10(わたしのなまえは)
闇の中を潜り抜けると、とても綺麗なお城の中庭に出た。真っ白なお城の壁に囲まれて、緑の木々が風に揺れ、色鮮やかな草花が咲き乱れている。
お兄ちゃんがいる魔王城は、お兄ちゃんが滅ぼした三つの国の一つだった。国を滅ぼしてしまって、今はもう誰もここにはいないはずだ。
ここにいるのは、ただ一人、お兄ちゃんだけ。
お兄ちゃんは、私たちの目の前の、黄色の花畑の真っただ中で、大の字になって、寝ていた。 赤の他人だと思いたいけど、こげ茶色の髪の毛に、傷のある頬。残念ながら、お兄ちゃんだ。
太陽の光にあたって、気持ちよさそうに口元を緩めている。リーハルトさんとハンスさんはともかく、女の人のアンゲラさんにまでこんな姿を見られるなんて。我が兄よ、情けないぞ。
「……まさか、これが、魔王なのか」
呆然として、リーハルトさんが言う。ハンスさんとアンゲラさんは呆れて言葉もないようだった。
妹が大好きなお昼寝の時間を我慢して頑張ってきたのに、お兄ちゃんときたら。
私はとりあえず。
「お兄ちゃん」
「…………」
呼びかけたけど、返事がない。
私は頭突きをして、肘鉄を食らわせた。ふう、お兄ちゃんに迷惑をかけられた鬱憤が晴れた。
「ぐはっ」
苦しげに呻いて、お兄ちゃんは咳き込む。
「狸寝入りはやめなさい」
「狸寝入りじゃない。ただ、寝転がって目を閉じてただけだっての」
「それなら返事をしてよ」
「だってお前、来るの遅いんだよ。何日かかってんだ、全く……」
拗ねたように言って、お兄ちゃんは緩慢な動作で立ち上がる。
それから、眠そうな顔で、私たちを見渡した。
「……お友達か?」
とぼけた顔で、何を言うか。確信犯め。
「悪い冗談はやめなさい。この人たちは、私の旅の仲間です。私たちはお兄ちゃんを倒しに来ました」
「妹が兄ちゃんを倒すだと? これが噂の反抗期ってやつか……」
深刻そうな顔でお兄ちゃんが言った。いや、違うよ。どちらかというお兄ちゃんが人類に対して反抗期だよ。
すごく久しぶりに会ったのに、お兄ちゃんのテンションがつくづく軽くて兄妹再会の感動も何もあったものではない。まあ、私もお兄ちゃんのことを言えたものではないけど。
「とりあえず、時間が勿体ないので、さくっと魔法使ってさくっとお兄ちゃんを倒しますねー」
兄妹のつまらない内輪のやりとりを見せ続けるのも恥ずかしいので、私はリーハルトさんたちにそう宣言した。
お兄ちゃんが慌てて私を制止する。
「お、おいおいちょっと待てって。まずその前に、お前に話しておきたいことが」
「問答無用です」
私はお兄ちゃんのいる一帯に、炎の火柱をあげた。
天空まで届く灼熱の炎は、中庭の木々や草花を一瞬で炭にしてしまう。
でも、炎はいきなりふっと消えた。
お兄ちゃんは無傷だった。お兄ちゃんが炎を消してしまったようだ。
「うーん、兄妹で魔法を使えるというのも困りものだね」
「だから、まずは兄ちゃんの話を聞きなさいって」
「いやだ。妹を放って数年間帰って来なかったあげくに魔王になった妹不幸者のくせに。全世界の並居る兄たちの風上にもおけないお兄ちゃんめ」
私はとにかく腹が立っている。お兄ちゃんの顔を見ていたら、今までのあれこれの恨みつらみが噴き出してきた。
お兄ちゃんのばか。花壇の角に頭ぶつけてタンコブできちゃえ。
怒る私に、お兄ちゃんはやれやれといったように首を振る。
それから、私の頭にぽん、と手をのせた。
「いいから、兄ちゃんの話を聞け。聞かないと後からすごく後悔するぞ。そこにいる人間たちも、こんな兄弟喧嘩を見に来たわけじゃないんだろ」
話をふられたリーハルトさんたちは、警戒しつつ、お兄ちゃんをじっと睨みつけた。
「恐いな。これだから人間は」
感情のこもらない虚ろな瞳でみんなを見て、お兄ちゃんはぼそりと言った。
「これだからお兄ちゃんは」
私は溜息をつく。
「まあ、とりあえず話を聞けよ。これからする話さえ聞いてくれたら、俺はもう、あとはどうでも良い」
「どういうこと?」
「殺されても文句言わねえってことだよ」
お兄ちゃんの顔は、冗談を言っているふうには見えなかった。
「……話ってなあに?」
「結論からいうと、俺はもう満足した」
「はい、意味が分かりません。お兄ちゃん」
「だからだな、前は、人類全部殺しつくしてやるって思ってやけになってたんだ。でもな、いざ国を三つくらい滅ぼしてみると……」
滅ぼしてみると?
罪悪感でつらくなったとか?
「……なんか全部どうでも良くなったんだよ。もう、いいや」
なるほど。多くの人を殺して、罪悪感の呵責にさいなまれたかと思いきや、どうでも良くなったと。
神様。
ここに、ろくでなしがいます。極悪人がいます。
天罰をお願いします。
「ふざけるな……何人の命がお前のせいで失われたと思ってる」
ハンスさんが口調が変貌するほどマジ切れのご様相です。ですが正論です。ふざけるな、お兄ちゃん。
リーハルトさんも、本気で怒ってる。アンゲラさんは……感情が表に出ないタイプなのか、無表情で何を考えているのか分からなかった。
「お兄ちゃん。人の命を奪ったらいけないって、お父さんとお母さんに、教えられてたんでしょ?」
「そうだな。だから、俺もそれを守ろうとした。父さんたちが殺されても、父さんたちを殺した奴以外は殺さなかったよ。どんなに人間全てが憎くても我慢した」
「それなのに、何でこんなことしたの」
責める口調にならないように気をつけて、聞いてみる。
お兄ちゃんは、ふっと笑って、首を振った。
私の頭を、ぽんぽんと軽くたたいて、撫でる。
「我慢できなくなったからだよ」
その顔を見て、思う。
ああ、やっぱり、お兄ちゃんは。お兄ちゃんは、馬鹿なんだから。
「お兄ちゃん、私は、人間が大好きだよ」
「ああ、知ってる」
「お兄ちゃん、私は、お兄ちゃんのことも大好きだよ」
「それも知ってる」
「お兄ちゃん。……私の、お父さんとお母さんは、どこにいるの?」
お兄ちゃんは、黙り込んだ。
私の顔を、泣きそうな顔で、じっと見つめている。
「教えて。私には、血の繋がらないお父さんとお母さんがいたはずなのに、いつ一緒に暮らしてたのか、どこにいるのか、全く思い出せないの。他にも、思い出せないことがたくさんあるの」
必死になって、私は聞いた。
大切な思い出のはずなのに、全然思い出せない。私が人間のことを大好きでいられるのは、その時の記憶が頭のどこかに残っているからなのに。
「お願い……」
「なあ、妹。兄ちゃんは、お前に言わないといけないことがある」
なあに。
「ごめん。兄ちゃんは、お前の名前を奪った。ごめんな。でも、今から、お前に名前を返すよ」
寂しそうに、名残惜しそうに、お兄ちゃんは笑って、私のことを抱きしめた。
「お兄ちゃん……」
「名前を奪って、ごめんな。――ユウカ」
「……ユウカ?」
はっとして、私は聞き返す。
「そうだ、お前は、ユウカだ」
お兄ちゃんは、はっきりと肯定してくれた。
ユウカ。ゆうか。……佑香。
そうだ、それが、私の名前だった。
思い出した……!
その時、頭の中で、何かが弾けた。きっとそれは、記憶の楔が千切れた合図。




