10章 囚われる存在
数秒後、2人を乗せたゴンドラは、進み始めた。真っ直ぐ死領域方面に向かってー
ゴンドラの追跡モニターを見ていたアンバーは、眉を潜めた。
「一体どういうことですか!?
ゴンドラがまた北上を始めていますが!?」
カリンに繋がる無線機ごしに叫ぶ。
『これから、死領域に行く。』
「は?何言っちゃってるんですか?」
『ゴンドラに吊り下げた肉食花を餌に、М体を連れて行く』
◇◇◇
ゴンドラの中、カリンとエリカは、非常用ハンドルを交代で回し続けていた。
回転で発電し、充電されると進む仕組みだ。
足元の遥か下で、М体がロープの先ー肉食花の顔を狙い、猛追している。
大地が轟き、振動が機内にも伝わる。
カリンが回す間は、エリカに体を固定してもらい、逆の場合は立場を交代した。
無線機の向こうでアンバーが声を荒げる。
『死領域に行ってどうするんですか!?』
「М体は...死領域からやって来た」
カリンは、ハンドルを回し、息を切らしながら言う。
『だから巣に帰すって?大人しくお家に帰りますって?なるわけないじゃないですか!!!』
カリンは交代でエリカにハンドルを任せると、息を整えた。しゃがみこみ、しっかりエリカの足首を掴む。
「でも、特級クラスは、元々死領域を徘徊していた。南下しだした原因は分からないけれど」
「あのサイズ、街まで行ったら文明がほろぶんですよ!」
エリカがハンドルをさばきながら言う。
「恐竜サイズ。でも質量はその比じゃないんです!」
『お二人はどうするんですか?死領域の彼方に仲良くさよならですか?』
「それは...回しながら考えます!」
『はぁ!?バカ...バカなんですか!?』
「バカって言ったほうが!」
エリカはハンドルを強く回した。
「バカなんです!!!」
◇◇◇
ゴンドラは左右に揺れて、足元には特級クラスのМ体が迫る。
少しでも減速すれば、ロープは食いちぎられ、反動で機内は空中分解するだろう。
だから、絶対に油断はできなかった。
一方、
片方がハンドルをさばき、片方が地面に寝て、足首を掴む姿はなんとも間がぬけていた。
「私達...何やってるんだろう」
カリンがエリカの足元で言う。
「筋トレ...です!」
エリカが息を切らして言う。
とはいえ、先はあと280kmもある。
ずっと回し続けるわけにはいかない。
幸い、充電式だ。満タンになれば、わずかな休息は取れる。
その時、無線が入った。
『こちらアンバー・クレバー。
死領域、毎秒南下し続けています。
位置を伝えるんで、間違えても踏み込まないでください!』
「アンバーさん、ありがとう。でもなんで位置が分かるの?」
『死領域メーターを見てるからです!
研究長の自家用ジェットです』
◇◇◇
サングラス越しに、フランチェスカは空を仰いでいた。上空の風に、黄金の髪が大きくなびく。
操縦席でアンバーがスティックを握る。
「今そっちに向かいますから!始末書行きにさせないでください!!」
◇◇◇
それから数分後、カリンはハンドルを回しながら、ふと正面の窓を見つめた。
「あ...」
進行方向の空ー
小さくジェット機が旋回しているのが見えた。
アンバー達が追いついたようだ。
だが、このゴンドラの速度、時速100kmほど。ジェットは並走できなかった。
ウェーブオーバーで追跡するのだろう。
カリンは、ハンドルを握る手に力を込めた。М体を絶対、南下はさせない。させてはならない。
ゴンドラは、少しずつ北上を続け、М体は大地に巨大な窪みをつけながら、肉食花を追い続けた。
この執着ー
一度狙った獲物は決して逃さない。
その性質を今は利用しているが、それが1人の人間に向かった時、その者に逃げ場はない。
いつしか充電は満タンになり、2人はハンドル操作から開放された。
「この分なら、死領域までもちますね」
エリカはそう言って、腕をもんだ。
カリンも腕が痛かった。研究者でこんな肉体労働をするなんて、夢にも思わなかった。
ふと不安がよぎる。
「肉食花は、死領域で消えないかな...
人や動物が99%消える場所だよ?」
「だから、ベータ国が、実験動物や家畜や害獣や...人間を、廃棄してきたんです。
1%を引いて残った奴ら。
今更消えてもらっちゃ困ります」
時間は流れる。
カリンとエリカは、どうやってМ体だけを死領域に誘導するか、ひたすら話し合った。
名案は思いつかない。
氷河はさらに増え、遠くの窓には白一色の景色。
ツンドラと北極の境目に来たようだ。
足元の揺れるロープを、カリンはぼんやり眺めた。
肉食花は顔だけになっても牙をむき、跳躍している。普通の生物ではない、その姿を利用している自分たちも、きっと残酷なのだろう。
ゴンドラは左右に揺れ、落ち着かない。
「揺れている…?」
カリンの目が微かに見開かれる。
「そうか…!」
閃いた。
◇◇◇
エリカに伝え、2人で計算を開始した。
激しい意見の衝突が勃発する。
「時速31.6kmで、振れ角70度。飛距離は約5.82m」(※)
カリンが言った。
エリカは眉をひそめた。
「5.82mでは足りません!時速38.8kmで、振れ角90度。飛距離は15.5mです」(※)
「90度...車体が引っ張られるよ」
カリンは即座に顔を振った。
「でも、15.5mなら確実です!」
エリカは腰に手を当てた。
◇◇◇
その後もゴンドラは北上を続け、やがて辺りは完全に白一面の世界へと変わった。
死領域ー
すぐそこだ。
それは透明で色も匂いもない。ただ、数値とメーターで確認するだけである。
『その方法だと、本当に直前まで行かなきゃなりませんよ!』
アンバーが無線機ごしに言う。
「仕方ないよ...肉食花が重すぎる」
カリンは言った。
現在、ゴンドラは時速32km。
『死領域まであと、7m到達しました』
アンバーが言う。
『6m』
『5m』
「今です!」
エリカが叫び、カリンはハンドルを引いた。
その瞬間、ゴンドラは急停止した。
衝撃で体が前に押し出され、思わず支えの手すりにしがみつく。
反動で、ロープの先――肉食花――が勢いよく飛んだ。
窓の先にその姿が見える。
カリンは、瞬時にレバーを引いた。
ロープが車体から放たれる。
牙を剥きながら、肉食花はー
無色透明な壁の方へ飛んでいく。
「お願い...消えないで」
あとは祈るしかなかった。
白一色の世界に、紫黒色が染みのように落ちていく。
空を舞いなかまら、牙を剥き暴れる花弁。
瞬間ーーー
巨大な円錐状の口が、それを呑み込んだ。
遅れて響く、断末魔の叫び声。
大地が轟き、雪煙があがった。
М体が、死領域に放った囮を捕食した。
重低音が空間を震わせ、圧迫するような不思議な音を響かせる。
やがて、巨体の動きはぴたりと止まる。
奇妙なほど静かな一拍。
しかし――もがくように、再び動き出した。
まるで見えない壁に絡め取られたかのように、蜘蛛の糸に縛られたかのように――。
カリンは窓ガラスごしに、目を奪われていた。
М体は、死領域に囚われているーー?
(※)文中 カリンとエリカの意見
★ゴンドラを急停止させ、振り子原理で肉食花のみを死領域の向こうに飛ばす作戦
★数値
肉食花:1t ロープの長さ:6m ゴンドラ高さ:10m
〈カリンの意見〉
★速度遅めにして、振れ角度(70°)は安全に。
(振れ角度がおおきいと、ロープに引っ張られる危険性)
★その変わり、肉食花の飛行距離は短くなる
★数値計算
①振れ角度70 °に必要なゴンドラの速さ
【公式】
v=√(2gh)
h=L×(1−cosΘ)
【代入】
h=6×(1- cos70°)=6×(1- 0.342)≒3.95
v=√(2×9.8×3.95)≒8.8m/s
②振り子原理の水平移動距離
水平距離=L×Sin70°=6×0.94=5.64m
③70°の時の速度
位置エネルギー+運動エネルギー
位置エネルギー=1/2mv₇₀²
(v₇₀=70°での速さ)
運動エネルギー=mgh₇₀
(v₇₀=70°での高さ)
よって、1/2mv²=1/2mv₇₀²+mgh₇₀
1/2×8.8²=1/2×v₇₀²+9.8×3.95
v₇₀²=0.14m/s
④ロープ切った際の移動距離
落花時間=√(2h/g)=√(2×(3.95+4)/9.8)=1.27
水平移動距離=V₇₀×t=0.14×1.27=
⑤合計移動距離=5.64m+0.18m=5.82m
〈エリカの作戦〉
★速度速めにして、振れ角度(90°)で遠くに飛ばす
★ただし、ロープをすぐ切らなきゃ危険
★数値計算
①振れ角度90°に必要なゴンドラの速さ
【公式】
v=√(2gh)
h=L×(1−cosΘ)
【代入】
h=6×(1- cos90°)=6×(1- 0)=6
v=√(2×9.8×6)≒10.8m/s
②振り子原理の水平移動距離
水平距離=L×Sin90°=6×1=6m
③90°の速度
V=√(2gh)=10.84m/s
④ロープ切った際の移動距離
落花時間=√(2h/g)=√(2×10/9.8)=1.43
水平移動距離=V×t=10.84×1.43=15.5
⑤合計移動距離=6m+15.5m
【追記】
誤りがあったら申し訳ありません。ご指摘いただけると幸いです。




