静かに崩れゆく日常⑫
腐臭めいた何かが漂い、そこへ蝋燭の甘い香りが重なり空気そのものが濁っていた。
その不快な空間で、ミルシャは男に腕を掴まれ、喉元へ短剣を押し当てられている。
フェンイルの胸に、黒い憎悪が静かに、しかし確実に燃え上がった。
「妙だな……御者は二人と聞いていたが、もう一人潜んでいたとは。
いや――下の惨状を見るに、十人はいたかもしれん」
村長は、皮膚の裏側がざわつくような笑みを浮かべ、フェンイルとカイを見下ろした。
「……くっ!」
飛びかかりたい。 だが、ミルシャが囚われている以上、一歩も踏み出せない。
「お前たちはどこの組織に雇われた?
ギルデリアか? バーンズか?
ふふ……どちらにせよ、騎士団ではあるまい」
(他国の傭兵だと思っている……?)
カイはその言葉に、微かな違和感と同時に、謎の依頼の糸口を感じた。
(誘導できれば……この国で起きている災厄の核心に触れられるかもしれない)
そう思った矢先――
「その娘を放せ、村長!」
フェンイルが叫び、フードを剥ぎ取った。
偽りの髭も、かつらも、床へ落ちる。
「おまえ……フェンイル、か?」
「そうだ! 俺の息子はすでに人質同然だ!
その娘を放しても問題ないはずだ!」
「くく……あははは!
親馬鹿もここまで来ると清々しいな!」
「好きに言え! ミルシャを離せ!」
カイの練った策は、フェンイルの叫びによって霧散した。
情報を引き出す機会は、もう閉ざされた。
「なるほど、息子を助けるためにここへ来たか。
この家に入ったところをみると、呪いに気付いたのだな。 褒めてやろう。
だが、人質は別だ。 離せばお前たちが襲ってくるだろう?」
「くっ……!」
村長はミルシャを締め付けたまま、満足そうな様子を見せる。
「首領はどうした? 一人で俺たち二人を相手にするつもりか?
もしその娘を刺したら、俺たちは即座に飛び掛かる。
その後で魔術師を探し、呪いを解かせればいい。
だから、その娘は人質にはならん」
フェンイルが言葉を失う中、カイが挑発するように言い放つ。
「かもしれんが、刺すまでは手は出せまい?
それに、ガルディス様はここには居ない」
(ガルディス……首領の名か?)
「さらに言えば、この黒魔術を施した術師はもうすでに殺した」
「な、何だと!」
「ここにある十本の守護が失われれば、呪いは成就する。
お前の息子の呪いは――もう解けん」
その言葉は、フェンイルの視界を一瞬で暗闇に沈めた。
「……何のためにフェンイル様のご子息を狙う?
身代金も要求せず、ラングレイ領の近くに住むお前たちに、何の得がある?」
カイは時間を稼ぎながら、真実の欠片を引き出そうと声を落とした。
「そんなことは知らん。
ただ、どこぞの貴族から“呪いをかけろ”と依頼を受けただけだ」
村長は薄笑いを浮かべ、まるで他人事のように吐き捨てた。
「貴族だと? お前たちに依頼するほど追い詰められた貴族がいるのか?」
「俺たちは金さえもらえれば、相手が誰だろうと関係ない。
理由にも興味はない。 ただ、依頼通りに苦しめて殺すだけだ」
「随分と安請け合いするものだな」
「くく……そういう連中ほど金払いはいい」
カイは淡々と返しながらも、言葉の裏に潜む真実を探っていた。
「だが、黒魔術師なんて貴重な人材を殺すとはな。
だったら、他の黒魔術師を捕まえて頼めばいいのだろう?」
「残念だが、黒魔術師はそいつ一人だ。 他にはいない」
「ほう……ますます奇妙だな。
そんな希少な術師、普通なら手放さない。
こんな場所から呪いを飛ばせるなんて、最高の戦力だろうに」
「もちろん使い勝手は良かったさ。
だが、十人も儀式で殺したせいで、とうとう気が狂ってな。
逃げ出して王都に助けを求めに行ったんだよ」
「……それ、常識人に戻っただけじゃないのか?」
「くくく、お前たちの常識は、俺たちの非常識だ!」
「もっともらしく言い切るな」
村長は肩を揺らしながら続けた。
「だが、王都にも仲間は潜り込んでいる。
下手に助けを求めれば、即座に捕まえることができる。
かといって城に駆け込むにも、そいつはまだCランクのハンター。
役人も相手にしない」
「……なに?」
淡々としていたカイの表情が、初めて揺れた。
「困り果てたそいつは、あろうことかAランク冒険者を探した。
王国から絶大な信用を得ている彼らなら、今回の件を訴え、自分を保護してくれると踏んだのだろうよ」
カイは俯き、拳を強く握りしめた。
「それで荷馬車の依頼に同行するよう細工し、依頼者ごと殺した。
そういうことか?」
「察しがいいな」
「……はぁ。 追手から逃げながら助けを求めて近づいてきた男を、俺は尾行と勘違いして撒いてしまったわけか。
なんとも、気の毒なことをした」
胸の奥に、重い後悔が沈んでいく。
「撒いたとはどういう意味だ?」
村長の顔に、初めて陰が差した。
「その男が頼ろうとしたAランク冒険者が――この俺だ」
「……っ!?」
村長の顔色が、みるみる蒼白に変わっていく。
「そんなはずはない! あのパーティは割れた岩山で生き埋めにしたはずだ!」
「ほう? つまり山を崩したのはお前か」
カイの声は静かだが、怒りに熱を帯びていた。
「だ、誰か! 敵が侵入しているぞ!」
村長は突然叫び散らした。
「無駄だ。 この騒ぎの中、お前の声など届かない。
護衛をつけなかったのが運の尽きだ」
「くっ! こっちには人質がいる!
Aランクなら、なおさら見捨てられまい!」
「俺たちを無視していればよかったものを――Aランクに喧嘩を売ったこと、後悔させてやる」
「お前たちに手を出したのも依頼があったからだ!
でなければAランクに手を出すものか!」
「誰の依頼だ!」
「言っただろう! 金さえもらえれば依頼主の素性などどうでもいい!
その方がお互い足がつかない!」
「――っ! くそったれが!」
カイの吐き捨てた声には、怒りと悔しさが入り混じっていた。
村長はミルシャを乱暴に押さえつけ、短剣の切っ先をさらに喉元へ寄せた。
だが――その瞬間、何かを思い出したように目を見開く。
「ま、待て……報告ではAランクパーティに“小柄な娘”がいたと……」
その言葉を口にした途端、村長の背筋を氷柱が滑り落ちた。
まるで束ねた剣を抱きしめているかのような、鋭く刺すような恐怖が全身を貫く。
「おい、カイ……なんだ、この寒気は」
その異様な気配は、フェンイルにもはっきり伝わっていた。
「一つ言っておく。
俺のパーティで一番怒らせちゃいけないのは――ミルシャだ」
「……ああ。 今の顔は女神じゃない……小悪魔に見える」
ミルシャの口元は頬まで裂けたように笑い、
瞳は獲物を見つけた獣のように鋭く光る。
そして――
短剣を持つ村長の小指をつまむように握り、一気に捻り上げた。
「ぐあっ!!」
関節が外れる鈍い音と、村長の悲鳴が狭い部屋に反響する。
短剣が手から落ちた瞬間、ミルシャはふっと体の力を抜き、両手で村長の肘を掴むと、すくい上げるように力を入れた。
そして、わずかに生まれた隙間へ、自分の体を落とすように滑り込む。
それは床に膝をつくほど低く、しなやかに体を滑らせた。
「なっ……!」
驚愕の声が頭上で弾ける。
次にミルシャの体を押さえていた手を取り、ねじり上げながら関節に悲鳴をあげさせ、自分が回転しながら村長の体勢を崩す。
村長は前のめりになり、なんとか姿勢を保とうとするが、ねじられた手首がそれを拒み、回転するミルシャに回されながら、うつ伏せに倒れた。
――ドン!
倒れた村長の上に飛び乗り、腕を極めたまま体重を乗せる。
軽いはずの体重が、ねじれた関節のせいで何倍にも感じられる。
「ぐああああ!!」
再び、村長の悲鳴が上がる。
だが、ミルシャの“お仕置き”はここからだった。
即座に腰の短剣を抜き――四肢へ、迷いなく突き立てる。
「ぎゃああああ!!」
「あ、ごめ~ん。痛かった?
じゃあ、これ飲んでね♪」
ミルシャは腰のポーチから回復薬を取り出し、村長の口へ押し込む。
傷がみるみる塞がり、痛みが消える。
何をされたのか理解できない村長は、回復薬の治癒に安堵の表情をしている。
それをにこやかに微笑みながら――
――プスッ、プスッ、プスッ、プスッ!
「ぎにゃああああ!!」
「ここね~、神経が集中してて、と~っても痛いのよ。
でも安心して? 回復薬でちゃんと治るから♪」
また回復薬を押し込む。 そして――
――プスッ、プスッ、プスッ、プスッ!
「ぎょええええ!!」
「はい、どうぞ~。 回復薬はまだまだあるからねぇ~。
いっぱい飲んで、いっぱい痛がってねぇ~。 うふふふ」
終わりのない地獄のループ――
「お、おい……カイ……見てるこっちが苦痛なのだが……」
「ああ……分かる。
ミルシャは絶対に人質にしちゃいけない」
――プスッ、プスッ、プスッ、プスッ!
「ひぃぃぃぃ!!」
「うふふふふふふふふ」
さらに回復薬を飲ませ続けるミルシャ。
「や、やめてくれ!! 解呪を教える!! 本当だ!!」
――プスッ……
「ぎゃあああ!!」
「解呪? さっき“できない”って言ったよね?
嘘つくなんて……もっとお仕置きが必要だねぇ?」
薄ら笑いを浮かべ、短剣をくるくる回すミルシャ。
「う、嘘じゃない!!
さっきは、フェンイルの絶望した顔が見たかったんだ!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら懇願する村長。
「ふぅん……どうするの? フェンイル様――信じる?
何ならあと数十回分は回復薬あるから、素晴らしい更生が期待できるよ?」
「や、やめて……」
ぐったりした村長を見下ろしながら、フェンイルは苦悩する。
(嘘かもしれない……。 だが、他に手はない)
「……いいだろう。 解呪の方法を聞こう」
「しかし、苦し紛れの嘘かもしれない」
「それでも……だ。 他に方法はないだろう」
フェンイルの言葉に、カイも沈黙するしかなかった。
「さぁ言え、どうすればいい!」
フェンイルが怒鳴ると、村長は震える声で答えようとした。
「そ、その前に……上の小娘をどかし――ヒッ!」
言い終わる前に、ミルシャが短剣をひょいと振り上げた。
その笑顔は、慈悲の欠片もない。
「わ、わかった! このままでいい!
……蝋燭の火は怨念を繋ぎ止める“楔”だ。
その怨念が中央に集まり、水晶が強い呪いを放っている。
だから……一本ずつ火を消せば、水晶の呪いは弱まり解ける……はずだ」
「本当か?」
「信じるかどうかは勝手だ。
どうせこの村は終わりだ。
逃げても追手がかかり、ガルディス様に消されるだけだ」
吐き捨てるような声。
だがフェンイルは無言で祭壇へ歩み寄り、一本目の蝋燭に息を吹きかけた。
――フッ
炎が消え、頭上に浮かんでいた怨念の顔が霧散する。
カイはそれを確認し、静かに頷いた。
二本、三本……
怨念は順調に消えていく。
だが――ミルシャの胸に、ひっかかるものがあった。
(何だろう……怨念の顔が消える瞬間、言葉を発しているように口が動いてる?)
最初は錯覚だと思った。
だが、蝋燭が減るほどに、その“口の動き”ははっきりしていく。
(おかしい……何か思い違いをしている気が……)
掴めそうで掴めない違和感が、胸の奥で軋む。
フェンイルは九本目の蝋燭に息を吹きかけた。
――やめろ
その怨念の“口”が、確かにそう言った。
「蝋燭を消しちゃダメ!!
その蝋燭は――カイラ君を守護してるんだわ!!」
ミルシャが叫んだ。
「な……に?」
フェンイルの手が震える。
「最初に村長が言った言葉を思い出して!」
「……言葉?」
ミルシャは息を呑み、震える声で告げた。
――ここにある十本の守護が無くなれば、呪いは成就される
その言葉を思い出した瞬間――村長が、ニヤリと笑った。
その笑みは、解呪が“罠”だったと告げていた。
最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
投稿は毎週日曜日の12時に設定しております。
これまでの物語をゆっくり振り返っていただけますよう、投稿した挿絵をXにて保存しております。
絵を眺めるだけで物語の情景がふっと蘇るような、そんな時間をお届けできれば幸いです。
どうぞ、ごゆっくりご覧ください。
https://x.com/ocarina_quartet
※挿絵は Microsoft Copilot(1・2・3・4)
及び Gemini Nano Banana Prot(----) による生成画像です




