静かに崩れゆく日常⑪
※今回の挿絵にはホラー要素が含まれます。
本文の後に入っておりますので、苦手な方は四枚目の挿絵を見ないようご注意ください。
精霊術で編まれた階段を、四人は頭を垂れ、身を低くして黙々と登っていく。
段差は登りやすい高さに整えられているとはいえ、霧の棚引く上空へ向かう道のりは、鍛え抜かれたフェンイルでさえ胸の奥に鈍い疲労を灯すほどだ。
まして十五歳のミルシャにとっては、一段一段がまるで体力を削る試練のように重い。
カイ、フェンイル、ミルシャの順で並び、最後尾を守るルゥがミルシャの顔色をそっと覗き込む。
「大丈夫かい?」
「うん。 カイがゆっくり進んでくれているから、充分ついていけるよ!」
笑顔を作るミルシャの唇は、震えを隠しきれていなかった。
「辛かったら言ってくれ」
前を行くフェンイルの声は、霧の中でも頼もしく響く。
「はい」
ルゥは、ミルシャがもし足を滑らせてもすぐ支えられるよう、影のように寄り添い続けていた。
四人の距離が決して離れぬよう慎重に進むうち、いつしか霧が彼らの身体を呑み込み始める。
ここから先には、もう階段は存在しない。
霧に覆われた山肌に階段を生成するのは、勘に頼るには危険すぎる。
カイは視界の届くわずかな範囲を見極め、霧を裂くように新たな階段を少しずつ生成していった。
下から見上げたときは濃く立ち込めていた霧も、いざその中に踏み込んでみれば意外なほど薄く、下の村の様子が淡く透けて見えた。
「……どうやら、荷馬車の異常に気付いたようだな」
「え?」
村を見下ろしていたフェンイルが、落ち着かぬ盗賊たちの動きを捉え、低く告げる。
「長話はせず、短く言葉を交わして伝令しているように見える。
話を聞いた奴は、剣に触れて確かめている。
恐らく、御者である俺とパティに悟られぬよう人を集め、山菜採りをしているはずの俺たちを斬るつもりだろう」
「それじゃ、アイリスとパティさんが危ない!?」
ミルシャの声が震える。
「暫くは大丈夫だろう。
俺の岩壁が目くらましになるし、山菜採りを探すなら岩壁に注意は向かないはずだ」
「う、うん……」
絶対の安全など無い。
それでも今は、カイの言葉を信じるしかなかった。
「それにパティは、カイの作ったミスリルの斧を持っているんだ。
考えるだけで盗賊が気の毒になってくる」
フェンイルがニヤリと笑い、ミルシャの不安を和らげるように言う。
「そっか。 うん、おばあちゃんの弟子だもんね」
「そうだとも!」
ミルシャの表情にわずかな明るさが戻った、そのとき。
「さあ、着いたぞ」
カイが階段の生成を止め、静かに腰を落とし、三人に前方を示した。
「こんな村があったとは……」
フェンイルが悔しげに呟く。
霧の切れ間に現れたのは、彼らの立つ高さよりわずかに低い位置に、整然と並ぶ家々。
まるで霧の奥から嘲笑うように、静かに、しかし確かに存在していた。
「良く見えないが……やはり、相当な人数が居るようだな」
村の半分以上は霧に呑まれ、見えている範囲には人影もまばら。
それでも、霧の奥からは鋭い気配が幾筋も滲み出し、まるで殺気が地面を這うように四人の肌を刺していた。
「ここに来て自分の不甲斐なさを痛感したよ。
今までアイリスにどれだけ助けられてきたか、もはや言葉も出ない」
いつもなら、真っ先にアイリスが地を読み、風を操って視界を切り開いてくれたはずだ。
地形の癖も、危険の匂いも、彼女はまるで地図のように語ってくれた。
そのすべてが今は無い。
霧に沈む村へ踏み込むのは、無謀という言葉すら生ぬるい。
「ふぅ……無事に帰って、アイリスにご馳走しないとな」
「そうだねっ!」
カイの言葉に、ミルシャの顔がぱっと明るくなる。
「アイリスは、ミルシャの淹れたハーブティーが大好きだから、洋裁店で今回の打ち上げかな。
ミルシャは、ハーブティーを淹れるときの火の扱いが上手いって、アイリスが褒めていたよ」
「そうなの!? それじゃ、とっておきのハーブ使わないとね!」
「僕も楽しみにしているよ」
「うんっ! ――ん? ……火?」
ルゥとの会話に弾んでいたミルシャの表情が、ふと固まる。
視線が、霧の下に沈む村へと吸い寄せられた。
「……ミルシャ?」
「俺がおとりになる!」
ルゥの呼びかけを、フェンイルの声が鋭く断ち切った。
「この状況でおとりなんて現実的じゃない!」
「他に方法は無い」
「それなら、おとりは精霊使いの俺たちの方がいい。
遠隔で岩や火を生成できるから、こちらの位置を惑わせることができる」
「しかし……」
「それに、俺たちは村長の顔すら知らない。
フェンイル様は村長の顔を知っているのだろう?」
「それは、そうだが……」
「だったら、おとりは俺たちがやる」
「………」
フェンイルは俯き、拳を握りしめた。
精霊術があろうと、数十人の敵の中を無傷で誘導できる保証などどこにもない。
だが、村長を見つけ出すという一点に限れば、カイの言葉は正しい。
パティの言葉が胸の奥で重く響く。
(精霊使いと共に行くことが、これほど自分の無力さを突きつけるとは……。
むしろ――自分がいない方が、もっと容易く制圧できるのではないか?)
そんな冷たい思考が、心のどこかで静かに揺らぎを生んでいた。
「ねぇ、ルゥ?」
「なんだい?」
カイとフェンイルの議論が続く中、ミルシャだけは別の光を瞳に宿し、静かに思考の深みに沈んでいた。
「下の村まで精霊術が届く?」
唐突な問いに、ルゥは瞬きをしながらも視線を村へ滑らせる。
「この距離なら届くよ。
僕の精霊術は、対象を目で見て認識できる距離なら、その対象に精霊術を撃ち込むことができるんだ」
「じゃあさ、下の家々の屋根に火をつけられる?」
――えっ!?
その一言は、霧を裂く雷鳴のように三人の思考を止めた。
ルゥだけでなく、カイやフェンイルも揃ってミルシャを凝視する。
「下で火事が起これば、上の村に居る人たちも下に降りていくんじゃないかな?」
「……確かに、盗賊の村として現状を維持するなら、下の村は絶対に必要だ。
何軒か同時に火をつければ、下の者達だけでは足りなくなり、応援に降りていくだろう」
フェンイルはミルシャの発想に舌を巻き、その有効性を即座に理解した。
だが――。
「ううん。 何軒かじゃなくて――全部!」
――ええっ!?
もはや声すら出ない三人。
ミルシャだけが、まるで夜空に星を描くような自信に満ちた瞳で言い切った。
「数軒のボヤ騒ぎじゃあ、村長も一緒に降りて行っちゃうでしょ?
でも、全部の家に火をつければ、明らかに御者の仕業ってなるじゃない?」
「それはそうだな……」
「しかも、全部が同時に燃えるという事は、相当な人数が潜り込んでいるって思うだろうから、村長や族長は上の村に残ると思う」
「なるほど、道理はかなっているな」
「あたしたちが上の村を発見したことを知らないし、きっと何も掴めなくてやけくそで火を放ったって思うよ」
ミルシャは人差し指を立て、ウインクをひとつ。
その無邪気さと大胆さが、霧の中でひときわ眩しく見えた。
「……まったく、このお嬢さんは何処までも希望を押し付けてくれる」
「ん?」
「いや、ただの独り言だ」
「んん?」
フェンイルは微笑を浮かべ、ルゥへと向き直る。
「それで頼めるか? ルゥ」
「任せてください。
奥から順に、屋根の一部に火をつけ煙を立ち上らせます。
あとは、精霊術で生成した火を屋根の上に浮かせて、大火災のように演じて見せます。
精霊術の炎は、どんなに水をかけても消えません」
「よろしく頼む」
ルゥはミルシャと頷き合い、視界に入るすべての家へ火を放った。
最初は種火のように小さく、霧に紛れるように屋根の影へ灯す。
湿った空気が火の勢いを奪う代わりに、濃い煙を生み、村の空気をじわじわと曇らせていく。
やがて屋根の端が赤く染まり始め、往来する人々が異変に気付く頃には、すべての家から煙が立ち上っていた。
その瞬間を見計らい、ルゥは一気に炎を生成し、屋根の上へと浮かべた。
「こ、これは……」
フェンイルは息を呑む。
実際には小さな火でも、精霊術の炎が重なることで、村全体が燃え上がるような大火災へと姿を変える。
炎は見かけだけではなく、凄まじい熱を放ち、周囲の空気を一気に押し上げていった。
「ねぇ! 見てっ!」
ミルシャが指さす。
「霧が晴れていくわ!」
熱風が霧を吹き飛ばし、隠されていた村の全貌が一瞬で露わになる。
さらに上昇気流は空の雲をも押し退け、薄い陽光が村へと降り注ぎ始めた。
「凄い……」
「僕もここまでの大規模な精霊術は初めてだよ。
まさか、熱風が空の雲にまで届くなんて驚いた」
下の村では大混乱が巻き起こり、川から水を汲んでの必死の消火が始まる。
その騒ぎに気付いた上の村の者たちも、慌ただしく下へと駆け出していった。
「見てっ! 村の真ん中にある洞窟!」
「!?」
上の村の中央にぽっかりと口を開けた洞窟へ、人々が雪崩れ込むように吸い込まれていく。
その奔流は、下の村の教会から噴き出すように現れ、まるで地の底と地上を繋ぐ“隠された血管”のようだった。
「あれは――教会か?」
「そうだ。 まさか、上の村への入り口が教会にあったとは気づけなかった。
いや、上の村自体わからなかったのだから、入口などわかるはずがない」
「隠し通路があるのか」
「そのようだ」
「ねぇ、だいぶ人も減ってきたし、村に行ってみようよ」
ミルシャの声は、霧が晴れた後の風のように軽やかだった。
「そうだな。 だが、どこから調べるか……だが」
「僕はここに残るよ。
精霊術の炎は僕が見ていないとどこかに移動するし、最初の燃え移った火災は、ほぼ消火されてしまっているからね」
「わかった。 気をつけろよ」
「後でまたねっ!」
「うん」
ルゥを残し、三人は村へと足を踏み入れた。
フードを深くかぶり、火事騒ぎに紛れて人波へ溶け込む。
普段なら目立つミルシャの小柄な姿も、混乱の中では誰の目にも映らない。
まずは人の流れに逆らわぬよう、洞窟へ向かって歩を進める。
上にいた盗賊の大半は下へ降り、残った者たちも洞窟で短く言葉を交わすと、散り散りに走り去っていく。
火事の後始末のために必要な物を集めに行ったのだろう。
三人はその隙を突き、話し合うふりをしながら洞窟から離れ、家々の影へ身を潜めた。
「みんな同じような家だから、村長や族長がどこにいるか分からないね」
「ここでは豪華な家など建てられないだろうからな。
逆に、よくこれだけの数を建てたものだと感心する」
「適当に入ってみる?」
「入るにしても、この数の家を全て探すのは無理だろう。
だから、ここは手分けをして……!?」
フェンイルの声が途切れた。
洞窟へ入ろうとする男の姿を、鋭い眼光で射抜く。
「――村長だ!」
「えっ!? ど、どこ?」
「今、洞窟の傍の家から出てきて、洞窟に入ろうとしている男だ」
カイとミルシャは必死に目を凝らすが、人の波に紛れ、誰が村長なのか判別できない。
「わ、わかんない!」
「問題ない。 最初に調べる家が決まったぞ。
洞窟の隣にある家だ!」
フェンイルが指した家は、上の村では数軒の二階建ての建物だった。
「たまたま、その家から出てきたという事は無いか?」
「自分の家ではなかったにしても、中に居たということは、会議室か何かの家である可能性が高い」
「確かに」
フェンイルは決意を固め、周囲を警戒しながらその家へ向かった。
カイとミルシャも後に続き、まるで日常の散歩のように自然な足取りで村人の中へ溶け込んでいく。
――ゾクッ
「……っ!」
目的の家まであと数歩というところで、ミルシャの背筋に氷の刃が走った。
「これって……カイっ!」
「ああ……間違いないな」
二人は同時に足を止め、通り過ぎようとしていた小さな家へ視線を向ける。
カイはフェンイルの腕を掴み、その家へと引き寄せた。
「ど、どうした!?」
「しっ!」
ミルシャが唇に指を当て、静寂を求める。
カイは周囲を確認し、ドアノブをそっと回す。
鍵はかかっていない。
カイとフェンイルが中へ滑り込み、ミルシャも後に続いた。
「こ、これは……」
「!?」
「ええっ!?」
家の中は、まるで“家の形をした箱”を土の上に置いただけのような粗末な造り。
だが、三人の視線はただ一点――土間の中央に据えられた祭壇へ吸い寄せられた。
「この蝋燭の燭台って……人の頭蓋骨よね」
「ああ、間違いない」
「作りものじゃないのか!?」
「違う……俺には、いや、ミルシャも見えていると思うが、フェンイル様の館で見た、呪いの顔と同じものが見えている」
「………」
「では、ここが!! クッ……何という事だ」
台の上に置かれた十個の頭蓋骨が円を描き、その中心には炎を宿した水晶玉。
十人の命を喰らい、なお飢えたように妖しい光を放っている。
「あの水晶玉って、中で火がついているの?」
「いや、中で火が燃えるはずがない。 そう見えているだけだ。
恐らくは、儀式に使う呪術用の魔道具だろう」
「その通りだ!」
「キャアア!!」
「ミルシャ!?」
声が落ちてきた瞬間、ミルシャの悲鳴が蝋燭の炎を揺らした。
気配なく背後から現れた男が、ミルシャを押さえ込み、首筋へ剣を突きつけている。
「村長!」
フェンイルの声は怒りと悔しさで震えていた。
最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
投稿は毎週日曜日の12時に設定しております。
これまでの物語をゆっくり振り返っていただけますよう、投稿した挿絵をXにて保存しております。
絵を眺めるだけで物語の情景がふっと蘇るような、そんな時間をお届けできれば幸いです。
どうぞ、ごゆっくりご覧ください。
https://x.com/ocarina_quartet
※挿絵は Microsoft Copilot(1・2・3・4)
及び Gemini Nano Banana Prot(----) による生成画像です




