「エス。君は一応、教師だろう。マールくんの退学を喜んでどうするんだい?」
「怒るなよ。マールが初めて、自分からやりたいと言い出したんだ。学校を辞めてシエルを手伝うってな」
エストレジャの言いたいこともわからないではないが、ジュビアには納得出来なかった。しかし辞めてしまったものは仕方がないとも思っていた。
「辛気臭い顔をするな。あいつ、実は進級テストが駄目だったんだと」
「なるほどね」
進級テストが不合格。つまりマールはやり直しで進級出来ない。
マールはこれ以上は無理だと判断して、学校を辞める決意をしたのだ。それを責めることは出来なかった。
「校長は? よく許したね」
「渋々といった感じだったらしいけどな」
「だろうね」
ジュビアは戸棚から手のひらサイズの小さなケースを取り出した。
「持っていくといい」
「なんだ? ジュビア」
「応急セット。シエルを襲った犬のこともある。くれぐれも気をつけて」
「わかってるさ」
エストレジャはそれを受け取って診察室を出た。
「またな、ジュビア」
「ああ」
エストレジャは誰よりも先に旅立つ。
表向きは校長の依頼で秘密裏に盗賊を追うこと。そしてシエルを襲った犬の調査である。
しかし一番の目的はシエルのことだ。
先に行き、出来るだけ情報を集めたいと思っているエストレジャだった。
「大変な旅になるぞ、シエル」
エストレジャは太陽の見えない空を睨んだ。
◇ ◇ ◇
エストレジャがグリューン町を発ってからちょうど一週間。シエルは眠い目を擦りながら東門に来ていた。
まだ日の出直後。
薄暗いグリューン町の東門。眠そうな門番の横を通り過ぎると、待っていたかのように風が髪を撫でていった。
目の前に広がる大平原。徐々に明るくなっていく景色。耳を澄ますと虫の声が時折聞こえる。
シエルはどんな服を着たらよいのか迷って、結局、卒業したにも関わらず制服を着ていた。白に青いライン。ベージュのカーディガンとブラウンのブーツだけは自分で選んだものだ。
そして初めて髪の毛を結った。サイドを編み込んで、まとめてポニーテールにした。必ず召喚幻獣を見つけ出すという気合いの表れだ。
シエルは肩から下げた黒い鞄から、懐中時計を取り出した。それは父にもらったものだった。
「午前五時。そろそろね」
シエルは一週間前のことを思い出していた。
旅立つ決意をしたシエルに、ジュビアは驚きも喜びもせず、淡々と言葉を並べた。
『では一週間後に発つ。二度と帰れない。そのつもりで準備をするように。わかっているだろう。私たちが探そうとしているのは、伝説級のものだ。それに本来ならば見つけてはならない禁断の生物。グリューン町どころか世界を敵に回すかもしれないものだ』
いつになく真面目に言うものだから、シエルは緊張してしまった。どんなものを探し、どんな旅になるのかがその言葉でわかり、甘い考えであったことが急に恥ずかしくなった。
『先生は、それでいいの? 診療所を辞めて、町を出てわたしについてくるなんて。普通じゃ出来ない』
そうシエルが思い切って聞いてみると、ジュビアはクスリと笑った。
『魔力ゼロの少女を一人で行かせるほど、私は非情ではないよ。それに医者を辞めるわけじゃない。診療所には臨時で人が入るし、私は旅をしながら巡回診療をして続けるつもりだよ』
さらりと言うジュビアが恰好いいと思ったのは言うまでもなく、人のために手を差し延べる彼に嬉しくなった。
しかし、お世話になった大衆食堂の女将や広場のおじさんに会えなくなるのは、やはり悲しいシエル。
でも改めて挨拶はせず、いつも通りに食事をして会話を交わした。二度と会えないとは思いたくなかったからだった。
「遅くなったね」
その時、待ち兼ねていた人物、ジュビアが顔を出した。
ちょうど朝日に照らされて、右側に纏めた銀髪がキラキラと輝いていた。青い瞳が細められて、シエルはドキリとしてしまう。
何よりも、白衣姿しか見たことがなかったジュビアがいつもとは違う装い。
白いVネックシャツに七分袖の黒ジャケット。紺のパンツ。首元には青いストール。少々若すぎる恰好だとは思うのだが、ジュビアには似合っていた。
「惚れた?」
「惚れません」
「素直じゃないな」
「素直だから」
そんなやり取りをしている後ろから、控えめに顔を出す人物がいた。長身、柔らかい敬語。くりっとした大きな瞳に茶髪。
上下制服はシエルと変わらない。その上に黒のパーカー。そして黒いスニーカー。グレーのワンショルダーバッグをかけている。
その姿に驚いたシエルは拳を前に突き出した。
「馬鹿!!」
東門から出てきたばかりのマールの腹を殴ったシエル。防御すら出来ないままマールは腹を押さえてうずくまった。
「なんでいるの!」
「ジュビア先生に、聞いて……」
ジュビアを睨むと、すでに彼は別の方向を見ていた。この件に首を突っ込む気はないようだ。
「この間、言ったでしょ? わたしはあなたを連れて行かないって」
「どうしてですか!」
「だって……」
あなたは弱い。
そう言いかけて、シエルは押黙る。もう、それを言える立場ではないことに気づいたからだ。
「この間言いましたよね? 助けるって。ぼくも行くって」
「でも」
「ぼくは進級テストが不合格で、自ら退学しました」
「聞いたわ」
「ぼくにはもう、他に行く場所はないんです。だからお願いします、シエル先輩!」
学校を退学になったというのに、落ち込む様子はない。それどころか生き生きしている。
そんなマールに逆に腹が立った。
「マールはっ!」
「シエル先輩が、ぼくの生きる希望なんです。だから連れて行ってください。手伝わせてください!」
必死に頭を下げるマールに、シエルは言葉を失う。
こんなにも何かに必死になったことはない。
人に頭を下げるなんてもってのほかだ。それを難なくやってのけるマールが羨ましくなった。
余計なプライドがあったからこそ、本気になったことがなかった。
「……マール」
「私はいいと思うけどね」
「え?」
それまで黙って聞いていたジュビアがマールの横に並んだ。マールより少し背が低い。
「退学は、マールくんから申し出たそうだね? エスが言っていたけど」
「はい」
「後悔はないのかい?」
「ぼくはシエル先輩を守ると決めたから」
強い意志にシエルは目を見開く。
――マールって、こんなに強かったんだっけ……。
ただ課題をこなして魔法を使って、ただなんとなく時間を過ごしていたシエルには、マールの成長が羨ましかった。
心の強さが、意志が、自分にはないものが羨ましくて悔しかった。
「守る、か。簡単なことではないよ? マールくんが思っている以上に」
「覚悟しています」
ニヤリとジュビアが笑うのをシエルは見た。
嫌な予感がして、口を出す前にマールの前に大きな荷物が置かれた。
「な、なんですか? ジュビア先生」
「連れて行ってあげる。その代わり、荷物を頼むよ」
「え……」
「医療セット、結構あるんだよ」
それはあんまりだとシエルが抗議するより前に、今度はマールがニカッと笑った。
「わかりました!」
そして荷物を早速背負う。
「ちょっと! 勝手に話を進めないでよ!!」
そう叫んだシエルを無視して、ジュビアは歩き出した。無視されたことに腹を立てたシエルだったが、いきなり出てきた手に驚いて怒りは消えた。
「なに?」
「よろしくお願いします、先輩」
「わたしは許してない」
「そんな……」
「でも、勝手にしたら?」
「え?」
「ついてきてもいいけど、遅かったら置いていくからね!」
シエルはマールが差し出した手をパシッと軽く叩いて歩き出した。
「ぼく、絶対について行きますから」
「はい、はい」
マールもシエルの後を歩き出す。
「ジュビア先生、施設長は?」
「エスは今頃、中央都市プルプだ」
「えーっ!!」
「それ、早く言ってよっ」
ここに一つのパーティーが生まれた。
一人は魔法を失った最強魔法使い、シエル。必ず召喚幻獣を探すのだと決意した少女。
一人はシエルの後輩、最弱魔法使いマール。シエルのためにと自ら志願した命知らず。
一人は医師魔法使い。その実力は誰も知らない。今は二人の保護者のような存在である。
一人は別件で先に旅立った筋肉隆々の男、エストレジャ。魔法よりも力で解決しそうな男。しかし誰よりも頼りになるリーダー。
一つの目的のために四人は集まった。失ったものを取り戻すため、前代未聞の旅が始まる――。




