11(むかしばなしと、お兄ちゃんのけつだん)
家に帰りたい。何で、みんな、私のことをいじめるの?
お父さんとお母さんに会いたい。友達に会いたい。お隣のお姉ちゃんに会いたい。
「帰りたいよ、お兄ちゃん」
顔面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、私はお兄ちゃんに泣きついた。
お兄ちゃんは、すごく悲しそうに、私のことを見る。
このお兄ちゃんは、私の本当のお兄ちゃんらしい。でも、会ったのは、ついこの前だ。
お兄ちゃんはこんなことを言っていた。
『お前は、俺と同じで膨大な魔力を持って生まれてきた。でも、まだお前が赤ん坊のころ、何かのきっかけで魔力が暴走して、違う世界に行ってしまったんだ。俺が連れ戻す方法を編み出したのは、ずっと後になってからだった。父さんたちは、お前がまだ生きていたとしても、もう別の人生を歩んでいるから、連れ戻すなって言った。俺は、その時は納得したよ。……でも、その後で、父さんたちが死んで、俺は寂しかったんだ。我慢できなかったんだ。ごめん』
まりょく、とか、ぼうそう、とか、知らない言葉はあった。半分くらいは、よく分からなかった。
でも、お兄ちゃんは一人ぼっちで、とても寂しい思いをしているんだってことは分かった。
だから、その時は、家に帰れなくても我慢した。
でも、もう、我慢できない。
「ごめんね、お兄ちゃん。わたし、我慢できないの。お兄ちゃんが我慢できなくなったのと同じで、わたしも我慢できないの」
心がしくしくと痛かった。恐い人たちに取り囲まれて、酷いことを言われた。お兄ちゃんが来てくれたから、何もされなかったけど、あのままだったら、私は何をされていたんだろう。
ぐずる私に、お兄ちゃんはしゃがみこんで、目線を合わせて、聞いてきた。
「帰りたいのか」
「……うん」
「そうか……。ユウカ、ごめんな」
お兄ちゃんは溜息をつくように、そう言って、私の頭を、ぽんぽん、と軽くたたいた。そして、ゆっくり撫でまわす。
その後、私は急に眠くなって、お兄ちゃんの腕の中で寝てしまった。
「……あれ、お兄ちゃん?」
ぱちりと目覚めると、やわらかい毛布の中で、横になっていた。
「妹、起きたか」
「何で私、こんなところで寝てるの?」
「そこはお前のベッドだ。むしろそこ以外のどこで寝るのかと兄ちゃんは聞きたい」
「そうじゃなくて、私、お外で遊んでた気がするんだけど……」
さっきのことを思い出してみる。あれ、なんか、頭の中がぼんやりするなあ。
「えっと……、恐い人たちが来たから、お兄ちゃんが助けてくれたんだよね。でも、私は痛いことは何もされなかった気がするんだけど、何で寝ちゃったんだろ」
けろりとして言う私に、お兄ちゃんはちょっと変な顔で微笑んだ。
「お前は、みんなに虐められて、悲しくないか?」
「ずっと昔からそうなんだから、今さら別に何とも思わないよ」
「……人間が憎くないか?」
「そんなわけないでしょ、お兄ちゃんってば。私は、人間が好きだよ。お兄ちゃんとか私には酷いことするけど、本当は優しいんだもの。それに、そもそも私は人間なんだから」
「そうか、お前は自分を人間だと思ってるんだな。……兄ちゃんは、自分を人間だとは思わないよ」
うなだれるお兄ちゃんに、私は口をとがらせる。
「何言ってるの。お父さんもお母さんも、私も人間なのに、お兄ちゃんだけ人間じゃないなんてこと、あるはずがないでしょ」
「……そうだな。妹、お前には、お前が人間でいられる世界があったんだよな」
「あああ、もう! お兄ちゃんがまた変なこと言ってる」
やれやれと首を振って、私はお兄ちゃんによく言い聞かせた。
「お兄ちゃんは、人間なの。特別な力があるから、他の人は誤解してるけど、間違いないよ。お兄ちゃんは、人間」
「そうかな」
「そうだよ、自信もってよ。だって、私のお兄ちゃんなんだから」
にっこりと笑うと、お兄ちゃんは目をすっと細めて、私を見た。
「妹よ、強くなったな」
「私は昔から強いんだからね」
「……ああ、そうか。そうだったな」
そんなやり取りをした日からも、私は相変わらず、虐め続けられた。ご飯の材料を用意するために、お兄ちゃんが家を留守にしてる時を狙って、酷いことをされた。あやうく死にかけたこともあった。
お兄ちゃんは、私に酷いことをする人間を殺すって、ものすごく恐い顔で言ったけど、私が止めた。
だから、お兄ちゃんは、私が身を守るために、色々な魔法を教えてくれた。体も鍛えろ言った。
でも、身を守るのが目的なら、ほんのちょっとで十分なのに、スパルタ教育かってくらいに、必要以上に、魔法を私にたたきこんだ。
そして、家を出て行って、お兄ちゃんは魔王になったのだ。
――名前を返してもらって、私は全て、思い出した。
お父さんとお母さんは、遠い遠いところにいる。そのことを、思い出した。
「お兄ちゃんは、私の記憶を、封じてたんだね」
「名前を奪って、前いた世界の記憶を、取り上げた。でも、お前は、向こうの両親のことだけは忘れなかったな」
「うん。お父さんたちのことは、ずっと覚えてたよ。他のことも、お兄ちゃんがしばらく私を放置してる間にちょっとずつ、思い出してきた」
でもね、と付け加える。
「忘れなかったのは、お父さんたちのことだけじゃない。私は、人がとっても優しいんだってことも、ずっと覚えてたんだよ」
だから、私は誰かを憎んだことがない。故郷の人たちも、おっさんも、リーハルトさんも、ハンスさんも、アンゲラさんも。みんな、本当は優しい人なんだ。
だって、元の世界にいた人たちも、この世界の人たちも、同じ人間なんだから。
「お兄ちゃんは、自分がいじめられることには慣れてても、私がいじめられることには慣れてなかったね。いつも、恐い顔してた」
名前を奪われていたこと、記憶を封じられていたこと、全部許してあげる。そういうつもりで、私はにっこりと笑った。お兄ちゃんは、苦々しく笑った。
「……兄ちゃんは、やっぱり、お前を元の世界に返そうと思う。兄ちゃんにとっての本当の世界がここでも、お前にとっての本当の世界は、向こうだ。お前が人間として生きられるのは、向こうの世界だ」
「え」
私はずささっと後ろに後ずさった。
お兄ちゃんが驚いて声をあげる。
「こら妹。何で兄ちゃんから離れる」
「私は帰るわけにはいかないんです。悪逆非道な行いをしたお兄ちゃんに妹の私が正義の鉄拳を食らわせるという義務が」
「なら、兄ちゃんを殺してから帰れ」
「…………」
他ならぬお兄ちゃんから殺せと言われて、私は動けなくなった。
「妹。お前は、二つの中から選べ。兄ちゃんを殺して帰るか、兄ちゃんを殺さないで帰るか。ちなみにお前が兄ちゃんを殺さなかったら、兄ちゃんを殺せる人間はいなくなる。俺はお前のいない世界なんてどうでも良いから、気が向いてこっちの世界を滅ぼすかもしれない」
私は、どちらか選ばないといけない。
お兄ちゃんを殺して帰るか、お兄ちゃん以外の人たちを危険にさらしたまま帰るか。
……本当は、もう一つ、考えがある。でも、うまくいくか分からなかった。
だから、私は恐かった。
逃げるように、お兄ちゃんから目を逸らす。アンゲラさんと偶然目が合った。泣きそうな顔で、すがるように、私を見ていた。ハンスさんを見ると、今までで一番緊張した顔をしている。
リーハルトさんを見た。リーハルトさんは、お兄ちゃんを殺せずに黙り込む私に、怒った顔はしていなかった。どうするんだ、というように、じっと見つめてくれている。
それで、私は勇気が出た。
「お兄ちゃん。私は、お兄ちゃんを殺したくない。でも、世界にも滅んでほしくない。だから……」
私は、お兄ちゃんに駆け寄って、抱き付いた。見上げて、笑いかけた。
だから、一緒に行こう、お兄ちゃん。




