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一つの署名  作者: 水凪
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前編

世界は不平等だと騒ぐ人が居る。

それは間違っていない。だが、騒いだからと言ってそれが改善した例が無い。

俺は今日も仕事に出る。

世間一般からは犯罪行為とされる仕事。

だが、それをやらなければ俺は食べる物を得られず、その先に待っているのは餓死のみだ。

歩きながらポケットの中でナイフの柄を握りなおす。

なんてことは無い、どこにでもある短いナイフ。

そんな物でも人を脅す事は出来る。

村を歩きながら獲物を探す。

裕福そうで抵抗しなさそうな相手。

要望に見合う獲物は中々居ない。だからといって、安易に妥協すれば失敗に終わってしまうかもしれない。

失敗だけで済めば良いが、最悪の場合には自らの命と引き換えになりかねない。

やがて、一人の行商人を見つけた。

急ぎの用でもあるのだろうか、街並みや通行人には一切目もくれず、ひたすらに歩みを続ける。

方向的にこの村は通過点なのだろう。村の出入り口の方向へと歩き続ける。

俺はその男に狙いを定めた。

気が付かれないように後をつける。

そもそも男は歩くのに忙しく、周りに気を付けている様子が無いので、尾行をしても見つかりそうには無かった。

予想通り男はそのまま村を抜け、村の外に広がる森の間に作られた道を歩き続けた。

その道の先には別の村が有る。とは言ってもこの村もその村も栄えていないので、その道を利用する人自体珍しかった。

つまりは行き交う人が居なくなり、その道には男を俺だけという事になる。

歩く速度を上げて一気に近づく。それと同時にナイフをポケットから取り出す。

男の背後から男を抑え込み、のど元にナイフを近づけた。

「騒ぐな。言う通りにすれば命は見逃してやる」

短くこちらの要求を伝えた。

男は突然の出来事に驚きつつも、こちらの要求を呑んで騒ぎはしなかった。

男は手を挙げて抵抗する気が無い事を示しながら、聞いてきた。

「どこの誰だか知らないが、頼むからこのまま向こうの村まで行かせてくれないか」

「払う物払ってくれれば、後はお前のしたいようにしたらいい、向こうの村まで行こうが勝手だ」

「だが、今は持ち合わせがほとんどない。ここまでの旅費でその大部分を使ってしまったからな」

「じゃあ、駄目だな。お前を生かしておく価値が無い」

そう言ってのど元に近づけていたナイフを振り上げた。

男は慌てて言葉を続けた。

「まてまて、待ってくれ。確かに今はほとんど文無しだ。だが、俺は向こうの村に用事がある。大切な用事だ。今はそれで頭がいっぱいだが、それが済んだらお前さんに金を払おう。向こうの村には俺の商売相手が居る、そいつから現金を貰ってお前さんに渡そう」

「随分と嬉しい事を言ってくれる。そんなにその用事が大切なのかい」

「ああ、大切だとも。上手くいけば一人の命が助かる」

「ほう。そりゃああんたの命かい」

「いや、俺ではない。俺の友人の命だ」

男は自分の胸元に手を当てながら詳細を話し始めた。

「この大切な書類。これを向こうの村の村長に読んでもらって、嘘偽りが無い事を確認してもらい署名してもらう。

村長の署名の入った状態のこの書類を、今度は町まで届ければ友人ははれて無罪放免。

逆にこの書類が嘘だったり、署名を貰えなかったり、届けられなければ、俺の友人は処刑される」

「なるほど」

「だから今は見逃してほしい。俺はどうしても向こうの村にまでいかなければならない。

村からの帰り道にまたここでお前さんに現金を渡す。どうせこの道を通らなければ町までは行けないのだから、必ずここを通る。

今の持ち合わせがほとんど無い俺を襲うより、ここで待っていればその何倍もの現金を苦労せず手に入れられる。

お前さんにとっても悪い話ではないだろう」

男は必死な顔で提案してきた。そこに嘘の気配を見出す事は出来なかった。

ゆっくりと思案してから返答した。

「・・・良いだろう」

「本当か」

「ああ、但し、お前の話が本当ならこれは二人分の通行料を払ってもらわなければならない。

湿気た額を持ってきたら、このナイフが突き刺さると思っておけよ」

忠告だけして、ナイフを降し男を解放した。

顔を見られる前に物陰に隠れ、男の動向を監視した。

男は一度は振り返ったが、そこに俺の姿が無い事を確認するとまた歩みを進め始めた。

俺は少し移動して、その道を監視しやすい場所に移動して男が通りかかるのを待った。

自分ながら甘い判断だったと思う。

これで村人達と集団で行動されたら、回収がほとんど不可能になる。その時は諦めるしかない。

そんな事を思いながらしばらく待っていると、男が戻ってきた。

予想に反して男は一人だった。

後ろから付いてきている人も居ない。本当に一人で戻ってきていた。

「あの男は一人でも俺を追い払えるとでも思っているのか」

呟きながら、慎重に移動して男の背後に回る。

そして気が付く。

男が文字通り肩を落として、行きの時とは裏腹にとぼとぼとゆっくり歩いていた。

ナイフを首元に近づけながら言った。

「少しは警戒して戻ってくると思っていたんだがな」

「・・・ああ、お前さんか」

その声に先ほどのような元気は無かった。

「ほら、約束の現金だ」

男は俺に金の入った袋を渡した。

ずしりと重かった。

「随分と奮発してくれたんだな」

「二人分、という約束だからな」

男の声は自暴自棄と言う言葉がしっくりきた。

「・・・駄目だった。無駄だった。村長に突っぱねられた。署名が貰えなかった。

もうあいつを救う手立ては無くなった」

「・・・」

「あいつの言う事を、俺は、俺だけは信用していた。だからこんな所まで来て、あいつの言う事が真実であるという証明を得ようとした。

だが、全部嘘だった。あいつを信用していた俺に対してもあいつは嘘を言ったのだ」

本来自分とは関係のない事の成り行きが気になってしまった。

「それで、あんたはどうするんだ」

「どうもしないさ。署名が無い書類を町に持って帰っても何の意味も無い。

このまま町に戻って何もせず、あいつが処刑されるのを見届けるだけさ」

俺は少しだけ考えて、渡された金の入った袋から半分だけ取り出し懐に入れ、残った半分を男に返した。

「一人分ならこれだけで十分だ。後の金はお前に返そう」

「・・・良いのか」

「お前は約束を守った。だから俺も約束を守ろう。

後は好きにしろ。そのまま町に戻っても良いし、その金で戻って向こうの村の村長を懐柔するのも良い」

「それは、」

男が驚きの声を上げた。真面目そうな男はそんな事を思いつきもしなかったようだ。

俺は顔を見られる前に物陰に隠れた。

自分の甘さにため息が出た。


先ほど追い返した男の落胆した顔が忘れられない。

だが、私もこの村を預かる村長としての立場が有る。嘘を本当だと偽る事は私には出来なかった。

男から散々説得もされた。私が署名しなければ男の親友がどうなるかも伝えられた。

だからといって私がそこで流されてしまえば、村の秩序を守る者として失格である。

苦渋の決断だったと言っても良い。感情の面では男の話に共感はしていた。

だからこそ、こうして先ほどからため息ばかりが出る。

私の中の正義感が、一人の犯罪者の処刑を決めてしまった。

そんな事を考えていると、また扉がノックされる。

「今日は千客万来だな」

そんな事を呟きながら扉を開けた。

そこには先ほどの男が立っていた。

「どうしたんだ、何か忘れ物か」

「・・・もう一度、お話をお願いできないでしょうか」

男の顔には先ほどとはまた違った決意の様なものが感じられた。

「何度来ても同じだ。その書類に署名する事は出来ない。

その書類に書かれているのは噓偽りだからな」

「それは理解しました」

「だったら、」

私の言葉を遮るように男は懐から袋を取り出し、私に渡してきた。

視線で促され、中身を確認する。

「随分と大金だが、これでどうするつもりだ」

男はうつむきながらも言葉を発した。

「元来、私は誠実を旨に行商人を行ってきました。人を騙して一時的な利益を得るより、信頼を勝ち得て長い利益を目指したいですから。

ですが、今回の件で私は良くない方法を取ろうと思っています」

「ここまでの大金を使うほどに、君の親友は大切なのかい」

「最初にここに訪れるまではそうでした。あいつを助けたい、その思いだけでこの村まで来ました。

ですが、この書類は嘘偽りだと分かった。私はあいつに騙された。

本音を言うと、今の私にはあいつに救う価値があるのかわかりません。

もしかしたら、私の想定以上に極悪人でこのまま処刑される方が世の為になるかもしれません。

ですが、私の手元にはこうしてまとまったお金が有る。

一歩間違えれば失っていたかもしれない、ですが、辛くも今は手元に有るこのお金。

もしこれであいつを救う事が出来るかもしれないのなら、それは挑戦してみるだけの価値はあると思ったのです」

「私が金に目が眩んで、不正を働きそうだとでも」

「いえ。そう言ったわけでは無く、とれる手段は全部取っておかないと後で後悔しますから」

「私がそれを受け取らず、もしかしたらお前さんの事を密告するかもしれないぞ」

「その時は、まあ、行商人ですからほとぼりが冷めるまで遠くに出かけますよ」

こちらの追及をやんわりとかわす男。私はその書類の事より、男自体が気になりだした。

「何がそこまでお前さんをつき動かすんだ」

私の質問に男は一瞬の間を置いてから答えた。

「何でしょう。

このお金は先ほど強盗に襲われても、それでも手元に残ったお金です」

「身ぐるみ剥いでいかないとは、ずいぶんと悠長な強盗だな」

「ええ。私も驚きました。命ぐらいは残っても、有り金なんて全て無くなると思っていましたから。

そして、この残ったお金の活用法もその強盗の発案です」

「そんな奴の案を実際に行うなんて、ばかげている」

「それは発案者が強盗だからですか、それともその手法があまり正しくないからですか」

「・・・」

「強盗からとはいえそんな思いもかけない発想を聞いてしまえば、試さないわけにはいきません。

強いて行動する理由を求めるならそんな所でしょうか。

先ほど言ったように、とれる手段は全部取っておかないと後で後悔しますから。

ところで、あなたにどうしても罪悪感が残ると言うのならば、こうしましょう。

私はあなたを懐柔しようとした。しかし、あなたは首を縦に振らなかった。

だから私はお金の次にナイフを取り出した。恐怖からあなたは署名せざるを得なかった。

こういった筋書きはお嫌いですか。まあ、実際にはナイフなんか持ってはいませんが」

「そんなことになればそれこそお前さんはお尋ね者になってしまうぞ」

「あなたが証言をしなければ、誰も知りません。

そもそものこの書類の中身だって、仮に嘘偽りを本当だと偽証しても誰かを傷つける事もない。

町の人はあなたの署名を信用するでしょう。誰も本当かどうかを改めて確かめに来るわけが無い。

あなたが自分自身を脅された為だと言い聞かせてくれれば、それで済む話です。

私は欲しい物が手に入り、あなたはまとまったお金を手にする。私財にするのも良いですし、村の発展の為に使っても良い」

「君もなかなか交渉が旨いね」

「商人ですから。それに友人の命がかかっていればそれ相応に手は使います」

「・・・致し方無い。「自分の身の可愛さ故」なら人は平気で嘘を付く。人なんてそんなものだろう」

私はため息と共に筆を取った。

「ありがとうございます」

礼を言うその顔は、晴れ晴れしているように見えるが、そこに影を感じたのは私の心のせいだろうか。

男は村から立ち去った。

私は心に残った苦さを何とかしようと、村の教会へと赴いた。

「村長さん。どうかされましたか」

笑顔で迎えてくれた司祭に先ほどのやり取りを話した。

司祭は難しい表情のまま、答えた。

「あなたの行った事は嘘を付いてまで他人を救った。そこを慈悲と取ること出来ますが、司祭としては嘘を付いた以上、手放しで褒めるわけにもいきません。村長さんの心の重りが少しでも軽くなるように一緒に祈る事にしましょう」

「ありがとうございます」

私の感謝の言葉を受け取り一時は笑顔になるも、それでも司祭の表情は険しくなる。

「ですが、そうなるとあの行商人もまた心に負担を重ねる事をしている事になります。

あの行商人にも心が救われる時が訪れれば良いのですが」

司祭は祈りを捧げた。私もつられるように祈りを捧げた。

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