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静かに崩れゆく日常⑨

 第一門を抜けてから、もう二時間が過ぎていた。


 村までは、指折り数えるほどの距離しか残っていない――はずなのに、道のりは決して甘くはなかった。

 地図の上では短い線にすぎない道も、実際に進めば別物だ。

 馬車の往来が少ないせいで道は荒れ果て、車輪が沈む泥穴や、拳ほどの岩が無造作に転がる悪路が続く。

 ひとつひとつを避けるたび、時間はじわりと削られていった。


 それでも幸運はあった。

 最初の門こそ厳しい検査を受けたが、二つ目以降の門番たちは、まるでこちらの正体を知っているかのように、顎で「行け」と合図するだけで通してくれたのだ。

 おそらく、最初に上がった狼煙が“食料を運ぶ馬車が向かう”という知らせになっていたのだろう。

 どの門を通っても、同じ色の煙が空へと昇っていった。

 本来なら三時間は覚悟していた道のりを、わずか二時間で踏破できたのは、その狼煙のおかげだった。

 やがて村が近づくにつれ、険しく切り立っていた渓谷はゆるやかに幅を広げ、代わりに木々が視界を満たし始める。

挿絵(By みてみん)

 この村は炭焼きの里――その名残か、周囲には深い森が古い守り手のように濃く茂っていた。

 フェンイルは手綱を握る指先に力を込め、馬車をゆっくりと減速させる。

 後方のパティへ静かに合図を送り、周囲の気配へと意識を研ぎ澄ませた。


「……ここが目的地だ。 見える範囲に誰かいるか確認してくれ」


 人気のないことを確かめ、フェンイルは馬車の中に潜むアイリスへ声をかける。


「進行方向、左の高台に二人の人影があります。

 ですが距離がありますので……馬車だと分かる程度かと」

「そうか。 だが安全策を取る。 あいつらに見えない位置で降りてもらう。

 合図を頼む」

「はい。お任せください」


 本来なら馬車に紛れて村へ潜入するはずだった。

 だが、もし人目があり、中から出られなくなれば作戦は破綻する。

 そこで、村の手前の森で降り、別々に潜入する方針へと切り替えた。

 幸い、狼煙のおかげで警戒の目は馬車に集中している。

 徒歩での潜入はむしろ容易になっていた。


「フェンイル様――」


 村まであと少しというところで、アイリスの声がかかった。

 川沿いまで木々が覆い、監視の目からは人の動きが見えない場所だ。

 フェンイルは右手を上げてパティに合図し、席の下の板を外す。

 馬車は止めず、慎重に進み続ける。


 ミルシャとアイリスは同時に席の縁へ手をかけ、体を引きずるように外へ出た。

 幌に手を添え、片足を御者席にかけ、フェンイルと短く頷き合う。

 そして――そっと手を放し、影のように道へ飛び降りた。

 姿勢を低くし、森へと駆け込む。

 少し遅れてカイとルゥも続く。

 大剣と弓という長い武器のせいで動きづらいが、それでも誰にも気づかれず、四人は森の闇に溶けていった。


「頼んだぞ……」


消えていく背中に、フェンイルは静かに願いを込めた。


 数分後――馬車は、二人の門番が立つ村の入口へと辿り着いた。

 門の上では、さらに数人が身を乗り出し、乾いた眼差しでこちらを射抜いてくる。

 山間の村に似つかわしくない、張りつめた空気が漂っていた。

挿絵(By みてみん)

「野菜さ持ってきただ。 入ってもいいだか?」

「今日はずいぶん早ぇな……」

「そうだか? 普通に来ただけなんだがなぁ」


 本来なら昼頃に着くはずの距離。

 だが、フェンイルとパティの馬車を引く四頭は、早馬として鍛えられた精鋭で、馬車を外せば人一人を風のように運ぶ。

 ゆっくり走らせたつもりでも、山道の凹みや泥濘で速度を落とさない彼らでは、結果的に早着は避けられなかった。


「まあいい。 そのまま村の奥まで進め。 突き当たりの家が食糧庫だ。

 だが荷を確認できる者が狩りに出ていてな。 昼には戻るだろうから、数時間待っていてくれ」

「いいべよ。 んなら入口の森で山菜採っててもいいだか?

 確認してくれたらすぐ戻りてえから、飯も食っておきてえんだ」

「好きにしろ」

「ありがとな」


 軽いやり取りを終えると、フェンイルは馬車をゆっくりと村の奥へ進めた。

 頭は動かさず、視線だけで村の様子を探る。

 風に揺れる洗濯物、閉ざされた窓、人気のない路地――そのすべてが、異様な静けさを物語っていた。


(……おかしい。 人が少なすぎる)


 村の人口は二百余り。

 騎士団が荷馬車襲撃事件の際に確認した数字だ。

 だが今、見えるのはせいぜい五十人。

 家に籠もっているにしても、百五十人もの影が消えるのは不自然だった。

 まして、この山奥でそれほどの人数が狩りに出るはずもない。

 道中で誰一人すれ違わなかったことが、その違和感をさらに濃くする。


――ヒュゥゥゥ……


 村の最奥の家が見え始めた頃、砂埃を巻き上げる風が吹き抜けた。

 その風はただ通り過ぎるのではなく、まるで村の隅々を探るように、円を描きながら巡っていく。

 乾いた土の匂いと、どこか不思議な気配が混じっていた。


(始まったか……)


 フェンイルとパティは、胸の奥で静かに気持ちを引き締める。


 一方その頃、馬車を離れ森へと身を沈めたミルシャたちは、木々の影を縫うように進んでいた。

 風を読むアイリスが先頭に立ち、森の奥から馬車と並走するように村へ向かう。

 木々の切れ間に差しかかるたび、彼らは息を潜め、風の囁きだけを頼りに前へ進んだ。


「どうだ? このまま気付かれずに行けそうか」

「もうすぐ村です……森の中に人影はありません」

「よし、急ぐぞ」

「はい」


 作戦は単純で、しかし油断は禁物だった。

 村の外の森からアイリスが風の索敵を広げ、盗賊たちの動きを読み、族長の居場所を探る。

 風は姿形までは映さない。

 だが、柔らかな気配や姿勢の傾き――たとえば、誰かが頭を下げる仕草――そうした“上下関係の匂い”なら感じ取れる。


 まずは村長の居場所を見つけること。 その近くに、必ず族長がいるはずだ。

 頼れるのはアイリスの精霊術だけ。 今の彼らにはそれが唯一の道だった。

 馬車がゆっくりと村へ入る頃、ミルシャたちは村の外壁にたどり着いた。


 カイがすぐに精霊術を展開し、周囲に岩の壁を生み出す。

 もし地理に詳しい者がいれば違和感に気付くだろう。

 だが、森の荒れ具合を見る限り、人の往来はほとんどない。

 景色の変化に気付く者など、まずいない。

 その安全を確かめるように、アイリスは一度深く息を吸い込んだ。

 そして、村全体に自然に紛れる程度の風を起こす。

 風は彼女を中心に渦を描き、僅かな砂埃を巻き上げながら村へと広がっていく。


――村の形

――道のつながり

――家々の傷み

――そして、人の数


 風が触れたすべてが、アイリスの意識へと流れ込んだ。

 窓の割れた家には風が入り込み、冷えた空気の匂いとともに内部の様子まで伝えてくる。


「この村は高い山裾に囲まれていて……面積は広くありません。

 家は三十ほどですが、半分は破損しています。

 この地の寒さでは、とても生活できる状態ではありません」

「となると、目くらましの地下室があるかもしれないな」

「ありえます。 私の風では地下までは見えません……ただ」

「どうした」

「人が……少なすぎます。 四十三人しか確認できません」

「……情報と違うな。

 狩りに出ているとしても、地下に百人以上が隠れているとは考えにくい」

「はい」

「確認できない敵が潜んでいる状況で踏み込むのは危険だ。

 アイリス、引き続き索敵を頼む。 村長らしき人物を探してくれ。

 判断はフェンイル様と合流してからだ」

「わかりました」


 再び風が村を巡り始める。

 しかし、感じ取れる範囲に女性の気配はない。

 本来なら村と名乗ることすら許されないほどの偏りだ。

 それでいて、盗賊の巣としても決定的な“匂い”が欠けている。


――この村はいったい何なのか


 風のしらせが、答えのでない疑問を運んでくる。


 しばらくすると、森の入口に差し込む薄光の中で、二つの影が静かに頭を下げた。

 木々のざわめきに紛れるようにして歩み寄るその姿は、体つきや佇まいからフェンイルとパティだと分かる。


「お二人が来ました。 今、壁の外側にいます」

「わかった」

「みんな揃っているか?」

「はい」

「俺たちは山菜を採るふりをする。 壁越しに話してくれ」

「了解しました」


 フェンイルとパティは草むらに身を沈め、まるで地面に祈りを捧げるような姿勢で山菜を探し始めた。

 風がそっと二人の髪を揺らし、森の匂いが濃くなる。


「現況を教えてくれ」

「それなのですが……」


アイリスは精霊術で感じ取ったものを、言葉を選ぶ余裕もなくそのまま伝えた。

フェンイルの手が、草を摘む途中で止まる。


「やはりか……俺も村に入ったときに感じた。

 前に来たときは女も大勢いたんだ。

 だが今はどうだ。 道端には一人もいない。

 こんな状態で村が成り立つはずがない!」


 悔しさを押し殺すように、フェンイルは草を強く引きちぎった。

 その音が、森の静寂に不自然なほど鋭く響く。


「フェンイル様」

「……すまん。 焦りが出てしまった。

 時間はあと一時間ほど……何か確認できる手段はないものか……」


 最低でも村長の居場所だけは掴んでおきたい。

 だが、アイリスの索敵には“頭を下げられている人物”は一人も映らない。

 魔力で行使する魔法と違い、精霊術には限界がない。

 精霊術で風を起こしたり、水を降らせるだけなら、術者が辞めるまで続けられる。

 しかし索敵は、アイリス自身の精神に深く触れる技。

 出発してからずっと続けていたせいで、精神の疲労は限界に近づいていた。


「ねぇ、アイリス……大丈夫? 顔色悪いよ?」


 ミルシャがそっと肩に触れた。

 その声は、森の冷たい空気を溶かすように柔らかい。


「少し休んだ方がいいよ」

「そうだな。 しばらく休もう」


 カイも同意し、ミルシャは小瓶を差し出した。


「これ、飲んで」


 アイリスは回復薬を口に含む。

 体の疲れは霧が晴れるように抜けていくが、精神の重さはまだ胸に残ったままだ。


「ありがとう……。

 ごめんなさい、私が手間取ってしまって……」

「そんなことはない。 よくやってくれている。

 感謝すべきなのは、むしろ俺の方だ」

「……はい」


 アイリスは小さく頷いた。

 その横顔を、木漏れ日が淡く照らす。


 アイリスの力なくこぼれた言葉に、フェンイルはあえて柔らかな称賛を返した。

 だが、索敵を続けても成果は変わらない――その現実は、彼女の表情にじわりと焦りの影を落としていく。

 その時だった。


『……風使いよ……』


 頭の奥底に、魔人族の低く響く声が落ちてきた。


(ま、魔王様……!?)


『風の恩恵は、感覚共有だけにあらず―― 

 己が五感を研ぎ澄ませ、恩恵を最大限に生かせ……』


(五感を……研ぎ澄ませる……?)


 その言葉は、閉ざされていた扉にそっと鍵が差し込まれるように、アイリスの思考へ道を開いた。


(私はずっと、風に精霊術を乗せて“触れたもの”を感じてきました。

 でも……風は運ぶ。 匂いも、煙の色も、霧の味さえも。

 そして――音も)


 胸の奥で、ひとつの可能性が火花のように弾けた。


「カイ! 岩の壁を消してください!」

「なにっ!?」

「試したいことがあるんです!」


 真剣な瞳にカイは短く息を呑み、そして頷いた。


「わかった。 ただし一つ決めておく。

 もし盗賊に気づかれたら――突入して制圧する」

「はい」

「フェンイル様、それで?」

「問題ない。 任せよう」

 フェンイルはパティと視線を交わし、静かに頷いた。

「では、壁を消す」

「お願いします」


 岩壁が霧のように消えていく。

 完全に視界が開けた瞬間、アイリスは深く息を吸い精霊術を使った。

 風が集まる。

 四方八方から寄せられた風は、彼女の手前で渦を巻き、上昇気流となって空へとほどけていく。

 その風が運ぶもの――それは、今まで届かなかった世界のざわめき。


 村人の声

 川のせせらぎ

 木々が風に揺れる音

 虫たちの細やかな鳴き声


 世界のすべてが、一度に押し寄せてきた。


「――っ!」


 精神を貫く衝撃に、アイリスの精霊術がふっとほどけ、糸が切れたようにその場へ膝をついた。

 風が止まり、森のざわめきだけが耳に残る。


「アイリス!」


 慌てて駆け寄った三人が、崩れ落ちる身体を支えた。

 ミルシャは不安を隠しきれず、そっと顔を近づける。


「大丈夫……です。 少し、うっかりしてしまいました。

 全方向から音を拾ってしまって……処理しきれなくて。

 でも、使い方は分かりました。 今度は範囲を絞って、方向を変えながら聞き取ります」


 アイリスは深く息を吸い、両耳に手を添えた。

 再び風が彼女の前方だけに寄り集まり、細い糸のように音を運んでくる。

 ゆっくりと回転する彼女の腰に、ミルシャはそっと腕を回し、転ばぬよう一緒に回った。


――そして


「……村長……今……荷馬車が……」


 微かな声に、アイリスはぴたりと動きを止めた。

 その方角だけに意識を集中させる。


「……森に山菜を採りに……昼過ぎに戻ると……どうしますか……」


 途切れがちな声。 それでも確かに“村長”という言葉があった。

 話し方から、相手が上役に報告しているのも分かる。

 アイリスはそっと目を開き――息を呑んだ。


「……え?」


 自分が向いているのは村ではない。

 はるか頭上へそびえる、雲を抱いた山の方角だった。


「どうした!?」


 フェンイルとパティが駆け寄る。


「こちらの方角から、村長を呼ぶ声が聞こえました」

「山の方から!?」

「はい……もしかしたら」


 何かに気づいたように、アイリスは両手を広げた。

 次の瞬間、精霊術の光の粒がふわりと舞い上がり、彼女の身体を包み込む。

 洞窟で見せた風の羽根が、再び背に顕現した。

挿絵(By みてみん)

「これは……」


 初めて見る精霊の加護に、フェンイルとパティは息を呑む。

 アイリスは羽根を空へと放ち、風の流れを高空に作り出した。

 地上では届かない範囲を、空の風が静かに探っていく。

 しばらくして、アイリスはそっと手を下ろし、光を解いた。

 胸に手を当て、小さく深呼吸する。


「……この山の上に、もう一つ村があります」


 その言葉に、五人は思わず山を見上げた。

 山の中腹は霧がかかり、まるでそこにある村の存在を隠すかのように、不気味に漂っていた。

挿絵(By みてみん)

 最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。

 投稿は毎週日曜日の12時に設定しております。


 これまでの物語をゆっくり振り返っていただけますよう、投稿した挿絵をXにて保存しております。

 絵を眺めるだけで物語の情景がふっと蘇るような、そんな時間をお届けできれば幸いです。

 どうぞ、ごゆっくりご覧ください。

 https://x.com/ocarina_quartet


※挿絵は Microsoft Copilot(----)

 及び Gemini Nano Banana Pro(1・2・3・4) による生成画像です

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