極刑宣告された悪役令嬢の、泥臭すぎる逆転劇〜魔法もチートもないけれど、経済と流通の急所を握っていたのは私です〜
歴史あるグランツォーレ王国の王城。建国祭を祝う夜会の大広間は、華やかな喧騒に包まれていた。
だが、クロムウェル公爵家長女、オルテンシア・ヴァン・クロムウェルだけは、その喧騒から切り離されたように一人、壁際でグラスを握りしめていた。
ここ数週間、公爵家を取り巻く状況は最悪だった。領地からの定期報告は途絶え、彼女が管理していた王室の帳簿がいくつも紛失している。さらに、彼女に忠実だったはずの貴族たちが一斉に目を合わせなくなった。
誰かが意図的に公爵家を孤立させようとしている。それも、王太子エドワードとその取り巻きの仕業であることは明白だった。エドワードは実務能力が皆無で、オルテンシアが国庫を立て直すほど彼女を憎悪し、最近では「光の魔力」を持つ男爵令嬢アリアに溺れきっていた。
今日この夜会でエドワードを捕まえ、事態を問いただすつもりだった。
広間の奥から、重厚なファンファーレが鳴り響く。
国王ヘンリーと王妃、そして勝ち誇った顔のエドワードとアリアが入場してくる。
広間が静まり返る中、国王ヘンリーは玉座の前に立ち、氷のような視線をオルテンシアへと突き刺した。
「クロムウェル公爵家長女、オルテンシアよ。前へ出よ」
名指しされ、オルテンシアは心臓を嫌な汗が伝うのを感じながら進み出た。
「オルテンシア・ヴァン・クロムウェル。其方ら公爵家が、長年にわたり領民を搾取し、あろうことか隣国の諜報機関と通じて我がグランツォーレ王国の転覆を企てていたという確かな証拠が挙がった」
……は?
オルテンシアは、我が耳を疑った。
領民を搾取? 転覆? 何を言っている。公爵家はむしろ王家の赤字を補填してやっている側だ。
「よって、余はここに宣言する! クロムウェル公爵家の爵位剥奪、および全領地の没収を命ずる! 公爵当主はすでに国境付近で我が軍が拘束した!」
「なっ……!?」
オルテンシアの顔から、一気に血の気が引いた。
王太子だけではない。国王すらも、公爵家を疎ましく感じていたのだ。強大になりすぎた公爵家を潰すために、このデタラメな捏造に乗ったのだ。
(冗談じゃない……国庫の四割を担う我が家を潰せば、国の経済がどうなるか分からないの!?)
「そして、我が息子エドワードとオルテンシアとの婚約は、この瞬間をもって白紙とする! 王家は、斯様な毒婦を迎え入れるわけにはいかぬ! 衛兵! その罪人を捕らえよ!」
エドワードが下品に笑う。アリアが怯えたふりをして彼にすがりつく。周囲の貴族たちは、我が身の保身のために沈黙し、オルテンシアを憐れむように見ている。
ガチャリ、ガチャリと、重装甲の近衛騎士たちがオルテンシアを取り囲み、冷たい槍の穂先を突きつけてきた。
「ただちに地下牢へ放り込み、明日、反逆罪として極刑に処す!」
完全に詰みだ。証拠は偽造、裁判もない。明日には首を刎ねられる。
完璧な令嬢として生きてきたオルテンシアの足が震え、その場にへたり込みそうになる。
(……嫌だ。こんな理不尽、冗談じゃない……!)
恐怖で視界が歪む中、彼女の脳裏に、前世の記憶が泥水のように湧き上がってきた。
前世の彼女は、倒産寸前の企業を駆けずり回って再建する泥臭いコンサルタントだった。取引先に土下座し、ヤクザまがいの債権者から逃げ回りながら、徹夜で再建計画を練り上げた日々。あんな地獄の泥水に比べれば、まだ命があるだけマシじゃないか。
余裕なんてない。確実な勝算もない。
だが、ここで大人しく捕まれば死ぬ。ならば、足掻くしかない。泥まみれになってでも。
「……触らないで!!」
オルテンシアは、腕を掴もうとした騎士の手を、ドレスが破れる勢いで乱暴に振り払った。
「なっ、貴様、抵抗する気か!」
騎士が殺気を放つが、オルテンシアはそれを無視し、ヒールを大理石の床に力強く叩きつけた。
「お待ちください、陛下! 殿下!」
広間に、彼女の必死の叫びが響き渡る。
優雅さなど欠片もない。生き残るための、泥臭い咆哮だった。
「見苦しいぞ、オルテンシア。罪を認めて大人しく縛につけ」
エドワードが鼻で笑う。
「罪ですって? 偽造した帳簿と証言だけで、我が家を潰すおつもりですか!」
「偽造だと? 証拠は揃っている!」
「ならばお聞きします! 父を拘束し、我が領地を没収したとおっしゃいましたね。では、明日の朝から、王都の魔石の流通は誰が管理するのですか!?」
オルテンシアは、食い下がるように一歩前に出た。騎士の槍の穂先が首筋をかすめ、一筋の血が流れるが、彼女は止まらない。
「王都の魔石の供給の七割は、我が公爵領からの産出です! 帳簿上では王家直轄に見せかけていましたが、実際の流通ルート、護衛の手配、ギルドへの卸値の交渉、すべて私が実務を行っていたのですよ!」
「な……んだと?」
エドワードの顔から、少しだけ余裕が消える。
「私が明日いなくなれば、魔石ギルドは混乱し、王都の灯りは三日で消えます! 騎士団の魔導具も動かなくなる! あなた方、公爵家を潰した後の『実務の引き継ぎ』を、誰か一人でも考えたのですか!?」
オルテンシアの指摘に、国王の顔色が変わった。
権力者は「潰す」ことしか考えていなかった。その下で泥臭く実務を回していた人間がいなくなれば、システムが崩壊するという、現場の事実を。
「……た、たかが小娘一人いなくなったくらいで、国が回らなくなるわけがないだろう!」
エドワードが声を荒らげる。
「そうですよ、オルテンシア様! ひどい嘘をついて殿下を脅すなんて……っ」
アリアも便乗して涙ぐむ。
「嘘かどうか、今ここで試してみればよろしいでしょう!」
オルテンシアは、ドレスの袖を乱暴に破り捨て、そこから一本の小さな赤い魔石(緊急通信用のアーティファクト)を取り出した。
「たった今、私から王都の全ギルドマスターへ『私の身に危険が及んだ場合、全取引を無期限で停止しろ』という暗号通信を送ります。私が死ねば、明日から王都は干上がる。さあ、私を殺しますか? それとも、今ここで私と『交渉』しますか!?」
それは、ハッタリだった。
そんな通信魔石に、全ギルドを動かす権限などない。だが、彼女がこれまで血の滲むような思いで築き上げてきた「ギルドとの信頼関係」と、今この瞬間の「迫真の演技」が、そのハッタリを真実に見せかけていた。
*
大広間は、爆発する寸前の火薬庫のような静けさに包まれていた。
オルテンシアが掲げた、たった一本の小さな赤い魔石。それが本当に王都の全ギルドを止める権限を持っているのか、誰にも分からない。
だが、誰も「嘘だ」と断言できなかった。なぜなら、彼女が王家の裏で泥まみれになりながら実務を取り仕切り、ギルドの重鎮たちと渡り合ってきたのは紛れもない事実だったからだ。
「……ッ、たかが通信魔石一つで、余を脅す気か!」
国王ヘンリーが、玉座から身を乗り出して怒鳴った。
「ええ、脅しています。私の命と、王都の経済を天秤にかけて」
オルテンシアは首筋から流れる血を拭いもせず、アメジストの瞳で国王を真っ直ぐに射抜いた。
「騎士を動かして私を殺すのは簡単です。ですが、その後はどうします? ギルドがストライキを起こせば、王都の物流は止まります。食料の価格は跳ね上がり、暴動が起きる。それを武力で鎮圧すれば、今度は地方の領主たちが王家に不信感を抱くでしょう。……国庫の四割を担う我が家を潰した上で、その事態を収拾する資金が、今の王家におありですか?」
静かな、だが確かな事実の羅列。
国王の顔色が、徐々に青ざめていく。エドワードに至っては、口をパクパクとさせるだけで反論一つできない。彼らは権力を振りかざすことしか知らず、「実務的な危機管理」など一度もしたことがないのだ。
(よし。効いてる)
オルテンシアは心中で試みの成功に安堵した。
前世のコンサルタント時代、相手がヤクザまがいの債権者であろうと、まずは「相手にとって一番痛いリスク」を突きつけて足を止めるのが鉄則だった。相手が思考停止した瞬間こそが、交渉の本当のスタートラインだ。
「お、お父様! 騙されてはいけません! そのような小娘の戯言、今すぐ首を刎ねてしまえば……!」
エドワードが焦ったように叫ぶ。
「黙れ、エドワード!!」
国王の怒声が、王太子を黙らせた。国王は愚かだが、完全に無能ではない。自分が乗ろうとした「公爵家潰し」という捏造が、いかにリスクの高い綱渡りだったかを、今更ながら理解し始めていた。
「……オルテンシア。其方の言い分は分かった。だが、其方が反逆を企て、聖女アリアを害そうとした証拠はここにあるのだ。無罪放免というわけにはいかん」
国王は少しトーンを落とし、探りを入れるように言った。
これは「妥協点の模索」だ。相手は完全に振り上げた拳の降ろし所を見失っている。
「証拠、ですか」
オルテンシアは冷く笑い、騎士が持っていた「偽造された帳簿と手紙」を指差した。
「殿下。その手紙は、私が隣国の暗殺ギルドへ送ったとされる密書ですね?」
「そうだ! 貴様のサインも入っている!」
「では、その手紙の『日付』と『使用されているインク』をご確認いただけますか?」
「なっ……なんだと?」
「その手紙の日付は先月の十日。ですが、私がその時期に使用していたのは、公爵領特産の『蒼星石』を砕いて作った特殊な青インクです。その手紙に使われているような、王都で一般に流通している安物の黒インクではありません」
広間がざわめく。
エドワードの顔が引きつった。彼はそんな細かいことなど気にせず、ただオルテンシアの筆跡を真似て書類を偽造させただけだったのだ。
「さらに申し上げます。救貧院の資金横領の件ですが、その帳簿の支出欄、計算が三箇所ほど間違っておりますわよ。私がそのような初歩的なミスをするとお思いですか?」
「そ、それは……っ!」
「それに、隣国の暗殺ギルドと通じていたというのなら、なぜ私は今、丸腰でこのような夜会に参加しているのでしょうか。本当に反逆する気なら、とっくに国境を越えて公爵軍と合流しているはずですが?」
オルテンシアは一歩、また一歩と玉座に近づきながら、理路整然と偽造証拠の矛盾を叩き潰していく。
それは魔法でも剣術でもない。彼女が徹夜で数字と向き合い、書類の山と格闘してきた「実務者」だからこそ気づける、圧倒的な説得力だった。
「……ッ、詭弁だ! 結局は言い逃れに過ぎない!」
追い詰められたエドワードが、顔を真っ赤にして叫んだ。
「私がアリアをいじめたという証言も、どうせ殿下の取り巻きに言わせただけでしょう? 具体的にいつ、どこで、誰が、私がいじめている『瞬間』を見たのですか? 噂話ではなく、明確な証拠を出してください」
「う、うぅっ……殿下ぁ……怖いですぅ……」
アリアがエドワードの胸に顔を埋め、わざとらしく泣き声を上げた。
「見ろ! アリアがこんなに怯えている! これが何よりの証拠だ!」
(……馬鹿馬鹿しい。本当に、心底どうでもよくなってきたわ)
オルテンシアは、冷ややかな目で二人を見下ろした。
死に物狂いで国を支えてきた自分が、こんな頭の空っぽな男女の痴話喧嘩のために殺されかけたのだ。怒りを通り越して、虚無感すら覚える。
だが、同時に彼女の頭は極めて冷静に「落とし所」を計算していた。
このまま王家を完全に論破し、公爵家の無実を証明することはできる。しかし、一度公爵家を潰そうとした王家との関係は、もはや修復不可能だ。いつか必ず、二度目の粛清が来る。
ならば、どうするか。
(……損切りよ。こんな泥舟、沈む前に降りてやる)
オルテンシアはスッと息を吸い込み、国王に向かって深く頭を下げた。
「陛下。これ以上の議論は平行線を辿るだけです。我が公爵家は反逆など企てておりませんし、証拠もすべて捏造です」
「な、何を……」
「ですが、王家がそこまで我が公爵家を疎ましく思い、殿下が私との婚約を白紙にしたいと仰るのなら……『喜んでお受けいたします』」
その言葉に、広間は今度こそ死に絶えたように静まり返った。
国王も、エドワードも、アリアすらも、驚愕に目を丸くしている。
「……な、なんだと? 貴様、罪を認めるというのか!?」
「いいえ、罪は認めません。ただ、『婚約破棄』と『爵位の返上』に同意すると申し上げているのです」
オルテンシアは顔を上げ、アメジストの瞳を爛々と輝かせた。
「我が公爵家は、本日をもってグランツォーレ王国におけるすべての爵位と領地を返上いたします。その代わり、公爵家の人間、および私に仕えるすべての使用人の『国外退去』を認めていただきます」
「こ、国外退去だと……!?」
「ええ。私たちは国を捨てます。反逆も報復もしません。ただ、この国から出ていくだけです。……どうです? 陛下が最も恐れていた『強大すぎる公爵家』が、血を流すことなく消え去ってくれるのですよ。これほど都合の良い話はないでしょう?」
それは、究極の二者択一だった。
今ここでオルテンシアを殺し、ギルドのストライキと経済崩壊という泥沼を引き受けるか。
それとも、彼女の提案を呑み、厄介な公爵家を平和裏に国から追い出すか。
国王の額に、じっとりと冷や汗が浮かぶ。
彼は権力者であり、同時に臆病者だった。目の前の女が放つ異常な気迫と、突きつけられた現実的なリスクを前に、彼の心はすでに折れかけていた。
「……よ、よかろう」
絞り出すような、国王の声。
「お父様!? 何を仰っているのですか! こいつは罪人です! 生かしておいては……!」
「黙れと言っているのだエドワード!! ……これ以上、国の恥を晒すな」
国王は力なく玉座に座り込み、オルテンシアを睨みつけた。
「……公爵家の爵位返上と、国外退去を認める。直ちにこの国から立ち去れ。二度と、我がグランツォーレの土を踏むことは許さん」
「寛大なご処置、感謝いたします」
オルテンシアは、完璧な淑女の礼をとった。
破れたドレス。首筋の血。泥だらけの姿でありながら、その笑みは誰よりも気高く、圧倒的な勝者のものだった。
「では、殿下。アリア様。どうか末永くお幸せに」
踵を返し、広間を出ていくオルテンシア。
近衛騎士たちは道を空け、誰も彼女を止めることはできなかった。
……彼らはまだ気づいていなかった。
公爵家という「国庫の四割を担う巨大な支柱」を自分たちで手放したことが、この後、国をどのような地獄へ突き落とすのかを。
そして、オルテンシアがこの「国外退去」すらも、すべて計画に組み込んだ上での盤面操作であったことに。
*
オルテンシアがグランツォーレ王国を去ってから、わずか一ヶ月後。
かつて不夜城と謳われた豪奢な王城は、文字通り「暗闇」に包まれていた。
「……なぜだ。なぜ魔石が届かない!? ギルドの連中はどうした!」
執務室で、王太子エドワードは書類の山を乱暴に払い落とし、ヒステリックに叫んだ。
蝋燭の薄暗い光に照らされた彼の顔はゲッソリとこけ、目の下には濃い隈ができている。その前で、疲労困憊した財務卿が絶望的な声で報告した。
「申し上げました通り、魔石鉱山の労働者たちが一斉にストライキを起こしたのです。『オルテンシア様からの給金が途絶えた以上、掘る義理はない』と」
「給金なら王家の金庫から出せばいいだろうが!」
「出せません。帳簿上、鉱山は王家直轄でしたが、実際の運営資金も護衛の傭兵への支払いも、すべてオルテンシア様の『個人資産』と『公爵家の信用』で回っていたのです。王家の名義でギルドにツケ払いをお願いしましたが、『公爵家の保証がないなら現金一括以外は受け付けない』と突っぱねられ……」
エドワードは言葉を失い、椅子に崩れ落ちた。
オルテンシアが去った日、彼は「口うるさい女がいなくなって清々した」と笑っていた。実務など、別の役人にやらせればいいと高を括っていたのだ。
だが、現実は違った。
彼女は単なる「実務担当者」ではなかった。グランツォーレ王国の複雑に絡み合った経済、物流、そして裏社会のギルドとの折衝まで、すべてをその一身で支え、調整していた「巨大な心臓」そのものだったのだ。
心臓を失った国がどうなるか。答えは明白だった。
魔石の枯渇により、王都の治安を維持する魔導具が停止。物流が滞り、食料価格は三倍に跳ね上がった。市民の不満は爆発し、連日暴動が起きている。
国王ヘンリーはストレスで倒れ、寝室から一歩も出てこない。エドワードが溺愛していたアリアは、贅沢ができなくなった途端に「こんなはずじゃなかったのに」と泣き喚き、つい数日前に王城から逃げ出した。
「どうして……どうしてこんなことに……。たかが小娘一人がいなくなっただけだぞ……っ!」
頭を抱えるエドワードの耳に、遠くから暴徒と化した市民たちの怒号が聞こえてくる。
彼らは自らの手で、国を支える最大の柱を叩き折った。そして今、崩れ落ちる瓦礫の下敷きになろうとしている。
泥舟は、誰に沈められるまでもなく、自らの重みで真っ逆さまに暗い水底へと沈んでいった。
*
「おーい! そっちの木箱、湿気に弱いから倉庫の奥に積んでおいて! あと、第三商隊の出発は明日の朝一番よ、馬の体調チェックを急がせて!」
グランツォーレ王国の隣国、ガルディア帝国。
その活気あふれる港町で、よく通る凛とした声が響いていた。
「了解です、お嬢!」
「まったく、うちの会頭は相変わらず人使いが荒いぜ!」
屈強な港の労働者たちが、文句を言いながらも楽しそうに笑って作業を進めている。
その中心で指示を飛ばしているのは、シンプルな麻のワンピースに身を包み、額に汗を浮かべたオルテンシアだった。
かつての淑女然とした公爵令嬢の面影はない。髪は動きやすいように後ろで一本に束ねられ、手足には土や埃がついている。だが、そのアメジストの瞳は、王城にいた頃とは比べ物にならないほど生き生きと輝いていた。
「オルテンシア様。本日の帳簿の確認が終わりました」
背後から声をかけてきたのは、彼女の右腕である元公爵家の執事、クラウドだ。
「ありがとう、クラウド。……ふふっ、今月も黒字ね。帝国軍との専属契約が取れたのが大きかったわ」
オルテンシアが国を追放された際、公爵家の使用人や、彼女を慕っていたギルドの職人たち数百人が、自ら志願して彼女についてきた。
オルテンシアは彼らを連れてガルディア帝国へと渡り、手持ちの資金をすべて突っ込んで新たな商会「クロムウェル・カンパニー」を立ち上げたのだ。
実力主義の帝国は、彼女の圧倒的な実務能力と商才を高く評価した。わずか数ヶ月で、彼女の商会は港町で一番の勢力を持つまでに成長していた。
「そういえば、オルテンシア様。グランツォーレ王国から、また密使が来ました。今度は『エドワード王太子が土下座して謝るから、どうか戻ってきて国を立て直してほしい』と」
「…………」
クラウドの報告に、オルテンシアは手に持っていた荷札をふうっと吹き飛ばし、肩をすくめた。
「悪いけれど、お引き取り願って。私には今、ここで預かっている従業員を食べさせる義務があるの。潰れかけの泥舟の面倒まで見ている暇はないわ」
「御意に。そのようにお伝えしておきます」
「それと、グランツォーレ向けの小麦の輸出、価格をさらに二割引き上げて頂戴。国庫が空になるまで、たっぷり搾り取らせてもらうわよ」
悪女のように、だがひどく魅力的に微笑むオルテンシアを見て、クラウドは苦笑しながら深く頭を下げた。
泥水をすすり、崖っぷちから這い上がってきた。
誰かに守られる綺麗なだけの薔薇ではなく、自らの足で大地に根を張り、泥の中で咲き誇る花として。
「さあ、休憩はおしまい! 次の船が入ってくるわよ、みんな気合を入れなさい!」
オルテンシアの号令に、活気に満ちた返事が港に響き渡る。
振り返る気など微塵もない。彼女の視線の先には、自分自身の力で切り拓いた、果てしなく広がる青い海と新しい世界だけが広がっていた。
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