8章 何かが起きる
フランチェスカ研究所、中央管制室。
「太陽フレアの到達予測時刻は、36時間後です」
マリアが、バインダーに視線をおとし、報告する。
「誤差は±6時間。」
フランチェスカは冷静に頷いた。
「予測モデルの信頼度は?」
「84%です。しかし――磁場の揺れ次第では、更に早まる可能性もあります」
モニターが映し出す、鮮やかな光となってフランチェスカの顔を照らしていた。
◇◇◇
カリンはゴンドラの中、深い眠りについていた。
夢も見ない時間感覚だけを感じる眠り。
目が覚めたとき、ぼんやりした意識の奥で、ゴンドラの稼働音が静かに響いていた。
見るとエリカも向かいの席で、背を預けて寝ている。無防備な表情に、普段の鋭さはない。
どれくらい時間が経っただろうか。カリンは辺りを見回した。窓の外は、今はもうすっかり見慣れたツンドラ地帯だ。
地平線の彼方まで見え、低木と氷河だけの世界。そろそろ着く頃だ。
そう思った時、微かな違和感を覚えた。
はっとして時計を見ると、到着予定時刻を過ぎている。カリンは慌てて、窓の外をよく見た。
後ろを振り返ると――
遥か彼方に、巨大な施設が見えた。
フランチェスカ研究所が、後方へ遠ざかっていく。
ゴンドラが、通り過ぎている?
カリンはすぐさま、エリカの肩を叩いた。
「エリカちゃん、大変!」
エリカはビクッと肩を震わせ、一瞬手で払う素振りを見せてから、目を開いた。
まだ空ろな表情。だがカリンは構わず言葉を続けた。
「このゴンドラ、死領域に向かっている!!」
一瞬間があった。状況を理解したエリカの瞳が、微かに広がる。
「え、なんで!?」
エリカは跳ね起き、窓の外を確認する。
死領域の南下により、停車位置が変わったはずだ。
なのに――ゴンドラは止まらない。
研究用に路線は残されているが、人が乗ることは想定されていない。
エリカは辺りを探し周り、足元に赤い非常停止ボタンを見つけると、躊躇なく押した。
が、反応はない。
「なんで?」
焦ってボタンを連打するエリカ。
カリンは、屈み込むエリカの腰に、無線機をみとめた。研究所直通だ。
「ごめん!」
カリンは、無線機を抜きとった。
ボタンを押すと、すぐに応答の声がした。
「こちら。中央管制室」
マリアの声だ。
機器の向こうで怒号、人が行き交う音がして、周囲が騒がしい。
「こちら、カリン・リーニャ」
マリアは察したように状況を説明した。
「フレアが予定より速く直撃しました。」
カリンは息を呑んだ。
エリカがはっとして立ち上がる。
「ゴンドラが…停車してないのはそのせいですか?」
カリンが聞くと、マリアの硬い声が返ってきた。
「路線制御システムが停止した場合、そうなります」
冷や汗が首筋を通ったのを感じた。
カリンはゆっくりと、もう一つの質問を投げかけた。
「音響装置は…大丈夫なんですか?」
一瞬、沈黙があった。
「破損しました。」
無線機から響く喧騒の音が、より一層強く感じられた。怒号と悲鳴、警報音が響く。
「もしかしてー」
カリンの言葉を飲むように、マリアは言った。
「はい。現在、М体が侵入しています。」
無線機は、そこでぷつりと切れた。
◇◇◇
フランチェスカ研究所、吹き抜けホール。
床に設けられた円形の開放孔から、肌色の外皮をまとった半身がせり出していた。
周囲の鉄柵を粉砕し、円錐状の口を床に擦りつけ、鈍い音を立てながら這い上がってくる。
吹き抜けを囲む二階回廊、その四方から銃口が向けられていた。
アンバーは引き金に指をかけ、マリアは標的の動きを見据える。
次の瞬間——
巨体は床に乗り上げ、残っていた研究員へ向きを変えた。
威嚇射撃が一斉に始まる。銃声が断続的に響く中、
それは一人のハーフアップの研究員——クララに狙いを定めた。
悲鳴。
クララは奥の通路へ追い立てられ、巨体がその奥へ頭部を突っ込む。
アンバーは即座に銃を持ち替え、連射機を構えた。
◇◇◇
中央制管室にてー
モニターは、М体が落下し床を破壊する映像を映し出していた。
フランチェスカは再生を止め、コマ送りに切り替える。
細い指がキーを叩き、数値を拾っていく。
ふと、手が止まった。
「……9.8を、超えている?」
画面を見つめたまま、彼女は動かない。
震えているのは、瞳だけだった。
ゆっくりと立ち上がり、小さくつぶやきが漏れた。
「やはり...あれと同じ次元の存在」
口元が、わずかに緩んだ。
次の瞬間、不敵な笑みが浮かぶ。
フランチェスカは両手を台につき、身を乗り出した。
モニターを覗き込むその背に、抑えきれない震えが走る。
「――素晴らしい!!」
その瞬間――照明が消えた。
轟音と共に、壁が崩れる。
円錐形の巨大な口が闇から現れた。
フランチェスカは反射的に立ち上がった。
だが、その視界は、瞬く間に醜怪な輪郭で埋め尽くされていった――
◇◇◇
止まらないゴンドラの中、カリンとエリカは途方に暮れていた。
非常用降下ハーネスはあるが、今の速度では使えない。
他に手はないかと、カリンは辺りを見回す。
その視線が、ガラス窓の向こう――外部の後方デッキで止まった。
ずっと視界には入っていたはずだが、
設備の一部として背景に溶け込んでいた。
そこに、サイズの大きな無骨なレバーがあった。
「これはなんだろう」
カリンが、謎のレバーを指さす。
「貨物用ロープ。地面まで届く長さはあります」
エリカが事務員的に答えた。
カリンはこめかみに指を当て、思考を巡らした。静かに考えが言葉に出る。
「岩か何かに引っ掛けて、止められないかな…」
普通のロープなら無理だが、アクアの貨物ロープは超強力だ。(※)
エリカが眉をひそめる。
「成功するか分かりません」
「それに固定した瞬間、ロープかゴンドラが耐えきれない」
確かに。
動いているものを、無理やり止める――
それ自体が危険だった。
カリンは考えたまま、視線だけエリカに向けた。
「固定している間にハーネスで降りるのは…」
エリカは首を振った。
「ロープが外れたら、ゴンドラが暴走します。私たちが降りる前に」
「確かに...」
カリンは一瞬視線をおとした。
視界の隅に正面の窓が見える。
見飽きた低木やコケ、氷河の欠片が流れていく。
荒地が続く中、ふと、地形の沈んだ一帯が目に留まった。
進行方向の先ー
大地がおおきく抉れた窪地があった。その最奥に横穴が口を開け、地面を突きだしている。
カリンははっと、指をこめかみから離した。
「エリカちゃん、見て!」
窓の向こうを指さすと、エリカは鋭いツリ目をそちらに向けた。
「あの窪地のとっかかりに、ロープを引っかけられるかもしれない」
「...分かりました...やりましょう!」
エリカは頷いた。
「死領域行きはごめんです」
カリンは後方デッキの窓に駆け寄った。
「どいてください!」
エリカが叫ぶ。
後方デッキの壁――非常表示の下に固定されたハンマーを外し、助走をつけた。
反射的に身を引くカリン。
次の瞬間、ハンマーの先が、ガラスに食い込んだ。白い亀裂が走る。
2発目、エリカは再び、ハンマーを振り下ろした。
窓ガラスはクモの巣状に砕けた。
「ありがとう」
カリンは、デッキのハンマーを見た。
「耐用力は1.4MN(※)。いける!」
「レバー操作は任せてください。」
エリカがそう言ってボタンを押すと、スレートの床の色が一瞬で抜けた。
無色透明になり、足元の遥か下で、大地が流れていくのが見える。
次いで、透明床に、細い緑の線がいくつも現れた。
地形に沿って、うねうねと動く。高度を表す等高線だ。
床の端に、小さくスケール表示が浮かぶ。
「今、窪地に入った!」
カリンが声を上げた。
「了解」
エリカがレバーを引くと、カリンの足元でロープが伸びた。太く頑強なそれは、地上付近で止まった。
足元で流れる大地が、沈み込む。
「深さ3m!」
カリンは等高線を見ながら叫んだ。
「奥の縁まで、あと50m!」
スケールを確認しながら、床を指でなぞる。
「今!」
「了解」
ロープは再び、伸長を開始した。
横穴と、それが作り出す、地面の取っ掛かりが次第に近づいてくる。
カリンは微かな違和感を覚えた。闇に何かが蠢いている。
そう思った瞬間ー
遥か下で、何かがロープに絡みついた。
ゴンドラが揺れて、カリンは体勢を崩し、エリカが倒れてきた。衝撃で額を床に撃つ。
激しい痛みが頭を走った。カリンは頭を抑え、痛みをやり過ごしたあと、下を見た。
「え…!?!」
上ずった声が出る。
ロープの先に、何かがもがいているのが目に入った。
紫黒の花弁だけが残り、鎖に絡まって跳ねている。
牙を剥き出しにして暴れるが、届かない。
花弁の先は、無惨にも引きちぎられたようで、何も残っていなかった。
下方の景色がゆっくりと流れる。
ゴンドラは止まらず、窪地も後方へと押し流されていく。
後方の影には、肉食花の残された体が小さく置かれていた。
「あいつに邪魔された...!」
エリカが唇を噛んだ。
カリンは透明床から目を離せなかった。花弁の頭だけになってもピンピンしており、今にも登ってきそうである。
「ロープを切らないと!」
カリンの声は、思わず上ずった。
「いや、まだ使い道はあります!この状態のままでどこかに引っかければー」
エリカはぴたりと止まった。
透明床を見下ろすその視線を追い、カリンも目を落とす。
流れていた足元の大地の輪郭が徐々に明瞭になり、ゴンドラの速度が落ちていることがわかった。
ゴンドラは、微かな振動とともに静止した。
「止まりましたね」
エリカが呟く。
「システムが完全に停止したんだと思う」
カリンが予想すると、エリカはほっと一息ついた。
「ロープを切る?肉食花がいるし」
「万一動き出したときのために、このままにしておきましょう」
エリカは淡々と返す。
「登っては来れないと思います」
その後、エリカは携帯端末を取り出し、エメラルドに救助要請を入れた。
緊張が解けたカリンは、その場にへたり込む。
「研究所は大丈夫かな」
「М体は中核弾で対処できるでしょうし、肉食花は軍がどうにかしてくれるはずです」
エリカはそう言うと、胸ポケットから小さな包みを取り出した。
「いります?」
差し出されたのは、甘い菓子袋だった。
「ありがとう」
カリンは口に運ぶ。
緊張のあと、この甘さが体に染み渡る。
エリカも自分の分を頬張り、二人はしばし沈黙の中で安堵の味を共有した。
窓の外は、氷河が増えていた。
正面の窓、北の方を眺めると、遠くに小さく、しかし明らかに異質なシルエットが浮かんでいた。
胸の奥が微かにざらついた。
ゆっくり這いながら、こちらへ向かう姿。円錐状の口。六本の脚のように見える突起。
低木を、足元の草のように押し潰し、岩を小石のように飛ばし、北からやって来る。
カリンは思わず立ち上がり、正面の窓に駆け寄った。
「どうしましたか?」
エリカが隣にやって来る。
М体だー
それも特大クラス。北の死領域にしかいないとされていたのにー
隣で、エリカの顔が引きつっていた。
(※)文中貨物用ロープの耐用力について
運動エネルギーE=1/2mv²(m=質量kg v=速さm/s)
ゴンドラ質量=500kg
ゴンドラ速さ=時速270km=毎秒75m
ゴンドラの運動エネルギーE=1/2×500×75²=1,406,250J
ロープの平均張力=E/d(E=運動エネルギー d=ロープでとめると距離)=1,406,250/1≒1.4MN
SFガジェット アクアのロープ:張力1.4MN
現存するロープの最大張力 :張力250kN
★現実ではあり得ない張力です^^;SFガジェットということでご容赦いただければ幸いです。
【追記】
誤りがあったら申し訳ありません。ご指摘いただけると幸いです。




