静かに崩れゆく日常⑬
※今回の挿絵にはホラー要素が含まれます。
本文の中ほど、一枚目に入っておりますので、苦手な方はご注意ください。
ミルシャの言葉が落ちた瞬間、彼の思考は凍りつく。
すでに九本の蝋燭は、フェンイルの手で静かに息絶えていた。
「くく……鋭いな、小娘よ」
「あなた、やっぱり!」
ミルシャの足元で、村長は不快な笑みをこぼし続ける。
だがその時、家全体が低く唸り軋みを上げた。
――ゴゴゴゴゴ……
「な、なにこれ!? いったい何をしたの!!」
地面がわずかに跳ね、基礎のない家は悲鳴のような揺れを返す。
「ただの地震だ。 驚くほどのことでもあるまい」
「地震?」
村長は鼻で笑うが、ミルシャは生まれてから一度も地震を経験したことがなかった。
知識としては知っている。 だが、ここルーファス王国では地震の報告など聞かない。
もし大きな揺れが起きれば、石や煉瓦を多用するこの地方の家々は、ひとたまりもないはずだ。
「ここ二日ほど、頻繁に起きていただろう?
ルーファス王国は山脈を抱えていないから滅多にないが、他国では珍しくもない」
ミルシャはカイへ視線を送り、地震の有無を確かめる。
だがカイも首を横に振るだけだった。
「……まあいいわ」
胸の奥で嫌な予感がざわつく。
それでもミルシャはフェンイルの身を案じ、村長の首元近くの地面へ短剣を交差させて突き立てた。
わずかに動けば、命を落としかねない拘束だ。
「少しでも動けば、どうなるか分かってるわよね?」
「動く気はない。 さっき言った通り、俺もこの村も終わりだ」
ミルシャは村長の背から降り、フェンイルの傍へ歩み寄る。
「ねぇ、残った火を移せば元に戻らないかな」
消えてしまった守護の蝋燭に火を戻すため、ミルシャは松明になりそうなものを探す。
だが――
「無駄だ。 火が消えた瞬間、その場に封じられていた“善の魂”は解き放たれた。
火を戻したところで、散った魂は戻らん」
「善の魂……だと!?」
「くく……黒魔術について何も調べずに乗り込んできたようだな。
おかげで、あっさり騙されてくれた」
短剣は村長が言葉を発しただけで薄く皮膚をかすめ、土を赤く染め始める。
もし抜こうとすれば、傷は深く広がってしまうだろう。
「ミルシャ、壁にある紐で手足を縛ろう。
ここで勝手に死なれては困る」
カイは村長から情報を得るため、壁に掛かっていた紐で手足を拘束した。
ミルシャは短剣を抜き、回復薬を飲ませる。
傷は浅いとはいえ、血を見るのは気持ちのいいものではない。
「小娘……お前、人を殺したことがないな?」
「……っ!」
「さっきの拷問も、まだまだ甘い。
痛みに慣れた者もいることを知っておけ。
まあ、そのおかげで俺は上手く演じられたがな」
薬医師であるミルシャは、刃物を使う治療に慣れている。
今回も跡が残らぬよう慎重に刺し、回復薬で癒した。
普通の人間なら耐えがたい痛みだろう。
だが村長の言う通り、守るものがある者は痛みに屈しない。
彼はそれを演技で覆い、ミルシャたちを欺いたのだ。
「くく……礼として黒魔術を少し教えてやろう。
まず術を施すには、水晶の魔道具に呪う対象の接触が必要だ。
いつ触らせたか分かるか? フェンイル」
「……体調が悪くなったのは、収穫祭の後だ……」
「そうだ。 お前の子供に水晶を触らせたのは収穫祭の時。
星座占いと称して、遊びに来ていたお前の子供に触れさせた」
「……くっ!」
フェンイルは殴りかかりたい衝動を必死に押し殺し、村長の言葉の中にわずかな希望を探した。
「そして――ここに祭壇を築き、黒魔術のために十人もの命を捧げたのだ」
「なんということを……」
「それが黒魔術というものだ。
生贄の魂は二つの依り代に宿る。
一つは対象を呪い殺すための“悪の魂”。
もう一つは、その悪を抑えるための“善の魂”。
善と悪といえど、元は一つの魂。
どんな人間であれ、その天秤の傾きは違えど必ず持っている。
その中で悪が消え、善が残るならば呪いは成立しない。
だが善が消え、悪だけが残れば均衡は崩れ、怨念として彷徨うことになる。
悪の魂は呪う対象の善の魂を求め、命を奪うことで均衡を取り戻そうとする。
もう分かるな?」
「……俺は……カイラを守っていた善の魂を……消してしまったのか……」
「くく……その通りだ! 全ての蝋燭を消せは即死だったのだがな。
残ったのは、水晶に宿る十人分の悪の魂と、たった一人分の善の魂。
どちらが強いかなど、火を見るより明らかだろう?
お前は自ら、息子の命を縮めたのだ!」
「――っ!!」
フェンイルは怒りに震え、拘束された村長の胸倉を掴み上げた。
その瞬間――
――ブチッ!
乾いた音とともに、縛っていたはずの紐があっけなく千切れた。
村長の手には、いつの間にか小さなナイフが握られている。
「縛るのなら、武器の有無くらい確かめるものだ!!」
――ドンッ!
村長は自由を取り戻した足を勢いよく振り上げ、フェンイルの腹部へ叩き込んだ。
不意を突かれたフェンイルは吹き飛ばされ、中央の水晶玉へと激しくぶつかる。
――ゴロ…… パリーン!
台座から転げ落ちた水晶玉は砕け散り、次の瞬間、家の中に荒れ狂う風が渦を巻いた。
『オォオオオオ!!』
風に混じる耳鳴りのような叫び。
だがミルシャとカイには、それがただの音ではなかった。
まるで死神の影が無数に天井へと昇っていくような、禍々しい幻影が見えた。
「な、なんだ今のは!」
「ふはははは! これで呪いは成就された!
もう誰にも止められん!」
「どういうことだ!!」
蹴り飛ばされたフェンイルはすぐに立ち上がり、村長を睨みつける。
「そのままの意味だ。 今まで呪いは発動していなかったのだよ」
「そんなはずはない! カイラは苦しんでいる!」
「それは呪いの余波だ。 十人もの生贄だぞ?
大人なら少し体調を崩す程度だが、幼子なら余波だけで十分に苦しめられる」
「貴様っ!」
「くく……ここで遊んでいていいのか? 蝋燭は残り一本。
一人の善の魂が十人の悪の魂を抑えられるのは、せいぜい一日。
明日の夕暮れには、お前の息子は確実に――死ぬ!」
「……な……」
フェンイルは言葉を失い、その場に崩れ落ち絶望に飲み込まれた。
「くく……いい顔だ。 それが見たかったのだよ。
だが、もっと愉快にしてやろう。
呪いは“浄化”で消すことができる」
「……な、に……?」
「だが直接浄化を施せば、術を唱えた瞬間に善の魂が先に消えて即死する。
だから離れた場所から神杖を使い、強力な浄化で善悪まとめて吹き飛ばせばいい」
「また嘘ではないのか!」
カイが怒号とともに村長を締め上げる。
「嘘だと? 真実だからこそ、今のフェンイルを笑えるのだ。
強力な神杖を持つ聖職者など、教皇くらいのもの。
王都まで半日はかかるうえに、教皇が絡む案件が即座に受理されることもない。
どう足掻いても――間に合わんのだよ!」
――ドンッ!
カイは言い切った村長を殴り飛ばし、出入り口へ叩きつけた。
ミルシャは生気を失ったフェンイルの傍に寄り添い、カイは割れた水晶を調べる。
よく見れば、最後の蝋燭に漂っていた善の魂の顔も、跡形もなく消えていた。
「もう……ここには、何ひとつ残されていない――どうすればいいんだ!」
――ガチャッ!
カイとミルシャが一瞬だけ視線を外した、その刹那。
村長は扉を押し開け、外へと飛び出していった。
「待て!!」
叫びと同時に、二人も駆け出す。
部屋の夜気を切り裂くように外へ飛び出し、周囲を見渡す。
村長の姿は、闇の口を開けた洞窟へと吸い込まれようとしていた。
「くそっ!」
周囲に盗賊の影はない。
炎を抑えるため、全員が下の村へ移動したのだろう。
洞窟の入り口へ辿り着いた二人は、足を止め、息を呑んだ。
「無防備に入るのは危険すぎるな。 どんな罠が潜んでいるかもわからん」
「う、うん……でも、このままじゃカイラ君が……」
「そうだな……よしっ! 俺が一人で行く。
ミルシャはフェンイル様を連れて、来た道を戻れ!」
「でも……」
「フェンイル様には、一刻も早く館に戻ってもらわないとならん!」
「わ、わかった!」
最後の最後まで村長の欺瞞に気づけなかった三人。
そんな男が逃げ込んだ洞窟へ踏み込むのは、あまりに危険だった。
だが、迷っている時間はもう残されていない。
カイは剣を抜き、洞窟へ飛び込もうとした――その時。
「入ってはいけません!!」
背後から、聞き慣れた声が鋭く響いた。
振り返ると、必死に駆けてくる二つの影。
「ルゥと――アイリス!?」
「目が覚めたんだね! よかった!」
「皆さんに介抱していただいたおかげです」
ミルシャはアイリスに抱きつき、その温もりに胸を撫で下ろした。
「ですが、ゆっくりしている暇はありません!
一刻も早く脱出しないと、この村は――消滅します!」
――えっ!?
アイリスの言葉に、カイもミルシャも、そしてルゥまでもが息を呑んだ。
「それはどういうことだ!」
「時間がありません! 後で説明します。
今はとにかく急いで……フェンイル様はどこですか!?」
アイリスはフェンイルの姿が見えないことに気づき、焦りを隠せず周囲を探した。
「その家の中だ。
事情はわからんが、フェンイル様は俺が連れていく!
皆は先に山の階段へ向かってくれ!」
言い終えるより早く、カイは家へ駆け戻り、扉の中へ消えた。
残された三人は互いに頷き合い、来た道を戻って、カイが作った階段へと走り出した。
カイは家の中へ飛び込み、フェンイルを連れ出そうとした――しかし。
「フェンイル様! ここは危険です、すぐに退避を……!?」
叫びながら踏み込んだカイの視界に映ったのは、先ほどまで灯っていた蝋燭の残り香と、その淡い光の名残をすくい取るように、散らばった頭蓋骨を必死に集めるフェンイルの姿だった。
「フェンイル様!?」
その目には生気がなく、呟きながら骨を拾い集める姿に、カイは息を呑んだ。
「……もう……だめだ……俺は……なんということを……」
カイは駆け寄り、両肩を掴んで叫ぶ。
「ここは危険だ! すぐに脱出するぞ!!」
だが、フェンイルは虚ろな瞳を揺らしながら、なおも骨へ手を伸ばす。
「……俺はいい……どうせカイラは助からん……
それならいっそ……ここで朽ちて……冥府へ……」
「しっかりしてくれ!
まだ助からないと決まったわけじゃない!
とにかく急いで戻って、教会に行くんだ!」
「もういい……村長の言う通りだ……どうあがいても間に合わん……
俺が……俺がカイラに……とどめを刺してしまったんだ……」
「くっ!」
――バシッ!! ドンッ!
絶望に沈みきったフェンイルの胸倉を掴み、カイはその顔を殴り飛ばした。
フェンイルの身体は衝撃で宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「しっかりしろ!!」
フェンイルは頬を押さえながら、壁にもたれた。
「俺の気持ちなど……お前達にはわからん……
必死に助けようとしてきた……なのに、最後の最後で俺が……」
「ああ、俺にはわからん!
だが、ミルシャは違う! 誰よりも、大切な人を失う痛みを知っている!」
「……?」
「ミルシャは、たった三十分の家を離れた僅かな間に――弟を事故で亡くしたんだ!」
「!?」
「それなのに……いや、それだからこそ、ミルシャはあんたの子供を助けようと必死なんだ!
あんたの子供は――カイラはまだ生きている!
最後まで足掻いてみせろ!!」
フェンイルの瞳に、驚きと揺らぎが戻る。
「……そうか。 十五歳の娘に、心から信頼できる理由が……ようやくわかった」
「あんたは言ったよな。 十五歳でAランクはおかしいと。
違うんだ。
ミルシャは、成人が数年・数十年かけて積む経験を――たった十五年で走り抜けたんだ。
血の滲む努力を、ずっと続けてきたんだよ」
「……ふぅ。
このままではミルシャに合わせる顔がないな……カイラにも」
「そうだとも」
フェンイルは立ち上がり、頬をさすりながら言った。
「この一発は……大きな借りだ。 いつか必ず返す」
「すべてが終わったらな」
「フフ……」
――ドンッ! ゴゴゴゴゴ……!
突然の突き上げる衝撃。 それに続く小刻みな揺れ。
「やばい! すぐに逃げるぞ!」
「どういうことだ!?」
「詳しくは知らないが、村が消滅するらしい!」
「消滅だと!?」
先ほどの揺れとはまるで違う。
今度の震動は大地そのものが息を荒げ、収まる気配を忘れてしまったかのようだった。
家は軋み、悲鳴を上げながら必死に形を保とうとしている。
「行くぞ!」
「おお!」
カイの声に、フェンイルの瞳へ強い意志が灯る。
一瞬の決意を胸に、二人は戸口を蹴り開け外の光へと飛び出した。
その背後で、悲鳴を上げていた家はついに力尽き崩れ落ちる。
舞い上がる土埃の中、揺れる地面を踏みしめながら、二人はミルシャたちの背中を求めて駆け出した。
「この国で、こんな地震など聞いたことがないぞ!」
「俺もだ。 いや、もしかするとこれは……」
カイが言いかけたその瞬間――フェンイルの足元が、まるで大地が息を呑んだかのように崩れ落ちた。
「うわっ!」
「フェンイル!」
反射より速く、カイの腕が伸びる。
落ちゆく腕を掴み、そのまま強く引き寄せた。
「大丈夫か!」
「あ、ああ……」
礼を言う暇すら、風にさらわれていく。
地面は怒りをぶつけるように次々と裂け、黒い穴を開けていく。
世界そのものが崩れ落ちる音が、二人の背を押した。
二人はただ必死に、命を抱えて走り続けた。
「これは地震じゃない! この場所そのものが崩落している!!」
叫んだ瞬間、前方で巨大な崩落が起きた。
「こっちだ!」
カイはフェンイルを引き寄せ、切り立った山肌に道を生成する。
二人はその道を全力で駆け抜ける。
だが、空中に足場を作ることはできない。
山肌が崩れれば、すべて奈落へ落ちる。
激しい振動は、大小の岩を雨の様に降らせてくる。
「くそっ!」
カイは走りながら頭上に防御壁を生成した。
それでも小石は防げるが、大岩が落ちて来れば終わりだ。
二人は祈るように走り、奈落へ落ちていく家々を横目に突き進む。
「カイ! フェンイル様! こっちこっち、早く──!」
砂埃の向こう、揺らめく陽炎の中からミルシャの声。
僅かに見える伸ばされた手は、まるで迷い子を導く光の道標だった。
「なあ、カイ……あの娘に、俺のすべてを捧げたいと思うのは……愚かか?」
「愚かじゃない!
あの手は……まるで女神が、俺たちを赦すように差し伸べている!」
砂埃の嵐の中、二人の胸に灯った想いだけが確かな熱を持っていた。
カイとフェンイルは最後の力で跳び、ミルシャの足元へ頭から滑り込む。
そして――
背後で、カイが作った道が地鳴りと共に崩れ落ちた。
奈落がすべてを飲み込むその瞬間、三人の手は確かに繋がっていた。
五人が振り返った瞬間、視界に飛び込んできたのは、まるで世界そのものが悲鳴を上げて裂けたかのような、圧倒的な惨劇だった。
自然が気まぐれに紡ぎ出したとは思えない。
それは、あまりにも巨大で、あまりにも理不尽で、ただ立ち尽くすしかない大災害の風景。
五人の胸に広がったのは恐怖でも絶望でもなく、言葉すら追いつかない現実の重さだった。
最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
投稿は毎週日曜日の12時に設定しております。
これまでの物語をゆっくり振り返っていただけますよう、投稿した挿絵をXにて保存しております。
絵を眺めるだけで物語の情景がふっと蘇るような、そんな時間をお届けできれば幸いです。
どうぞ、ごゆっくりご覧ください。
https://x.com/ocarina_quartet
※挿絵は Microsoft Copilot(1・2・3・4)
及び Gemini Nano Banana Prot(----) による生成画像です




