静かに崩れゆく日常⑦
方針が固まったフェンイルは、ミルシャの手を軽く引きながら宿屋へと足早に向かった。
道すがら、彼に気づいた町人たちが慌てて頭を下げてくるが、今は立ち止まっている暇はない。
フェンイルは軽く会釈だけ返し、そのまま歩を進めた。
宿屋の前に着くと、カイたち三人はすでに戻ってきており、入り口で一人の女性と話していた。
「フェンイル様」
女性はフェンイルの姿を見つけると、深々と頭を下げる。
よく見れば、先日夕食を運んでくれた館の使用人だ。
「おお、戻ったか。 準備はできているのだな?」
「はい。 ご用意いたしました品は、皆様のお部屋へ届けさせていただきました」
「そうか、助かる!」
丁寧に一礼すると、使用人は宿の中へと戻っていった。
「喜べ! お前たちの装備が揃ったぞ!
部屋に置いてあるそうだから、着替えて会議室に来てくれ!」
「もう揃ったの!?」
ミルシャが目を丸くする一方、他の三人はすでに聞いていたのか落ち着いている。
「鉄製の鎧は王都まで行かなければ無理だが、動きやすさ重視の装備を揃えさせた。
使用人に頼んで、ルベイユまで買いに行かせたのだ」
「何から何まで……本当にありがとうございます」
「なに、これから世話になるのは俺の方だ。 遠慮なく使ってくれ!」
「はい!」
フェンイルは満足げに頷くと、すぐに表情を引き締めた。
「俺はこれから農業ギルドに行って情報を集めてくる。
五の鐘までには会議室に戻れるはずだ」
「ギルド?」
カイが小首をかしげる。
「それはあたしが説明するわ」
「頼んだ! じゃあ行ってくる!」
フェンイルは言い終えるより早く、風を切るように駆け出していった。
ぽかんと口を開けたまま、その背中を見送るカイ。
「ここでは説明できないから……とりあえず、用意してもらった服に着替えて会議室に集まってね」
「わかった」
四人は軽く頷き合い、それぞれの部屋へ向かう。
部屋に入ると、ベッドの上にはきちんと畳まれた服が置かれ、ベッドサイドには数本の剣が立てかけられていた。
ミルシャは自前の短剣があるが、アイリスは洞窟に置いてきてしまったため武器がない。
置かれた剣はどれも二本ずつ。 二人で一本ずつ選べるように揃えられているらしい。
しかし、アイリスは双剣士である。
ミルシャは自分の短剣を手に取り、ウインクして自分のために用意された剣を譲った。
その結果、アイリスは同じ型の剣を二本選ぶことができる。
ただし――彼女がいつも愛用しているレイピアは見当たらない。
仕方なく、比較的細身の剣を二本手に取ると、ミルシャから少し距離を置き、ふわりと風をまとうように剣の舞を始めた。
アイリスの剣技は、風の精霊術を前提とした舞踏のような戦い方だ。
だからこそ、風の抵抗を受けやすい幅広の剣では相性が悪い。
選んだ剣は彼女の動きに合わせて軽やかに空を切り、そのたびに微かな風がミルシャの頬を撫でていった。
「思いのほか軽くて良い感じです」
アイリスは小さく息をつき、微笑みながら剣をベッドの脇へそっと立てかけた。
用意されていた装備一式は、まるで宝物のように丁寧に並べられている。
インナーに至るまで、身につける順番どおりに畳まれていて、二人は思わず顔を見合わせた。
「……すごいね、これ」
感心しつつ、二人はさっそく装備に袖を通す。
その瞬間、ミルシャは思わず目を丸くした。
ミルシャの装備は、緑のチュニックに白いふんわり袖、茶色のコルセット風ベストを重ね、ベルトに小物を装備。
緑のスカートには黒いガーター付きストッキング、革のブーツを履き、両腰に剣を携えた冒険者スタイル。
「え、ちょっと……これ、ぴったりすぎない……? 動きやすっ!」
まるで自分のためだけに仕立てられたかのような着心地。
裁縫師であるミルシャには、その精度が誰よりもよく分かる。
「どうしてあたしたちの寸法がわかるの!?」
半ば叫ぶように問いかけると、アイリスは少し考えるように首を傾げた。
アイリスの装備は、緑のマントと青緑のチュニックをまとい、灰色のズボンに茶色の多重バックル付きブーツ、革の手袋と腕当てを装備している。
「……先日の夕食の時かもしれません」
「え?」
「さっきの使用人の女性、覚えてますか? 料理を置くとき、さりげなく皆さんの体を見ていました。
そして、夕食のあと立ち上がったとき、もう一人の使用人と比べて……たぶん、目視で採寸したんだと思います」
「えぇ……そんなことできるの?」
ミルシャはぽかんと口を開けたまま、しばらく固まった。
そして、ふっと笑って拳を握る。
「ふぅ~ん、そうなんだ。
……よーし、あたしも精進しないとだねっ!」
その声は、どこか嬉しそうで、悔しそうで、でもやっぱり楽しげだった。
着替えを終えたミルシャとアイリスは、軽やかな足取りで地下の会議室へ向かった。
さほど時間はかかっていないはずなのに、すでにカイとルゥは新しい装備に身を包み、円卓のそばで待っていた。
カイは緑と黒を基調とした冒険者スタイル。
肩と胸元には軽装の鎧、腰にはベルトとポーチが揺れている。
背中でふわりと揺れる緑のマントが、彼の雰囲気を一段と引き締めていた。
ルゥは灰色のチュニックに黒の装飾が映え、緑の模様入りマントを羽織っている。
革の手袋とブーツ、そして複数のベルトとポーチが、使用人の静かな実力を物語っていた。
ミルシャとアイリスの装備も含め、全員が自分の特技を最大限に活かせる“動きやすさ”を重視した服装だと一目で分かる。
「お待たせしてしまいました」
アイリスは優雅に一礼し、柔らかな微笑みを添えた。
その仕草は衣装の美しさも相まって、場の空気を一瞬で和らげる。
四人は円卓を囲んで座り、ミルシャは作戦を話し始めた。
「簡単に説明するとね――村がギルドに頼んでる食料の馬車に潜んで、そのまま村まで運んでもらう作戦! 以上っ!」
ミルシャの胸を張る仕草に、カイは思わず苦笑を漏らした。
説明は短いが、確かに内容は全部言っている。
「……本当に簡単な説明だが、まあ理解はした。
フェンイル様がギルドに行ったのは、その準備のためだな」
「そういうことっ!」
カイが頭をかきながら言うと、アイリスが続けた。
「問題は、村に着いてから何をするか……ですね。
索敵があるとはいえ、密偵でも確認できない族長を探すのは難しいでしょうし、魔術師も同様です」
円卓の上の地図に、四人の視線が自然と集まる。
「そっか……それらしい人がいても、『族長ですか?』なんて聞けないもんね」
盗賊団の中にも上下関係があり、下っ端は族長の顔すら知らない――そんな可能性が高い。
「なら……黒魔術の祭壇を探してみるのはどうかな?
村にあるかはわからないけど、手がかりなしで歩き回るよりはマシだと思う」
静かに聞いていたルゥが、ぽつりと提案した。
彼の言葉は控えめだが、核心を突いていた。
「そっか……うん、それいいかも!」
ミルシャが頷いた、その瞬間――
――コンコン! ガチャ!
「やあ、みんな揃っているな!」
扉が勢いよく開き、息を弾ませたフェンイルが豪快に入ってきた。
その慌ただしい様子に、皆の表情が引き締まる。
「村の情報と対策が整ったぞ! 夕食の前に共有しておこう!」
「はい!」
フェンイルが円卓の中央に座ると、使用人が五人分の飲み物を丁寧に配り、最後にフェンイルの背後へと立つ。
静かに控えているだけなのに、どこか只者ではない気配が漂っている。
「この者は館の使用人で、名をパティという。 元Aランクハンターだ」
その名に、カイが反応する。
「覚えがあります。 腕の立つAランクハンターで、今は引退して故郷に戻ったと……」
「その通り。 そしてここがその故郷だ。
そんな奴が選んだ逸品だ。 良い装備だろう?」
「自分たちにはもったいないほどの一級品です」
「まあ、引退した理由は裁縫師になりたかったらしくてな。
“出回っている装備は地味で美しくない”と、言っておった」
その言葉に、三人の視線がミルシャへ集中する。
「な、なに?」
「いや……ミルシャが特別ではなかったのだなと……」
「もうっ!」
ミルシャが頬を膨らませると、パティが首をかしげた。
「ミルシャ様……もしや、ミルシャ・マリンベル様でしょうか?」
「え、うん……?」
「はじめてお目にかかります。 私はソルシャ様の弟子です」
「……えぇ!? おばあちゃんに弟子がいたの!?」
「はい」
「ふぇぇ……」
ソルシャはミルシャが生まれる前に引退していたはずだ。
「ソルシャ様が引退した後、色々とご指導いただきました」
「そうだったんだ……なんか嬉しい! おばあちゃんのこと、色々聞かせてほしいな!」
「はい」
パティは懐かしむように目を細め、静かに頷いた。
三十代に見えるが、もしかするともっと年上なのかもしれない。
「積もる話もあるだろうが、自己紹介はこのくらいにしておこう。
パティには今回の作戦の情報伝達を任せている。 俺がいなければパティに聞いてくれ」
「わかりました」
フェンイルは円卓に置かれた地図を指し示し、説明を始めた。
渓谷の線を目で追うたび、これから向かう危険が現実味を帯びていった。
「盗賊の村へ行くには、険しい山の間を抜けるこの道しかない。
分岐もなく、もしばれて前後を挟まれれば逃げ場はない。
山に登ろうとしても急斜面で、下から弓で狙われれば終わりだ。
まあ、お前たちなら突破できるだろうが……問題は、渓谷入口から村までの三時間だ。
戦闘が起きれば、族長や魔術師が逃げてしまう。 だから馬車に潜むのが最善だ」
「四人も隠れるのは大変じゃないですか?」
「いや、六人だ。 俺とパティも行く」
「えっ!? 危険では!?」
「この状況で、静かに帰りを待つなどできん!」
「そ、それは……」
「案ずるな。腕は鈍っておらん」
「……わかりました」
カイは、盗賊に素性がバレたときの男爵としての立場を気にしての事だったが、今のフェンイルは貴族としてではなく、一人の父親として戦おうとしていた。
「三日に一度、決められた重量の野菜と酒樽を二台の馬車に積んで届けている。
どちらも同じ重量で、村では馬を付け替えて戻ってくるそうだ」
「重さに意味があるの?」
「ああ。 最初の門で“ぬかるみ”と称して板を渡らせるらしい。
重量が正しければ問題ないが、少しでも重いと折れる仕掛けだ」
「荷物が正しいか確認するため……ですね」
「そうだ。 農家の荷車は大体同じ重さだから、村への潜入対策だろう」
「じゃあ、あたしたちが乗ったら板が折れちゃうよね……」
「問題ない。 酒樽に細工して、お前たちの重量分軽くする。
上げ底の樽を固定してもらうよう頼んできた。
さらに二人ずつ床下に入れるスペースも作ってもらっていて、明日には整う」
「二人ずつ?」
「御者は俺とパティが務める」
「ええっ!?」
「変装すれば問題ない。 ばれても御者席からなら、狼煙が上がる前に対処できる」
「そ、そうだけど……」
「心配するなら、俺たちの変装を見破った盗賊たちにしてやれ」
「ははは……」
「以上だ。 質問はあるか?」
一通り説明を終えたフェンイルが、皆を見渡しながら問いかける。
そのとき、アイリスが静かに手を上げた。 瞳は真剣そのものだ。
「一つだけお聞きいたします。
もし潜入が露見し、不審者として攻撃された場合、どのように対処すればよろしいでしょうか?」
「壊滅させてくれ! 全ての責任は俺が取る!」
迷いの欠片もない即答だった。
会議室の空気が重く沈み、誰もがその決意の重さを感じ取った。
「元より、魔術師を拘束した後は、すべて壊滅させるつもりでいる。
明日で奴らの悪行に終止符を打つ!」
「……わかりました。
その思いに、必ずやお応えいたします」
「感謝する」
フェンイルの言葉に、ミルシャ、アイリス、カイ、ルゥは静かに頷き合う。
作戦は整った。 あとは、出発の時を待つだけだ。
――明日の二の鐘と共に、潜入作戦は始まる。
最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
諸事情により、最長で3月15日まで投稿をお休みさせていただきます。
楽しみにしてくださっている皆さまには、大変申し訳ございません。
※挿絵は Microsoft Copilot(3・4)
及び Gemini Nano Banana Pro(1・2) による生成画像です。
サイズの都合上、Geminiのひし形マークは入っておりません。




