第一話
プロローグに続き、第一話です。
「おはよう、響輝。ごめんね、休みの日なのにわざわざ来てもらっちゃって」
爽やかな光がレースカーテンを通して病室に差し込む。比較的気温の高い、鮮やかな五月晴れの朝だ。
「おはよう。僕は会いたくて来てるだけだから気にしないで。それより、今日は秋奈が好きな抹茶ティラミス買ってきたんだ。新作だってさ」
サイドテーブルに置いたコンビニの袋から、透明なカップをふたつ取り出した。クリームの上に乗った抹茶が、生き生きとした新緑を彷彿とさせる。
「コンビニスイーツって競争率高いから、買えて本当に良かったよ」
「本当にね。病院に入ってるコンビニでも、直ぐに売り切れちゃって買えないんだ。」
「ありがとう」と、柔らかな印象を与える顔が更にほころぶ。秋奈の笑顔が見られるのならば、こちらとしても朝早く頑張った甲斐があるってものだ。
「おばさんから頼まれてた着替え、ここ置いとくね。ついでに本も置いとくから」
「何からなにまでごめんね。お母さん仕事で中々来れないから、本当に助かるよ」
「いいんだよ、別に。どうせついでだからね」
秋奈の手が早速本に伸びる。細くしなやかなその指に、心臓が大きく脈打っているのが痛いほど理解できる。顔、赤くなってないだろうか。
「これ、今年の本屋大賞のやつじゃん。ありがと響輝!」
パッと目に見えて表情が明るくなる。いつにも増して興奮気味だ。最低限、有名どころは押さえておきたいのだろう。やっぱり秋奈の読書好きは一級品だな。
「 それ、本屋で偶然見つけてビビッときたんだよね。ポップが凄く派手でさ、一目見ただけで人気なやつだって分かったよ」
うっとりとした表情で表紙を眺ているなと思っていたら、気づいたときには既に視線をページに落としていた。朝日に淡く照らされた横顔を眺めていると、なんだか不思議な気分になってくる。
まるで、ここだけ時間が緩やかに流れているみたいだ。
──本当に、ゆっくり流れてくれればいいのに。
……それにしても、本当に集中しているな。
秋奈が真剣な顔つきを見せるのは楽しみにしていたデザートを食べられたときか、本を読んでいるときくらいなものだ。
「ねえ、秋奈って小さい頃からずっと読書してるよね。僕あんまり読書得意じゃないんだよね。
読んでると段々眠くならない?」
「んー、それは少し難しい問題だね。やっぱり、自分の興味のある物じゃないと途中で飽きちゃうから。」
「それは確かに。社会の時間に眠くなるのと同じ原理だ」
「ふふ、確かに」
秋奈は、口元に手を当てて上品に笑っている。
『愛おしい』という気持ちが湧き出てきて、思わず顔を逸らした。
僕なんかに好かれても、どうせ迷惑なだけだろうから。それに秋奈には、残り少ない人生をできるだけ何にも縛られないで生きて欲しい。
これは、僕のエゴだろうか。
「でも、読書って本当に魅力的なんだ。現実ではどこにも行けなくても、物語の世界でなら世界中どこにだって自由に行ける。宇宙にだって飛べちゃうんだから。」
「……そっか」
なんでもないように言い放たれたその言葉が、胸に深く突き刺さる。
『現実ではどこにも行けない』か。
小さい頃からずっと本を読んでいたのは、そういう事だったのか。
……ほんと、なんにも知らないんだな、僕は。
穏やかなさえずりだけが病室にこだまする。
一体どれくらいの時間が経過したんだろうか。
何もしないままいるのは何だかいたたまれなくて、棚の上に置いてあった漫画を適当に手に取った。
それは、オールラウンダーな主人公が、ヒロインのエルフや盾役のドワーフ達と一緒にダンジョン攻略を目指していくという話だった。
攻撃にしろ治癒にしろ、魔法の印象が色濃い。
いわゆるハイファンタジーというジャンルなんだろうか。
負傷覚悟で突っ込んでいくキャラクター達に段々と苛立ちが募る。もしこれが現実なら、
『治癒魔法で即回復』なんてことにはならないのに。
それにしても、少し意外だったな。小説だけでなく漫画も読んでいただなんて。これも、さっきと同じ理由からなんだろうか。
「良いでしょ、それ。結構お気に入りなんだ」
いつの間にか、秋奈がこちらをじっと見つめていた。長く艶のある黒髪が、真っ白な肌に良く映えている。頬ずえをつきながら微笑む姿が、天使だと錯覚してしまうほどに美しかった。
「読み返す度に思うんだ。魔法使えたらいいのになーって」
……魔法、か。
確かに、それ自体は夢が沢山詰まったものだと思う。でも同時に、とても残酷なものだと思わざるを得ないんだ。だって、魔法なんてものは現実に存在しないんだから。
握りしめた掌に爪がどんどんくい込んでいく。
──僕はもう、夢なんか見ることができない。
「ねぇ、もしも魔法が使えたとしたらさ、何したい?」
特に返事は期待していないんだろう。独り言のような、か細い声だ。
魔法なんて、到底使えっこない。
でも、それでも魔法が使えたとしたなのら……
「私はね……一年後の未来を見てみたいな」
一秒でも長く、君の隣で笑っていたい。




