校長室への訪問者。
「失礼します」
午前六時。グリューン魔法学校は進級試験が終わり、入学式を控えるだけだ。現在は休みである。訓練をする生徒を見かけるくらいのものだ。
ここ最近は校長室に明かりがついたまま。それは祈りの儀式と盗賊騒ぎが起こってから続いている。
そんな校長室に現れたマールは、浮かない顔をしたまま苦悩する校長の前に立つ。
「お呼びですか、校長」
「朝早くからすまない。なにぶん、時間がなくてな」
「気になさらないでください」
そこでやっと顔を上げた校長。疲れのせいか幾分やつれたようだ。
「校長。ぼくは進級試験に落ち、追試として祈りの儀式の護衛を任されました」
「そうだ」
マールは校長より先に話し始める。戸惑いながらも、校長はマールの話に耳を傾ける。
「無事に帰ることが追試合格の条件だと言われました」
「その通りだ、マール」
「でも、ぼくは――」
「待ちなさい。何も不合格と決まったわけではない」
俯いたマールを慰めるように校長は優しく声をかける。
「もう、無理です。ぼくに魔法学校はレベルが高すぎたんです」
校長は唸ってから眉間に手をやる。その様子を辛そうに眺めるマールは次の言葉を待つ。
「認めよう。いつか能力が開花するはずだと、待っていたのは確かだ。本来なら退学になるほどの試験結果。追試を甘くしたのも事実」
「校長」
「入学時の魔力測定では驚くほどの結果を残していたはずだ」
「そう、ですけど……」
マールは曖昧に答える。
確かに魔力測定では誰よりも水晶を白く輝かせた。今となっては何かが壊れていたのではないかとマールは思う。
校長はそんなマールに期待したのだ。期待したからこそ、これまでマールを進学させ続けてきた。
「シエルよりも魔力は上だった。それをワシは覚えている」
「ぼくを見ればわかるじゃないですか? あてになりませんよ、魔力測定なんて」
マールは諦めるように言ってから校長に向き直る。その姿に嫌な予感しかない校長は一度、目を伏せる。
「校長。あの話は考えてもらえましたか?」
「まだ、検討中だ」
沈んだ声を発した校長に、マールはため息混じりに反論する。
「もう、無理ですよ。いえ、遅いくらいです。みんなを騙し続けて魔法学校に居座るなんて最初からおかしかったんですよ」
「マール」
「退学の件。早急にお願いします」
矢継ぎ早に伝えると、校長は唸って黙り込む。
校長にはあと一年という気持ちがあるが、マールにはどうでもいいことである。卒業を目標にグリューン魔法学校に入学したわけではないのだから。
「退学したとして、その後はどうするつもりだ?」
諦めたように問えば、やっとマールは笑顔になる。
「シエル先輩を助けるために、動きたいと思っています」
「シエルのため、か」
校長はエストレジャからシエルの話を聞いていた。
祈りの儀式当日に帰れなかった理由。噂の人を襲う動物に出会ったこと、魔力を失ったこと、怪我をしたこと全てを知った。
そしてアイレと決闘して負けたことも。
校長は窓の外に見える緑色の校旗をちらりと見遣る。決闘からすでに一週間が経っていた。
「シエルは、大丈夫なのか?」
「まだ入院中です。体調も安定していると、診療所のジュビア先生が仰っていました」
「そうか」
どこかほっとした表情を浮かべた校長に、マールは困った顔を向ける。
「面会に行ってみたらどうですか?」
「ワシが町を歩けば目立つだろう。それに、シエルが喜ぶはずがない。迷惑なだけだ」
「それでも校長は、シエル先輩のことを一番心配――」
「やめてくれ。ワシはグリューン魔法学校の校長だ。贔屓することはしない」
思わず噴き出したマール。校長は目を丸くした。
「ぼくにはしてましたよね?」
「お前に対しては校長として贔屓していたわけじゃない」
「屁理屈っていいませんか? それ」
「うるさい」
校長は窓を開ける。ちょうど下に人影が見えて目を鋭くさせる。
「そろそろ時間だ。見舞いに行くのだろう?」
「朝食をとってから行きます」
「シエルのこと、頼んだぞ」
「言われなくても」
マールは窓の外を見たままの校長に一礼する。去っていく気配を感じていた校長だが、ふと思い出して声をかける。
「そうだ。エストレジャに言伝を頼む。昼頃に校長室に来て欲しいと」
「わかりました」
返事をしてまたすぐに歩き出す。しかし、途中で立ち止まる。不思議に思っているとマールが気遣う声を発する。
「大丈夫ですか?」
「なにがだ」
「その。最近、いろいろあったから寝ていないのでは、と」
「心配には及ばん。お前は自分のことだけを考えていればいい」
冷たい言い方だったかもしれない。しかし、今は休んでいる時ではない。
マールの気遣いを校長は聞かないことにした。マールもそんな校長の気持ちがわかったのか、そのまま出て行く。
校長はドアの閉まる音を聞いてから振り返る。静かな校長室にため息だけが残る。
「感謝するぞ、マール」
――――
マールが校長室を出たすぐ後に、次の訪問者がノックした。
ぱっとしない風貌の男は町長。そして相変わらず鋭い目をしたアイレだ。
話が長くなりそうだったので、校長は二人に座るように言い、自身も彼らの前に座る。
二人を呼んだのは校長だ。魔法研究所のこととアイレのことで、大事な話がある。早急に決めなければならないことだった。
しかし、話はすぐに決まらず相当な時間を費やしていた。二人が来てから一時間半が経とうとしていた。
「頼むから、冷静になって考えてほしい」
アイレは聞き飽きたとばかりに、大きなため息をつく。それでも校長と町長は話をやめない。引き止めようとする言葉を何度も口にする。それが叶うはずもないのに、それでも他の方法を探ろうとする。
アイレのためである。彼女はグリューン町の宝。出来れば町に残って欲しいと思うのが校長と町長の気持ちだ。しかし、アイレは聞く耳を持たない。
「そろそろ了承してくれないかしら?」
二人の言葉を切り捨てるかのように、アイレが言い放つ。
「わかっているのか、アイレ」
何度目かわからない問いかけに、さすがにアイレは怒りを露にする。
「わかるもなにも、あたしが魔法研究所に行けば済む話でしょ?」
「しかし……」
「馬鹿なシエルは、チャンスを逃したの。あたしが初めから行けばよかったのよ。だって、あたしはシエルに勝ったんだから」
深刻な顔をする二人を見たくないアイレは立ち上がり、窓際で腕を組んで寄りかかる。
「あたしが魔法研究所に行く」
勝気に笑うアイレ。そんなアイレを校長は窘めない。その余裕はないからだ。しかし、町長はアイレの言葉に眉をひそめる。
「アイレ。シエルは――」
「魔法研究所行きを断って、所長の怒りを買ったんでしょ?」
「そうだ」
校長はアイレの質問に即答する。
「だったら、あたしが行くべきよね? あたしの友達二人も連れて行っていいんでしょ?」
「うむ。そういう約束だ」
シエルが魔法研究所に行けないと判断した校長は、すぐにアレルタ所長に働けない旨を伝えた。
だが、それを裏切りだと言い、彼は怒り出した。当然だ。魔法学校から生徒を入社させるのは、友好の証でもあるのだから。
裏切りではないとわかってもらうために、三名を魔法研究所で働かせるように伝えた。アイレに次いで三番、四番の実力のある者だ。
グリューン町としては痛い選択であるが、仕方がない。ただ、アイレだけはどうしても町に居てもらいたいという気持ちが大きい。特に町長はそう思っていた。
「魔法研究所との関係がこじれたら、魔法学校もヤバイんでしょ?」
「確かに」
「なにを悩んでるのよ。あたしは初めから行きたかったし向こうも欲しがってるなら、それでいいじゃない」
アイレが苛々しながら、まくし立てるように言う。たまらず町長が立ち上がる。
「アイレ! 君はこの町にとって――」
「わかってるわ。だからこそ、国を出ることも叶わない。町を出るだけで大騒ぎよ」
「窮屈な思いをさせていることは、本当にすまないと思っている。だが、君は町の宝なのだ」
「あたしは外の世界を知りたいの!!」
叫んだことで町長は黙り込む。校長は町長の肩を優しく叩いて座らせる。
アイレを見れば、懇願するような目を向けている。
「ワシらの負けだ、町長」
止めることは出来ないと悟り、校長は息を吐き出す。もう何を言ってもアイレは思った道を進むのだろう、と真っ直ぐな深い緑の瞳を見て思う。
「アイレ」
「わかってるわ。でもね、あたしを必要とする危機なんて訪れないわ。今までそうだったんだから」
「一つだけ言わせてくれ」
「なによ、校長」
冷たい目をしたままのアイレは、やっと話が纏まったことに安堵する。ようやく組んでいた腕を解く。
「グリューン魔法学校の存続も大事だ。しかし、己の身を犠牲にするな」
「わかって――」
「危機を感じたなら、逃げる選択も視野に行動しなさい」
「冗談でしょ」
「わかったな」
校長の気迫におされ、アイレは一瞬黙り込む。微動だにしない校長に、アイレは素直に返事をするしかなかった。
「はい」
この日、二人目の訪問者が帰ったのは午前九時。この後も、校長室への訪問者は後を絶たなかった。
 




