5章 中核
――その瞬間。
施設全体に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『警告。М体が接近中。
繰り返します。М体が接近中。直ちに緊急体勢を整えてください』
無機質な機械音声が、空気を切り裂くように流れる。
門外に設置された固定砲台が、低い駆動音を立てながら次々と起き上がった。砲身が自動的に角度を変え、照準を定める。
直後、連続する爆撃音とともに土煙が舞い上がった。
だが。
煙の向こうから姿を現したМ体は、傷ひとつ負うことなく、変わらぬ速度で直進していた。
「……射撃が、まったく効いてない?」
"あんなの、単なる気休めだよ"
ふとグレルの言葉を思い出す。
それを裏付けるように、固定砲台はいつの間にか沈黙していた。
遅れて、アンバーとエリカが階段を駆け上がってくる。
その時、高台全体が、突然大きく揺れた。
振動が足裏に伝わり、カリンの膝がわずかに震む。
「――っ!」
思わず声が漏れ、片足が滑った。
必死でバランスを取り直そうとするが、床の揺れは止まらない。
次の瞬間、重く鈍い金属音が耳をつんざく。
シャッターが轟音を立てて、ゆっくりと閉まっていく。
空気が圧縮されるような感覚。
カリンは息を呑んだ。
体勢を整え、駆け寄る。
「開けてください!!」
シャッターを叩き、声をあげる。
「まだ人がいます!」
だが、びくともしない。
――締め出された。
その瞬間、理解が脳裏を駆け抜ける。
カリン達は、高台の先端に取り残されたのだ。
揺れはなお激しい。カリンは支柱にしがみつく。
耳の奥で、微かな異音が引っかかる。
遅れて、意味が追いついた。
「ゔー!!!」
アンバーの苦しげな声。
振り向くと、階段の縁でアンバーが踏ん張っている。
彼女は柵に肩を押し当て、片手を階段の下へ伸ばしていた。
その手の先――エリカが宙吊りになっている。
外れた手すりが、足元で虚しく揺れていた。
「た…助けなきゃ」
無意識に拳を握るカリン。
柵伝いに駆け寄り、エリカのベルトを掴む。引っ張ると、彼女は少しずつ這い上がった。
ふっと視線を緩めた時ー
階段のはるか下に、蠢く巨大なものを捉えた。
この高台を揺らした現況と言えよう。
肉食花だったー
おおきな顎と牙を剥き出しに、紫黒の葉を揺らしている。鶴で支柱を揺さぶりながら、登ってこようとしていた。
カリンは、エリカのベルトを強く握りしめた。
床に両手をつき、懸垂の要領で登るエリカを、2人で引っ張り上げる。
最後に脚を引き上げ、エリカは完全に登りきった。
「ありがとう...ございますっ...助かりました。」
息も絶え絶えに言うエリカ。
うつ伏せで床の揺れに沿ってずりずりと引きずられていくその尻を、アンバーが片足でそっと止めた。
「まだ助かってません。捕まって」
「すみません」
エリカが近くの柵に手をのばし、自力で立つと、
3人は少しばかりか、目を見合わせ呼吸を整えた。
「下にいるの、あれ……ベータ国の実験体?」
カリンは視線を落とし、言葉少なに呟いた。エリカは頷いた。
「死領域生存確率は、1.23%。それを引いた個体です。」
「前方にМ体。足元に肉食花。つみましたね。」
アンバーはそういいながら、腰のサイドアームを抜いた。
「私は花をどうにかします。М体はどうする?」
カリンは、また資料の一節を思い出した。
М体がきらうバトン曲。
可聴域外の低周波で、今も尚、流されている。
カリンは顔を上げた。
「ボリュームを上げれば、効果があがることもあるとかないとか」
エリカが頷く。
「音源は下ですね。」
3人は、柵につかまりながら、階段を駆け下りた。
◇◇◇
コツ、コツ、と。
警報音に満ちた施設の通路で、ヒールだけが規則正しく床を叩いていた。
白衣の裾が揺れ、その下から伸びる細い踵が、淡く反射する床を踏みしめる。
「フランチェスカ研究長!!」
背後から、荒々しい声がかかる。
「あれを起動すれば、施設の全システムが遮断されます!門外要員の生存率が下がります!」
だが、ヒールの歩調が乱れることはない。
「そうです。だからこそ、М体が接近してきた今この時に、試す必要があるのです」
今度は、足が止まった。
床に伸びる白衣の影が、警戒ラインの手前で静止する。
「この研究に、猶予などありません」
くすりと笑い声を交え、上品に答える。
ヒールの先が、警戒ラインを越えた。
◇◇◇
アンバーはリボルバーを回し、弾薬を手早く詰め込んでいた。
階下を見下ろす。
肉食花が大きな顎を開閉させ、紫黒の葉を揺らしながら迫ってくる。
柵に身を委ね、体幹に力を入れる。
銃口を花の中心に定め、息を吐きながら引き金を絞った。
乾いた発射音。
弾丸が葉に食い込み、花弁が弾け飛ぶ。花が仰け反った。
間髪入れず二発目、三発目。
連続する銃声が高台に反響する。
アンバーは淡々と撃ち続けた。花は蠢きながら、じりじりと後退していく。
その奥、音源操作パネルを手に、カリンは小さく息を吐いた。
「あ、だめだ...」
「バトン曲の録音は、デジタルデータじゃない。直接いじれない...」
「だったら...」
エリカが声をひそめて言う。
「門外にある音源を、全部一か所に集めましょう」
カリンは門の方を見た。
音源は、門外を取り囲むように設置されていて、スライドで移動できるという。
しかし、そのためには、門の上に登り、スイッチを押さなければならない。
「2人で手分けしよう」
カリンは立ち上がった。
「はい」エリカも頷き立ち上がる。
揺れはいつの間にか、小さくなっていた。
アンバーのおかげかもしれない。
高台の頂上に着くと、2人は門に足をかけた。隙間は40センチほど。
歩幅で行ける距離だが、高さに一瞬足がすくみそうになる。
エリカは西から、カリンは東へ。
門の幅は50センチほど。小柄なカリンには余裕があるが、柵もない単なる門の上。
冷たい風が頬に当たる。
一歩ずつ進み、カリンは最初のスイッチを見つけた。
丸い端末に方角の刻印と、周囲のボタン。
真北を示す一つに指を置いた瞬間、門の下で機械音が響いた。
スライドしていく巨大音源を確認し、次のスイッチへ向かおうとしたその時――
機械音が、止んだ。
奇妙な静寂が辺りを包む。
嫌な予感がする。
カリンは急いで次のスイッチへと進み、北を指すボタンを押した。
「あれ…」
何も起こらない。
何度連打しても、反応がない。
電力が――切れている。
向こうで、エリカも立ち尽くしている。
2人の視線が合った。
カリンは門を渡り返し、高台の頂上へ降りた。エリカも戻ってくる。
「電力系統が遮断されてるみたいですね」
エリカの言葉に、カリンは視線をおとした。
「なら、もう門上に避難するしかない」
「アンバーさんを呼びましょう」
2人は階段を駆け降りた。金属網がガシャガシャと鳴る。
その瞬間――高台が激しく揺れた。
カリンもエリカもバランスを崩し、地面に倒れ込む。
立ち上がり、柵から下を見た。
下の方から、悲鳴にも似た音があがった。人間の悲鳴ではない、花弁がこすれ合う音。
その光景が目に焼き付けられる。
円錐状の口に吸い込まれる花弁。
吸引力により、無残に引き裂かれ、体液が飛び散っていた。
肉食花の断末魔ー
М体が、肉食花を捕食している。
いつの間に、ここまで来ていた。
想像を絶する光景に、カリンは息を切らした。頭の中で、けたたましく警鐘が鳴る。
視線の先に、巨大な円錐状の口。
М体が支柱を這い上がり、こちらへ迫ってくる。
次の狙いは自分達ー
カリンの瞳一杯に、その醜怪な姿が広がった。
もう余力は残っていなかった。
できる全ての限りは尽くしたー
残っていたのは、抑えていた恐れだけ。
一気にそれが心と身体を支配した。
その時であるー
どこからか、衝撃音が轟いた。
噴き出す液体――それが最初に、カリンの視界が捉えたものだった。
半透明で粘性がある。
鈍い光を放ちながら、四方に飛び散った。
М体から、体液が噴き出している。
そう理解した時、大地が轟いた。
高台が揺れ、咄嗟に、柵を握りしめる。
ぎゅっと目をつぶり、腕に顔を埋めた。
揺れが、静かに引いていく。
カリンはそっと顔をあげ、柵越しに地上を眺めた。
土煙が舞う中、巨体が倒れていた。
円錐状の口は力なく垂れ、宇宙服のような体躯はピクリとも動かない。
М体が――倒された?
その瞬間が、脳裏で反芻される。
北西からの衝撃。噴き上がった液体。
——撃たれた。
カリンは柵越しに身を乗り出し、視線を北西へ向けた。
すらりとした体躯の白衣の女性が立っている。フランチェスカ研究長。
その手前で、軍人男性が静かに銃をおろしているのが見えた。
あれはリー大佐だ。有名なので知っている。
彼が手にする銃は、見たこともはいほどに、おおきかった。
カリンは何が起きたのか、理解した。
大佐の銃がМ体を倒したのだ。
だが――そんなことが、あり得るだろうか。
いかなる兵器も、М体には傷ひとつつけられなかったのに。
リー大佐が、М体へと歩み寄った。
倒れた巨体の周囲で何かを探し――やがて屈み込む。
立ち上がった大佐の手には、何かが乗っていた。
フランチェスカの前へ、それは差し出された。
カリンは柵越しに、首を伸ばし目を凝らした。
ここからでは遠くて見えない。
気付くと、階段を登りきり、望遠鏡のアームに手を伸ばしていた。
大佐の黒い革手袋に照準を合わせる。
レンズ越しに映されたー彼の手に乗るもの。
それは、青く光る石だった。
眩しいほどに鮮明な青。
カリンは自身の目を疑った。
あの石には、見覚えがある。
――いや、見覚えがあるどころではない。
毎日見て、触れている。
幼少期に見つけた、不思議な石。
不自然な挙動を示す"魔法の石"。
その謎を解くために、科学者を目指した。
ずっと懐に忍ばせてきた、この石と――同じ。
カリンは思わず、レンズから目を離した。
力なくその場にへたりこむ。
見あげた空には、ツンドラの薄い雲が浮かんでいた。
石は、自分だけのものではなかった。
そして、М体さえも倒す力を持っていた。
謎を解くばかりか、それはさらに深まった。
地上――
フランチェスカは両手を胸の前で組み、陶酔したように目を細めている。
「素晴らしい……これぞ、神秘……!」
感極まった声が、静寂に響いた。
◇◇◇
ダウンライトの柔らかな光が、トープのソファを包む。
横長の窓の向こうには、殺風景な大地が遠くまで広がっていた。
木のテーブルでは、熱い飲み物が静かに湯気を立てている。
エリカは窓の外を眺め、カリンは飲み物に口をつけた。
"不測の事態、責任者として謝罪至します。"
フランチェスカはそう言って頭を下げた。が、その動作は、洗練されすぎていた。
カリンはエリカのほうをちらりと見た。
端末操作をしている彼女に向かい、切り出す。
「ここ色々と…おかしくないかな」
エリカは端末を置いた。
「そうですね…」
考えるように視線を上げ、カリンの目を見て頷く。
「確かに」
「若手が多すぎます。ここ、死領域付近ですよ。……370km先とはいえ」
それから、窓の遠くを見つめた。
「70年後地球を呑み込むというのにー」
カリンは頷くと、手元を見つめた。
「研究長も、どこか危うい感じ。」
「確か、停電したよね?あれも研究長の仕業?」
「中核を取り出したんです」
エリカはきっぱり言った。
「え?」
カリンは息を呑んだ。
中核――この国のインフラを担うクラウドシステム。
その瞬間、カリンの胸が大きく鼓動した。
フランチェスカの手のひらで輝いていた、青い石。
無意識のうちに、懐に手が伸びる。
自分が持っているものと――同じ。
あの青い石が「中核」なのだろうかー
カリンは小さく咳払いしてから言った。
「中核って、いくつかあるのかな」
「多分そうです」
エリカは頷き、眉をわずかに寄せた。
「中核はこの施設を動かし、安全面も担っていた。なのにそれを取り出した」
「非常用電源だけでは施設全体のセキュリティは担えません。」
「でも、中核弾がなぜか功を奏したよ」
カリンが言うと、エリカは沈んだ声で返した。
「それは結果論にすぎません。」
そう言われてしまえば、何も言えなくなる。カリンは口をつぐみ、エリカもまた視線を落とした。
その時、待避室の扉が勢いよく開いた。
「おつかれい!死線を超えし者達ですねぇ」
元気よく入ってきたのはアンバーだ。
彼女はテーブルにある湯気のカップに目をとめると目を輝かせた。
「あ!モルトココア!」
その明るさは、張りつめた待避室の空気を無遠慮に切り裂いた。
カップに手をのばし、冷ますこともせず一口。
「うーん。私はもうちょい苦みがあるほうが好きですね。」
アンバーは、それはそれは美味しそうに飲んでいた。
彼女が落ちつくのを待ってから、カリンは切り出した。
「行政長官はその…なんて言っていた?」
アンバーがこちらを見ると、カリンは遠慮がちに尋ねる。
「報告してたんでしょう?今回の件…」
「あー…」
アンバーは頷きながら、ソファの背もたれに尻を乗せた。
「ここの研究長、決して仮説を外さないと。
結果的に施設や私達は無事でした」
「どんな仮説か知りませんが…仮説で動かれても困ります」
エリカが静かに異を唱える。
アンバーは一口、残っていたチョコミルクを飲み干した。
カップを置く音が、小さく響く。
彼女の顔つきが変わった。ゆっくり立ち上がり、静かに言った。
「私達、どこにいると思ってるんですか?」
「実際50年も待てません。今、ここで賭けなきゃ終わりです」
エリカが口をとざす。
カリンも何も言えなくなってしまった。この極限環境下で、もう何が正解とかないのかもしれない。
待避室の暖色照明だけが、奇妙なほどに優しく床を照らしている。その床は、チャコールグレーの冷たい色をしていた。
ぐぅうぅ〜
乾いた空気に低い音が鳴る。お腹の響きに、アンバーの眉がわずかに動いた。
「というわけで、今回も無事生きてます」
アンバーはそう言うと、静かに笑った。
エリカが黙って茶菓子を渡し、カリンは小さく笑う。
相変わらず、窓の外は、殺風景な景色が広がっていた。




