新たな道を探して
『話は聞いた。エストレジャに』
二週間も前のことだ。
シエルは入院中であったが、話がしたいと言う校長に会いに来ていた。
エストレジャやジュビアがシエルの状態のことを話すはずだ。いずれは校長と面と向かって話さなければならないと思っていた。
一度は入院中だからとジュビアが断ったが、次の日にシエルは会うことにしたのだ。
『信じられん』
全てを包み隠さず話すと、校長は信じられないと頭を振る。校長のため息は深く、シエルの心を抉るようだ。そのことに対して、シエルは何も言えなかった。
『魔法研究所にはアイレに行ってもらった』
しばらく考える素振りをして、迷いを断ち切るように伏せていた目をシエルに向ける。
『魔力のないシエルに行かせるわけにはいかないのだ。わかるだろう?』
話の内容は予想していた。しかしはっきりと口に出されると、悔しい想いがこみ上げてくる。例え、行きたくないと思っていた魔法研究所でも。
シエルは知らず作った拳に力を入れていた。苛々が募り、気づけばその口元は薄く笑って、目は冷めきっていた。
『魔法研究所とこの学校。なにがあるんですか? 優秀な者は必ずオステ国の魔法研究所。人材不足って本当なんですか? それで、オステ国からはなにを貰ってるんですか?』
『シエル。口を慎みなさい!』
強い口調の校長にシエルは怯まない。もう魔法学校とは関係がない。校長から話を聞くのもこれが最後だと思って怒りに任せて喋っていた。
『いろいろ、お世話になりました』
部屋を去ろうとして、
『校長』
思い出したようにシエルは振り返る。
『今、わたしのことをどう思っていますか?』
『どう、とは?』
聞き返されて言葉に詰まる。だが意を決してシエルは言った。
『無能だと、なにも出来ないと思っていますか?』
『……それを聞いてどうする?』
『正直に言ってくださるのは、校長しかいないと思ったので』
『無能な生徒など、この学校にはいなかった。それだけだ』
『正直に答えていただき、ありがとうございます』
――――
思い返せば、落ち込んだ状態で話せばどうなるかわかっていたのだ。嫌味を言ったところで何も変わらないのだから。
魔力がないと理解はしている。だが、それを受け入れるのは時間がかかりそうだ。
病室の片隅で窓の外を眺めていると、思い出したくもないことばかり脳裏をよぎる。
じっとしていることは苦痛だ。しかし、シエルはまだ退院の許可をもらっていなかった。
悪いと思いながらも、また診療所を抜け出したシエル。だが、あの時のようにジュビアが捜しに来ることはない。ある程度、精神が安定していると思ってのことだろう。
ジュビアの前で涙を流したことを思い返せば気恥ずかしい。診察の度に顔を合わせるのが苦痛になるほどに。
しかし毎日見舞いに来るマールのお陰か、思い悩むことは少なくなった。
すでにアイレと決闘した日から三週間。グリューン魔法学校はすでに入学式を終えて、新しい生活が始まっている。
数日後には能力テストがある。今はアイレが勝ち取った緑色の校旗が、また変わるのだ。
今なら思う。頂点に立ち続ける意味はあったのかと。
――意味じゃない。わたしは見下していたかっただけかもしれない。
これまでの自分を思い出してため息をつく。
「嫌な女だったわ。本当に」
グリューン町の北通り。
静かな広場があり、噴水が太陽の光で輝いている長閑な雰囲気の場所だ。広場の周りには屋台の店が点々と並んでいる。
「眩しい……」
ずっと室内にいたせいなのか、陽射しが痛くて目を閉じそうになる。綺麗に舗装された足元の道。光を反射して眩しい噴水。
久しぶりに診療所の外に出たシエルだが、体力が落ちていたせいかすぐに疲れてしまう。噴水のそばにあるベンチに腰かけて深呼吸する。
ブラウスにスカート。薄手のコートというラフな格好をしている。コートを着ているのは包帯を隠すためである。
その時、とてもいい匂いがして振り返る。時刻は昼の十二時。何か食べてから帰ろうかと、シエルは立ち上がる。とは言え、大衆食堂はシエルを知っている人が多い。いろいろ聞かれるのは避けたい。
「あれ? シエルちゃんかい?」
噴水広場を見回していると、屋台を出していた元気なおじさんに声をかけられる。
知った顔に少しほっとしたものの、何か言われるのではないかと内心ドキドキしていた。
「おじさん。久しぶり」
「やっぱりシエルちゃんだ。最近、来なかったから寂しかったよ」
食べることが好きなシエルは、よく噴水広場で買い食いをしていた。しかし、いつからか大衆食堂ばかりに通うようになる。昼時の噴水広場に来たのは久しぶりだ。
「ごめんね。忙しくなっちゃって」
「いいよ。それより、なにか買っていくかい?」
言われて屋台の方を見る。パンに挟んだ揚げ物が美味しそうで、思わず頬が緩む。
「じゃあ、ソースカツのパン。あと牛乳ある?」
「シエルちゃん、これ好きだね。待ってな」
おじさんは屋台の中でパンにカツを入れてソースをかける。持ちやすいように紙に包む。
「お待たせ。こっちは牛乳ね」
屋台の中から二つを渡すと、嬉しそうにおじさんは笑う。
「すみません。同じものをぼくにもください」
シエルが振り返ると逆光の中で微笑むマールがいた。
珍しく制服を着崩して、鎖骨が見えていることに驚く。確かに今日はいつもより気温が高い。
「なにしてるのよ、マール」
「行方不明になったシエル先輩の様子をみてこいと、ジュビア先生から頼まれました」
屈託のない笑みが眩しい。シエルは彼をひと睨みしてから少し離れる。
屋台のおじさんが品物をマールに渡す。
「じゃあ、これでお願いします」
マールが硬貨を渡すのを見てシエルは慌てる。
「待って。わたしの分」
「ぼくが払います。払わせてください」
お釣りを受け取ったマールはおじさんに頭を下げてから、シエルに向き直る。
「どういうこと?」
「なんとなく。気まぐれ、みたいなものです」
「変なの」
シエルが手近のベンチに座ると、マールも並んで座る。
どこかそわそわして落ち着かないマール。困ったような表情に、言葉を探して目が忙しなく動いて瞬きが増える。
「話があるんじゃないの?」
パックの牛乳にストローを刺しながらシエルは聞く。驚いたマールがパンを落としそうになる。
「よく、わかりましたね」
「見ればわかる。わかりやすいのよ、マールは」
シエルはパンの包みを開けながらマールを覗き込む。
「で? なに?」
「かないませんね、シエル先輩には」
「当たり前でしょ」
マールは牛乳を一口飲んでから立ち上がる。
「ジュビア先生からの伝言です。話があるから夜には病室に戻るように、と」
退院の話なら嬉しい。が、退院の後は何をしたらいいのかを考えていないことにシエルは気づく。
それどころではなかったとはいえ、少しのんびりし過ぎていた気がして罪悪感が生まれる。
「それから……」
マールはまた困ったような顔をする。
その顔に嫌な予感がした。
マールほど感覚が鋭いわけではない。しかし誰よりも一緒にいた時間は長い。何となくその雰囲気でわかるのだ。
シエルはその顔を見上げる。
「なによ」
急かすように言えば、いつもと変わらないシエルの対応に安心したマールが笑う。
「ぼく、辞めました」
「なにを?」
「魔法学校を退学しました」
その予感が当たり、シエルは掛ける言葉を探してしまう。しかし、途中で諦めて俯いた。
「そう。残念だったわね」
自分のせいだったのではないかとシエルが悩んでいると、
「退学することを校長に言いました」
清々しい表情をしたマールが顔を覗き込んできた。
「自分から?」
「はい。だから、気にしないでください」
気にしてなどいないとマールの胸を叩いて、シエルはパンにかぶりつく。
「……こんな所にいないで、さっさと仕事探しなさいよ」
「痛いこと言いますね」
「わたしは面倒みないからね」
「わかってます」
マールは再び座って、同じようにパンを食べ始める。
アイレを始め、卒業生たちはすでに旅立った。自分の選んだ道を進み、真っ直ぐに歩いていく。
同じようにマールも道を決めた。真っ直ぐだった道をそれてしまったが、彼は笑顔で違う道を踏み出したのだ。
――わたしも、早く決めなきゃ。
沈んでいる場合ではない。早く顔を上げて動かなければと、改めてシエルは背中を押されたような気がした。
シエルは食べ終わった後の包みを握りしめる。
「ありがとう、マール」
「え?」
「なんでもない」
まだ食べているマールを振り返らず、彼女は立ち上がった。
 




