深夜の話――言い伝え
「世界、つまりエーアデに古くからある言い伝えは知っているな?」
急にエストレジャに問われて、頷くことしか出来ない。何を言い出したのかと不思議に思いながら、シエルは何度も聞かされた言葉を思い浮かべる。
――――――
その者
結ばれた仲間と共に
ここに現れる
その者
召喚幻獣を甦らせ
世界を救う
その者
召喚幻獣と恋に落ち
世界を破滅させる
――――――
言い伝えとは、伝説の大戦の頃に勇者と共に戦った姫巫女が残したとされる予言だ。
しかし、おとぎ話のようなそれを真に受ける者はほとんどいない。
魔王と戦った大戦から三千年経った今、大きな戦いは確認されていない。平和な世の中に予言は戯れ言でしかないのだ。
「それが、なに?」
シエルの目の前にエストレジャは古びた本を置く。乱暴に扱えば壊れてしまいそうなほど弱々しい。
角は擦り切れていたし、紐で丁寧に製本された古いものだ。黒い表紙に何か文字が書かれていたようだが、消えていて読めない。
「なによ、これ」
「『勇者の日記』だ」
シエルはガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「待ってよ。『勇者の日記』が存在していたなんて聞いてない。だいたい、どこにあったのよ」
「落ち着け。これは『勇者の日記』のコピー。その一部だ」
「コピー?」
古い文献の多くは研究目的で書き写すなどしてコピーを作る。特に古いものは風化してしまわないようにコピーとはいえ厳重に保管されているという。
今では書き写さなくとも、コンピュータなどを使ってデジタルに保管出来ると聞いたことがある。実際にシエルは見たことがないので、どれだけすごいことなのかはわからない。
「『勇者の日記』にコピーがあるの?」
「誰かが書き写したんだろうな。禁書の棚から取ってきた」
シエルは力が抜けるように、また座る。
「待ってよ。禁書の扉、どうやって開けたわけ?」
「開いてたんだよ」
「は?」
「盗賊がグリューン町にいた話は知ってるだろう?」
確か祈りの儀式と同じ日にグリューン町、特に魔法学校に盗賊が入って大事なものを盗んだと聞いた。今でも争いの痕が残り、今いる魔法訓練施設もかなり壊され、やっと修理出来たと話していたばかりだ。
「その関係で禁書の棚を調べて、盗まれたものを特定する作業をしていたのが俺だ」
「だからって施設長まで盗むなんて」
「教師免許の剥奪。町どころかヴェス国にいられなくなるかもな」
あっさりと言ってのけたエストレジャに掛ける言葉が見つからない。同じ学校の中にいたのに、今では彼のことがよくわからない。
「なんで、ここまでするの?」
「なんでだろうな。俺にもわからないが、ほっとけないんだな」
エストレジャは苦笑い。まるでイタズラが見つかった子供のような表情。しかし、どこか生き生きとしている。
そんなエストレジャに、ジュビアは軽くため息をつく。話が纏まるまで割って入ることはなさそうだ。
「お人好しなのね」
「そう、カリカリするな。俺はやりたいようにやっただけだ。文句は言わせねえよ」
凄むエストレジャに頷くしかなくなったシエル。
「ジュビア先生も同じなの?」
「私はエスが心配なだけだよ」
「馬鹿言うな。なんとかしようって最初に言い出したのはジュビアだろうが」
「エス!」
ジュビアが睨むとエストレジャは肩をすくめた。
「とにかく、話を先に進めてくれ」
ジュビアが誤魔化すように言い、シエルもエストレジャに聞いていた。
「で? 言い伝えとその『勇者の日記』となにか関係あるの?」
エストレジャは『勇者の日記』をゆっくり開く。少し動かすだけで小さな埃が舞い、紙も千切れてしまいそうだ。
「『勇者の日記』に言い伝えが記されていた。ここだ」
エストレジャが指さしたのは、『勇者の日記』の中程のページだ。もっとも、これは『勇者の日記』のコピーの一部なので、実際はどの辺に記されていたかはわからない。
「言い伝えが書かれてる、この下の部分を見て欲しい」
シエルはごくりと唾を飲み込んだ。
「"あの召喚幻獣がいつか封印から解かれると思うと、世界を救えたのか救えなかったのかわからなくなる"」
エストレジャが読んだ文面に、沈黙が訪れた。すでに知っていたジュビアは成り行きを見守るだけ。エストレジャもシエルの反応を待つ。
「施設長。ちょっと待って」
「わかったか。勇者は召喚幻獣を知っていたんだ」
「でも、召喚幻獣のことを調べてどうするの?」
「魔法が使えないなら、召喚幻獣でも捜すしかないだろ」
シエルは驚いて大声で叫びそうになったが、ジュビアが口を押さえる。
「静かに。見つかるとマズイんだから」
「……はい」
深呼吸をしてから、再びエストレジャに向き直る。
「本気で言ってるの?」
シエルが聞くと、横からジュビアが答える。
「魔力を失ったら命がないと言っていたね。だったら、こちらの可能性に賭けるしかないだろう」
「でも……」
「あるかどうかも、その正体もよくわからないものを捜すなんて、どうかしてる?」
ジュビアに言われて、シエルは言葉に詰まる。
確かにそうだ。希望と言うにはあまりにも儚く、消えてしまいそうなか弱いものだ。
「グリューン町を出て旅をしていれば魔力喪失の謎も、攻撃してきた犬のこともわかるかもしれない」
エストレジャの力強い言葉に、シエルは目を見開く。
魔力がなくなったことばかり嘆いていて、なぜなくなったかなど考えることすら放棄していた。犬のことなどすっかり忘れていたことに、自分自身驚く。
エストレジャは髭をさすりながら、嬉しそうにシエルの反応を見る。
「捜すとして、どうやって?」
「それは『勇者の日記』に頼るつもりだ。ここに召喚幻獣のことは、ほとんど書かれていない。だから勇者と同じ道を行けば、必ずどこかで出会えるはずだ」
「なんか頼りない」
「そう言うな。これでも、相当考えたんだぞ。感謝くらいしろっ」
それは、すぐに行くと返事が出来るような内容ではなかった。
何もかもが雲を掴むような話。召喚幻獣の存在すら怪しい。エストレジャが見つけた『勇者の日記』も本物かどうかわからないのだ。




