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6章 実体の本質

その日、三人は待避室で休んでいいということになった。


カリンはヘッドフォンをつけ、音楽に身を沈めた。

旋律よりも和音の並びに意識が向く。

ここはGより、Aのほうが風通しがいい。

いつの間にか、紙の上に譜面を書いていた。


エリカは端末を膝に置き、意味もなく画面を切り替えている。

アンバーは外の景色を撮っては、思いついたままに声を投げた。


「これなんですか?」

「岩です」

エリカが即答する。


そんな何気ない、何もしなくていい時間が、いっときだけ三人に訪れた。


日は落ちない。だが時刻は確実に夜を迎え、

窓ガラスは暗転し、照明が彩度を落とした。


エリカとアンバーは、ソファで眠りに落ちている。

カリンだけが眠れず、静かに扉を開けた。


夜の廊下は、普段より、より一層静かで暗かった。スマークガラスが暗転し、外の光は一切入らない。


常夜灯の明かりのみが照らす床に、カリンの足音が響いている。

中央館の方へなにげなく向かうと、そこに明るい光が照らされていた。


2階のこちらの柵ごしから、吹き抜け1階の壁の大画面が映像を映し出していた。


カリンは足を止め、思わずそちらに目を奪われた。


画面には、誰かの視点から撮られた映像が流れていた。


銃の先端が画面手前に映り、その先には巨体――М体。


画面がわずかにぶれた次の瞬間――


その奇怪な肉体に、トンネル状の穴が空いた。

宇宙服のような肉体が破裂し、内部から液体が噴き出した。


そこで映像は再び元の時点に戻った。


これはー

もう時刻の変わった昨日の出来事だ。


リー大佐の放った中核が、М体を貫通し風穴を空けたのだ。


無意識のうちに足が前に出る。この映像、何かがおかしい。

高台の上から見た時は気が付かなかった。


だが、この違和感は、直感に近いものがあった。


液体の飛び方が――


「液体の挙動が不自然ですね」


突然、気持ちを代弁したかのような声が響き、カリンは胸が跳ね上がりそうになった。


ふと声の方を向くと、支柱の陰に誰か立っていた。すらりとした華奢な体躯を、ジャンパースーツに身にまとっている。


フランチェスカだった。珍しく白衣がないぶん、腰の高さに圧倒される。


「け、研究長。こんばんは。」

カリンは小さく頭を下げた。


「お休みになられないのですか?」


その問いにフランチェスカは答えなかった。


「普通の流体は噴射されると滴を形成します。」

フランチェスカは映像を見つめたまま続けた。


「しかし、粘性を持つもの、磁場に反応するもの、衝撃で固まるもの――特異な挙動を示す液体も存在します」


カリンは言葉を失った。

フランチェスカの言葉が、まるで何か恐ろしいものを暗示しているように感じられた。


「彼らは、私達が思う以上に、異質な存在なのかもしれません」

フランチェスカの優美な声が、不気味に響き、映像の光に溶け込んだ。


◇◇◇


風穴の空いたМ体は、史上初の「死亡」と見なされた。肉体は、サンプルとして、リフティング装置に載せられ、施設内へと移動する。


最初に質量測定。クレーンでつり下げられた巨体が慎重に下ろされ、計測台の上に載る。


CPUが叩き出した数値に、カリンは目を凝らした。

質量は15tを悠々と上回っていた。


次にМ体は、生物班へ渡され、単細胞構造を持つことが分かった。


しかし、それはあまりにも異質な結果を見せつけた。


「X線もMRIも、透過しないし反射しなかった」同期のクララが、カリンに説明してくれる。


「仕方ないから、М体に空いた風穴に小型カメラを通して、内部構造を映し出したの」

「膜があって、溶質があって、そして中に核のようなものがある」

クララは指で画像を示した。


「構造だけ見れば、単細胞生物そのもの。瓜二つ」


「じゃあ、生物なの?」とカリンは聞いた。


「分からない」クララは首を振る。


「膜はリン脂質じゃない。溶質は電解質じゃない。核の中にあるのはDNAじゃない。

構造だけは同じなのに、素材が全く違うの」


カリンは首を傾げた。 

その素材とは、一体何なのか。


ふと、カリンは昨日の映像を思い出す。


中核弾が風穴を開け、液体が噴き出す瞬間。

何度も思い返す内、わずかな違和感に気づいた。


「……膜から吹き出したなら、しぼむよね」


しかし、М体サンプルはしぼむことなく、風穴を開けたまま形を保っていた。


「中にあるのは、本当に液体なの?」


それを見るため、М体サンプルは、巨大プレス機にかけられた。


世界一の圧縮力を誇る機械だ。


ゆっくりと、巨大な鉄の塊が降下していく。低い駆動音が施設内に響き渡る。


カリンは手すりを握りしめた。


プレス機がМ体に触れた瞬間、悲鳴のような音が響いた。


風穴から透明な液体が勢いよく噴き出す。


やはり、この流体、細かな飛沫を作らない。まるで固形物のように、塊のまま空中を飛ぶ。


カリンは、腕にひんやりとした感触を覚えた。

見ると、白衣に透明な液体が付着している。背筋が凍った。


「避難避難!」

誰かの叫び声。


周囲の者たちは、得体の知れぬ流体から身をかわし、階段を駆け上がっている。カリンも慌てて後に続いた。


ただ一人、白衣のフランチェスカだけが、笑みを浮かべたまま立っていた。

噴き上がる流体の傍で、異様なほど落ち着いている。


階段を登りきったカリンに、エリカが専用の廃棄袋を渡してくれた。

見ると彼女の裾にも、謎の流体が付着している。


「ありがとう」

カリンは白衣を脱ぎ、袋に廃棄する。手が震えている。


新しい白衣を着ながら、カリンは呟く。


「飛沫浴びて急死なんてこと...」


「冗談抜きに、あり得ますね」

エリカが淡々と返す。


「命は水物だね」 

カリンは苦笑した。

ここは、それをよく気づかせてくれる場所である。


飛び散った液体は、床に落ちると瞬時に固まり、まるで透明な石のように見えた。


プレス機は最後まで降下した。

液体は勢いを失い、やがて噴出が止まる。

М体には、からからの膜だけが残された。


◇◇◇


噴射した謎流体は、吸引器で回収され、膜だけとなったМ体とともに、STM解析室へ回された。


STMは超微細な針で電子の流れを読み取り、素材表面の原子配列を映し出す顕微鏡だ。


通常の何十倍ものサイズのそれは、部屋の全てを占領していた。


「ここなんでも巨大だね」

カリンが圧倒される横で、エリカが呟いた。


「これ、この施設いちお金がかかったみたいです」


「…中核は?」

と聞くと、エリカは淡々と答えた。

「あれは多分、プライスレスです」


アクアの技術革新で、今やSTMは、知識があれば誰でも使える機械になった。


「簡単だからよろしく」とだるそうにグレルに言われ、カリンはSTM操作をすることとなる。


ステージに、М体サンプル、次いで、内部から噴出した流体が載せられる。

カリンは操作を開始した。


スキャンが始まり、

巨大スクリーンを見たが、何も映っていない。

真っ黒な画面だけが、そこにあった。


カリンは前を見つめたまま固まった。


「何かやり方まちがってる?」


「スキャン範囲は…」

カリンが画面を確認すると、エリカが言った。

「正常です」


「電子流の電圧は?」

「正常です」


困っていると、後ろからヒールの音が近づいてくる。振り向くとフランチェスカ。


黄金の髪は艷やかで、少女のような顔に笑みが浮かんでいる。


「やはり」

彼女はそう言って、カリンを見つめた。


「中核と同じです。」


「あれもSTMで、画像が出てこない。」


「М体と中核は、何か共通点があるんでしょうか」


カリンが聞くと、フランチェスカは微笑を浮かべた。


「はい。その共通点とはー」

「原子も分子も存在しないということです。」


「え...」


何を言っているのだろう。

一瞬理解が追いつかなかった。


「えぇ。もちろん、仮説です。」

フランチェスカは、1人頷きながら言う。

「ですが、ほぼ確信しています」


「原子も分子も存在しないとは...?」

カリンは問うた。


「つまり、それ自体が1つの実体ある存在ということです」


「そんな....

じゃあ、それ以上きり刻めないってことですか?」


「いいえ。小さく切ることはできる。でも、いくら切っても、その物を構成する最小単位は現れません。」


俄に信じられない理論だ。

カリンは何も言えなくなり口を閉ざした。


フランチェスカは、まるで嬉しそうに微笑む。

「存在のあり方が同じもの同士。それが中核とМ体です」


科学者がー

ましてや研究長ともあろう人間が言う言葉とは思えなかった。


カリンは立ち上がり、フランチェスカを見上げた。


恐らく彼女は、隠才の科学者に違いない。

しかしー


「でも、それは……」カリンは言葉を探した。

「現代科学では、原子や分子があることが、物質の……前提、ですよね」


フランチェスカは目をしばたかせた。長いまつ毛ばさばさと瞼にかかる。


彼女は黒いスクリーンを指差した。

「実際、こうして観測できません。」


「原子よりもっと小さな、微細な粒でできている可能性だって、あるはずです」

カリンは首を振った。


「クォークの話ですか?」フランチェスカは首を傾げた。

「不安定なので可能性は低いですね」


そして、彼女は続けた。


「そもそも、原子も、完全に実体があるわけじゃない。ぼんやりとした確率の雲みたいなものです」


「原子を誰が直接この目で見られますか? あなたは見たことがありますか?」

フランチェスカは、手でカリンを指し示した。


「この世の中の物質は、存在確率が集合し、安定した形を保っているだけに過ぎません」


フランチェスカは、まるで子供に語りかけるように優しい声で言った。


「むしろ、М体や中核の方が、本物の実体としての性質と言えるのではないですか?」


もしそうだとしたら――


カリンは一瞬俯いたあと、フランチェスカを見上げた。


小さな顔に大きな瞳。シュシュをふんわり結び、一見優しそうに見える顔。

カリンは、恐怖を吐露した。


「原子のない存在の解析なんて」カリンは呟いた。

「人間にできるはずもありません」


フランチェスカは、ただ微笑んでいた。


黒いスクリーンには、何も映らない。そこに在るはずのものが、在ることを拒んでいる。


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