4章 М体
ミーティング終了後、皆がてんでばらばらに散りゆく中、カリンは憂鬱な顔をしていた。
この惑星はもって50年。
いや、惑星というより生物にとってだろう。
50年後ーカリンは生きてるだろうか。
どちらにしろ、実害が出るのはそれよりもっと前だろう。
自分の死後も、ずっと当たり前に文明は続くと思っていた。
「よぉ新人」
やさぐれたような声が頭上から降りてくる。
その声に気づかないまま、どさりと分厚い資料が放り投げられる。
カリンがハッと顔を上げると、そこにはヨレヨレの白衣を着た無精髭の男が立っていた。
カリンがハッと顔を上げると、そこにはヨレヨレの白衣を着た無精髭の男が立っていた。
男はだるそうに言う。
「М体の記録手伝ってもらうぞ」
「は…はい!」
カリンは思わず立ち上がった。
男は名乗る気配を見せない。カリンが胸元を見ると、『主任グレル』と書かれていた。
グレルはそれから、近くを通りかかったエリカとアンバーを呼び止める。
「学生ちゃんと監視員も来て」
「え…私?」とアンバーが振り返り、エリカも立ち止まった。
「そうそう」
「リョーカイです!」
アンバーがおおきく敬礼する横で、エリカはキリッと眉をあげた。
「はい!喜んで!!」
その声はやや上ずっていたが、声に芯があった。
彼女も同意書を書いたのだろう。それだけの肝は座っていなければやっていけない。
カリンはすっと背筋をのばした。
◇◇◇
北口にある高台は、この敷地の敷居の先、地平線まで眺められる高さにあった。
冷たい風が頬に当たるが体の芯まで冷えることはない。
支給された外套は、薄いのに、防寒性能は十分だ。
カリンは望遠鏡を覗き込む。
レンズごしに、異様な存在が視界をきり裂いた。
「あれが...虚獣?」
苔と低木、時折氷河が見えるだけの世界に、巨大な動くものがいた。
円錐状の口がゆっくりと開閉し、膨らんだ体は脈打つように揺れていた。
生物か、機械か――異質な姿、虚獣ーМ体だった。
初めて見るその姿に、カリンはしばらく言葉を失った。
「М体は近くでは絶対観察できない。というより観察してはならない」
背後でグレルの声。
「カメラで追跡できるが、現物観測も重要だ」
「はいはーい!質問です」
明るい声が飛ぶ。アンバーだった。
「М体って死領域でも消えないんですか?」
「消えない。」
グレルは短く答えてから続けた。
「もっとも、奴らを生き物と呼べるならだが。
死領域は、機械やロボットなら通過できる」
「М体って死領域でも消えないんですか?」
「消えない。」
グレルは短く答えてから続けた。
「もっとも、奴らを生き物と呼べるならだが。死領域は、機械やロボットなら通過できる」
「本当に生き物だけって感じなんですね」
エリカが感嘆すると、アンバーがとぼけたように言う。
「え、エリカちゃん、いたんですか?」
「は?ずっといましたけど。
っていうか、アンバーさんこそ、なんでいるんですか?」
エリカがつんと答えると、合間を縫うようにしてグレルが説明した。
「研究長の指示」
「え!?」
「新人職員、事務、軍所属。」
グレルが、カリン、エリカ、アンバーを順に指さした。
「今後は3人で現場作業は行動してもらう。」
カリンは肩を落とす。新人職員ならアリスもいるはずだ。
「いやです!」アンバーが甲高く叫ぶ。
「いやです!いやです!」
顔を左右に振り、子どものように抗議する。
その様子にカリンはぽかんと口を開け、エリカは一歩引いた。
「私、監視のために来たんですよ? これ、実質癒着じゃないですか」
アンバーが目を尖らせる。
グレルはしばらく固まったまま、次いで乾いたため息をついた。
面倒くさそうな声色で言う。
「あー……そういうのは、研究長のとこでお願い」
それから視線をずらして、続けた。
「門外では低周波を流してる。生物の嫌う音だ。
バトン使いの演奏を録ったものだが、効果は安定しない」
「システム管理しているが、まぁ時折波形を確認してくれ」
◇◇◇
それから、時間を割いてはМ体観測をする日々が始まった。
だが、初日に見つけたきり、М体は姿を現さなかった。
「そもそも、個体数が少ない。」
グレルが言う。
「確認されているのは3体だ」
「3体ー」
カリンは息を呑んだ。それじゃあ、ほとんどこの高台に立っても無意味ではないかー
しかし、М体は死領域の唯一の手がかりだ。
「М体ってみんな、あのくらいのサイズなんですか?」
カリンは聞いた。初日に見た時は、大型獣より少しおおきいくらいだと感じた。
「いや」グレルは首を振り、タバコに火をつけた。
エリカが煙にあからさまに嫌そうな顔を見せる。
「死領域に特級サイズがいると報告されている。」
グレルは、煙をふかしながら、地平線の彼方ーずっと北、死領域のほうを見つめた。
「そいつはなぜか、死領域から出ようとしない。領域内をずっと、這うように徘徊しているそうだ」
ここから北緯5°先――死領域。
そこに、超特大М体がいる。
それらはじりじりと、今も南下してきている。
カリンは白く息を吐いた。
◇◇◇
それからまた日が経ち、グレルは次第に高台に姿を見せなくなった。
カリンはエリカとアンバーと、暇をぬっては観測を続けた。
そしてまた、М体が現れたー
エリカとアンバーは、下の階で音響装置を確認していた。
頂上には、カリンと望遠鏡、
そして――それが映す観測対象、М体の像だけが、静かにあった。
円錐形の口を地面に這わせ、こちらに側面を向けている。
一体、彼らは何なのか。
宇宙空間を漂っていそうなその出で立ちは、カリンの目を完全に釘付けにした。
死領域とともに現れたのだとしたら――
彼らは、死領域から発生した存在なのか。
夢中で記録用紙にペンを走らせていた、そのとき。
М体の動きが、ぴたりと止まった。
望遠鏡を持つカリンの手に、思わず力が入る。
円錐形の口を地面に這わせたまま、化け物はゆっくりと体勢を変えた。
レンズは、それを真正面から捉えていた。
何百メートルも離れた距離で、カリンとその生き物は対峙していた。
記録の手が止まり、ペンが床に落ちる。
それでも、望遠鏡から目を離せなかった。
口の上に、すっと切れ込みが入る。
それは薄く開き、中から小さな、丸いものが覗いた。
――目が、開いた。
望遠鏡越しに、こちらを見ているように思えた。
切れ込みのような目が、ぐにゃりと歪む。
カリンはついに望遠鏡から手を離し、その場に崩れ落ちた。
恐怖に、体が震える。
――М体は、笑っていた……?
違う。笑ったんじゃない。
カリンは必死に思考を巡らせた。
配布資料に印字された一節を思い出す。
――捕食判定。М体は、獲物を見つけたのだ。
М体は捕食行動をすると聞く。他の生物が生きるためにするその行動を、彼らは恐らく本能のみで行う。そこに意味はないのだろう。
カリンは立ち上がり、再び裸眼のまま、高台の向こうを見た。
М体が一直線にこちらへと向かう光景が飛び込んできた。




