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静かに崩れゆく日常⑤

 館の右端、二階の窓に立ちのぼるのは煙でも霧でもない。

 湯気のように柔らかく、しかしどこか生臭い気配をはらんだ白いもや。

 それは渦を巻きながら空へと昇り形を変える。


 そして、もやの中に見える無数の人の顔――いや、“人だったもの”の顔。


 目は焦点を失い、口元は笑っているのか苦しんでいるのか判別できない。

 それはもやの中で何度も形を変えながら、ミルシャの視線をとらえて離さなかった。


 ミルシャは恐怖に押され一歩後ずさる。

 背筋を這う冷たいものに、思わず剣の柄へと手を伸ばす。


「どうした?」


 急に立ち止まったミルシャに、フェンイルは不思議そうに問いかけてくる。

 荷卸しをしている人を見ても、”あれ”を気にしている者は誰もいない。


「……見えてるの、あたしだけ?」


 声が震えているのが、自分でも分かった。

 それでも――ミルシャは視線を逸らさなかった。

 白いもやの向こうに浮かぶ“誰か”の顔が、まるで必死に助けを求めて手を伸ばしているように見え、胸の奥がざわつく。


「……ミルシャ?」


 再びフェンイルの声が耳に入ってくる。


「フェンイル様……」


 フェンイルの後ろに居たカイが、真剣な顔で声をかけた。


「もしや、ご子息様の部屋は右端の二階ではありませんか?」


 カイの話に驚いてフェンイルは振り返る。


「どうしてそれを……!?」


 フェンイルが、まるで雷に打たれたように目を見開いた。

 その反応に気づいたカイも、そしてルゥとアイリスまでもが、同じ一点を凝視したまま動きを止める。

 空気が一瞬で張りつめ、誰もが息を呑み、次の瞬間に何が起こるのかを測りかねていた。


「ご子息様の病気が分かりました……いえ、病気ではありません。

 あれは――呪いです」

「呪い!?」


 カイの話にフェンイルだけではなく、ミルシャやルゥ、アイリスまでもカイに注目した。


「断定するには情報が足りませんが、前に一度あれと同じものを見たことがあります。

 恐らくは”黒魔術”で間違いないかと……」

「そんな馬鹿な……君たちには何が見えるんだ!?」

「無数にうごめく……生贄となった者たちの顔です」


 フェンイルは言葉を失い、ミルシャは生贄という言葉に凍り付く。


「カイ、黒魔術って何なの?

 なんで、あたしたちには見えるの?」


 ミルシャがカイの傍に寄ると小さな声で聞いた。


「精霊使いとして覚醒していると見えるようになる。

 それは、精霊術を使う時に現れる精霊の加護が、浄化の力を持っているから、ということらしい」

「それじゃ、あたしたちにあれを浄化できるの?」

「できるかもしれない……だが、呪いをかけられている者も死ぬ」

「えっ!?」

「どういうことだ!?」


 驚いたフェンイルはカイの肩を両手で掴み、怒りの形相で詰め寄った。


「実際に精霊術でどうなるのかはわかりません。

 ただ、あれと同じような呪いを聖職者が浄化しようとした時、神力を使い始めた瞬間に呪いが強くなり、そのまま帰らぬ人となってしまったことがありました」

「どうしてそうなった!?」

「呪いそのものは、ゆっくりと体を蝕んでいき死に至らしめるものです。

 ですが、それでは聖職者が浄化すれば解呪されてしまいます。

 だから、助けようと浄化を始めた瞬間に、その者の命を奪うようになっているのです。

 助けられると信じて浄化を頼み、その浄化の影響で死に至らしめる。

 最悪の呪いです……」

挿絵(By みてみん)

 フェンイルはふらりと視界が揺れたのか、思わず額に手を当てて後ずさった。


「な、なんということだ……」


 まるで世界が一瞬だけ遠のいたような、そんな不穏な感覚が彼の胸をざわつかせる。


「ひとまず、俺たちはここを離れた方がいいと思います。

 精霊術を使わなければ問題ないと思いますが、どんな不測の事態が起きるとも限りません」

「ああ、そうだな。

 では、身を隠すのに信頼のできる宿屋を紹介しよう。

 内密の話をするのにも適している」

「よろしくお願いします」


 フェンイルは、後ろで控えていた御者へ軽く合図を送ると、ミルシャたちを促し、馬車は再び勢いよく走り出した。

 来た道を引き返しつつ途中で南へと進路を変える。

 手綱がしなるたび、馬車は軽快に石畳を駆け抜けていく。

 やがて家々の並びがまばらになり、視界が開けたその先――まるで大きな翼を広げたような、堂々たる屋根を持つ建物が姿を現した。


「ここは町の南に位置する集荷場だ。

 主にソルフィルの港町に卸す野菜や、隣国のギルデリアへ向かう荷が、ここに集まってくる」


 ソルフィル──それはルーファス王国の南端に広がる、潮風香る港町だ。

 漁港としても名高く、朝に揚がったばかりの魚介は、ここから王国中へと運ばれていく。

挿絵(By みてみん)

 フェンイルの館のように建物が上に積み重なっているわけではないが、目の前の集荷場は館のものよりもずっと広く、床が見えないほど山積みにされた野菜が圧巻の存在感を放っていた。

 馬車はその賑わいを避けるようにゆっくりと迂回し、やがて並び立つ大きな建物のひとつへと横付けされる。


「町の中央から少し離れるが、この宿屋はギルデリアやソルフィルから来る業者を多く受け入れている。

 だから、見慣れない顔が居ても誰も気にしないから、身を潜めるのには都合がいい」

「感謝いたします」

「うむ。 まずは部屋を借りて、荷物を置いてくるといい。

 俺は宿主に会って、地下の部屋を借りられるようにしておくから、準備ができたら受付前に来てくれ」

「はい」


 フェンイルのさりげない計らいによって、四人は身元を明かすことなく宿の奥へと案内された。

 表向きは「業者がよく泊まる」と言っていたが、通された部屋は宿屋の最深部──まるで貴族専用としか思えないほど豪奢な造りだった。

 扉を閉じた瞬間、外の喧騒が嘘のように消える。

 厚い壁に守られた静寂は、まるで別世界。 安全のため、あえて他の客室から離しているのだと一目で分かった。


 四人は互いに言葉を交わすことなく、指示された通り荷物だけを置くと、すぐに受付へと戻っていった。


 受付に戻ると、カウンターの向こうに立つフェンイルが、意味ありげに小さく首を振る。

 そのまま受付奥の扉へと歩き出し、四人は無言でその背中を追う。

 扉の向こうはすぐに地下へと続く階段になっており、フェンイルは足音を吸い込むような薄暗い階段を降りながら、静かに口を開いた。


「どの宿屋も地下保管庫を作ってあってな、野菜などの保管をしている。

 この辺りの気候は寒暖の差が激しいから、一日を通して温度を低く保てる地下室は重要だ。

 野菜は昼夜の温度差が大きいほど味が良くなると言われていて、そういう意味からも、この地は農業に適しているんだ。

 そして、ここには要人との内密の談話ができるように会議室がある」


 階段を降り、薄暗い通路を抜けた先──フェンイルは一番奥にある重厚な扉の前で足を止めた。

 ゆっくりと扉を押し開けると、そこには大きな円卓置かれた部屋が広がっていた。


「どうぞ」


 フェンイルは自然な所作でアイリスとミルシャをエスコートし、二人の椅子を引いて座らせる。

 その様子を見ていたカイとルゥは、二人の正面側へと腰を下ろした。

 そして最後に、フェンイル自身が全員を見渡せる中央の席へと静かに座る。

挿絵(By みてみん)

「今、館から料理人を呼んで夕食を作らせている。

 疲れているだろうが、支度をしている間話を進めよう」


 フェンイルはそう告げると、宿屋の主人に「料理ができるまで席を外してほしい」と、穏やかに頼んだ。

 主人は給仕が客たちへお茶を配り終えるのを静かに見届け、タイミングを見計らってから深く一礼する。


「では、ごゆっくり」


 そう言い残し、足音を立てぬよう気を配りながら部屋を後にした。


「早速ですまないが、呪いへの対処を知っているのなら教えてほしい……」


 低く落とした声には、張りつめた焦りが滲んでいた。

 強がってはいるが、真っ先に口を開いた理由は明白であり、子供のことが不安で仕方ないのだ。

 その指先はわずかに震え、握りしめた拳には白い痕が浮かんでいる。

 普段なら決して見せない弱さ。 それでも、守りたいもののためなら迷いなく晒す――そんな彼らしい必死さがあった。


「具体的な解除方法は存じ上げません」

「ああ、仲間のように話してくれ。

 俺たちは同じAランク者同士、敬語は不要だ」

「有難うございます。 では――

 先ほども言った通り、掛かっている呪いを消し去るのは簡単なんだ。

 だが、解呪の呪文を唱えると、それに反応して呪縛が強くなり死を招いてしまう」

「うむ……では方法は無いのだな」


 フェンイルは俯き力なく言った。


「唯一の方法としては、術者に解除させるしかないのだが、黒魔術は離れた場所から呪う術……術者を見つけ出すのは不可能だろう」

「!?」


 カイの話にハッとするフェンイル。


「心当たりがある……例の盗賊団だ」

「え!?」

「以前、宮廷魔術師の情報に、盗賊団の中に黒魔術師がいるとあった」


――ガタッ!


「じゃ、すぐに行って捕まえようよ!」


 ミルシャは急に立ち上がり真剣な顔で提案する。


「慌てないでください、ミルシャ。

 確かな情報を得て、しっかり準備してから行きましょう」

「う、うん」


 アイリスに諭され、赤い顔をしながら椅子に座った。


「ミルシャの言う通り、すぐに向かって捕まえたいところだが……事はそれほど簡単ではない」

「というと?」

「盗賊団のアジトは、王国に登録のある正式な村なのだ」

「村?」

「ここより北の山脈の、さらに奥の渓谷に位置するその村は、以前は炭焼きを生業にしている村だった。

 だが、魔道焜炉の開発で炭の需要が減り始めると、山奥にあるその村はすたれてしまい、全村民がこの町やルベイユに移住した。

 そして、その後に住み着いたのが盗賊団というわけだ」

「盗賊団って分かっているなら問題ないのでは?」

「表向きはただの村であり、炭焼きこそしてはいないが、あの周辺でとれる薬草を生業としている。

 たまに、良い石が取れたとかで、宝石を持ってきたりしているのだが……それは恐らく盗品だろう」

「つまり、村として継続していることを王国に知らせ、それを隠れ蓑にしている……と」

「そういうことだ」

「どうやって黒魔術の存在を知ったの?」

「宮廷魔術師団の密偵が、その村に入り込んでいるらしい」


――!!


 四人は思わず息を呑んだ。

 驚いた理由は、密偵が潜り込んでいた事実ではない。

 平然と、しかもためらいなく極秘情報を口にしたフェンイルの方だった。


「……本当にいいのですか? そんな重大な情報まで、我々に明かしてしまって」

「構わんさ。どうせ盗賊団の真相を語るには、避けて通れぬ話だ」


 低く落ち着いた声がその場を震わせる。


「それに――お前たちはもう、戻れぬ場所まで踏み込んでしまったのだからな」


 その言葉に、背筋がひやりと冷えた。


「じゃあ、こっそり忍び込んで探すっていうのはどうかな。

 アイリスの索敵なら、見つけられそうじゃない?」


 軽く言ってみたミルシャだったが、彼はすぐに首を横に振った。


「村まで気付かれずに行くのは無理だ。

 道は一本しかなくて、両側の山は人が越えられる高さじゃない。

 渓谷に入ってから村までは馬車で三時間……その間に見張り台が五つある。

 不審者が通れば狼煙が上がり、族長や魔導士は一瞬で姿を消すだろう」

「族長って、村長みたいな立場じゃないの?」

「違う。 族長は複数の盗賊団を束ねているらしい。

 足がつかないように、村の管理は別の人間がやっている。

 村に潜り込んでいる密偵でさえ、族長の正体は掴めていないそうだ」

「……徹底してますね」

「最近、ハンターが全滅した事件があっただろう。

 その調査で騎士団が村に入ったらしいが――村には何の異常もなく、成果なしで戻ってきたそうだ」


 淡々と語られる事実のひとつひとつが、逆に不気味さを増していく。

 まるで、村そのものが巨大な罠のように思えてしまうほどに。

挿絵(By みてみん)

「……よし、一度頭を整理させてくれ」


 フェンイルは深く息を吐き、ミルシャたちを見回した。


「お前たちはまず飯を食って、湯に浸かって体を休めるといい。

 明日中には装備を整えてやるから、今日は一度肩の力を抜いて休め」

「……わかりました」


 返事は素直で、どこかほっとした色が混じっていた。


「明日の夕方、またここに集まってもらう。 そこで次の方針を決める」

「はい」


 短い返事の奥に、静かな決意が宿る。


――コンコン!


 まるでこちらの会話の切れ目を狙ったかのように扉が叩かれた。

 全員の視線がそちらへ向いた瞬間、扉が静かに開き、姿を現したのは先ほどの宿主ではない。

 白い調理服に身を包んだ男性と、腕いっぱいに料理を抱えた給仕の女性が二人。

 どうやら彼らもフェンイルの館の使用人らしく、柔らかな笑みを浮かべながら、丁寧に会釈をしてみせる。

 そして次の瞬間、円卓の上に色とりどりの料理が次々と並べられていった。

 香りがふわりと広がり、部屋の空気が一気に華やぐ。

 その手際の良さは、まるで舞台の転換を見ているかのようだった。


 湯気の立つ皿が並んだ円卓を囲みながら、誰もすぐには手を伸ばさなかった。

 さっきまでの会話が、まだ胸の奥でざらついている。


 それでも、料理の香りだけは容赦なく鼻をくすぐってきた。

 焼きたての肉の香ばしさ、ハーブの清涼感、スープのやわらかな湯気。

 まるで「今だけは休め」と言われているようで、ミルシャはそっと息を吐いた。


「……いただきます」


 スープを口に含むと、驚くほど優しい味が広がった。

 胃の奥に落ちていく温かさが、張りつめていた心を少しだけ緩めてくれる。


 誰も喋らない。 喋れば、辛いことを考えてしまうから。

 考えれば、胸の奥が冷たくなるから。

 だから、ただ食べる。

 それだけが、今の自分たちに許された小さな救いだった。

 静かな食事は、ゆっくりと、けれど確実に終わりへ向かっていく。


 重苦しい空気の中で、皿の上だけが鮮やかに輝いていた。

今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。


※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※

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